|
昨晩のBML旗揚げ大会にて、あの青春ヘラクレス:船木誠勝が復活宣言!? 前後のインタビューやら、当日の模様からすると、コーチ役はまず間違いなし。 しかし、選手としては、、、?という声もありましたが、これは、やりますね。 このシチュエーションならば。 2000年のヒクソン戦以来、リングから遠ざかっていますので、相当な練習をしなければ なかなか、以前のようなコンディションには、難しいですが、、、。 船木は、中学卒業と同時に入門し、4-5歳上の闘魂三銃士と互角に汗を流したところから、 レスラー生活がはじまります。兄貴分の山田(現ライガー)と共に骨法を学び、 プロレス界に「掌打」を中心に技術革新を行ないました。 UWF移籍後、数々の話題を!凱旋デビュー戦は、大阪球場で、師匠:藤原と一騎打ち。 あの時、繰出した「逆水車落し」は、鮮烈でした。また、安生との闘いは、 まさに隠れた名勝負。中盤に仕掛けた「竜巻蹴り」は、凄まじい破壊力と美しさを 秘めた一撃でした。更には、横浜アリーナでは、高田をあわや秒殺!(ほんとは秒殺 なんだけどね。)から、更に光り輝き、前田以外のUWF勢を総ナメに! UWFは、東京ドーム興行を成功させ、第2回のドーム興行の目玉、 船木VSシュガーレイレナードとの異種格闘技戦決定!そこで、UWFは、崩壊しました。。。 あれが実現していれば、とてつもないことが起きていたのかもしれません。 当時、BS中継などもありませんでしたので、生観戦か(これを「密航」と呼ぶ) レンタルビデオで、3ヶ月遅れの試合を見れるのが何よりの楽しみでもありました。 ごくまれにTBSで、特集があったりして。20代前半だった私は、当然ながら、 貧乏の局地。一介のフリーター。会場に足を運ぶ、時間もお金も無い時代でした。 あぁ〜今は、いい時代だなぁ。。。 彼らの闘いぶり、当時の体制側にあった現プロレスに立ち向かう姿は、イデオロギー闘争とも 言われました。猪木か馬場でなければ、プロレスでは無い。そんな時代にUWFは、若者の エネルギーと輝かしい未来への可能性を表現した団体でした。 そこに自分自身を投影したりして。。。 正直、これからの復活は、キツイとは思います。BMLの団体自身もどうか? という危惧もあります。未来のエース、柴田の可能性も心配です。 が、あえて、あえて、、、なんか、成就しなかった青春時代の恋が今になって 芽生えそうな、、、そんな気分です。 あぁ我が青春のUWFよぉ〜♪ 船木誠勝36歳。 これからの道が険しくとも悔いの無い、魂の燃焼を求めてのこと。 やり残したことがあるのならば、大いに!最後の一花、咲かせてみよ! おっとっと、それと船木は、青森出身。 私のまわりにいる友人も何故か、青森の方々は多いです。 更には、このブログに足を運んでいただいている方々。 K'さん、アローナさん、mar-coちゃん、どんすけさん同様の「じょっぱり」ですよ! 一度決めたら、やりぬきます。ケンドーカシン、小比類巻(k-1 max)もそうやね。 そんなことも含めて、船木に期待してます。 ★UWFの歴史★ <1984年> 2月 前田日明が、アントニオ猪木と新間 寿のUWF構想に巻き込まれ新日本プロレスを離脱。 4月1日 第一次UWF設立。同時期に船木優治が新日本の入門テストに合格。 <1986年> 1月7日 第一次UWF崩壊後、前田率いるUWF勢が新日本にUターン参戦。 出戻りのひとり藤原喜明による藤原教室に、船木や山田恵一(ライガー)等が参加。 スパーリングを通し、サブミッションの重要性、技術を学ぶ。 この頃からUWF勢は新日本の若手選手・船木に目を付ける。 <1987年> 11月19日 新日本後楽園大会、前田による長州 力顔面襲撃事件勃発。 これ以降前田に無期限出場停止処分が下る。 <1988年> 3月1日 前田が新日本を解雇処分となる。同月に船木は欧州遠征に出発。 5月12日 前田・高田延彦・山崎一夫等が第二次UWFを旗揚げ。 秋頃 前田が単身渡欧。新日本時代より注目していた船木と接触し、UWF入りを勧誘する。 <1989年> 4月6日〜10日 船木が欧州遠征より帰国。 二日間に及ぶ猪木・前田のトップ会談を経て、船木が新日本を円満退社。 併せて鈴木 実(みのる)のUWF移籍も発表される。 4月14日 UWF後楽園大会にて、船木と鈴木が移籍の挨拶。 鈴木UWFデビュー。安生洋二に敗れる。 5月4日 UWF大阪球場大会。船木の移籍第一戦はUへ同じく移籍してきた師・藤原。 試合には敗れるも、この日の大観衆に、その存在感・将来性をアピールした。 5月21日 UWFベイNKホール大会。船木はボブ・バックランド戦にてコーナーポストからの ドロップキックを放ち反則負けに。当時、UWFルールへの抗議表明か?と話題になる。 船木はこの頃を 「当時の俺の行動は全て前田さんへのメッセージのつもりだった。」と後述している。 9月7日 UWF長野大会。この日より船木は「誠勝」に改名。 しかし大会後、練習中に尺骨を負傷し、船木は長期欠場へ。 しかし後年、この頃の欠場理由の真相が、海外遠征中のステロイドによる後遺症だったと 船木は自著で語っている。 11月29日 東京ドームにてU-COSMOS開催。