この「人生の達人」では、私の半生を自伝としてご紹介しています。ご一読いただくことで、多くの皆様 にとって、今の時代を生き抜くヒントや勇気に繋がる「メッセージ」となれば幸いです。バックナンバー は、トップページに置いていますので、ぜひご覧ください。 新たなる可能性★人生の達人第30話★13年間のエピソード29地下が個室となったバーベキューハウス。 師匠(H先輩)は、そこに私を案内してくれた。 「おっそいよぉ〜!!!」 ざわめく、10数人の男性。もう…かなり出来上がっていた。。。 年齢的には、私の前後5歳〜10歳くらいだろうか?(当時、私は31歳) ただ、どの人物も歓迎の様相であった。笑顔と拍手、、、、 「どうぞ!どうぞ〜!」 「あっ、はい。。。」 「あーすいません。ちょっと聞いてぇ〜。オレの古い知り合いで、 ○○(私の名前)って言います。 これからもちょくちょく連れてきますんで、 よろしくお願いしまぁーす!」 「え?ちょくちょくって…。あ、○○です。」 「いえぇー!!よっ!新入会員予定者!」 「は?はぁ〜、、、なんですかそりゃ?」 「いいの、いいの!」 「あ、はいぃ…。」 そういえば、以前この師匠から、『市民祭りで出し物があるから原始人をやってくれ!』とか 『駅ビルの屋上で、廃品回収のダンボールで子供たちのミニ四駆大会をやるから来い!』とか、 妙な誘いを受けたことがあった。あのグループでは…? ただ、どの方も爽やかで、余裕がありそうで、楽しげな姿であった。 いや、その時の私にとっては、輝いて見えたのかもしれない。 ビールをごちそうになりながら、その会話に耳を立ててみると、、、 『まちづくりのあり方』であるとか、『青少年問題』であるとか、『指導力』であるとか、 同世代の友人や会社の中では、話題にならないようなモノばかりであった。 しかし、私にとっては、一際新鮮なモノであったし、 仕事の中で感じていた幾つかの問題点と何らかの繋がりも感じた。 ワイワイガヤガヤ…の酒宴の中、育ちが良さそうな二枚目の男性が、目の前に。 「はじめまして〜。この人(H先輩)とコンビを組んでいるのが、何を隠そうボクでして…。」 「あ、はじめまして。ミニ四駆…知ってますよ。」 「はいはい!アレねぇ〜。楽しい事業だったよね〜。」 「青少年というか子供たち向けの教育事業なんですよね?」 「いや、それだけじゃないんだよ。環境問題なんかも知ってもらってモノの大切さや、 まちのゴミ処理問題なんかの実情を伝えたかったんだよ。」 「あ、そうなんですかぁ〜。」 「それに学校が教えることができない色んなことも伝えたくてね。」 「なるほどぉ〜。」 そんな会話から、かなりの盛り上がりとなった。 環境問題、教育問題、国家像まで…。 目の前に真面目な議論が出来る同世代がいる。 それは、何モノにも変えがたい喜びでもあった。 彼らは、その所属グループを青年会議所:JCと名乗った。 「どうだ。楽しかったか?」 「はい。凄く、楽しかったです。」 「そうか。最近ではもっぱら、こんな連中と飲んでは、いろんなことをやってんだよ。」 「へぇ〜。」 「ま、気が向いたら、また来いよ。」 「あ、はい。わかりました。」 青年会議所。その名前を聞いたことがあった。 それは、社長(この頃の在籍会社:社長)が2〜3年前に入会していた団体だった。 その後、子供たちを集めた相撲大会(通称:わんぱく相撲)の挨拶文などを つくらされたこともあったため、しっかりと記憶はしていた。 帰り際に師匠(H先輩)は言った。 「どうだ。お前も業界では名の知れた会社の取締役になった。自身が想像する 以上のネームバリューも出始めている。そろそろこういった団体に 入ってみては、どうだ?」 「そうですね……。ちょっと考えてみます。」 私は、確かに取締役にもなっていた。会社の切り盛りもかなりのレベルで、 部下に預けられる状態もつくっていたつもりだった。しかし、 会社の財政・私個人の財政は、厳しい状況であるには変わりない。。。 そして、ここ最近考えていたことの答えがここにあるのでは…? そんな思いにかられた。 現代人の過去は変えられない。ならば、子供時代の教育からメスを入れなければどうにもならない。 仕事に直結する、人材研修についての最先端技術が学べる。そんなことがこの会ではできるのではないか…? 