進藤医師のブログ

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S君へ

 君がほどほど体調をくずしたことは知っていました 
 今は かなりつらいことも分かります
必ず良くなるよ などと無責任なことは言えませんが
水に流れる木の葉のように あせらず自然体でいったらどうでしょうか
どのようになろうとも 君の立ち位置はあります
  「もしもし 私ミドリ」 はそのことを明確に示しています
 
こんな性格の私なので それなりの苦しみや迷いは経験しました
    近道は遠回り   急ぐほどに足を取られる
   この世には始めと終わりを 直線で結べない道があります
      迷った道が 私の道です
         という大分麦焼酎のCM救われたこともあります
53才の時のガンには相当追い詰められました
   愛しても 愛しきれない 驚いても 驚ききれない
   歓んでも 歓びきれない 哀しんでも 哀しみきれない
  という棟方の言葉に出会い救われました
 
そして 不覚にも今年の春に 脳腫瘍で手術をうけました
この時 厳しい指導(笑い)をうけたブログのおかげもあり
              不安は非常に少なくてすみました。 
また 二人で くだらない話をしましょう
 
夜明け前が一番暗い ともいいます
 
 電話は 診察時間にはいつも開いていますので いつでもどうぞ
  そんな国語力で 「よう大学にはいれましたね」 と言われた私
  今でも国語力は向上してませんぜ(笑い)ホンマ

中坊公平の死

 2013、5月はちょうど入院中でした
中坊公平氏が亡くなったというニュースではなく 亡くなっていたというニュースが流れたたと記憶しています
 市民派の弁護士として 一時はかなりの活躍をした方でしたが 
         その死の扱いはじつに粗末なものでした  
 大体日本のマスメデイアはこんなもんです
 
改めて自分の書いた ブログを読む
  「先生 私はこの子に マンマ という言葉は教えました
      でもこの子は アホ という言葉も覚えてきたのです」
 このあたりで 思わず涙(自分の記事で涙なんて アホや
 中坊はこのお母さんの言葉によって 人間として変わる 
   そのことを中坊氏は 遅すぎた青春 と言っているのです 
   ぜひとも 中坊公平の遅すぎた青春 をお読みください
 
  人生とは? 生きるとは? 改めて考えるきっかけになるかも
 とこんなことを考えていたら
 
地元の「静岡新聞」 6.26 「追想メモリアル」という記事に3人が
その中に 中坊氏の記事がありました
  ローカルながら 静岡新聞 やるやないか! 頑張ってや
 死の最後のことば「幸せだったなあ」 (親族によると
     他の二人は憲法学者:作間忠雄  狂言師:茂山千作 
 
 
私の大好きな 開高健は アウシュビッツ ベトナム戦争の従軍記者 
そして赤十字活動にも興味をもち現地取材をしています
 赤十字は ご承知のごとくA国もB国も 分け隔てなく助ける
 これについて 開高は赤十字の本部で
「このような 中立的で真空状態のヒューマニズムが現代のような過度の政治的時代に受け入れられるでしょうか?」と質問する
 
「何をおたずねになっているか、よくわかります。私たちのやっていることにさまざまな批判があることはよく知っているつもりです。これについて私個人の意見がないわけではありません。しかし、ここはそれを述べる場所ではありません。私は赤十字の伝統に従うとだけ申し上げておきます。 あなたは自由に批判してくださって結構です。」
 
全ての批判をも甘受する けれど
 自分たちの 地に足がついた行動の自信を持っているという 姿勢!
  とてもじゃないが 私たちにはマネのできないことである
 
このあいだバラエテイ番組で日本を訪れた外人に 日本訪問の目的は?
 若い 美人の女性:友人か?親戚か? の結婚式に来たという
  現在はアフリカのどこか?で医師としてボランテアとして働いている  という    足にはサンダル!!  イギリス人 30歳?
     この行動力 勇気 には 完全に脱帽
         (私は 飛行機の搭乗手続きさえできないのです)
  
 
ほとんどの人は 社会の片隅で誰に名を知られることもなく一生を終える
 でも それと その人の価値とは別だ そう感じています
 私が 53才:初めてガンになったとき 長く生きてきた人 
     の話を聞いてみたい  そう思った ことも書きました
  1日 1日を 地道に生きる そのことを積み重ねていく 
    それはやがて一つの財産になる   そんな気がします
 
開高の随筆にも
 地方にいって 頑固な職人などに うまいこと酒をすすめ
 話をきいてみたい というものがあります(文献 行方不明です)
 
      変わった芸術家たちの話です
  
◎赤十字
 A国も助け B国も助けるので 互いの国から敵とされることもある
 実際に敵とされ赤十字の飛行機が撃墜される という事件もおきている
 
 いかにも赤十字員らしい温厚で冷静な人もいるが、なかには精悍でたくましい気魄をたたえた人もいることに気ついた。・・・・・
国境やイデオロギーを意識や概念のなかでこえることは誰にでもできるが過酷をきわめた現実にそれを衝突させて耐えぬいたり突破することはなかなかできるものではあるまい。
・・・・    「白いページ」 開高健 光文社文庫 952円 より
がんと心の問題を書いてきました 1−3まで ここまでくると
  死について:も書かねばなりません
  言うことが 論理的ではありませんが お許しください
 
