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僕が読んだ本をここに紹介します。
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大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く


真珠湾攻撃直後、NHKラジオで放送され、ベストセラー書にもなった"開戦理由"を前文掲載!
『国家の罠』著者・佐藤優が、戦時政府を代弁した「当時最高水準の知性」に挑む。


本書の内容は、前半は大川周明の『米英東亜侵略史』を現代の言葉に置き換えて掲載。
大川は、イギリスがいかにして謀略、暴力を用いて自己の利益を追求していったか、またモンロー主義を貫いていたアメリカが支那(現・中国)の市場に欲望を抱き、日本を含めた欧米列強に強引に割り込んでいく様を、米英の本、新聞等を引用しながら論理的に立証していく。
そしてその果てに、道義を大切にしていた日本と、拡大・侵略を重ねていた米英との戦争は不可避だったと説明する。



たかだか60数年前に、帝国主義の下これほどの傍若無人、極悪非道の振る舞いをしておきながら、現代では人権だ平和だと抜かしている米英にほとほとあきれる。
当時から米英は二重基準(ダブル・スタンダード)盛んに用い、自国の利益を拡大していく様は、現代にも十分つながっていると感じる。
帝国主義を自由主義、または新自由主義という名前に置き換えただけなのだ。


ただ日本も「帝国主義国家」であったわけで、日本だけが良い国家だったわけでもない。
どうやら本当に欧米列強から亜細亜を解放しようと考えていたようだが、その時点では国力が足りないので、一時的にあなたを(支那)を植民地化しますよ、と被植民地国では通るはずのない論理を使い、支那を支配下に置く。
その影響で、今でも韓国・朝鮮・中国から強烈な反発をもらうのだ。
いい訳かもしれないが、当時ではこれが普通だったのだ。


大川周明がラジオ放送を通じて、開戦理由を説明した。
日本のおかれている状況、米英との関係、摩擦、歴史などを踏まえて、論理的に説明されている。
これを理解し、本がベストセラーになるなど、当時の日本人の知的水準の高さが窺える。

この戦争を政府・軍の暴走などとし、国民は騙されていたという「物語」をアメリカが日本国民に植え付け、その影響が現在まで続いているという結果が、アメリカの情報戦略が上手くいったことを示している。


日本はもちろん悪いことをたくさんした。
でも欧米から与えられた「物語」や自虐史観から、いい加減にもう解放されなくてはいけない。
冷戦後の現在、また帝国主義化してきた世界で、どう日本が生き残っていくか、歴史を学ぶ上でもこの本はとても参考になった。

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島原の乱が鎮圧されてから間もないころ、キリシタン禁制のあくまで厳しい日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる・・・・・・。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、<神の沈黙>という永遠の主題に切実な問いを投げかける書下ろし長編。



『沈黙』は、遠藤周作が17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説。

『神の栄光に満ちた殉教を期待して牢につながれたロドリゴに夜半、フェレイラが語りかける。その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾のような音を止めてくれと叫ぶ。その言葉に驚いたフェレイラは、その声が鼾なぞではなく、拷問されている信者の声であること、その信者たちはすでに棄教を誓っているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げる。自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、究極のジレンマを突きつけられたロドリゴは、フェレイラが棄教したのも同じ理由であったことを知るに及んで、ついに踏絵を踏むことを受け入れる。』



主人公ロドリゴは、拷問の末に殉教する信徒達のために神に祈るが、一向に何かが起こることもなく、ただ海はいつものように波を打ち続け、風はいつものように吹くだけであった。

「神はなぜ沈黙されているのか。
私の祈りは届いてはいないのか。
もしかすると・・・神は存在しないのではないか」

神のために、主のために信徒が苦しみの末、殉教したのにも関わらず、ただ淡々と日常が進んでいくのに耐えられず、司祭にあるまじき考えを想起するに至る。


この『神の沈黙』というのは自分も今でも考えるテーマのひとつで、例えば戦争でも、貧困でも、飢餓でも、圧制でもそう。
こんなに世界が苦しみや悲しみに満ちているのに、どうして神は何もしないのか。
その答えのひとつを遠藤周作はこの小説で示している。


『夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。すり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛み。そのとき踏絵のなかのイエスが「踏むがよい。お前のその足の痛みを、私がいちばんよく知っている。その痛みを分かつために私はこの世に生まれ、十字架を背負ったのだから」と語りかける。』


『私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ』

『弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?』



最後の言葉が自分にとってこの小説のなかで一番影響を与えた言葉です。
久々に素晴らしい小説、作家に会えました。

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C#の絵本

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まったく初心者の時に買った本。
当時は前半部分はなんとか理解できたが、後半部分になると当時は理解できなかった。

最近、上司に「今読み直したらいいよ」と言われ、読み直しました。

なるほど!っと思えるように成長してました。
なんとなくでしか理解していなかったものが、絵付の解説なのでわかりやすかったです。

サンプルソースを見ても、こういう使い方をしたことがなかったので、参考になります。

いいですね、昔買った本を読み直すというのは。

聖書 民数記

内容は基本的に、種々の建造物の作り方、礼拝の儀式、祭司の着物、祭りの決まりごとなどをこと細かに記述してあるだけ。
完璧に斜め読みしました。


神がモーセを通して、「神様がこう決めたのだから、このようにしなさい」と言っているのだが、疑問が一つ。

読めばわかるのですが、本当に細かく規定がなされていて、守れなかったら死罰が待ち受けているのです。
このような規定を作った神が、のちのイエスが伝える神と同一の存在なのだろうかと。
キリスト教にはこんな規定はないし、守らなかったからといって何かが起こるわけでもない。大体この古い神は決まりごとだらけで、不寛容にしか見えない。

かといってイエスはイエスで、「私は律法を破壊するためではなく、完成させるために来た」と聖書に書いてある。
つまりイエスはユダヤ教の律法を守っていたのだ。
じゃあ今のキリスト教はなんなのよ。


宗教が道徳を説くのは良いことだと思うが、おおよそくだらないと思える制約を作り、守らないと地獄に行くとかいう『死語』は最悪である。

聖書 出エジプト記

飢饉によってエジプトに移住していたユダヤ人が、年月を経て奴隷として扱われていた。
そしてかの有名な『モーセ』が現れ、数々の奇跡を起こし、エジプトからユダヤ人を脱出させ、『乳と蜜の流れる土地』へと旅立ってゆく。


思い切り簡単に言うとこういうあらすじになる。
有名なのが海を真っ二つに割るシーンですね。映画にもなってますし。
しかし本当に聖書に書いてあることが『史実』であったかどうかは今でも議論されている。
モーセが起こした奇跡の中には、川の水を血に変える、蛙、あぶ、ぶよ、イナゴの大群の出現、疫病、腫れ物、雹、暗闇、長男の死など。
本当に現実でこんなことをできるわけがないというのが俺の意見ですが、実際聖書を読むと神話の要素が強く、何かしらの神話や伝説を置き換えたもののような気がする。

とりあえずユダヤ人が紀元前13世紀頃に、今のイスラエル辺りに『侵略者』として攻め上って行ったというのは本当のようです。
エジプト側に記録はないのかと調べてみましたが、残念ながら確定的なものは見つからず。

いずれにせよ、この出エジプト記は西洋文化には欠かせない、重要なファクターであることには間違いありません。

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