私は、この団体に惹かれていった。 仕事とは無縁、しがらみの無いつきあいという部分でも、 ここに新しい可能性を感じていた。 しばらくしたある日のこと―。 会合で、主要取引先のお客さんと同席する機会があった。 そこで、そのお客さんがいつもと違った浮かぬ顔のようだが…。 そして、私に近づいてきた。 「あ、こんにちは!いつもお世話になっております。」 「おいおい!お世話にじゃないよー。」 「え、どうしたんですか?」 「ちょっと、最近評判悪いよぉ〜」 「うちが…ですか?」 「会社!会社!事務所の連中だよ!」 「あぁ〜、、、すいません。」 「まったく、電話したらさぁー出たヤツに呼び捨てにされちゃったよ。」 「ええー!?」 「ちゃんと教育しないとまずいよ!」 「いやぁー大変申し訳ないことを…。」 「頼むよ!あんただけ頑張ってもダメなんだから!」 「はい。すぐに改善します。すいませんでした!」 社内は、以前に比べればかなりの大所帯にはなっていた。 そして、私自身が従来業務から離れていても混乱しないシステムは、 確立されていたはずだった。それが… このクレーム、、、たった1本ではあるが、その事実関係は? もし事実ならば、それも氷山の一角であろう。 いったい…何が原因なのか? 新たなる可能性を切り拓きたい…。 そんな思いが駆け巡る中で、、、、、 足元は、またグラグラと揺れ始めていた。 つづく
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★人生の達人★
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この「人生の達人」では、私の半生を自伝としてご紹介しています。ご一読いただくことで、多くの皆様 にとって、今の時代を生き抜くヒントや勇気に繋がる「メッセージ」となれば幸いです。バックナンバー は、トップページに置いていますので、ぜひご覧ください。 孤独の中の抵抗★人生の達人29話〜13年間のエピソード28〜倒産のピンチ。そこからは、脱出した。しかし、どん底を這い回るかのように資金繰りは、 苦しかった。また、景気も下降線を辿り、これでもか!と言わんばかりに 突き落とされることが続いた。 * 単価下落に歯止めがかけられない業界の問題… * 新規アルバイト:若年世代とのギャップ… * ズサンな会社内部<経営陣・管理スタッフ>… どれもこれも一筋縄では、いかないものばかり。そして、家族の問題も抱えながら、 一生懸命に働く・最大の能力を発揮する、、、、それだけでは、とても追いつかない 過酷な時代でもあった。 私は、基本的には、経理を除いたあらゆるセクションを手がけていたが、 当然、師匠:先輩のいない中、すべての問題を自身の経験・哲学・独学そして、第六感も含めて、 切り抜けて来た。特に深夜にまで到る業務の中で、答えが見つからないときは、 必ず書店で、あらゆるビジネス書・哲学書・歴史書・宗教書・心理学・社会学、、、 などを読み漁った。その中で、私自身に影響を与えてくれたのは、、、 であった。ビジネスとは何なのか?会社とは?組織とは?人間とは?そして、人間の行動を改善 するのにどうすれば良いのか…?それまで、年平均で、300人以上の人材が入れ替わる中、 様々な人の欲求が交錯し組織が膠着すること・間違った方向に進むこと・経営陣の無謀な 判断に振り回されること…、想像もできないあらゆる事象が発生する。そこで、 私が感じていたのは、、、どんなに高度な技術を用いても「他人の過去は変えられない」 「子供時代の教育から改善されなければ、これからの日本は無い」ということであった。 この過酷な時をひたすら孤独に闘う中で、話し相手になってくれた人物がいた。 それは、再会した師匠であった。 師匠のの誘いで、業界の協会にも出向し、業界改革にも着手していた。 そして、業界そのものが変わらなければ、この業種自体は、変わらない!そんな思いも 沸々と湧き上がっていた。 当時、協会で準備を進めていたのは、阪神大震災の反省を機に「万が一、東京で大震災が起きたら、 どうやって都民を救うのか?」というテーマに対して、東京都と警視庁、協会が「災害対●支援協定」 を結ぶというものだった。そして、私もそのプロジェクトを進めるチームの重要な一員に選ばれた。 ― プロジェクト会議にて ― 「今回のプロジェクトは、以上のような概略になります。何か質問は、ありますか?」 「はい!」 「あ、○○さん(私)この計画だと都心23区を守るために周辺道路をせき止めるということですよね?」 「そうですね。」 「例えば、調布に住んでいる人が仕事で、八王子に出かけている最中に大地震に遭遇すると、 各主要交差点で、迂回を指示が出て、家族のもとに戻れないということですよね?」 「まぁ、そういうことになりますかね…。」 「東京都民を守るというお題目がありながら、それはちょっと違うんじゃないかと思います。」 「いやぁ、23区に集中する政府の機関を守ることで、東京を守るということだと理解してください。」 「え!?そのために我々は、狩り出される訳ですよね。自分たちの地域が被害を受けていても、 そちらを優先するということですよね?」 「そうなります。」 「じゃぁ、そろぞれの地域はどうなるんですか?」 「それは、自力でやってもらうしかないです。」 「………。」 「ここで狩り出されている業者は、地域でも有力な業者ばかりです。もっと言えば、
ここで協力体制に 入れば、地域独自の防災には、まわることができません!」
「ここは、都の協定に関するものです。各地方自治体とは、切り離して考えてください。」「いくら、縦割り行政であっても災害は、縦割りになんか起きないんですよ!」 「それはそれです。とにかく、今は、この協定を結ぶことが協会としても先決なんです!」 「そうですか…。」 私は、釈然としなかった。この協定を結ぶ業者は、自動的にこのシステムに組み込まれる。 そして、地域ごとの防災体制と被ってしまい、二重構造が生まれる。本当に万が一、 大震災が起これば、この協定は、まったく意味を成さない。いや、大混乱が生まれる。 確かに政府機関を守るというのは、大事なことではあるが、幹部役員の別の思惑を感じる。 私は、会議が終了した後、地下の喫茶店で師匠とこの話を…。 「今回の件は、どうなんですか?」 「ま、聞いてのとおりだろ。」 「これじゃぁ、本当に意味のあるシステムなんかできないですよ。」 「そいれも現段階では、しょうがないんだろうな。」 「納得いきませんよ!」 「そう思うが、まぁこれを進めていく中で時期を見るしかないだろ。 それと…。」 「それと、、、なんですか?」 「今日これから、最近つきあっている仲間たちとの飲み会があるんだ。合流してみないか?」 「あ、そうなんですか?別にいいですよ。特に今夜は、無いし。」 「じゃぁ、決まり!これから行こう!!」 この誘いは、私のこれからの人生を大きく変えていくものとなっていく。 孤独な闘いを続ける中、新しい出会いが必要となった…そんな時期だったのかもしれない。 そう、、、人は、長い時間、孤独の中で生きてはいくことができないのだから。 つづく
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この「人生の達人」では、私の半生を自伝としてご紹介しています。ご一読いただくことで、多くの皆様にとって、今の時代を生き抜くヒントや勇気に繋がる「メッセージ」となれば幸いです。バックナンバーは、トップページに置いていますので、ぜひご覧ください。 某クライアント倒産から一気に資金繰りは悪化した。 もちろんそれまでも決して楽な流れではなかった。 数年前に資金ショート、賃金の遅配を起こして以来、 毎月のように同様の作業を行っていたのだから。 そこに来て、この激震。更に経理部では、大きなミスをやらかしてまっていた。 「だから、あれほど言ったのにぃ!」 「…ごめんなさい。。。」 「ちょっと待ってください。やっちゃったって、、、。もしかしたら…。」 「そうよ!今日の引き落としにかからなかったのよ。」 「不渡りですね?」 「そう。」 「…。」 「まだ、倒産したわけではありません。大至急、これから1ヶ月の資金計画を立ててください。 各社の入金だって、かなり早めてもらっています!」 この頃もあの産業廃棄物事業の失敗がもたらした借り入れの支払いは、続いていた。 それも毎月600万ものキャッシュが消える。当時、毎月の売り上げが2000万〜6000万円の中 で推移していたのだが、そこから支払うのは、厳しいというレベルは当に超えている。 