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成子坂は、鳴子峠と呼ばれてそれはそれは寂しいところであった。
そのころ、中野あたりの奥に住む一人の貧しい百姓があった。
一人息子を、江戸に奉公に出していた。息子が盆のやぶ入りで帰ってくるのに、慰めてやるものが何もないことに気付いた。
百姓は、ふと悪心を起し、旅人から物をかすめてやろうと、夕暮れにまぎれてこの坂にきた。そこへ一人の旅人が通りかかったので、その旅人を殺し、財布を奪って大急ぎで帰宅した。
早速、しらべてみると、意外にもその財布は、待ちわびていた息子に持たせてやったものであった。
父親は、息子を殺したことに大いに驚き悲しみ、ついに自殺をしてしまった。
里人はこのことをきいて親子の死をあわれみ、その供養のために地蔵様をつくってまつった。
成子天神社入口からみて、西斜め向かい側に成子地蔵がある。子育地蔵ともいわれている。
戦災を受けたので、昭和26年11月に新たにつくられたが、もとは等身大の石像で、台石には「享保十二丁末年発願主円心 天保九戊戌年再建願主文仙」とあった。
「新宿と伝説」(新宿区教育委員会)
成子子育地蔵尊は、享保12年(1727年)に成子坂に北面して建立、その後天保年間に再建、以来二百数十年霊験あらたかに其の名も高く近郷近在崇敬の対象となっていましたが、昭和20年不幸にも戦災の為壊滅の悲運にあわれました。
しかし、昭和26年(1951年)11月14日有志の協賛を得て現在の慈悲深く温和な尊容のお像と木造のお堂が再建されました。
昭和46年頃よりこの一帯は超高層ビル街に生まれ変わり、平成14年当地区も西新宿六丁目再開発地域として一新し、それを機にお堂も不燃化造りに建替えられて安置され、入魂法要が執り行われました。
(成子子育地蔵尊概要)
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