十二社 今昔物語

新宿区にあった十二社(じゅうにそう)にまつわる思い出を語るサイトです

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

新宿中央公園になる前

小西六写真工業(現:コニカ・ミノルタホールディングス株式会社)
 
小西六写真工業は明治35年(1902年)に淀橋浄水場の西側に工場と研究所が竣工し、写真感光材料の製造を開始しました。(六桜社)
淀橋浄水場の隣に立地したのは、玉川上水の良質な水が得られたからといわれています。また土手には桜が咲いていたことから「さくらフィルム」(SAKURA Film)と名付けられたそうです。
イメージ 1
碑文
この地は, 明治355(1902), 小西本店(現・コニカミノルタ), 写真感光材料の国産化を図り, 研究所と工場(六桜社)を建設し, 製造を始めたところである。同社は, さらにカメラの製造も始め, 写真フィルムの国産化にも成功した。その後, 昭和38, 新宿副都心建設事業により, 八王子・日野へ移転した。今日わが国は, 世界の写真王国となっているが, その礎は, この地で築かれたものである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2
 
明治から大正にかけての十二社・櫻山
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東京生命野球場
 
野球場とテニスコートが数面あったと思います。
現在の新宿中央公園「ちびっこ広場」のあたりにありました。
1回だけ友達と無断で野球場に入ったことがあります。ホームベースの後には、バックネットがあって、それだけで本格的だ〜と思ったものでした。
当時、十二社には空き地(原っぱ)が沢山あり、野球とか遊ぶ所には不自由しませんでしたので、わざわざ東京生命まで行くことはほとんどありませんでした。
 
イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

十二社のバス停留所

良く利用したのが、「池の下」のバス停でした。
新宿駅南口から京王バスに乗って、甲州街道から西参道入口を右折して、十二社通りに入り、方南町や永福町方面に行くルートだったと思います。
西口からもバスに乗ったと思いますが、なぜか南口の記憶しかありません。
当時は、ボンネットからキャブオーバーに変わっていった時代で、車掌さんが切符切やドアーの開け閉めをしていました。
そして流行っていた歌は、初代コロムビア・ローズの「東京のバスガール」でした。
この「バスガール」のモデルは、路線バスの車掌ではなく、はとバスのガイド嬢とされていましが、昨日のお客がきょうも乗ってきたり、酔っ払いが乗ってきたり、都心のターミナル駅から郊外の住宅地に向かう路線バスを連想させます。
ちなみにバスがワンマン化されるのは昭和36年(1961年)からだそうです。
 
イメージ 1
 イメージ 2
 
  
  
 
 
 

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事