今回手術を受けるまで自分の歳など考えたことなどありませんでした。
   でも考えてみると69才。
寮のときからの友人(医師)が見舞いに時々きてくれました。
二人で話をした結論:3回もガンにかかって69才まで生きたら 
           贅沢いったらいかんな
  死ぬことはヒトにとって必然なのです。避けられないことなのです
 
今回の入院で見えてきたもの 他人の情け 情けの後ろにある 決意
そのようなものを私のような欠陥人間にかけてくれることに 
             感謝を禁じえないのです。
 
このように情けをかけてもらって死ねるのなら それは それで ハッピーなことなのです 死は恐怖ではなくなってきます
   このことはすんなりと実感できました
   なぜ?と問われると その理由は私にも分からないのです 
 
Progeria(早老症 平均十数才で死亡する!)
              にかかった外国の12才位の少女 
「もうすぐ私は死ぬのよ」 と言っていたドキュメントを観た時(ほどほどの昔)
 この強さはなんなんだ?? この若さで何かを悟ったのか?? 
         強い衝撃をうけた記憶は今でも鮮明に残っています
この少女の心の中は今もって分からないわけですが 
このように言える何かがある ことは 今の私にすんなりと実感できます
 でもそうなるまでに たくさんの涙を流したことも 実感できます
 
ある医師:あなたが亡くなっても あなたの命は永遠に受け継がれていくんだよ という話をすると言っていました。キザなことを言うヤツや 
                        と思っていました
ところが 今私がこの立場になって 孫(0歳児)を見ていると これが ホンマに素直にこれが受け入れられるのです
 
子供:親と違うと思っているでしょうが 親の細胞そのもの:精子と卵子
   そしてその子供もまた親の細胞そのものなのです
   なんや えらい気持ち悪いナ という声が聞こえてきそうですが
   (でも 育てるのに親がとても苦労をしたことは忘れないでね)
 そう考えると 確かに 命(血)ははるか昔から連綿と続いており
これからも続いていくものなのです 
 その長い鎖の一つを私たちがになっている と言えるのです
 
私という 一つの世代 があったことに間違いはない
     そして 次の世代に さらに次の世代に 
 そう考えると 死ぬということもそんなにも辛いことではないなということが実感できました。 今の私は上に述べたようにハッピーなのです
 
 
日々起こる楽しい出来事を瞼に焼き付ける それを日課にします
ほどほど高齢の患者さんの中に穏やかな笑顔の人がいます そうなりたい
 
 また寝たきり老人の中に幸福がと感じている人がいるという統計もあり ますし   実際に そのような患者さんはいます
 
諸事情を合わせてみると 今 私はそれに近い状況です 
              かなりハッピーです
 私の友人:おまえ 前向きやな 
 この感覚は前2回のガンの時には 全くなかったものです?!
  なぜなんでしょうか?
  急に悟りの境地に達したというわけでもないのに?
 
ほどほどの歳になったせい? それとも孫の顔を見ることができたせい?
子供を 育て上げたという親の仕事をなんとかやりとげたせい?
     死はだんだんと現実みを帯びてくるのですが 
       それほどの恐怖ではありません 
 
 
     深刻な記事ではありません 親孝行の真似事をしておけば
      なによりあなたが幸せになれます
   級友の死     
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◎開高健の随筆
 サケ:親は排卵 射精をすると死に絶えます その死骸は川の栄養となりプランクトンを育てる そのプランクトンを食べて サケの稚魚は親を見ることもなく川をくだる
私 図らずも3回目のガンになってしまいました。
本稿はある人を思いうかべながら書いています。その人はガンの宣告をうけ、夜には涙が止まらなかったとのこと
   そのような人にとって多少の助けになればうれしいかぎりです。
   3回もガンになったかいがある というものです。
 
癌という診断がつくと
・治療法などともに 5年生存率なども示されます
  医師としては こんなに生存率は高いですよという意味合いで伝えること  が多いのですが 患者にとっては そうは聞こえない
              ここにおおきなギャップがあります
これは医学という側面から必要なことではありましょうが、告知が患者に苦しみを与えているというのも明らかな事実なのです。
 
医療という側面からみると
 ただ単に生存率を伝えるだけでなく 生存率の生存側に入るように 
    私たちも頑張ります 良い方法を選びます 
 などなど患者に希望を持たせる 一言がほしいものです
    それで患者はどれだけ勇気づけられることか 
    主治医は患者にとって神様なのですから!
普通 ガン告知を受けた時患者は ある種のパニック状態にあり 頭の中は真っ白状態になっていると考えていただいたほうが正解です。
  そのとき私はあなたの為に頑張ります 努力しますと
 いうような言葉があれば 患者は勇気づけられ 一息つくことができます。
 
