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初めて訪れた街で その街の時間に溶け込む 家路につく人々に言葉は少なく 揺れて軋む車体に吊皮がゆれる 北の街の繁華街から何駅か過ぎると 派手な電飾は消え 冷たいアスファルトに埋もれた レールだけが街灯に照らされ後方へと去ってゆく 何駅かが過ぎ 乗客も減った頃
見知らぬ駅に降りてみると 車内で温かみを戻していた頬に冷たい風が当った |

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こんにちは、ゲストさん
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初めて訪れた街で その街の時間に溶け込む 家路につく人々に言葉は少なく 揺れて軋む車体に吊皮がゆれる 北の街の繁華街から何駅か過ぎると 派手な電飾は消え 冷たいアスファルトに埋もれた レールだけが街灯に照らされ後方へと去ってゆく 何駅かが過ぎ 乗客も減った頃
見知らぬ駅に降りてみると 車内で温かみを戻していた頬に冷たい風が当った |
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さて、前回の続きです! 庄内交通 湯野浜線の廃線跡を訪ね痕跡の残る善宝寺へ その後A(旧 七窪駅付近)を辿り湯野浜温泉駅の直前まで 来たところで 旅の本当の理由を言わずに終えましたね ここで再び本のページです 位置関係をよく見て下さいね ↓拡大し 要所に印を入れたのがこちら 1972年の10月頃だそうですが 大きな旅館や民家などが見てとれます 黄○で囲んだの旅館風の建物(湯野浜温泉がここに隣接)と 小さい○は敷地の端になります その数メートル手前、道路の反対側から線路方向に向かう オレンジの線は低地と丘陵地帯の住宅を結ぶ地元の生活道 これを踏まえた上で・・・ グーグルのストリートビューで現在の様子を確認しました 現地に行って見ると永き時間の経過で街並みは変わり 民家の位置や道路幅なども若干変わってました 不思議と残っているモノも僅かにありましたが・・・ 先ずは72年当時は民家の脇から幅が人ひとり分くらいの小道が 線路方向にむかい有りましたが 現在は線路跡に作られたサイクリングロードに繋がる 小道としっかりとした作りの石段へと変貌してました その昔し線路だった所は自転車専用道として舗装され 低地から上がってきた小道はそれと交差してました ずっと奥が終点の湯野浜温泉駅になります 振り返り鶴岡方面を臨む 再び線路から海側へと下りて来ました 民家だった所は駐車場となってますが 間違いなく画像の 位置関係にピッタリ! 道路の向こうには当時の趣きを残したホテル旅館が有りました 当時の旅館と現在のこのホテル(ホテル海山)が同一かは 調べが着きませんでしたが湯野浜の歴史などを考えると 鉄筋の本館らしき建屋が有りますが ほぼ間違いないでしょう 道路とは柵だけで仕切られてた敷地は綺麗な壁となってました その端の角には本の画像にも ごく僅かに写ってた あの赤い消火栓がポツンとありました そうです!今回の旅の目的・・・それがコレ 72年に撮影された写真に載ってた消火栓 グーグルのストリートビューでも確認出来た色あせたそれを 訪ねたのです(笑) 鶴岡市から湯野浜温泉まで様々な人の思惑の上に計画・開通した 庄内交通 湯野浜線 その晩年の姿を撮った一枚に写り込んだ消火栓 あの当時から街並みは大きく変わり かつてモーターを唸らせて た電車の姿は消えてしまったけど それは当時から変わらぬ位置にずっと立ち 最終電車の通過をこの位置から見てたのでしょうね 赤いペイントが剥がれてる部分は海風で錆だらけです 当時を偲ぶ物はコレだけ 旅の目的・・・それは 生き証人のようなこの消火栓を訪ね山形県鶴岡市湯野浜まで 行ったのでした なんて事無い理由にあ然としました? オタってこんなものです 他人が無駄に思う事に体力・お金・時間を費やすんです(笑) 最後は湯野浜温泉の景色です ここから見える日本海に沈む夕陽は最高に美しいそうです いかがでしたか?(^。^)
