十二社 今昔物語

新宿区にあった十二社(じゅうにそう)にまつわる思い出を語るサイトです

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十二社の街

住宅地域
十二社は、方南通りと十二社通りの成子坂方面(旧:淀橋・現:西新宿5丁目)に商店が多く、十二社は住宅地域でした。一軒家が多く、アパートは少なかったように思います。そして東京大空襲によって焼け野原になったのかもしれませんが、土台だけが残っている空き地がたくさんありました。
駒ヶ嶺医院から新宿養護学校(現在は)までの坂道の両側は空き地が多く、ひな壇になっていて、坂道はコンクリートの壁に面していましたが、今は、建物が道と同じ高さに建っています。
 
駒ヶ嶺医院
小学生時代のかかりつけの医師が駒ヶ嶺さんで、淀六小の校医でもありました。
熱を出すと塚田さんの前の坂道を登ってよく往診に来てくださいました。
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塚田邸
当時、国会議員(元郵政大臣)から新潟県知事の塚田十一郎氏のお屋敷でした。
ご本人には会っていませんが、黒塗りの乗用車はたまに見かけました。
 
伊藤邸
丸正自動車の社長、伊藤正氏のお屋敷でした。同社は浜松に工場がある会社で、
「ライラック」というオートバイを製造・販売していました。
広い敷地内に家が三軒建っていて、当時としてはめずらしく自家用車がありました。とにかくお金持ちの家という感じでした。印象的だったのは、塀でした。塀の下の方はコンクリートなのですが、その上に土を盛って表面に芝生を貼り付け、一番上は低い竹垣でした。
また、テレビの出始めの頃でしたが、テレビもあって力道山のプロレスを見せていただきました。よその家でテレビを見せてもらうのは、ご迷惑ではと考えたのか、我が家にテレビが来たのはそれから時間はかかりませんでした。
 
行商のおばさん
十二社の街には、千葉や茨城からの行商のおばさん達が大きな荷物を背負って来てました。野菜、殻の付いた落花生、魚の干物など新宿のお得意さんのところに売りに行くおばさんがいました。ザリガニを初めて見て触ったのは、行商のおばさんが川で採ってきてくれたものでした。
 
祝祭日
祝祭日には、玄関に日の丸の国旗を掲げる家が多かったものです。その頃は旗日(はたび)と言うのが一般的でした。
 
ダッコちゃん
「ダッコちゃん」が流行ったのは昭和35年(1960年)でした。
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閉じる コメント(3)

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故伊藤社長のお宅ですか。深い内容ですね。同調出来るところで、歳が近いのかも知れませんね。。

2011/7/28(木) 午後 9:46 道産子

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新宿養護学校になっているところにあった社宅に住んでいました。駒ヶ嶺医院にも何度か行ったことがあります。住みはじめた当時、十二社の名前の由来などを調べたことを思い出します。

2012/12/19(水) 午前 4:56 [ manhattan ]

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新宿養護学校は昔、鉄筋3階建ての建物が建っていて屋上で凧揚げをしたのを思い出しました。

2012/12/19(水) 午後 4:02 [ 山ちゃん ]


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