・カウンセラー などの設置
これは日本の医療費が安い(後述)ということと関係のあることですが
癌の告知を受けた時 普通の人は頭が真っ白になり どんな話がされたのかさえ分からないでしょう。
とにかく心を落ち着かせてくれる誰かが必要です。ですから癌の告知とカウンセリングとはセットであるべきだと思っています。カウンセリングという難しいことではなく、ぐちを聞いてくれるだけでもいい
  とにかく一息つける 時間 場所 状況がほしい
  私の場合:術後: 「ガンと言われた時 どうでした?」
     嬉しいわけがないだろうが! 普通の人だったら怒るで ホンマ
 
  つらかったでしょうね と誘い水をむけるだけでも良い 
    そうすれば 患者は何かを話せる
 話せば それだけ楽になる これが患者の心理なのです
   
治療が一段落すれば カウンセリング
    ガンを克服した人 長く生きてきた人などの話を聞くのもおおいに
       励みになります(私の体験では)
 
といっても 現実は厳しいものがあります
   私も最初のガンのとき おおいに悩みました
    当時の結論:時間は逆戻りすることはできない 
        今の現実を受け入れるしかない
     まずは そこからスタート
 
  これはある若いがん患者さんの言葉です 
とにかく今日 一日を生きる
                   そうすれば 明日につながる
 
  私の最初のガンの時の医師(3年ほど先輩でした)は
    レントゲンをみて 
    「おー これは手頃な大きさだなー」
    この医師の言葉は 普通の人には大いなる救いになるでしょう
    
 退院して まだ9日
まだ頭も回らないので 誤字脱字などお許しください
でも患者さんをみるのは楽しいことです
     
  
      (がんと死など                                     
      (今回の入院では 死の恐怖を感じなかったこと
       を予定しています
 
日本の医療費
 驚くほど安いです 以下はいずれも保険を使わない場合の実費です:
 先進国の中では 最下位クラス マスメデイアはこのようなことはまず報じません
 例:虫垂炎(いわゆる盲腸)で5日ほど入院(数年前のデータ)
    アメリカ:220−250万 日本:35−40万
    韓国:忘れましたが 日本より高かった??
私の最初の主治医
 この医師を評して 大先輩の外科医:このひとはかなりの皮肉家ですが
 「○○君は 家族からは恨まれないな」
  細やかな神経で患者や家族に接しているからなのだと 私は感じています
 

私のベストスコア

 
ゴルフについて書くのは これが最初で最後です
    ゴルフなんて興味ねえやという方は 私の逮捕歴が調査されたへ
 
 これから何回かは ガン関連の記事が続く こと
 進藤というのは 本ばかりにかじりついていると思われるのはイヤなこと 
よって今回は 軽いタイトルにさせてもらいます 
   唯一の趣味が ゴルフです 単純ですが なぜか面白いです
   でも 深刻な顔をして ゴルフするのはイヤです 
        トレビノのような楽しいゴルフをしたいです
 
 ベストスコア:72+2ペナルテイの74 65才位で出ました
開場記念杯:昼飯がタダになるから 行こうかという軽い気持ちで
前半は 2バーデイ 2ボギーの36 これは出会いがしらの事故のようなもので たまたま出てしまったというだけのこと。ストレスがかからない状態ではまれにはあることです。
 
 問題は後半 後半大くずれというのはよくあるパターン
とにかく パーをとるというよりボギーをたたかないように安全にピンを
 
事件は終わりから3ホール目140ヤードのショートホールでおきました
 グリーン右には深さ2メートルほどのバンカーがあります
 狙うのは当然 ピンの左 打ったボールはグリーンの少し左:オーケー
 ところが あるはずのボールがない 
 同伴競技者が ここにボールがあるよ でも自分のボールではない
  自分のボールです と言うわけにはいきません 
   一瞬 悪魔がささやきかけましたが ロストボール扱いにして正解
  上がってみれば 74というスコアでした
 
後半 プレッシャーの中で 全ホールパーで回れたというのが 
             苦しくもあり嬉しかった
      ゴルフでこんなに頭使ったの初めてです
 
  その後のスコアは? という問いには
   幸運は気まぐれにくる とだけ申し上げておきます
 
 
私が最初にもらったハンデイ 13
 大学のクラス会(ほとんどはゴルフが楽しみでいくのですが)で 
ハンデイ13といったら うそや とA君が言いました 
それならと 翌日:瀬田では ハーフは30台で回りました
友人に 「何でオレ 13というイメージにならないの」と聞いたら
お前は 学生のころ 勉強ばかりというイメージだったのよ 
          これはただ単に金がなかっただけのこと
 当時の楽しみ 往復25円の市電に乗り 100円の映画を観るくらい
 

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