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今回は出張後の休日を利用して岡山県高梁市の「備中松山城」を中心に、岡山、姫路のお城と神社・仏閣を歩いてきました。幸い台風の影響もほとんど無く、駆け足ですが充実の散策となりました。
まずは、岡山城です。本格的城郭を持つ現在の姿の岡山城は、天正元年(1573)に宇喜多秀家によって築城されました。その堅固な天守は、若くして57万石の大大名となった宇喜多秀家が天下にその威光を示すのに相応しい姿です。築城は養父である豊臣秀吉の指示により進められ、工事期間は朝鮮州出兵を挟んで8年間に及んだそうです。残念ながら天守は昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和41年に鉄筋コンクリート造りながら外見は昔のままに再建されています。
表書院へ続く「廊下門」、表書院から本殿へと続く「不明(あかず)門」の二門も、古い絵図面を参考に再建されています。
最初に岡山に入った宇喜多直家は、早々に岡山城の改修着手しました。表書院跡地には、宇喜多直家時代の石垣が保存されています。
秀家の築いたた天守は、石垣からの高さが20.45mあり、二階建ての建物を三つ重ねた三層6階の構造となっています。戦国時代の名残である外壁に塗られた黒漆が、カラスの濡れ羽色に似ていることから、「烏城(うじょう)」の別名があります。
天守からは、日本三名園の一つ「岡山後楽園」を一望することができます。豊かな水を湛えて流れる「旭川」が堀の役目を果たしています。
天守を下から見上げると天守台石垣の上部が変色しているように見えますが、これは天守が空襲で炎上した際の高熱によるものだそうです。
後楽園へと続く橋から望む天守の姿は、まさに烏城の名にふさわしいものです。
後楽園は、元禄13年(1700)に完成した大名庭園で、江戸時代の姿を大きく変えことなく現在に至っています。芝を大量に使った庭園は明るく広々としており、歩くだけで開放的な気持ちになります。昭和27年に文化財保護法による「特別名勝」に指定されています。
翌日は備中高梁の「備中松山城」を訪ねました。備中松山城は、「臥牛山(がぎゅうざん)」を構成する4つの峰のうち標高430mの小松山の山頂に築かれた近世の山城で、天守現存12城の中で随一の標高を誇ります。登城するには、途中まで車で行くことができますが、自力で700mの山路を登る必要があります。
9時に開場する天守の1番乗りを目指して、朝の山路をひたすら歩きます。雨も上がり清々しい一時です。
20分程歩いてそろそろ息が上がりそうになった頃、ようやく石垣が見えてきました。
大手門跡の岩盤の上に築かた見事な高石垣は、まさに難攻不落の構えです。土塀は復元だそうです。
いよいよ城攻めも大詰め。この先二の丸、本丸、そして天守へと続きます。眼下に広がるのは高梁の街です。
二の丸から見た本丸です。手前左側が「六の平櫓」、右側が「五の平櫓」(ともに復元)で、その間の門が「南御門」になります。奥に見える天守は二層2階の構造で、重要文化財に指定されています。
正面から見た天守は、大きな唐破風と出窓が特徴的です。向かって左側(西側)に付櫓があるため、外からは三層にも見えます。付櫓の中は石垣が剥き出しになっており、天守への入口となっています。
天守は現存する12城の中で一番小さく、その高さは約11mです。2階には9柱の神を祀った「御社壇(ごしゃだん)」と呼ばれる部屋があります。
籠城が主目的の山城とあって、石垣と岩盤、土塀で守られた城郭は堅固で鉄壁の守りとなっています。
天然の巨石の上に建つ二重櫓も天守と同じ二層2階の構造となっています。南北に出入り口があり、南口が天守裏に通じています。
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