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中国の軍事化を非難する人がいます。
私は、下記の敗戦史がその理由ではないかと考えています。
アヘン戦争(1840年-1841年)
イギリスとの戦争
南京条約
1. 香港島割譲
2. 賠償金として銀2100万両を四年分割で支払
3. 広州、福州、アモイ、寧波、上海の5港を開港
4. 公行の廃止
アロー戦争(1857年-1860年)
イギリス・フランス連合軍との戦争
天津条約
1858年の条約
1. 軍事費の賠償
2. 外交官の北京駐在
3. 外国人の中国での旅行と貿易の自由
4. キリスト教布教の自由と宣教師の保護
5. 牛荘、登州、漢口、九江、鎮江、台南、淡水、潮州、瓊州、南京など10港の開港
北京条約
1860年にイギリス・フランス連合軍、およびロシア帝国が締結した条約
1. 英仏への800万両の賠償金の支払
2. 天津条約の実施
3. 北京への外交官の駐留
4. 天津の開港
5. 清朝による自国民の海外移住禁止政策の撤廃と移民公認
6. 清朝が没収したフランスの教会財産の返還
7. 英国へ九竜半島の一部を割譲
清仏戦争(1884年-1885年)
ベトナムの領有を巡って起きたフランスとの戦争
天津条約
1. ベトナムに対する宗主権を放棄
2. フランスの保護権・中国南部における通商、鉄道建設を承認
日清戦争(1894年-1895年)
李氏朝鮮をめぐる日本との戦争。
下関条約
1. 朝鮮が独立国であることを承認
2. 遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲渡
3. 賠償金2億両を金で支払
義和団の乱(1900年)
当初は義和団を称する秘密結社による排外運動であったが、西太后がこの反乱を支持。
欧米列国に宣戦布告。
北京議定書(辛丑条約)
1. 義和団に殺害されたドイツ公使と日本書記官に対する清朝要路者の弔問と十分な賠償
2. 光緒帝本人の哀悼の意の表明
3. ドイツ公使に対する記念碑の建設
4. 外国人殺害のあった市府は5年間科挙の受験を禁止
5. 清国の武器弾薬及び武器弾薬の原料の輸入を禁止
6. 賠償金4億5000万両を銀で列国に支払(年利4パーセントとし、39年間の分割払い)
7. 各国公使館所在の区域を特に公使館の使用のみに充てる
8. 各国公使館の警察権下に属する
9. この区域内における清国人の居住を認めず、公使館を防御できる状況におく
10. 大沽砲台および、海岸から北京までの自由交通の妨げとなる砲台をすべて撤去
11. 列国の海岸から北京までの自由交通を阻害しないために、列国が同間の各地点を占領する権利を認める
(その地点は、黄村・楊村・郎房・天津・軍糧城・塘沽・盧台・唐山・?州・昌黎・秦王島及び山海関)
12. 清国政府は、以下の上諭を各市府に向けて公布すること
13. 排外的団体に加入することを禁止、禁を犯すものは死刑
14. 排外的紛争の再発その他の条約違反が発生し、その鎮圧をしなかったり犯罪者を処罰しなかったら、その官吏を罷免。また、再雇用も恩典もその後受けることはできない。
15. 清国政府は、列国が有用と認める通商及び航海条約の修正ならびに、通商上の関係を便利にするための通商条項の内容の変更について今後検討
16. 総理各国事務衙門を廃止、外務部を新設
※当時年間予算が1億両足らずの清朝にとって、賠償金4億5000万両(利込8億5000万両)という額は、天文学的な要求であった。
満州事変(1931年)
奉天郊外の柳条湖で、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した事件
塘沽協定
1. 国民政府軍は河北省東北部から撤退、軍事的な挑発行為を行わない
2. 前項が遵守されているか日本軍が監視することを認める。国民政府もそのための便宜を図る
3. 日本軍は長城線以北へ撤退
4. 長城線以南〜国民政府軍撤退地域は国民政府の警察によって治安を維持
日中戦争(1937年-1945年)
日本と中華民国の間で行われた戦争
ご存じの通り、終戦まで、ほとんど中国側が負け続けます。
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一世紀以上の期間、勝ったことがなかった訳ですね。
外国に負けたというよりも、国内のイザコザに負け続けていたような気がします。
2008/3/14(金) 午後 3:29
なんだか中国が気の毒に思えてきました。
ヨーロッパに占領されなかったのは、なぜでしょう?
いまいち、私判ってないんです。
2008/3/14(金) 午後 3:55 [ yossiy3259 ]
zhenさん、これまでの体制から脱却できなかったようですね。
そのまま、戦争に巻き込まれて身動きが取れなくなったという感じのような気がします。
2008/3/14(金) 午後 6:56
yossiyさん、本当にかわいそうですよね。
今、中国が軍備にこだわるのは、苦い経験をしているからだと思います。
>ヨーロッパに占領されなかったのは、なぜでしょう?