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暑いです!もぉ〜トロけてしまいそうなほど暑い なのにバイクで出掛けてみました 本に載ってた景色を頼りにその場に立ってみたくなり またいつもの廃線探訪です 画像は1972。10月に撮影された山形県の日本海に面した温泉街 湯野浜温泉付近を走る電車の姿 でも、その前に・・・ この廃線跡にも重要なポイントである事から 立ち寄った場所が有るのでそちらから先にご紹介! 今回の訪ねた「庄内交通 湯野浜線」は 昭和50年に廃止となった山形県下 最後の私鉄路線でした 時は大正14年 名士らがこの地に鉄道3路線を計画・施設を考え 国に路線申請をし 昭和4年には鶴岡〜湯野浜 間に庄内電気鉄道を開業したのでした 許可から開通まで僅か2年で行うも その後の経営は芳しく無かったようです 旧国鉄の鶴岡駅から湯野浜温泉までの全長12.2キロ 駅は7駅からなる典型的な地方小私鉄でして それでも昭和30年代には湯野浜への湯治客や善宝寺への参詣客 通勤・通学の足として賑わい 昭和40年代に入ると上り22本下り23本と列車本数も多くなり 国鉄との接続駅があったお陰で米や肥料をはじめ 物資の貨物輸送も頻繁に行われていたようです 昭和42年〜オレの生れた43年頃には1日の利用客数も多く 年間では242万人(43年は211万人)とピークだったそうです 山形県下にはこの私鉄ともう一つ山形交通というのが有りました ですがこちらは昭和49年に廃止 それにより庄内交通 湯野浜線は山形県下最後の 私鉄となりましたが翌年の昭和50年(1975)3月をもって こちらも廃止 営業最終日は午後以降、最終列車まで無賃解放され 廃止を惜しむ人々を乗せて最後の役目を終えたそうです 廃止後もう何十年と経過し廃止当時子供だったオレも もう50歳の声が聞こえて来そうな年齢 い〜や!まだ47だけどね・・・(汗) 当時7つあった駅も当然廃線後は現存するわけもなく もう 在りし日を偲ぶ光景には触れられ無いと思ってたら 実はひと駅だけ当時の面影を残す姿で現存し しかも電車も残っているとの事を知り訪ねてみました それがこちら! 山形県は庄内地方の城下町 鶴岡の北西にあって 龍神様を祀ったお寺として1200年の歴史を持つ龍澤山善宝寺 お寺はもとより全魚鱗の供養塔としての五重の塔は 全国の漁業関係者の間でも有名だそうです 一般的には元祖人面魚が撮影されたお寺として 広く知られてます その大きな善宝寺の参詣客を乗せてたのも湯野浜線の電車 善宝寺の山門の前の道を渡ると広場の奥に駅舎はありました 善宝寺駅はこの路線でも鶴岡・湯野浜温泉に次ぐ主要駅で 善宝寺駅の少し手前 鶴岡寄りには農業倉庫があり 米や肥料の積みこみや積み下ろしで賑わってたそうです さて、近づいて良く見ると善宝寺駅では無く 善宝寺鉄道記念館の文字が・・・ そうです 廃止後にこちらに設けられた鉄道資料などを 展示した資料館となってました ホームや木造の待合室や線路施設などは往時の物らしいのですが コンクリ製の母屋は後の建造なんでしょうか近代的でした 先の人面魚ブームでお寺が賑わってた1990年頃は 毎日開館してたそうですが現在は閉鎖されていて 手入れもされて無い廃墟のような佇まいでした 入り口から覗くと奥には湯野浜線の電車が停車してました 保存状態は悪く貴重な車両も朽ちて逝くのを待つのみ 昭和40年代 鶴岡に国鉄の列車が到着すると この電車に乗り換え湯野浜の海を直前に はやくベルが鳴らないかとウキウキする気持ちで 発車を待つ子供たちや 庄内地方の雪の中 窓の隙間風が音を立てそうな 電車に揺られ まっ白い雪の中に立つ善宝寺への参拝客を 乗せて走ったのでしょうね 赤錆びて草木に埋もれそうな電車が歳月の経過を 現実のものとしていました 感傷に浸ってる間もなく水分を補給したら 廃線探訪も後半です あれ?