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千葉県市川市にある日蓮宗大本山の一つ「中山法華経寺」を歩いてきました。創立は鎌倉時代後期の文応元年(1260)。日蓮が時の執権北条時頼に建白した有名な「立正安国論」(国法)など、多くの文化財が保存されています。 JR総武線下総中山駅から続く参道をしばらく歩くと、法華経寺の総門である「黒門」が見えてきます。名前の通り全体が黒色に塗られており、赤門と呼ばれる仁王門とともに江戸時代初期の建立と伝えられています。 黒門の扁額は掛川城主大田資順の筆だそうで、堂々とした字が印象的です。 壮大な伽藍の入口に建つ仁王門(赤門)をくぐると、新緑に覆われた石畳が続きます。 さらに石畳を進むと視界が開け、五重塔と日蓮を祀る「祖師堂」(ともに重要文化財)が見えてきます。現在の祖師堂は江戸時代中期の延宝6年(1678)の建立で、創建当時の形状とされる比翼入母屋造形式に復元されています。横から見ると屋根が二つ連なる特徴的な形が良く分かります。 五重塔は元和8年(1622)の建立で、大田区の池上本門寺や上野寛永寺の五重塔によく似た朱塗りの塔です。 祖師堂の裏手には重要文化指定の建物が並びます。本堂にあたる「法華堂」は室町時代後期の再建と考えられ、釈迦・多宝尊像を本尊としています。近寄れないので上手く撮れませんでしたが、「妙本花経寺」の扁額は本阿弥光悦によって書かれたものです。 四足門は室町時代後期の建立で、ほぼ純粋な禅宗様式で建てられています。棟近くまである本柱の前後に四本の控柱が見えます。 さらに奥に進むと鉄筋造りで再建された本院があります。近代的な建物には興味が湧きませんが、本院奥に祀られた鬼子母神は入谷真源寺、雑司ヶ谷法明寺の鬼子母神とともに現在の江戸三代鬼子母神と言われているそうです。ちなみに江戸時代には中山法華経寺ではなく本所本佛寺の鬼子母神が入っていたようです。 昼食を済ませ、近くの「真間山弘法寺(ぐほうじ)」まで足を伸ばしました。弘法寺は奈良時代に「手児奈」の霊を供養するため行基が建立した求法寺がその始まりと伝えられています。その後空海が弘法寺と改称しますが、鎌倉時代に日蓮の布教により日蓮宗に改宗されました。
ちなみに「手児奈」とは万葉集にも登場する絶世の美女だそうですが、彼女をめぐり多くの男達が争ったことを思い悩み自ら海に身を投げてしまいます。後に彼女を憐れんだ行基や空海が彼女の霊を供養したことから、いつしか地元を守護する女神として多くの信仰を集めるようになり、真間山の麓に建つ「手児奈霊験堂」は今も安産・子育て祈願する人で賑わっています。・・・私は全く知りませんでしたが。 さて、真間山弘法寺ですが、山門から仁王門までは急な石段が続きます。この仁王門に掛かる「真間山」の扁額は空海の筆と伝えられています。 弘法寺は明治期に大火に遭っているそうですが仁王門ととも焼けなかったのが「鐘楼堂」です。 大黒堂に安置されている「太刀大黒天神」は日蓮が比叡山で修業中にその姿を感受し、彫刻されたものだそうです。 |

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立派なお寺ですね。
なかなかお寺の見物に出かけることはないなぁ。というか立派なお寺がこの辺にあるのかすら知らない・・・
もうちょっと年取ったら(笑)お寺めぐりもいいかも(^-^ゞ
2014/5/19(月) 午前 0:05 [ こり ]