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其の三、「悪い人の方が有利な立場につく」 「いい人は損をして、悪い人が世にはびこる。」 この言葉は、文学的風刺ではない。 どこにでも見られる社会現象である。 近年流行の言葉は、「男は金を持つと悪くなり、女は悪くなるとお金持ちになる。」 悪くなるというのは、まさに「性交」を意味する。 一方では取引を意味し、一方ではお金が、男から女に流れる様子を暗示している。 男のお金がどこからくるのか、女はお金を何につかうのかというところまでは、分からない。 ある老江湖は、しみじみとこの2言を繰り返し、明るく言い放つ「男の金はどこからくるのかね?悪くなったからじゃないのかな?男も女も悪くなるとお金がはいる。しかし男の悪事は、女のとは違うね。」彼は、続けてこう言う「今年は、金持ちになる近道を通りたい」のなら、これを実行しないといけない。
当然女性も男性のような複雑な悪事ができるが、あまり得意でない。 色仕掛けの方が簡単なのである。 一歩踏み込むと、やめられない。 |
江湖中国
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明清以降の数百年、多くの中国人は乱世の野心家たちに頭を地につけてお願いした。それらの崇拝の英雄は正規の英雄ではなかった。たとえば、秦始皇帝、岳飛、文天祥、威継光、林則徐、韋小宝、令狐冲、燕子李三、黄金栄、杜月笙、張大師、許大馬棒、座山雕・・・彼らはみんな体制外の常態のない江湖大狭、ごろつき匪賊なのである。彼らは、体制外にその身を置き、わずかに体制内の者も体制外の江湖のしきたりで行動するのである。彼らは、勇敢であり、その手段は残酷である。一銭の創造もせず、盗みをはたらき、分け前にあずかり、窃盗に誇りさえ感じる。 あなたが耕せば、彼らは奪い。 あなたが商売を始めれば、彼らは所場代を要求する。 道を歩けば、恐喝に合う。 あなたが何かしようとすると、うまくだまされる。 真面目に仕事をすれば、いじめられる。 賄賂を拒めば、刀で一突き。 真面目に働くことは、強盗に劣り、 規則を守ることは、武器を振り回し喧嘩することに及ばない。 だんだんと法律や秩序を凌ぐ現実が現れる。 天子様でもどうしようもない。 そうなると世の中は、どうしようもない。 良い人も堕落し、良民は、梁山へ追いやられる。 活きるために、だんだんとみんなが盗みをはたらくのである。 ついには、社会が奇妙な寄生形態に変化していく。 まったく悲しい陳述である。 大きい魚が、小魚を食べ。 小魚は、エビを食べ。 エビは、水を飲み。 水が石をを洗い出す。 民国のころ、上層は、その下層へ懸賞をかけた。 しかし今まで下層へ対立するものはいない。 技術の問題ではなく、ただ内に存在する悲哀によるものである。 そしてその悲哀は、極限に達している。 乱世には、ただ一つの本質がある。 それ以外には、何もない。 上層があるのみで、下層は、存在しないのである。 現在、武狭の弊害がいかに多いことか。 適当に本屋、文学ホームページをのぞいてみる。 テレビのチャンネルを適当に変えてみる。 その氾濫は、述べるまでもない。 テレビメディア、専門家が講義をするときも武侠の人物を比喩につかう。 新人類は、武狭を読んで成長する。 金庸、古龍たちは、中国のシェークスピアを掘り起こす。 言語、文学から文化までその影響は絶大である。 ヒーロー文化は繁栄し、まるで5千年の文明からの脱皮のようである。 だから、喧嘩以外に、中国人は、公平な社会を作ることができないのか。 大狭は、人々に慕われ、働かず裕福である。 この背後には、みんなの心の奥底では分かっている秘密がある。 5千年文明古老大国の人々は、ついに労働しない「大狭」を模倣し、 悪知恵で、奪い取ることしかできないのであろうか。 |
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私のブログを長く読んで頂いている方は、私がなぜこの映画を見たかったのかおわかりになると思いますが、最近私のブログを見てくださっている方の為に、すこし「江湖」という言葉について説明をさせて頂きたいと思います。 中国語で「江湖」という言葉は、頻繁に使われます。しかし、中国人自信も、この「江湖」という言葉の真の意味を理解しておられる方は、そんなに多くないようです。一般的には、広い世界というような意味で用いられておりますが、その言葉の背景には、日本の武士道という言葉と同じように、体系化されていない、長い歴史の一面が潜んでおります。 私がこの言葉に興味をもったのは、于陽さんがかかれた「江湖中国」という本を、天津に駐在している2007年6月に読んでからです。 最初は、その意味がよくわからず、中国人にきいてもはっきりした返答はもらえませんでした。しかし、それから1年数ヶ月いろいろな事を調べてきましたが、調べれば調べるほど、その奥は深く、中国の文化や歴史、そして中国人の考え方に大きく影響している事がわかってきました。 ちょっと、簡単な例を挙げますと、古くは、儒教、墨子。そして三国志、水滸伝。白蓮教などの宗教。そして、近代における青帮、哥老会、洪門、軍閥、孫文や蒋介石の国民党。少し見方をかえると現在の共産党政権は、これらの江湖組織と戦っていたと言い換えてもいいような気がするくらいです。 しかし、「江湖中国」の著者于陽によれば、江湖という歴史的な文化は中国人の思想のなかにまで入り込んでおり、現在の共産党政権をも浸食しているとかかれております。「江湖」的組織をつぶしたことにより、逆に普遍化してしまったのかもしれません。 |
