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ラスト・コーション《色・戒》の封切りの為、24日に李安監督、湯唯が日本へ行ったようですね。 |
ラスト・コーション
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口占:口を突いて自然に詩が出来たと謂う意味。 ※唐代詩人の詩題は口號と書き、その後の詩人達は「口占」と書く様になった。特に清代の詩人に多く見られる。 この詩の訳文を探しておりましたが、なかなか見つかりません。一部解説してあるページがありましたので、ご紹介します。 慷慨(かうがい)して、燕市に歌ひ 從容(しょうよう)として楚囚となる 刀を引き一たび快を成せば 負(そむ)かず少年の頭に。 慷慨歌燕市:意気高らかに燕の市で歌っていた荊軻のように 從容作楚囚:騒がずに悠々と囚われの身となろう。 引刀成一快:刀を引き寄せて、素速く引き抜けば。 不負少年頭:若い時代に心に誓った「壮遊」の精神に悖ることはない。 慷慨(kang1kai3):意気が昂ぶって盛んなさま。ここでは燕の市での荊軻のさまをいう。
※史記・刺客列傳に出てくる人物。戦国七雄の一人。 燕の太子丹より、強大になってきた秦王政(後の秦の始皇帝)の暗殺を命じられた荊軻は、 匕首を授かり秦に向かって旅立つ。決死の旅ゆえ、太子をはじめ皆は白の喪服に身を包んで、燕の国境である易水のほとりまで見送り、惜別に際して、高漸離が筑を奏で、荊軻がそれに合わせて歌ったのがこれである。 從容(cong2rong2):悠々としているさま。ゆったりと落ち着いているさま。 楚囚:囚われた楚の人。異国に囚われの身となっても、郷国の作風を失わない囚人。 引刀:刀を引き寄せる。 一快:速い。鋭い。すばやく(抜く)。 負:そむく。期待を裏切る。 少年頭:若者のの黒い髪の毛。若者時代の決意。 ラスト・コーションの中でも、Kuang裕民が劇団の仲間を暗殺計画に引き込むために 「引刀成一快、不負少年頭」この句をつかい説得します。この詩のなかでも特にこの句が有名で、よく引用されます。あなたの中文の中にもいかがでしょうか。文章が一気に高尚になること間違いなしです。 |

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映画の易氏が、丁黙村で有ることは、先に書きましたが、 王佳芝は、鄭苹如です。鄭苹如は浙江蘭渓の人で、1918年生まれ。父は、鄭鉞、別名英伯。彼は、若いころに日本の法政大学に留学、孫中山と革命に奔走。同盟会に加入し国民党の元老でありました。 彼は東京で日本旧名家の娘木村花子と知り合います。花子は中国革命に非常に同情し、結婚後花子は夫と中国で暮らし、名を鄭華君と改名。彼らは二男三女をもうけ、鄭苹如は次女。彼女は幼い頃から聡明で、人の気持ちをよく察し、母親から流暢な日本語を学んでいました。 鄭英伯は帰国後上海復旦大学教授を務め、また江蘇高院第二分院の首席検察官をつとめたこともあります。鄭苹如は明光中学に行っておりましたが、その時の中学の校長が丁黙村でありました。 抗戦が始まってから、鄭苹如は抗日救国運動に参加。上海陥落後、彼女自身の卓越した条件(社会的人間関係と日本語能力)によって、抗日の地下工作を行います。中統に加入当時わずか19歳。 鄭苹如はきわめて優秀な諜報員で、彼女は母親の人間関係を利用し、日本側の高級幹部の内、日本首相近衛文磨が上海に派遣した早水親重と関係をつけ、早水の紹介で近衛文磨の息子近衛文隆、近衛忠磨、および華中派遣軍副参謀総長今井武夫などと知り合いになります。 丁黙村暗殺汪精衛政権は、当時上海の極司菲爾路(現在の万航渡路)76号に、スパイ工作本部を設立。主任丁黙村は原軍統(国民党特務組織)第三所所長、売国奴の李士群と日本側に寝返って、抗日を邪魔しておりました。 中統上海潜行組織の責任者、陳果夫の甥にあたる陳宝華(馬編)は、彼の弱点である好色をついて、「美人計」を考え、彼の抹殺を決定します。中統は、時機が来たのを見て暗殺にかかります。 初回、鄭苹如は丁黙村を彼女の家に招待。鄭家付近に狙撃者を張り込ませます。彼の乗用車がもうすぐ鄭家に着く時、彼は考えを変え、帰ってしまいます。 第2回、1939年12月21日丁黙村は滬西の友達のところで、昼食をとっておりました。彼は鄭苹如に電話して誘い出し夕方まで一緒に過ごします。丁は虹口へ行かなければいけないと言い、鄭は南京道に行かなければならないといいます。一緒に車に乗り、静安道、戈登路(現在の江寧路)のシベリア皮革製品店まで来ると、鄭苹如が急に毛皮の外套が買いたいと言い出します。彼も彼女と一緒に車を降り、一緒に外套を選びます。しかし、その時彼は気づきます。ガラスの窓の外に、2人の不審な男がこちらをじろじろ見ているのに。丁は情勢が怪しいことに気づくと、オーバーコートのポケットから札束を取りだし、ガラスケースの上に置き「自分で選んで。俺は先に帰る。」と言い残し、外に駆け出します。 店の外を徘徊していた中統特務は、丁黙村が、外套も選ばずに飛び出して来るとは思いもせず、一瞬躊躇します。丁の運転手は、彼が狂走して来るのを見つけ、エンジンをかけ、ドアを開けます。銃声が鳴った時には、彼はすでに車内の中に入り込んでいました。銃弾は、防弾車に撃ち込まれますが、彼には全く傷は有りませんでした。 彼女は、自分一人で彼を暗殺する事を考えます。拳銃を隠し持ち。しかし、丁もすでに彼女を捕らえる網を張っておりました。翌々日、鄭苹如は、車で76号行き、丁黙村を尋ねます。しかし、そこですぐに丁の側近林之江に拘留されます。李士群の妻、叶吉卿はすぐにそのことを知り、沈耕梅を行かせて尋問させます。丁黙村は、阻止することができません。鄭苹如は彼女と中統の関係を否認。しかし、丁を殺そうとしたことは、彼にもてあそばれたからだと認めます。丁黙村は鄭苹如が、自分の暗殺に関係したことを恨みます。しかし、彼女の美しさに未練があり、彼は彼女を死地送ることはできませんでした。 しかし、丁黙村の妻、趙慧敏は密かに林之江を捜し出します。そうして、鄭苹如は、秘密裏に憶定盤路三十七号の「平和救国軍」第4路司令部内に移されます。このことは、丁黙村も李士群も知りませんでした。1940年2月ある月の光の無い晩、林之江は、囚人室から丁黙村が呼んでいると鄭苹如を連れだし、車で歪んだ道を通り、滬西中山路の空き地に着きます。 鄭苹如は、3発の銃弾に倒れます。当時わずか23歳。 |

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