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ご無沙汰しております。
たなしん17です。
お待たせいたしました!
(本当に、遅くなってしまい申し訳ありません。。)
それでは、日本国内に現存するM25ドラゴンワゴンこと、トラクタ部分(M26)の写真です!
現在も重量物運送業者「白田組」の会長さまの所に2台共、保管してありました。
●こちらが「1号車」です。
●こちら側が「2号車」です。
●それでは、なぜ2台のトラクタが必要だったのでしょう?
これは、日本通運が現在、使用している変圧器運搬トレーラーと同じ原理です。
特急列車のように、2台のトラクタ(牽引車)で変圧器輸送用の専用トレーラーを前後ではさみこみ、
トレーラーがUターンしなくとも、常に前進することを可能にしたのです。
●元々は米軍の払い下げトラクタの為、M26には運転席に装甲キャブが取り付けられていました。
『ウィキペディア』より。
会長さまが、おっしゃるには
「装甲キャブだと前輪タイヤのすり減るのが、ものすごく早いのですよ。
もちろん、タイヤも専用で払い下げ品だったので買うには一苦労だったのです。」
「だから、装甲キャブは重いので取っ払って、私は板金を出来たので
敷地にあったスクラップ鉄材を加工して、自分好みのボディにしました。」
(装甲キャブはボルト止めになっており、クレーンで容易に取り外せたとの事です。) ※ちなみに、装甲キャブの鋼鉄は「浅間山荘事件」鉄球クレーンの装甲にも使用したそうです!
「1号車を改造し終えた所で、次の仕事が決まっていて。
だから、2号車は10日間しか製作時間がなかったんですよね。 」
●カプラ【別称:セミトレーラー牽引部/フィフスホイール/第5輪】の部分は 払い下げ当時のままだそうです。 (カプラの前面にあるウインチは重いので、取り外したとのこと。) (なお、色は会社カラーの「上が青+下が緑色」で塗り直してある、との事です。)
●2台、並んで保管されています。
映画『ぼくらの七日間戦争』の61式 戦車のごとく、暗闇の中にありました。
足場がなく、ほこりが積もっていて、今はここまで進むのがやっとでした(汗)。
●運転席部分です。もちろん左ハンドルですね。(^^) 約60年前の軍用車にも関わらず、ハンドルは「パワーステアリング」だったようです。
運転席は、ボンネットを無理矢理キャブオーバー(今のトラック形)にしたような形状で、
運転席の真横にエンジンが、むき出しになっています。
乗車していると「エンジンがストーブみたいで、冬でも熱くて熱くて、ものすごかった。」そうです。
●手作りで、ここまでのキャブを製作してしまうとは、 会長さまの自動車に対する愛情は素晴らしいと思いました(^^) 取材のご協力に心より感謝いたします。 また、会長さまは自動車の模型制作も好きな様子で
「自衛隊のトラックの完成ミニチュアなどがありましたら、お譲り頂けたら幸いです。
代わりと言っては何ですが、近場にお越し下さればM26をお見せしましょう。
もっと観やすいように保存活動も活発化させたいです。」
とも仰っていました。
とても気さくな方でした(^^)。
※なお、前回「イラストページ」にUPした以下の「白田組のフェデラル・レッカー」について追加情報です。
こちらのレッカー車、元々は「米・フェデラル社」の角張った軍用レッカー車だったのだそうです。
それを会長さまが「もっと丸みのある方が、これからはカッコイイのです。」とスクラップ鉄材を板金して
仕事の合間で、作り直したのだそうです(!)。
だから、世界に一台だったとのこと。
使ったスクラップ鉄材は
・丸みのある運転キャブはイスズのボンネット・トラックから
・フロントグリルやライトは日産や米軍のトラックから
部品取りして、製作したそうです。
ちなみに、日野自動車が戦後に初めて作った大型トレーラー「T10型トレーラー」も
営業の方と繋がりがあって、購入してみたそうです。
しかし、米軍の払い下げ車の方がパワフルで運転も楽だったので、
ほとんど乗らずに、新品同様のままスクラップ置き場に駐車して置いてあったそうです。
もし、今でも戦後初の国産トレーラーが、スクラップ置き場にそのまま残されていたとしたら、
それは歴史的に凄いことになったのではないかと思います。
本当に、会長さまはバイタリティーあふれる方だと思いました(^^)
それでは、失礼いたします。
たなしん17 こと 田中より
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特殊車