UWFVS世界の格闘家・6VS6の異種格闘技戦を目玉に、 当時5年間無敗だったWKA世界キック王者モーリス・スミスの対戦相手に、 負傷中の船木の代役として鈴木が抜擢される。鈴木は幾度もダウンを奪われ大惨敗を喫する。 この頃から船木・鈴木とUWF上層部との不協和音が伝わる。 船木は「UWFはおかしいです。悪いところは悪いと書いて下さい。 そうじゃないと駄目になってしまいますから。」 鈴木は「上の人は誰も道場に来ませんよ。僕等と練習するのがいやなんじゃないですか。」 と共にマスコミに語る。 <1990年> 4月15日 UWF博多大会。船木の復帰戦、盟友・鈴木との伝説の初対決が行われる。 ともにレガースを装着せず、グラウンドレスリング主体の試合に終始し、「観客無視」と物議をかもす。 しかしこの一戦は、後に「パンクラスの原点」と評価される。 当時UWFの若手選手のひとりだった田村潔司は、リング下でこの一戦を凝視し、 「僕も船木さん、鈴木さんのようになりたい。この人達のようになりたいと思いました。」とコメント。 一方前田は、「あれは、奴等のマスターベーションや。」と批判した。 5月4日 UWF武道館大会。前田VS船木の初対決が行われる。 ノーレガースでキックを捨てた船木に対し、前田はキックで圧倒し、船木に貫禄勝利。 試合後リング上で両者が膝を合わせる格好で対峙、前田が何やら問い掛ける。 「今日は船木の好きなようにやらせた。プロというのは何かと考えろという話をした。」と前田はコメント。 5月28日 UWF宮城大会。前田VS鈴木の初対決。前田は鈴木に完勝した上で、 「しつこいところはいいんだけど、今はそれだけ。」とコメントする。 6月〜10月 船木は山崎・高田・藤原を連破し、実質上のUWFのエースに。 10月25日 UWF大阪城大会。船木は残る一角・前田との再戦に挑むも惜しくも惜敗。 前田は試合後に「船木はUWFにとって天使でもあり、悪魔でもある。」とのコメントを残す。 また前田は神UWF社長に対し横領疑惑等、徹底批判のコメントをぶちまける。 12月1日 UWF松本大会。出場停止中の前田の代役として、船木がメインを任される。 ウェイン・シャムロックとの白熱の初対決を制した船木は、 「前田さん、前田さん、リングに上がって下さい!!」とマイクアピール。 これに呼応した前田がスーツ姿でリングに上がり、全選手もリングに登場し、選手の大同団結を強くアピール。 しかし、これがUWF最期の日となってしまう。 12月4日 WOWOWとの契約、新スポンサーの確保、新経営スタッフの確保等を独自に行い、 新団体設立の目星を付けていた前田が、全選手を集めて経過説明を行う。 しかし会合に出席の選手の代理人から条件面でのクレームが噴出する。 12月7日 代理人等の第三者が入り込んだところでは選手自身の本音が聞けないとした前田は、選手のみでの会合を実施。 「一人で動いてわかりにくい事もあったかもしれないが、俺は仲間だと思ってやっている。 やってあげたという気もない。だから信用してくれ。一人でも信用出来ないという事だったらUWFは解散する。」 と力説するも、宮戸成光(優光)が「信用できない」と退席。これを追う形で安生も退席する。 この為、前田がUWFの解散を宣言する。 船木・鈴木・田村等の若手選手は 「若手だけでも付いていきますから続けましょう。」と前田を慰留するも 前田は「解散と言ったものは解散。」と、これを突っぱねた。 後年前田はこの解散宣言を「選手間の結束を取り戻す為のショック療法だった。」とコメント。 選手間での解散騒動の一方で、この日神社長が会見を開き、UWF全選手の解雇を発表。UWF消滅。 <1991年> 1月 前田を除く残党組は高田・山崎を中心に結束。前田抜きでの再旗揚げ構想を進めていく。 この経緯を経て、高田・山崎は前田宅を訪問し「独立」を報告。 前田はこれを了承し、高田一派に加わらなかった船木・鈴木との合流を構想する。 しかし既に船木・鈴木は藤原からメガネスーパー出資の新団体への勧誘を受け、藤原組結成に動いていた。 藤原の元へ船木・鈴木・冨宅祐輔(飛駈)が、高田の元へ田村・垣原賢人が付いていく事となり、若手はバラバラに・・・。 別れの日、船木が初めて子供のように泣いたと、垣原は後年コメントしている。 前田は船木との連絡を取るべく、船木の元へ何度も足を運ぶが、連絡は取れず。 この頃は、かなりの人間不信に陥っていたと前田は後述している。 一方船木も「俺達は前田さんに捨てられた。」とショックを隠せず、 「UWFのメンバーとは本当に心と心を別れてしまったんです。」 「今でもあの頃の事は映像として全部思い出せます。誰が何を言ってたかまで・・・。」と後述している。 この時期、前田は船木に一通の手紙を出す。船木は今もその手紙を大切に保管しているという。 2月20日 高田率いるUWFインターが旗揚げ。 3月4日 船木・鈴木参加の藤原組旗揚げ。 5月11日 前田はたった一人のリングス旗揚げ戦を行う。 |
全体表示
[ リスト ]





takeshiさん>私も嬉しいのですが、問題はスタイルでしょうね。UWF的なものなのか?BMLで新しいスタイルが生まれるのか・・・?