前半はココだけ? って思った? だって起点のJRの鶴岡駅からの京田〜安丹〜北大山までの 駅間は廃線跡も倉庫や田園風景に変わり それらしいものは現存確認出来ないんです なので簡単なマップで示すと 鶴岡方面から来た電車は善宝寺駅を出ると 徐々に勾配を上り丘陵地帯に差し掛かります 現在は湯の浜カントリークラブになってる丘のフチを 左回りにカーブをしながら海へと出ます 終点湯野浜温泉のひとつ前の駅が七窪駅(ななくぼ) マップAの場所です 画像は七窪駅から湯野浜温泉方面を見てる感じで 道路と交差してるのはサイクリングロードになった 湯野浜線の線路跡です そして電車は終点の湯野浜温泉を目指します 湯野浜温泉駅の付近も今は鉄道の走ってた様子を 残すものは有りません ホームも駅舎も当時の小私鉄にしては そこそこ立派なものが建ってたのですが 現在は跡地は鶴岡市湯野浜振興センターとなり 駅前だった辺りは後を引き継いだ庄内交通のバスの 折り返し場所になってました 終点少し手前のこのバス停の右の先に塀が有って そこに今回の旅の目的となったものが 1枚目画像 本の写真にも写るそれとは・・・ さて今回の旅の本当の目的は何なのか・・・
続きは次回記事で |
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「伊香保電気軌道」 群馬県高崎市の高崎駅前ならびに前橋市の前橋駅前から渋川市を経て 伊香保町の伊香保温泉までを結んでいた東武鉄道運営の電車線で 高崎駅前〜渋川新町間を高崎線 前橋駅前〜渋川駅前間を前橋線 渋川駅前〜伊香保間を伊香保線 として渋川新町を中心に高崎・前橋・伊香保の3方向に走っていました もとは明治23年・明治26年に馬車鉄道として前橋・高崎に開業し その後いろいろ有って昭和2年に東武鉄道の路線となりました ですがモータリーゼーションなど路線を取り巻く環境の変化や 施設・車両の老朽化で次々に廃止となりました 当時の停留所名を見ると「野良犬」「金古」 など変わった名前が 見受けられます そんな3路線のうち最後まで残った 伊香保線「渋川駅前〜伊香保間 12.6km」は標高173mの渋川駅前 から標高697mの伊香保までの全線を平均勾配41.8パーミル 最急勾配57.1パーミルを87か所の急カーブを切りながら登り降り してました ちなみにパーミルとは1000分の〜を意味してて 鉄道用語で1000メートル進んで何メートル高低するかに使われます だから最高勾配57.1パーミルとなると・・・ 1000メートル先で57メートルの坂になります ちなみに碓氷峠が66パーミルくらいですからかなりの斜度というのが お分かりかと思います なので市街地を走る路面電車にも関わらず渋川から伊香保温泉までの 山岳区間は急な勾配を避けて高さを稼ぐため 箱根登山電車のように待避線つきのスイッチバック方式を採用した 本格的な登山電車様式を採用したのもうなずけますね 渋川新町から伊香保までは45分を要したそうです 面白いのは下りはスタート時だけ架線からの電気で動かし 下り坂は架線からの集電をやめブレーキ操作で下るという 絶叫マシンさながらの運転でした 実際はスピードは緩やかだったのでしょうが 運転士の勘に頼ったブレーキ操作に乗客は命を預けるという 何とものどかな時代の電車線でした ですが これも昭和31年には廃線となりました 廃線後は東武バスに移管しましたが その後同社バス路線の撤退により平成24年より関越交通バス 