狂気のような資金繰り・新規営業を重ねていかなければこれらをクリアできなかった。 いや、それを続けていた。しかし、長期戦ともなれば、スパッと抜け落ちることもある。 抜け落ちてはならないことが…。 「とにかく、このことを悔やんでいる暇は、ありません。大至急、次の準備を行ってください。 私も次の手を打ちます!」 「もう、あてにできるのは、あなたしかいないのよ。社長じゃだめ!なんとか頼みます。」 「わかりました。」 その言葉が本気でないことはわかっていた。 ことあるごとにあっちを立てたり、こっちを立てたり…。 そんなことを気にしている場合でもない。 1日でも、1時間でも早く資金を集めなければならなかった。 そして、絶対的に信用ができる大手クライアントへの内密な打診をはじめた。 中央線市谷駅そばの喫茶店にて―。 「お呼び立てしてすいませんでした。」 「いえいえ。それで、相談ってのは、なんなの?」 「はい。申し訳ありません。実は、包み隠さずお話ししますと、弊社の資金繰りなんですがぁ…。」 「うん。相当厳しいらしいね。」 「はい。」 「ま、社長が遊び過ぎなんだよ!まったく!親族でもない君らがこんなに頑張ってるのにねぇ。」 「まぁ、それは置いときまして、、、。実は、先日、不渡りを起こしております。」 「そうか。やっちゃったかぁ…。万が一、倒産したらどうするの?うちは、直接、来てもらっている スタッフに支払うよ。」 「はい。それで結構です。しかし、その前にまだ倒産してませんので、なんとか次の入金を少しでも 早めに…とはいかないでしょうか?」 「うぅん…難しいなぁ。」 「そこをなんとかお願いします。」 「で、万が一の時は、あなた個人が現場の面倒を見てくれるんだろうね?」 「はい!そのつもりです。会社がどうなろうとこのご契約の現場については、 ご迷惑をおかけしません。約束します!」 「わかりました。では、入金日を前倒しするよう、指示しておきますね。」 「ありがとうございます!!助かります!!」 あのとき、私は何分頭を下げたのだろうか。 とにかくありがたかった。。。。首の皮1枚?0.5枚?で繋がった。 同月内二度目の不渡り=倒産は、回避された瞬間でもあった。 クライアントに頭を下げ、車に乗り込んだ。 少し暖かい風は、春の陽気になりつつあった。 中央線との間に見えるお堀の水面は、風に吹かれて波打っていた。 誰にも出来ない仕事の達成感。 それは、何かを生み出す挑戦が実を結んだ瞬間に生まれる。 この仕事に達成感はあるのか? 無用な延命行為だったのか。 攻めなければ朽ち果てる。 守らなくとも朽ち果てる。 そして、私にできること、ただ前を向いて走ること。 誰が味方であってもなくても。。。 一瞬、一瞬の覚悟を決めながら。 姪の経過報告が母親から入った―。 「Hちゃん(姪)、がんばってるよ!」 「そうか。で、治療は決まった?」 「抗がん剤をこれから投与して、一定期間をあけて、また投与して… それがつづくみたい。」 「1歳の赤ちゃんに抗がん剤って、どうなん?」 「キツイと思うけど、年齢やカラダを考慮して少なめにやるみたいや。」 「そうか。」 「それと、抗がん剤によって、白血球が減少する。すると免疫が落ちるから、 無菌室に入ることになるんよ。」 「どれくらい?」 「うぅん…1週間とか2週間とか、、、。白血球が元に戻るまで。」 「Y子(妹)は?」 「もう、ずーっと付きっ切りよ。Kちゃん(義弟)が仕事が終わるとお弁当を買って、 病院に寄ってくれるけど、夜勤もあって、仕事も忙しいからなぁ。」 「そうか…。そんな状態は、いつまで続くんか?」 「治るまで…やけど、それはいつになるやら。」 「うん。わかった。」 姪の治療計画は決まった。 しかし、それは、1歳という赤ん坊からすると限界をはるかに越えたものであった。 そして、家族も連日病院に泊り込みである。また、無菌室にともなれば、 付き添いは、一人だけ。つまり、母親である妹しか入れない。 24時間リフレッシュもできない状態で、妹は、どこまで追い込まれ、 何を乗り越えようとしているのか?想像しただけでも胸が苦しくなる。 そして、私が言えることとしたら、、、。 電話を切る間際、母親に伝言を頼んだ。。。 「兄ちゃんも頑張ってるから、お前も頑張れ!って言っといてくれ。」 それしか言えない。 それしかできない。 そして、それぞれの闘いは終わらない。 つづく