2005/9/14(水) 午前 2:48
mututyaさん>まさに第一次の末期と第二次は、ゾクゾクしまくりでしたよねー。
2005/9/14(水) 午前 2:49
mmkgさん>やはり、同世代ですね。Uや船木には、思い入れがありますよね。
2005/9/14(水) 午前 2:50
どんすけさん>そうなんですよー!同世代、同郷の格闘家ですよー!
2005/9/14(水) 午前 2:51
logさん>早すぎた、遅すぎた、、、笑いました。なんか、気を逸することで、スーパースターになれなかった。。。そんな感じがします。でも、がんばってほしいですね。
2005/9/14(水) 午前 2:52
あっぱのすけさん>船木が本気で取り組んで、全盛期になってくれたら、、、と思います。
2005/9/14(水) 午前 2:53
プロレス海さん>久々の明るい話題ですよね。船木、開花しなかった才能を開花させてほしいー!
2005/9/14(水) 午前 2:54
びーすとさん>当時は、このスタイルがめちゃめちゃ斬新でした。猪木が生んで、猪木の首が絞められる。。。そんな感じでした。
2005/9/14(水) 午前 2:55
KENTA-LOWさん>来年に注目しましょう!プロレスとしての船木っていうのもほんと、久々です。
2005/9/14(水) 午前 2:56
船木選手のプロレス・・・。やっぱり、彼の才能なら・・・と期待せずにはいられないですよね。
2005/9/14(水) 午前 11:56 [ シベリア ]
プロレスラー船木は、見てみたいです。スーパースターになれなかった船木が大器晩成型なのか、スーパースターになる逸材ではないのか、確かめたいし。
2005/9/14(水) 午後 0:29
船木、復活ですねぇ(嬉)ヒクソン戦以来、引退・・ハリウッドに行ったと思ってたらドラマ「Dr.コトー」に出てたり・・・。また、見れると思うとゾクゾクします。
2005/9/14(水) 午後 8:47
21世紀の超新星と言われていた船木。ヒクソン戦で心を折られて引退したとばかり思っていました。ヒクソンには120%勝つと思ってたのに。もう一度やれば船木なら勝つって前田兄いは言ってましたね。でもUWF時代のほうが強かったんじゃないかなあ。
2005/9/14(水) 午後 11:57 [ dha*h*21* ]
かつて頭の中で描いていた船木との夢の対決の数々が、実現するといいですね!期待したいです。
2005/9/15(木) 午前 2:36
ゴン太さん>あのまま総合をやらずにUWFを継続していたら、その可能性は非常に高かった。いや、もうその瞬間までいってたのですが、、、。ブランクが長いよね。でも、ここからの逆転も期待したい。
2005/9/15(木) 午前 9:40
二隻の舟さん>ドラマでもなんかもさい役回りばかりで、二枚目役っていうのがまわってこない!って不満だった。元格闘家ってことでついてまわる性を感じていました。結局、現役の選手に大河ドラマとかまわってくるんだよね・・・。それらもあって、もういっちょ!なんでしょうか。
2005/9/15(木) 午前 9:42
dhashさん>そうなんです。やはり継続は力なりですから、復帰戦から注目を集めるでしょうが4-5戦やった時に評価できる状態になるのかもしれません。
2005/9/15(木) 午前 9:44
うでじゅうじさん>船木は、柴田をターゲットにしてるみたいですね。
2005/9/15(木) 午前 9:45
船木って中西学よりも年下なんですよね。今の格闘技界、プロレス界の現状を考えると、復帰は少し難しいですね。
2005/9/16(金) 午後 10:48
KOHJI1さん>センスだけでは、どうにもならない部分はありますよね。
2005/9/17(土) 午前 2:44