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興味の有る方は、最初からどうぞ。 商売という行為は、たとえば10円で買った物を15円なりで売るわけです。 基本的に、人を騙す要素をたぶんに含んでおります。 どこまでが、正当な利益で、どこまでが不当な利益なのか、 はっきりと答えを出せる人はいないのではないでしょうか。 売れる物ならできるだけ高値で売りたいというのが、商売人の本音でしょう。 しかし、社会が現在の日本のように発達してくると、一般よりも高値でうるということは、詐欺でもはたらかない限り至難の業です。至難の業と言うより不可能といった方が現実に近いのかもしれません。たくさんの競合先があり、情報があふれ、供給過剰な状態です。スーパーなどは、とうの昔に高く売ることを放棄しているように思えます。それよりもいかにたくさん売るかで、生き残りをかけているのではないでしょうか。 メーカーになると高く売る事がいまだに目標とされます。付加価値の創出などと最近では言いますが、他社にできない物、一般的に出回ってない物を開発するのです。物を作ると言うことは、そんなに簡単ではありません。多く売ればいいとスーパーなどが考えれれるのは、売れなければ、仕入れなければいいという前提条件があります。メーカーが「多く売る」という事は、「多く作る」という事につながります。しかし、実際問題、多く作ると言うことは、生産設備も必要ですし、それを入れる土地建物、それに労働者の確保。もし、多く作って売れなかったら、製品の材料代から労働者の賃金すべてが、ゴミになってしまいます。そんなリスクを負ってまで多く製品を作ろうとするには、相当の資金力、販売力が必要でしょう。付加価値創造とは、資金力のないメーカーの最後の頼みの綱なのです。 しかし、中国人はこんな手のかかる事はしません。 ものが売れなくなったら、売れる物を探します。 商売がうまく行かなくなったら、簡単に、商売替えをします。 マーケットが成熟してないからなどと思うのは間違いでしょう。 なぜなら、同じ事を、台湾人や香港人もするからです。 中華民族の「江湖」的伝統だという方が正しいように思います。 なぜ彼らは、付加価値の創造に興味を示さないのでしょうか。 答えは、彼らは、純粋な商人だからなのではないでしょうか。 中国語の「生意」は、「买卖(売り買い)」とも言います。 彼らは、 買って売って、いかに利益を出すか。これだけに全てをかけるのです。その他の道徳だとか、正義だとかは、ちゃんと利益が出てからの話です。 日本人の付加価値の創造などという発想は、商人からすると逃げの発想なのかもしれません。 利益を出せないいいわけです。 中国人は、自分個人若しくは、家族としか商売をしません。 それは、自分が生きる為にする商売なのです。 他人が助けてくれる訳がない。 他人と商売をしたら、他人が自分を騙して、利益を持ち逃げするかもしれません。 そこに道徳やルールはありません。 どんな方法をとってもご飯を食べれたら、勝ちです。 「発財」したら勝なのです。 芥川龍之介の小説に「羅生門」があります。 今で言うリストラされた下人が、雨の羅生門の下で途方にくれています。 盗賊になろうかと思いつつも踏み切れない。 羅生門の中へ入ると、老婆が死人の髪の毛を抜き取っていた。 老婆は言う「生きるためには仕方がない。」 その下人は、その言葉を聞き、老婆の服をはぎ取り消えていった。 日本にもそんな時代があったのではないでしょうか。 そして、そんな時代がまた迫っているのかもしれません。 バブル崩壊後、リストラや倒産で自殺に追い込まれる人が後を絶たないようです。 会社は、正社員を雇わず、パートを増やしております。 人々を体制外の境遇に追いやっているように思えます。 日本も今まさに、中国に近づきつつあるのかもしれません。 完 |
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興味の有る方は、最初からどうぞ。 「江湖」というものがどういう物なのか、多少おわかりいただけたと思います。 では、話を商売に戻したいと思います。 そのような歴史の流れの中で、商業にも人々が流れ込んで来たはずです。 同時期の明清の時代、商業も発達をしてきていたようですが、時の統治者は、商業を統治体制に取り込む事はしませんでした。 一般の中国人も商業というものを見下げていたようです。そこで、商人達は、商帮という共同組合のような組織を作り自分たちを守ろうとしています。 彼ら商人もまた、「江湖」の一員なのです。 世界で、中国人とユダヤ人が一番の商人であるという話はよく聞きます。 それは、やはり国家の後ろ盾がない、アウトローだからと言えるかもしれません。 20世紀30年代に、連闊如氏が<江湖丛談>という新聞の連載記事の中で、江湖商人の騙しの技術について書かれております。そして、その本中にしっかりとこう書かれております。 社会里的人士管蒙騙人的方法叫生意社会の人々は、人を欺き騙す方法を、商売(生意)と呼びます。現在の日本人は、そのほとんどが会社という組織の中で働いており、有る程度の生活は保証されております。しかし、中国では、つい最近まで何の社会保証も与えられず、どこにでも有るような商品を売って利益を上げ、生計を立てなくてはいけない人々が大勢いました。 そこには、非常なまでの厳しさがあります。その厳しさに負けない為に、かれらは、騙すこともいとわなかったのではないでしょうか。生きていくという言葉「生意」が商売という意味を持ったのもうなずけます。 連闊如氏の<江湖丛談>中には、さらに春点という隠語が紹介されております。
このような隠語が各業界に存在し、その総数は、4万語とも5万語とも言われているそうです。 さて、この隠語いろいろな使い方があるようですが、その使い方の一例も紹介されております。 有る薬売りが病院にきます。 そうすると病院の関係者がその薬売りに、 隠語を使って、そこの患者についての情報を流します。 薬売りは情報をもらって、患者を診ますが、 的確にその患者の容態を言い当てます。 そして、その病気に効く薬を紹介するのです。 患者とその家族は、薬売りの言い値で薬を買うでしょう。 |








