|
3月25日は、全国的に小学校卒業式だったようです。 大阪では、国旗掲揚時に起立した生徒が1名だけだった… といったニュースも伝えられている中、、、 九州の妹からメールが。。。 昨年の4月19日に旅立った娘(私から見れば姪)にも 卒業証書がいただけるとのこと。 たった19日間だけの小学6年生。 6年生の教室に一度も登校することは、できなかったけど、 先生方をはじめ、クラスのお友達は、 入院中の病院、修学旅行やクリスマス…などの行事のたびに、 何度も何度も…足を運んでくれました。。 葬儀の後、私も父親代理として、 学校にもお邪魔させていただき、職員室の朝礼で、 「あの子は、小学校を卒業することは出来ませんでしたが、 これまでの11年間、あまりにも頑張って、出来が良かったもんで、 神様が早々と試練から解いてくれました。よって、 人生そのものを卒業させていただきました。。。」 そんなお話をさせていただいていましたが、 逆に校長先生、担任の先生、各先生方に大変なご配慮を いただいたようです。 祝辞の中で、姪の話をしてくれた校長先生。 卒業証書を授与する時、遺影を持ってくれて登壇してくれた担任の先生。 「星になったお友達」という曲を合唱してくれたお友達。 このやりとりを快く受け入れてくれた父兄ならびに地域の皆様。 本当に感謝の言葉も見つからないほどの感激・感動です。 姪は、今頃、誰よりも飛び跳ねて喜んでくれていることでしょう! いじめを苦にして小学生が自殺を…などの事件も耳にします。 学校教育の崩壊などが叫ばれる時代に こんなに粋で素敵な計らいを行ってくれる、学校があります。 まだまだ日本の教育現場も捨てたもんじゃありません! 肉体の限界を越えても最後の最後まで諦めなかった姪。 その生き様をメッセージとして、多くの方々の生きる力へと… 先生方のご配慮は、そういったメッセージも含まれている。 もちろんあの子だけでなく、これから人生の荒波に立ち向かう、 卒業生のお友達にとっても、なんと価値ある卒業式であろうか。 本当にお世話になりました。 そして、ありがとうございました。
|
★2006人生の達人★
[ リスト | 詳細 ]
|
最愛の姪が、一昨日、100年にも匹敵する濃密な11年の人生を卒業しました。 このブログを通じて、多くの方々にご声援をいただいておりましたが、 その一念一念が、目に見えない力となって、ここまで頑張らせてもらえたと確信しております。 長い間、本当にありがとうございました。
|
|
ハッピィーバースデー! 11歳になったよぉ〜 ○○ちゃん、おめでとう♪ 肉体に残る表現する力は、 わずかなまばたき、わずかな皮膚の反応だけ。 それでも姪は、力を振り絞ってくれました。 右のまぶたを数ミリ開け、口がぴくっと動きました。 妹は、「あぁー笑ってるんよ!」と。 私にもわかります。 笑顔です。 こんな小さな反応でも、 その空間に居た、姪と妹(ママ)とおばあちゃんと私には、 伝わっています。繋がっています。 これほどの苦境の中でも病室には、 笑い声がこだましています。 ささやかな幸せを感じる瞬間があります。 今日まで積み上げたこの11年間にありがとう―。 午後から、担当医と面談。 1月末のパニック時の話を聞きました。 一旦、呼吸が止まった時、呼吸器を使わないという取り決めを 行っていたが、とっさに使う判断を。 治療には繋がらないが、苦しい・痛いというものを 軽減することを目的に。そして、、、、 「おじちゃんに会わせず、ここで終わらせちゃダメだと。。。。」 このあとのシミュレーションも話し合いました。 それはそれは、恐ろしい単語もありましたが、 私たちの気持ちは、「痛くないように」「辛くないように」ただ… 穏やかな時間が過ごせられればということ。 更に、その日が来たら、一番のショックを受けるであろう、 妹をしっかりとサポートすること。 担当の医師もまったく同じ考え、同じ判断です。 私たち家族と医師団は、がっちりとスクラムを組んでいます。 夕方、妹と食事を。ここのところ、 「子育てに自信が無い、母親として自信が無い。」 とこぼしていたので、あるメッセージを伝えることにした…。 いいか、お前が看取るんだ。 看取ることで、ホンモノの母親になれるんだ。 そして、、、以後は、体験を生かすんだ。 オマエに起きたこの体験は、何かの意味があるはず。 意味の無い体験なんか、何一つ無い。 彼女も涙を流しながら、何度もうなづいてくれました。
もちろん私も―。 |
|
今日は、愛する姪の11回目のバースデー。 これから、一路九州へ。 11月末には、一旦、危篤へ。 医師には、年内わからないかも…と宣告されたが、 なんとか乗り越えてくれた。 お正月が終わり、別れるときには、 吐血をしている状態でもあった。 後ろ髪を引かれながら、、、 3/7のお誕生日に帰る約束をした。 あの後、病状は更に進み、麻痺が下半身から左半身、両手、、、、 今は、時々右目をうっすら開けるだけとのこと。 その右目に私の姿は、映るのか? 「ハッピーバースデー!」の声は聞こえるのか? それでも、ここまで生かしてくれた奇跡に感謝―。
|
|
「年内もたないかもしれない…。」 |