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この「人生の達人」では、私の半生を自伝としてご紹介しています。ご一読いただくことで、多くの皆様にとって、今の時代を生き抜くヒントや勇気に繋がる「メッセージ」となれば幸いです。バックナンバーは、トップページに置いていますので、ぜひご覧ください。 姪の術後は、安定した。 母親からは、毎晩のようにその状況の連絡が入った。 彼女は、背中の切開手術を受けていた。 そのため、腹ばいにしか寝ることができない。 点滴を受けながら、その苦痛に耐え続けていた。 私は、自分の中の裏側にある感情に蓋をしながら、 仕事に集中していた。そこに社長からの呼び出しが。 「失礼します。何か…?」 「ちょっと頼みたいことがあるんだ。」 「はい?なんでしょうか。。。数社の協力は、確約していますが…。」 「そうか。でも、それだけでは、足りないんだよ。現金がなんとかならないか?」 「いやぁ〜現金は、私は、ありませんよ。」 「そこをなんとかならないかなぁー。」 「持ってないものは、どうにもなりません。」 「そこらのア●ムとかサラ金でもなんでも借りてきてくれよ。パッと行ってくりゃ、 50万くらいなんとかなるだろ!?」 「そんな!オレだって、これまで、数百万は、会社の経費を借金で立て替えてます。 知ってますよね!?」 「あぁ…。」 「私だって、個人融資は限界まで来ています。なんとか、違う方法で…、できる限りはやります。」 「そっか…。」 追い込まれているのは、わかっている。 しかし、そこまで要求されてもできないこともある。 私は、この数年の間、自身の限界まで、借り入れを起こして経費を捻出していた。 1週間が過ぎた。 待ちわびたあの連絡が母親から入った。 それはそれは、心臓が飛び出しそうな数分だった。 「もしもし。」 「あ、はいはい。そろそろ結果は出たか?」 「あぁ、出たよ。」 「そうか。で、どうやった?」 「それがなぁ…。」 「うん。」 「悪性やった…。」 「……。」 「でもな、これから抗がん剤で、投薬治療を行うんやって。」 「そうか…。」 「ただ、先生の話によるとその薬の効き目があるみたいやから...。」 「わかった。」 「それと、、、。」 「ちょっと待って、お父さんに代わるはぁ〜。。。」 母親は、その話をすることができなくなったようだった。 受話器は、父親の持ち代えられた。 「あ、もしもし。」 「うん。」 「開いた時になぁ、、、背骨の中に腫瘍があって、 そこを観音開きにして洗い流したんよ。それで…。」 「?」 「そこから、背中の筋肉の部分にも広がっていた。。。でも、そこには いろんな神経が集中しているため、手をつけられんかった。」 「じゃぁ、残ったままか?」 「あぁ…。ただ、その薬が効けば、消える可能性もある。」 「わかった。。。治療費は大丈夫か?」 「いや、それがぜんぜんかからんみたいや。」 「何で?」 「どうも何百万人にひとりとかの事例で、国の研究対象になったんよ。」 「ふぅ〜ん。喜べん話やけど、、、良しととるしか無いんかな。」 「そうやな。こんなことでも不幸中の幸いなんかな…。」 「帰れんで、悪いけど…頼むな。」 「おぉ〜。大丈夫や。」 「とにかく、看病するみんなが倒れんように…。 「ありがとうな。兄ちゃんも仕事、がんばれよ。」 「あぁ…。」 電話を切って、しばらく呆然とした。 部屋の中がゆっくり回転しているような感覚にもなった。 この事実は、いったい何なのか? 夢なのか?夢なら、早く醒めてくれ。早く…。 しかし、それが現実であり、事実であった。 重い気分を背負って出社した。 そして、この仕事という現実も闘いは、続いていた。 15時を回った頃、経理室で、荒げた声があがった。 「だからー!!!もうー!!!」 それは、何かが起こったことに対する嘆くような様子であった。 バタバタとあわただしくなってきた。 「ちょっと、部長!いいですか!?」 「あ、はい。」 私は、ノックもせずにそのまま入った。 社長の親族である、経理責任者は腕組みをして、荒れていた。 その横には、社長の奥さんが…。 「やっちゃったのよ!」 「…。」 そこにあらわれた現実。 いや事実が会社経営の根幹を揺るがすことなのは、誰の目からも明白だった。 つづく