日本が及ぼした影響は大きいと思います。
ただ、日本は中国のことを考えて、そうしたわけではないと思います。
結果的に中国の植民化を防いだのは間違いなでしょうけど。
日本も一歩間違えば、中国のようになった可能性があったわけです。
日本も自国を守ることに必死だったのだと思います。
2008/3/14(金) 午後 7:01
中国が勝ちはしなかったけれど負けもしなかった戦争として
・朝鮮戦争
・インドとの紛争
・ソ連との紛争
・ベトナム侵攻
などがあります。
2008/3/14(金) 午後 7:39 [ ysigle ]
ysigleさん、情報ありがとうございます。
インドとの紛争というのは、よくしりませんが、中国は、それらの戦争で何も得るものはなかったのですよね。
2008/3/14(金) 午後 7:50
この一覧はありがたいですね。たまに、どれがどれのことか分からなくなるときがありますからね。
こうしてみると、19世紀から20世紀の100年は、中国史上、災厄の世紀となっていますね。
それまで、中華帝国としてアジアに君臨していたわけですから、その屈辱たるや…。そこらへんが、おっしゃるとおり、今の、中国の傾向を占う参考になりそうですよね。
確か、共産党初期のスローガンも、「打倒日本軍国主義、中国統一」だったとおもいますよ。 それが、今に、脈々と受け継がれている、そういったところでしょうか。
2008/3/14(金) 午後 9:54
戦争は、侵略してくる国のお都合のいいように・・・、ということが多いですが、アヘン戦争なんて、イギリスはなんと卑怯なことをして戦争に持ち込んでいるのかと思いますね。
条約も都合が良すぎる・・・。
2008/3/14(金) 午後 10:53 [ アミィリ ]
それぞれの戦いで得るものもあれば失うものもあったでしょう。
その評価は立場により色々です。
2008/3/15(土) 午前 10:51 [ ysigle ]
上下三千年、支那武装はまだ一度も勝ち戦をしたことがない。
2008/3/15(土) 午後 10:21 [ norge1234589 ]
Dragonさん、私も一度整理してみようと思い、書いてみました。
参考になれば、幸いです。
一般的に言われる中国の情報操作は、まったくデマでもないように思います。ただ、中国民衆がこのような歴史の中で、日本にいい感情を持ってないというもの事実なのではないでしょうか。だから中国の情報操作が有効に働くのだと思います。
ただ、世の中はどんどん変わっています。ネットの普及や中国で暮らす外国人が増え、情報操作もできなくなりつつあります。
2008/3/16(日) 午前 8:49
アミィリさん、本当にそうですよね。
アジアの国同士で憎みあうのは、意味がないと感じます。
2008/3/16(日) 午前 8:50
ysigleさん、はっきりとコメントの意味がわからないのですが、戦争って、多くの人命と莫大な費用をつぎ込んでなされる行為なので、明確な利益もないのにすべきではないと思います。もしまけたら、その上に多大の損害をこうむるわけですので。
2008/3/16(日) 午前 8:54
norgeさん、コメントありがとうございます。
コメントの意味がよくわかりません。
もう少し具体的に書いていただけるとありがたいのですが。
2008/3/16(日) 午前 8:55
即ち、三千年以来、支那の所謂「武装(解放の名ww)」は「邪悪之師」、「残暴之師」、「腐敗之師」、「無能之師」、「豆腐渣之師」ですから、シナ人にとって対外戦争(対異民族も)の勝ち戦なんてはシナの歴史上に未だ一度も無いですよ。到底、史上希代の劣等で無能な民族でしょう。相変わらず専制なら、こういう独裁国ではかちいくさというものは絶対無理ですねえ。
2008/3/16(日) 午後 5:02 [ norge1234589 ]
ご説明ありがとうございます。
三千年間対外戦争に勝ったことがないというのは、有る意味すごいですね。私の見方も少し偏っていたのかもしれません。もう一度考え直してみます。貴重なご意見ありがとうございました。
2008/3/17(月) 午後 2:11
三千年間対外戦争に勝ったことがないというけれど
日本は古代に唐との戦いに敗れ、秀吉の朝鮮出兵でも明に敗れています。
朝鮮戦争は見方次第では中国がアメリカに勝った戦争ともいえます。
2008/3/17(月) 午後 3:02 [ ysigle ]
ysigleさん、朝鮮戦争を中国がアメリカに勝ったというのは、無理があるように思いますが。どちらにしても、私ももう少し勉強し直してみますね。
2008/3/17(月) 午後 7:00
イギリス歴史学者 アーノルド・J・トインビー氏 曰く
英国最新鋭の艦船2隻が、日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事だった。そしてそのことは永続的な重要性を持つ出来事であった。
なぜなら、1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、
この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではないということを決定的に示した。
この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナム戦争に明らかである。
昭和43年3月22日 毎日新聞
2013/8/15(木) 午後 0:36 [ 一党独裁中国の反日デモを軽蔑 ]