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島原の乱が鎮圧されてから間もないころ、キリシタン禁制のあくまで厳しい日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる・・・・・・。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、<神の沈黙>という永遠の主題に切実な問いを投げかける書下ろし長編。



『沈黙』は、遠藤周作が17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説。

『神の栄光に満ちた殉教を期待して牢につながれたロドリゴに夜半、フェレイラが語りかける。その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾のような音を止めてくれと叫ぶ。その言葉に驚いたフェレイラは、その声が鼾なぞではなく、拷問されている信者の声であること、その信者たちはすでに棄教を誓っているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げる。自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、究極のジレンマを突きつけられたロドリゴは、フェレイラが棄教したのも同じ理由であったことを知るに及んで、ついに踏絵を踏むことを受け入れる。』



主人公ロドリゴは、拷問の末に殉教する信徒達のために神に祈るが、一向に何かが起こることもなく、ただ海はいつものように波を打ち続け、風はいつものように吹くだけであった。

「神はなぜ沈黙されているのか。
私の祈りは届いてはいないのか。
もしかすると・・・神は存在しないのではないか」

神のために、主のために信徒が苦しみの末、殉教したのにも関わらず、ただ淡々と日常が進んでいくのに耐えられず、司祭にあるまじき考えを想起するに至る。


この『神の沈黙』というのは自分も今でも考えるテーマのひとつで、例えば戦争でも、貧困でも、飢餓でも、圧制でもそう。
こんなに世界が苦しみや悲しみに満ちているのに、どうして神は何もしないのか。
その答えのひとつを遠藤周作はこの小説で示している。


『夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。すり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛み。そのとき踏絵のなかのイエスが「踏むがよい。お前のその足の痛みを、私がいちばんよく知っている。その痛みを分かつために私はこの世に生まれ、十字架を背負ったのだから」と語りかける。』


『私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ』

『弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?』



最後の言葉が自分にとってこの小説のなかで一番影響を与えた言葉です。
久々に素晴らしい小説、作家に会えました。

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はじめまして、「沈黙」繋がりでTBさせて頂きました(^^)
今後ともよろしくお願いいたします<(_ _)>

2009/5/15(金) 午後 6:38 小笹山荘

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>さんそう
コメント&TBありがとうございます。

2009/5/18(月) 午前 10:16 [ 坂戸 真悟 ]

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