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ごぶさたしております。たなしん17です。
今月は、公私ともに予定が多く、なかなかブログの更新が出来ませんでした(^^;)
はやい物で、もう11月ですね。
以前、テレビ出演した際に仲良くなった方と一緒に
長野の「はたらくじどうしゃ博物館」へ見学に行きました。
博物館の構想時より館長さんの所有機「ユンボY35」などは訪問見学させて頂いていたのですが
完成してからは、なかなか開館日との折り合いが付かず、数年が経っていました(^^;)
という訳で、「はたらくじどうしゃ博物館」についての詳細レポートは
また次回に強力プッシュ(笑)で書かせて頂きます。
今回は、とても素晴らしい出会いがありましたので、そちらを書かせて頂きます。
長野へ訪問した目的のもう一つ、
「戦後にアメリカ軍が中古車として放出した大型トラクタが現存する!」
「しかも、その方は浅間山荘事件の鉄球クレーンを操縦していたお方です!」
という重機マニアなら、即座に行動せずにはいられない出来ごとがあったからです。
●まずは、その方がNHK「プロジェクトX〜浅間山荘事件〜」で出演した際に
再現映像で使用した「装甲クレーン」です。鉄球(=重機用語では、モンケーン)は、取り外してありました。
●この撮影用車両は旧型国産機の「機械式トラッククレーン」を改造した物です。
※なので、パトライトが新型です。
(車体は三菱ふそう製で、クレーン部分が住友リンクベルト製でした。)
●運転席部分
「装甲クレーン」は当時、長野を拠点にしていた重量物運送会社さまの社長さんが、(今は会長さんです)
長野県警の要請により自社のアメリカ製クレーン(ローレン社製造)を鉄板溶接して作ったそうです。
以前から、当時の日本製レッカーでは敵わなかった、米軍払い下げの大型レッカー車などを所有していたので
夜間に事故が起きると長野県警から電話があり、出動していたので、警察とのつながりがあったそうです。
●装甲(鋼板)の厚さは9mmだったそうです。
当初、警察の垂直に的を立てる射撃テストで「鋼板は、12mmないと危険です。用意して下さい。」と言われたのですが、
大型のクレーン(しかも、アメリカ製なので左ハンドル)が、装甲を付けて視界が悪い中、
雪山の山道を走るとこうことで、
「そんなに重くしたら、山荘に到着する前にスリップして転落事故を起しちゃいますよ。
しかも、鋼板を厚くする度に溶接するには、労力が必要です。山荘から道路までは距離もありますし、9mmで十分ですよ。」
と言う訳で、社長の判断で9mmになったそうです。
※当時のローレン製トラッククレーンはブーム(クレーンの腕部分)が長く、この撮影用クレーンが9t吊りなのに対して、11t吊りだったそうです。
●突入事件の当初は、会長さん御本人が1人でクレーンを現場まで走行させ、操縦すると申し出たそうですが
警察から「現場で外に出るのは、危険すぎます。クレーンを操縦できる方をクレーン側に乗せて、2人体制で行動して下さい。」と言われたそうです。
その為、弟さん(現在の輸送会社社長さん)をクレーン操縦席に乗せて、現場へ向かったそうです。
●なお、会長さまがどうしても、伝えたいこと、「どのTV収録で言ってもカットされてしまう。」と仰っておりましたので、以下に書いておきます。
当日の警察側の突入作戦では、
「まず、鉄球クレーンで壁を破壊して、開いた突入口から機動隊員を突入させる。」計画だったそうです。
そこで会長さまが
「それでは、犯人側のガンポート(射撃地点)から機動隊員が狙われます。先に、ガンポートを破壊しましょう。」
と進言していたそうです。
結局、作戦計画は変更されることなく、
鉄球クレーンで破壊後に機動隊員が突入、
ガンポートから犯人側の狙撃があり、警官が殉死されてしまったそうです。
このことを今でも、会長さまは後悔されており
「警察の命令を無視してでも、ガンポートを潰せばよかった。
戦時を経験しているからこそ、私は人命を大切にしてほしいと願うばかりです。」
と仰っておりました。
時間が足りなくなってしまったので(汗)、
M25ドラゴンワゴンの取材写真につきましては、また今度UPしますね(^^;)
それでは失礼いたします。 たなしん
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明けましておめでとうございます。 |
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