日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

ご無沙汰してます!

昨年の10月21日以来の投稿です。

実に多くの事が起こり日記のネタは山ほどあっても

何から手をつければいいかも判らず

ズルズルと8ヶ月が過ぎようとしています。

この8ヶ月に起こった事を少し書いていきます。

施設入所中の義母は昨年の9月初旬に危険な状態で

主治医から『今回は覚悟しておきよ』と言われ

食事も極端に減り毎日ベッドで寝たきりでした。

10月も終わろうという頃にリクライニング車椅子で食堂まで出て来て

食事も少し摂れるようになりましたが目は虚ろ焦点が定まらず

呼びかけにもわずかに反応するくらいでした。

それでも12月を迎える事が出来ました。

眠りのリズムが赤ちゃんと同じように20時間ほど。。。

目覚めると食事も出来る事に驚きました。

腎臓機能が衰えたのか浮腫みが見られるようになりました。

12月24日には施設のイベントでサンタやトナカイの着ぐるみの

ボランティアの美容師さんが大勢、来られ
イメージ 1

義母も
右側のトナカイさんにカットしてもらいサッパリとしました。

暮れの27日には浮腫みがひどく

主治医から『利尿剤はかえって体力を消耗するので投与せず自然に任せ

る』との説明がありました。これは4〜5年前の危篤の際に主治医と

我々、家族の合意で延命治療はしない事を決めていたので確認です。

正月の準備もどうしようかと迷うほどでしたが29日には浮腫みも消え

食事も出来て嬉しい驚きでした。

一応、迎春の用意もしておこうと買い物や支度に時間を割きました。

大晦日には脚やお腹の浮腫みが背中や肩まで広がり家族の付き添いが

必要と言う事で義兄と夫が交代で泊り込みました。

三が日も交代で泊り込みこんな時に38度以上の発熱があった私は

熱が下がるまで自宅待機でした。

やっと、熱が下がった8日に二日連続で泊り込んでいた夫に代わろうと

朝、出掛ける車の中で息を引き取りそうだと電話があり飛んで行くと

待ってくれていたかのように10分ほどで息を引き取りました。

律儀な義母はみんなに迷惑を掛けないように

松の内が終わるのを待って逝きました。

96歳でした。

義父母はそれぞれ98歳、96歳と天命を全うしました。

そんなこんなで年を越しました。

足掛け15年の介護生活とも義母の他界で一応終え、

それまでは何をしていても頭のどこかに実母・義父母の事があった

状況からは解放されました。

子育ては成長につれ手が離れて行きますが介護は日に日に手がかかる

ようになり、気も抜けない状態になるので施設やヘルパーさんの力を借り

る事で乗り切る事が出来ました。

義父母がお世話になった施設は女医さんが立ち上げたところで

特別養護老人ホームではあっても手厚くターミナルケアもしてくださり

最期まで義父母には床ずれが出来ませんでした。

泊まり込んで居る時、2時間毎にスタッフが来て体位交換をしてくれる

と感謝していました。自宅で家族だけでは到底出来ない長期に亘る

手厚い介護でした。

その間にも日吉大社への日帰りドライブや小学校のクラス会、

ディナーショー、立川談春の12ヶ月連続独演会、

近江八幡の左義長、大学のクラブの同期の近畿在住女子会(ばば会)

などお楽しみもしっかりこなしています。それらの報告はまた後日。









初めての胃カメラ

9月よりやっと復調して友人に『元気になったよー』と連絡したらうれしい事に
アチコチからお誘いが・・・(*^∇^*)☆・゚:*ぅれしぃ☆・゚:*

で、ついついアチコチに顔出しして週3日ランチ
や飲み会に馳せ参じた結果、
暴飲暴食がたたって、胃の調子が悪くなり
生まれて初めて胃カメラ
の検査を受ける事になりました。

家人や友人に聞くと『二度としたくない』
『ずっと、えずいて苦しかった』
『あんなのを飲み込む事自体、無理!』とかマイナスイメージばかり。
看護師さんには『Σ(´Д`lll)エエ!!  貴女、胃カメラ初めて?40歳過ぎれば
年に1度は受けなくっちゃ!』とか言われ・・・それまではバリウムでした。
バリウムも検査後の下剤が不要なくらい敏感な私の体は異物を察知すると
即、排出にかかり6階の保健所でバリウム飲んだ時には終了後、各階のトイレに
駆け込み1階に下りるのにずいぶん時間が掛かった経験があるので
胃カメラなんてトンでもない受け付けてくれるか心配で前日からドキドキ
していました。