日本中央バスに引き継がれているそうです そんな伊香保電車 いまは伊香保温泉を訪れた観光客を 出迎えてくれています 先週、先々週と訪れた伊香保で最初に見た時は何でココに? と思いましたが二度目に伊香保に向かう前にネットで検索 予備知識入れての再訪(勿論、仕事でですが) この車両は廃線後に群馬県内のお医者さんが 自宅の庭で保管してましたが この度、観光資源と伊香保の歴史遺産という事で寄贈頂き 復元修復の末こちらの峠の公園に保存展示されたそうです 実車の当時の台車とは違う事も有り多少車高やプロポーションに 違和感を感じますが 実存するだけでも感謝ですね 小さい駅舎と当時の踏み切り表示、線路の一部も保存されてました この画像の赤いラインの方向に電車は道路を渡り 終点伊香保を目指して走って行ったそうです オレの悪い癖で廃線跡や廃車体とか鉄道遺構とかが大好きで これも事前に調べておいたんです 道路を越えて民家の間にある細い道が昔の路線跡です 軽自動車が通れるくらいの細い生活道で民家や店舗の一部も もう既に廃屋となり 猫がたくさんいました この画像は当時のその道路を渡る電車で画像左手側が 上の画像の路地方向となります クルマは先程の峠の公園のパーキングに止めて 終点方向に向けて歩いてみました 伊香保電車の線路跡を示す何かが残ってないか 散策しながら歩いてもわずか数百メートル 所要時間5分でした 民家の土台や斜面にそれっぽい石の積まれたものが有りましたが それが鉄道遺構かどうかは判別がつきませんでした ただ こんな看板がいくつか有りました 錆びて朽ち果てそうになってますが 紛れも無く伊香保電車の足跡を現代に教える看板でした 明治43年10月16〜昭和31年12月28日 この前の細い道に渋川〜伊香保間に電車が走ってました とあります この位置から見える初夏の青々とした山々 草木の香りや湯の香りは当時も今も変わらないんでしょうか 古き時代に想いを馳せてみました・・・ 妄想から気を取り直して更に終点の伊香保方面に向かうと 一段下を並行する県道にぶつかりました 振り向くと交差する二つの道路が見てとれます 画像の黄色のラインがその県道で奥に向かい下ると 渋川市街へとなります さて向きを戻し 終点方向を見ますと この奥数十メートルで終点の伊香保駅となったようです ここも残念ながら遺構らしきものも見当たらず ほぼこの辺りだろうって位置までしか分りませんでした 何と無く辿ってはみたものの まぁ昭和31年には廃止されてしまった路線ですから 今でも何か残ってる方がおかしなものですよね 明治から昭和の初めに高崎や前橋から伊香保温泉まで 湯治客を乗せ急こう配を上がり 開け放った窓から入る風に湯の香りを感じ 小さな小さな電車が往き来したんでしょうね そんな妄想をするにはじゅうぶんな廃線跡探訪でした 伊香保温泉の名所の365段の段々を少しばかり額に汗をして 最上段目指して上がってみました 温泉まんじゅうの蒸し上がる香りにお腹の虫が鳴きます 上州名物のコンニャク 玉こんにゃくなんかも有り 坂の途中は賑やかでした 200段目を少し超えたくらいの位置には無料の足湯がり この日はピークを過ぎたのか 足を浸ける人の姿はありませんでした ここは足ふきは自前だそうですよ 最上段の365段目には伊香保神社が在りました 登ってお賽銭箱にお金を入れて願い事をする女性が多かったです すぐ下に社務所もあり絵馬も買えるようですね この神社の裏手からも温泉街に向かう道が伸びていて 前の記事で紹介した朱塗りの橋や露天風呂にも向えます 二週に渡って訪れた伊香保温泉 仕事の合間で思わぬ収穫もあり楽しい時間を過ごせました 今度はツーリングで訪れ美味しい水沢うどんや温泉まんじゅう
玉こんにゃくなどを楽しみたいですね |
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