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この「人生の達人」では、私の半生を自伝としてご紹介しています。ご一読いただくことで、多くの皆様にとって、今の時代を生き抜くヒントや勇気に繋がる「メッセージ」となれば幸いです。バックナンバーは、トップページに置いていますので、ぜひご覧ください。 今まで、これほどまでに落ち込んだ母親の声は聞いたことが無かった。 それもそのはず、初孫が何の因果かこんな目に遭うなども予想もしていなかったことだろう。 そのショックは、想像を絶する。もちろん、私もだ。そして、実の両親でもある妹・義弟は、 更に更に、引き裂かれるような思いであることは間違いない。 それでも母は、気丈に私へ話をしようとしてくれていたのだった。 「Y子(妹)が、Hちゃん(姪)の具合がおかしいって言てたんよ。それで、 私が手に取ってみたら、背中にポコッと腫れがあったんで、こりゃおかしい! すぐ病院に!って、連れて行ったんよ。」 「それで…。」 「病院で、MRIとか色々検査したらな…。」 「うん、うん。」 「どうも背骨の中に腫瘍があるらしいって。。。」 「えぇ…。」(絶句) 「大丈夫?兄ちゃん、聞いとるか?」 「あぁ、聞いてるよ。でもそれって、悪性か良性かわからんのだろ?」 「まぁ、そうやな。開いてみないとわからんみたいなんやけどな…。」 「そうか…。」 「手術は、明日か?」 「明日の朝から。多分10時間以上かかるらしい。」 「そんなぁ〜。相手は、まだ赤ちゃんだぞ!マジかよぉー。。。」 「これだけはなぁ〜、、、どうにもならん。先生を信じるしか無いんよ。」 「わかった。で、Y子(妹)とKちゃん(義弟)は、どうしよるか?」 「Y子は、つきっきり。Kちゃんは、『心配で、ここから離れられない』って言うから、 『お父さんがしっかりしなさい!バタバタせんで、仕事をしっかり全うしてきなさい!』 て言って、会社に送り出したんよ。」 「そうか、よう言った。お疲れ様。」 予想もしなかった出来事。しかもこんなタイミングで、、、。彼女に何の責任も無い。 そして、まわりの家族にだって。ただ、すべての結果が出ている訳でも無い。 なんとか持ちこたえ、手術が成功すること。そして、取り出した腫瘍がどういった種類 のものなのか…?ただただ、私は、待つしかないのか。 「あんたも仕事が忙しいんやろ?」 「うん。会社からは、離れられん。。。」 「それでいいよ。こっちには、私もお父さんもついとるからね。」 「悪い。じゃ、頼むな。」 こんな一大事であっても電話を切れば、仕事に忙殺される自分がいる。 切り替えようとしても、切り替えられない。しかし、目の前の状況も 危険極まりない状況にもあった。 翌日―。 会社自体も激震に揺れている。 この日もあちらこちらのクライアントとの交渉にあたった。 しかし、一旦その場を離れれば、姪のことで頭がいっぱいであった。 夜半―。 苛立ちが続く中、、、やっとのことで、電話が鳴った。 「あ、もしもし…私です。」 母親からの声だった。 「はいはい。どうや?」 「終わったよ。Hちゃん、頑張ったよ。15時間もかかったけど、 今のところは、成功みたいやな。」 「そっかぁー!で、どうやったん?種類は?」 「いや、それがなぁ〜、取り出したものを分析する機関に送るみたいなんで、 結果が出るまで、1週間くらいかかるんだって。」 「そんなにかかるんか?」 「そうよ。まぁ、来週には、わかるから、ちょっと待っとって。」 「そっかぁー、了解。じゃ、とりあえず、安心やな。」 15時間にも渡る大手術であった。 彼女にとって、1歳のお誕生日が、まさかこんなことになるとは…。 しかし、今この時間、故郷の大学病院では、家族揃って、一応の安堵はあったはず。 そして、1週間後には、この病巣のすべてがわかる。。。 東京で走り回る私には、家族に何もしてやれない。 もどかしい。。。 悔しい。。。 しかし、そんな私が、できるとしたら、 まだ見ぬ君を思い、願い、祈るしかない。 『良性であってくれ!』と… つづく
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