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渡辺家は江戸時代には角筈村の名主でした。
熊野神社の草創にも深くかかわっていたようで、十二社池も元は渡辺家の所有で、熊野神社の別当寺の成願寺に移り、さらに熊野神社のものになったといわれています。
渡辺家の位置は定かではありませんが、柏木・角筈一目屏風に描かれているのは、現在の熊野神社前交差点の近くのようです。
この道の突き当たりに
庚申塚があります。
大正期の渡辺家は周囲の家に比べてひときわ大きく、蔵があり、木がうっそうとしていたそうです。昭和10年の十二社通りの改修に際しては多くの土地を提供しました。
さらに昭和23年に淀橋児童公園設営の議が起こると、所有地250坪を提供し、そこは渡辺公園と呼ばれるようになります。昭和27年には渡辺公園内に淀橋会館が建設され、現在でも町会事務所として使われています。淀橋会館の入口には「渡辺文雄頌徳碑」があって渡辺家の遺徳に感謝しています。
しかし、平成24年には市街地再開発によって無くなってしまうかもしれません。
淀橋会館
この駐車場のところが
渡辺公園だったと思います。
渡辺文雄頌徳碑ですが、内容はよくわかりません。
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日記
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現在では、新宿スクエアタワーとアイタウンプラザの間あたりになるのでしょうか。
けやき橋商店会とけやき児童遊園に欅橋があったことをうかがわせる程度です。
昭和29年(1954年)ごろの
けやき児童遊園
暗渠化されたのは、いつ頃だったのでしょう。
昭和53年(1978年)ごろの
けやき児童遊園
平成23年(2011年)の
けやき児童遊園
幕末のころと現在(西新宿五丁目)
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昭和36年(1961年)5月4日
五たび南極への旅を終えた宗谷は、観測隊・乗務員113人をのせて東京港に帰ってきた。
帰港式には6年前第一次観測隊がつれて行き南極大陸で奇跡的な越冬を体験して今は老犬となった「タロ」も参列した。
5月26日
天皇・皇后両陛下は北大植物園で南極から帰ったカラフト犬「タロ」をご覧になった。
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TBSのテレビドラマ「南極大陸」を見て、古い報道写真を引っ張り出してきました。
南極観測隊は、昭和31年(1956年)に永田武隊長によって編成された南極地域観測予備隊(隊員53名)がその創始で、この予備隊は、のちに第一次南極地域観測隊と呼称が変更されました。
永田武はドラマ「南極大陸」では、白崎優(柴田恭兵)です。
ドラマの中でも感じましたが、あの頃の子供達(私は7歳でした)は南極について憧れではないと思いますが、とっても興味があったのは事実だと思います。
ドラマの出航シーンも同じような感じでしたね。
後甲板には隊員とカラフト犬の姿が見られます。
本観測越冬隊輸送と予備観測越冬隊収容のため東京港日の出桟橋を出航。
この第二次越冬隊は悪天候のため、昭和基地への上陸を断念せざるを得ず、滞在中であった第一次越冬隊は小型飛行機で宗谷へ撤退した。この時、第二次越冬隊と対面するはずの15頭の樺太犬が鎖に繋がれたまま基地に取り残された。
翌昭和34年1月に第三次越冬隊は15頭のうち、兄弟犬「タロ」、「ジロ」が生存しているのを発見、再会した。
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昭和58年(1983年)の十二社
昭和45年(1970年)の新宿十二社
昭和22年(1947年)の十二社
昭和16年(1941年) 淀橋浄水場が戦時改描で公園のように描かれています。
昭和8年(1933年)の十二社
大正15年(1926年)
明治44年(1911年)
文久2年(1862年)
文化3年(1806年)
地図は「地図で見る新宿区の移り変わり 淀橋・大久保編」(新宿区教育委員会)より
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