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P.F.ドラッカー「ネクスト・ソサエティ」に書かれた、日本の現状。
2002年5月に出版された本であるが、現在でも納得できる内容である。 □日本の状況をどうみるか? アジアでリーダー的な地位にある国が日本である。だが今日の日本は、本質的にヨーロッパの国である。もっと悪いことには、19世紀のヨーロッパの国である。だからいま、麻痺状態にある。 私の父が働いていたころのオーストリアや絶頂期にあったフランスのように、基本的に日本という国は官僚によって運営されている。政治家は大きな存在ではなく、しかも疑惑の目で見られがちである。無能であったり腐敗していたとしても、それほど驚かれる存在ではない。しかし、官僚が無能であったり腐敗していることがあきらかになればショックである。日本はいまそのショック状態にある。 日本の官僚と同じように、ドイツやフランスの経済関係の高級官僚も55歳で退官し、監督していた企業や産業団体に高級をもって迎えられる。日本ではもう少しスマートに行われる。自らの省庁に忠誠をつくす。いかなる侵食も許さない。大蔵省(現財務省)の例に見られたように、ときには経済をおかしくしてもがんばる。そうして産業界や金融界に高給をもって迎えられる。 日本の産業のすべてが効率的で競争力をもつとの説は、まったくのまちがいである。国際競争にさらされている部分は、先進国のなかでもっとも少ない。自動車と電子機器の二つの産業が中心である。全体の約8%にすぎない。したがって、日本にはグローバル経済の経験がほとんどない。産業のほとんどが保護されたままであり、おそろしく非効率である。紙を輸入することになれば、大手の製紙会社は二日もしないうちに消えるかもしれない。 金融サービス業でも、門戸を開放した都度、アメリカその他の金融サービス機関に市場をもっていかれている。すでに外国為替取引は外国企業に握られた。外為のトレーダーになるには英語が不可欠である。二カ国語は流暢に話せなければならない。日本語はジュネーブではあまり使われない。資産管理の市場が開放されたときも、半年後には外国企業にとられてしまった。日本には腕の良い資産管理マネージャーがあまりいなかった。 今の日本の銀行をみていると、第一次大戦の直後に私の父親が頭取を務めていたオーストリアの銀行を思いだす。一人で出来ることを四人でやっていた。1923年というのにタイプライターも使っていなかった。計算機もなかった。ところが、そのきわめて非効率で人員過剰の銀行が収益をあげていた。当時のオーストリア=ハンガリー帝国では、年5%の金利に抵抗がなかったからである。中小企業には銀行しかお金を借りるところがなかった。 ところが第一次大戦後、状況が一変した。帝国は解体され、貸し付けは不良債権化し、借り手がいなくなった。プラハやクラクフの支店からの引き揚げ者を雇用し続けなければならなかった。利益はあげられず、あげた利益も間接費でくわれた。これが今日の日本である。 特定の大学からの継続採用という1890年ころから続いている慣行のせいで、つい2年前まで、業績が悪化する一方であるにもかかわらず、六つの大学から2000人の新卒者を採用した企業がある。昼間はほとんどすることがなかったという。夜は上司に連れられて飲みに行っていたという。これが仕事といえるだろうか。 □19世紀のヨーロッパの国としての日本は、21世紀の大競争時代をどう生きていくのか? いま言ったことすべにかかわらず、日本を軽く見ることはできない。一夜にして180度転換するという信じられない能力をもっている。ただし助け合いの伝統のあまりない日本では、痛みは耐えがたいものとなろう。 1637年に、日本は、ヨーロッパ以外の国ではもっとも貿易がさかんだったにもかかわらず、突然鎖国をきめた。半年で国を閉じた。1945年には戦争に負けた。いまから10年前に突然ドル高がやってきたときには、ただちに生産拠点をコストの安いアジアに移した。華僑ともパートナーシップを組んだ。中国本土でもメーカーとしての地位を築いた。 日本は劇的な転換が得意である。一定のコンセンサスが得られるや、ただちに転換する。今度の場合は、おそらく何らかの不祥事が大変化の口火となる。大銀行の倒産がそれかもしれない。 今日までのところ、日本は問題が突然なくなるか、徐々になくなるかすることを夢見ている。脆弱な金融システムに取り組むことを先送りにしている。だが時の経過とともに、そのようなことはありえないことが、さらに明らかになっていく。 |
中国事情
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