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熊野権現は故郷の鎮守ですので、家の近くの丘に祠を建てて信仰しました。鈴木九郎はある時、下総国葛西の市で、飼っていた馬を売って銭一貫文を得ました。その帰り道、浅草に至って、その銭のさしを解いたところ、すべて宋の大観銭でした。鈴木九郎は心に思うところがあって、ただちに観音堂に詣でて、その銭を奉納して手ぶらで帰りましたが、その後、家はとても栄え冨をなしました。そこで応永十年(1403)に祠を建て直し、更めて熊野十二社権現の神を移し祀り、神社の森も整えました。
しかしその後、数代を経て荒廃し、灯明の光も絶えがちとなって、祭典も行われないことが多かったが、なお願い事には霊験が早かったため村人は恐れ敬い、ついに享保(1716〜36)の頃、幕府に訴えて成願寺を別当とする神社となりました。それ以来、祭神は厳重に守られ、祭祀をおこたることはありませんでした。
9月21日を祭礼としています。
(江戸名所図会 十二所権現社 の記述より)
現在は本殿の裏側へは入れませんが、当時は裏まで入ることができ、ぐるっと一周できました。
熊野神社のお祭りは、9月に行われ、縁日の露店で境内が埋まります。
金魚すくい、ヨーヨーつり、焼きそば、綿菓子、焼きとうもろこしなどは定番ですが、当時はセルロイドのお面や輪投げ、射的が必ずありました。
今は見かけませんが、雷魚釣りがあって、細い50cmぐらいの釣竿で釣るのですが、雷魚が大きく、暴れるので釣れたところは見たことがありませんでした。
夜店の照明は電球もありましたが、アセチレンのランプが主流でした。カーバイトを水に入れるとガスが発生して、これを燃やしてランプとして使用するもので、ガスが燃えるときに独特の臭いがしました。この臭いがすると縁日って感じがしたものです。今はもう無いのが残念です。
それから夜は、提灯を灯して熊野神社に行きました。街灯の無い道は、真っ暗になります。お祭り用のおもちゃみたいな提灯でしたが、お祭りの夜の楽しみでした。
八咫烏(やたがらす)は古事記において、神武天皇が日向から大和の橿原宮に向かう途中、当時とても険しく厳しい道中で有名であった熊野三山で困惑されていたところ姿を現したのが八咫烏。その姿を追走して行くうちに何事もなく無事、大和へ到着したという伝承であります。神武天皇はその後に、大和にて天皇として始めて即位を遂げられ日本を統治されました。このことから八咫烏は勝利を導く(または交通安全)鳥として崇敬されました。また、八咫烏は伊勢神宮の御祭神であられる天照大神の遣いとして放たれた鳥だとも言われており困惑された神武天皇をお助けになられた心温まるお話でもあります。
なお近年においては日本サッカー協会の標章として八咫烏を掲げていますが、これはサッカー日本代表が優勝への活路を八咫烏が導いてくれることを願懸けているものと考えられます。 |
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2011年06月27日
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