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「淀橋浄水場史」に収められている思い出の中から、十二社にまつわる部分を抽出しました。
成子坂裏通りには茶畑もあり、十二社付近にあった桜山、池のほとりには滝が流れ落ちており、神田川にはハヤ、鯉、うなぎが棲んで居り、よく釣り人が魚を釣って居りました。その付近には田圃や水車小屋等もあり実にのどかな所でした。
針谷作三(大正13.4.9〜昭和39.3.3淀橋浄水場勤務)
新宿駅甲州街道口は、いわば裏口で、線路の東側一帯は貨物取扱所で、当時はトラックはなく2輪又は4輪の荷馬車が右往左往し、でこぼこの砂利道には馬グソが落ちていた。
ガスタンクも、すでに1基あった。
明治神宮が代々木原の一隅に出来、ガスタンク横の裏参道を通って、秋の大祭には、毎年子供らで参けいに行った。その途中、甲州街道を渡った所には「一豊の妻」で有名な山内公爵邸があった(現在、高速道路のピヤーが立っている付近)。
浄水場の西側には、南から北に向かって十二社・六桜社・水車・大迫陸軍大将邸・映画の撮影所・赤の山と続いていた。
十二社は一帯が森林で、今日の井の頭公園の観があった。水源に当る小池にはメダカ・オタマジャクシが見え、続く大池にはヒゴイ・マゴイがいた。周囲には芸者屋・待合があり、池上に離れ屋も出ていた。丘には春日局が建立したという熊野神社が今も残っている。
六桜社(後の小西六工場)があった。六桜社の北側には、十二社の南端に通じる道があった。この途中で、崖下に大水車があってウスをついていたが、さらしあん工場と聞いていた。
隣接した竹ヤブの奥に撮影所、道の角には大迫邸があった。
赤の山はササヤブで、夜など薄気味の悪い所であったが、目下、ここを地名発祥地の淀橋の橋際から新宿西口へ抜ける道路の工事中である。
成子坂通(青梅街道)は、通りの位置は変わらぬが、家並みは戦災で一変している。谷口清治(昭和27.10.1〜昭和28.4.1淀橋浄水場勤務・場長)
(浄水場の)第4の池を右にまわると、道ひとつへだてて東側に東京生命保険KKの野球・テニス・バレーボールの運動場がある。仕事をしないわけでもないだろうが年中やっている。
野球場では春秋の数日間は女子野球の試合がある。チームは紅梅キャラメル・わかもと・京浜ジャイアンツなどで準硬球でなかなか元気なものだ。見物人は少ない。どうも有料のようだ。沈でん池のよこの土手にあがるとよくみえる。こちらは無料見物、まあ外野席といったところだろう。
楠正之(昭和34.4.1〜昭和35.4.1淀橋浄水場勤務・場長)
淀橋浄水場についてはこちら。
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