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「もののけ姫」に出てきました。 紀元前1500〜2000年ごろヒッタイトで生まれた製鉄技術は、主にインド→中国江南→朝鮮半島南部を経て、6世紀頃(古墳時代後期)日本へ伝えられたと考えられるそうです。 そして、その製鉄技術は、長い年月をかけ日本独特のタタラ製鉄へと変貌していきます。 それは、諸外国で行われた鉄鉱石の製鉄に比して、はるかに硬度と柔軟性に富む上質の鉄を作り出す技術でした。不純物が混在している鉄鉱石に比して、砂鉄は原料段階で不純物を除去出来る。砂鉄自身の純度が高ければ、極上の鉄塊を作ることが出来る。タタラ製鉄で出来た鉄塊は、現在の製鉄技術を駆使しても及ばないと言われるほど高純度なのだそうです。 日本刀は、この製鉄技術によってのみ、折れず、曲がらず、良く切れるという武器本来の機能のみならず、その神秘的な美しさを世界に誇るのです。 幕末になり、西洋の製鉄技術が輸入されます。 日立金属のホームページに詳しく紹介されております。 日本では阿片戦争や黒船来航など国際的脅威が高まる中で、開明藩主が反射炉建設。 鍋島藩、薩摩藩、水戸藩など。 徳川幕府も反射炉を建設。 南部藩士、大島高任は安政4(1858)年、水戸反射炉への銑鉄供給を目的に釜石に西洋式溶鉱炉を建設。 日本における洋式製鉄の始まりです。 しかし、燃料には木炭、吹子は水力を用いる旧式だったため、採算が合わず、明治13(1880)年閉鎖。 明治29(1897)年、官営の製鋼一貫製鉄所の建設が議会で決まり、ドイツの技術を導入し明治34(1901)年、八幡製鉄所が建設。 明治15(1882)年東京海軍造兵廠で出雲、石見の玉鋼及び包丁鉄を用い、るつぼ鋼の製造を開始。 明治23(1890)年横須賀工廠、 明治25(1892)年に呉工廠に酸性平炉を建設。 陸軍は明治22(1889)年に大阪造兵廠でるつぼ鋼による工具鋼や砲弾などの製造開始。 洋鋼は明治の初めより和鋼・和鉄の生産量の約5倍(約5万トン)輸入されていましたが、日清、日露戦役で更に急激に増加。 |
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私が住んでいるところに流れている川は、「多々良川」
通った学校は「多々良小学校」「多々良中学校」。
小学校があった地名は、多田羅といいます。
由来は、もう、わかとんしゃろう。
2008/6/17(火) 午前 9:00 [ yossiy3259 ]
日本刀は室町時代辺りに作られたものが評価が高いみたいです。
どうも江戸時代に作られた日本刀は鉄の純度が高いから名刀にならないとか。
聞きかじりの情報なので嘘かもしれませんがね。
2008/6/17(火) 午後 0:18 [ ysigle ]
yossiyさん、「多々良川」は聞いた事がありました。
そういう事だったんですか。
勉強になりました。
灯台もと暗しですね。
2008/6/17(火) 午後 2:02
ysigleさん、室町末期には、明に刀を輸出していたそうですね。
日本というのは、原理は、輸入に頼ってますが、すぐにその技術を越える純粋培養が得意な国民だな〜ってつくづく思います。
なにかしら、それを可能にするものが日本の中、若しくは、日本人の中にあるのでしょうね。
2008/6/17(火) 午後 2:13
ご無沙汰しています
そうか。砂鉄からあの美しい日本刀が作られていたんですね。
なるほど
タタラ製鉄。こういうことだったんですね
多々良川というのも、製鉄所に由来するということですか
なるほど。
こういうことには無知で、画面の前で、何度もなるほどとつぶやいておりました。
2008/6/18(水) 午前 6:58
以前、「中国の近代化は、なぜ遅れたのか?」というのを書きました。
そこでは、明治維新からの日中比較をしたのですが、それ以前の技術、鉄、刀、鉄砲などの発展をしらべる大変興味深い事がわかってきました。火薬や鉄砲などは、もともと中国の方が早いのですが、すぐに日本が技術的に追い越しているんですね。
戦国時代のドラマなどには、戦のシーンに鉄砲が登場しますが、中国の義和団の乱当たりの映画やドラマには、鉄砲が描かれておりません。まだ、なにがどうなったのかはっきりしませんが、大変興味深く、現在調査中です。
2008/6/18(水) 午後 1:20
再度のコメント失礼します
戦国時代、日本は、はじめちまちま鉄砲を製造し、そのうち鉄砲を大量に生産し、ついには世界最大の生産国になったらしいですよ(確かそうだったはずです)。群雄割拠で勝ち抜くために必死になって、天下統一してみたら、世界有数の軍事大国になっていたというわけです。
秀吉が明征服を企んだのも、こういうような事情もあって、できると本気で思ったのでしょうね。
なんというか、急激に物事を進めるのが好きな民族性なのですかね。しかし、その外国の文物を取り入れるのが巧みな日本が、二百年に及ぶ鎖国に入るのですから摩訶不思議です。
2008/6/18(水) 午後 7:25
コメントありがとうございます。
大変参考になります。
日本が経済大国になったのも決して偶然ではなかったことの証明ですよね。
ちょっと不思議なのですが、鉄砲は、関が原の戦いでもつかわれているのですが、江戸に入っても長浜の国友で作り始められたといわれております。(ブログ書こうとおもっていますが)そして今、「勝海舟」子母沢寛著を呼んでますが、勝海舟が江戸末期に鉄砲つくりに挑戦しているんです。なんで、継続的な発展がなされずに、断続的な発展なのかがわかりません。
たぶん中国は、最初の鉄砲をつくった後、それから発展しなかったのかなとも思います。
2008/6/19(木) 午前 5:41
江戸時代、島原の乱以降は幕末まで戦争らしい戦争はなかったので
鉄砲の兵器としての需要が無くなり
鉄砲は専ら伝統工芸品的として作られるようになり
兵器としての性能向上には向かわなかったようです。
2008/6/19(木) 午後 1:57 [ ysigle ]
そうですね。納得。
その間に、海外では新しい技術が生まれていたので、また新しい技術を学ばなければいけなかったという事ですか。
ただ、江戸初期には当てはまらないようにおもいますが。
中国もそういう観点で見直してみます。
2008/6/19(木) 午後 2:21