いよいよ、当日。

まずは腹部エコー検査で肝臓・胆のう・すい臓・腎臓・十二指腸を見てもらい
内視鏡の部屋に・・・
入るなり『これを飲んでください』と紙コップに1/3ほどの何かを飲まされ???
不味くはないけれど美味しくもない。隣の人に『何なんでしょう?』と尋ねても
『さーぁ?何なんでしょうね?』

検査の説明に来られたドクターが『胃の中は泡立っていますので消泡剤です』
『軽い安定剤を打ちますので万が一の事もあるのでサインしてね』と説明書に
サインさせられました。Σ(´ω`;)ショック・・・ を起こす人もあるそうです。

ベッドに呼ばれ横になれと言われ靴を脱いで横になろうとすると『靴は履いたままで』
Σ(´Д`lll)エエ!! そうなの?と横になると
咽喉に麻酔のスプレーを吹きかけられ飲み込めと・・・不味い!

で、エプロンをつけたドクターか助手が口元に猫用の紙製オシッコマットのようなのを
敷いて『よだれが沢山出るので飲み込まずダラダラ出してください』と・・
『では安定剤を静脈に注射
しますよ。チクッとします』チクッともしなかった。
(この人注射
上手だわー)
『口にくわえてください』とプラスチック製の開口具を噛ませられ・・・

何故か椅子に座っていました。『あれ?検査は?』『終わりましたよ』

よだれの痕も咽喉の違和感も痛みも何も無し。隣を見ると先ほどの女性が同じ姿で
椅子に座って眠っている。反対側には男性がやはり座っている。
どうなてるんだろう?ベッドから降りた覚えが無いので???
時間は10分ほどしか経っていません。


『気がつかれたら消化器内科の診察室へ』と言われ行くと、ドクターから検査結果の
説明がありました。
胃も少し荒れていて年齢による慢性胃炎の判定がついているものの治療の必要は無く
エコーで見た各臓器にも異常は無かったので一安心。アルコールも症状が取れたらOKと
言われ\(★^ω^★)/やたぁ〜

精神安定剤で完全に意識不明
って何なんでしょうねー
でも、まだ胃もたれが少しあるので油断禁物ですね!

胃カメラの検査も向上しているのですね。
こんなに楽なら毎年受けてもOK!
かも・・・

愛着のあるもの

イメージ 1


アルミ製の鍋です。
大きさはセブンスターと比べてわかる様に4リットルか5リットルのものです。
もう一つこれの小型のミルクパンもあったのですが残念ながら母の認知症が進んで火にかけたまま焦がし再起不能になったので処分しました。それが無ければ今でも現役でした。

父が結婚前に購入して独身時代に使っていたもの。結婚前なので私よりずっとお年寄りです。

70年ほど経っていると思います。
今でもカレーやシチューの時、煮物に大活躍です。
家族だけでなく店の従業員さんにも夕食を作っていた頃この鍋で母はご飯も炊いていました。
ガス火でです。ガス釜や電気釜が世に出てもしばらく
『この鍋で炊いた方がおこげも出来て美味しい』と・・・
手入れの時、指先に力が入らないので少し焼け焦げがこびりついていますが力のある男性が磨けばピカピカになるはずです。

イメージ 2


鍋の上にある竹製のしゃもじは煮込み物を混ぜたりチャーハンを作るのにとても重宝しています。竹製のしゃもじは義父に作ってもらいました。
実父が19歳頃に大連に居る時、裏の竹やぶの竹で箸を作り、ずっと使っていました。
が亡くなった時、その箸をお棺に入れたので35年ほど使っていたことになります。
その時にも竹製品は丈夫で長持ちするし使い易いと思ったので器用な義父には箸やスプーン、しゃもじなど色々頼んで作ってもらいました。
実父や義父が亡くなった後でも鍋やしゃもじは残ります。
古くても愛着があるので使えるものはずっと使って行きたいです。
まだまだ、現役ですね!

ミミの散骨

こんにちは!

随分ご無沙汰していました。

ミミ
が亡くなってからやたら忙しくドタバタしており日記も書けないでいました。
6月からミミ
の遺骨をどうしようかと思い一番いいのは母が飼っていたネコですので母の眠る海に散骨してやるのが母も喜ぶだろうと考え沖縄行きを計画していました。チケットはWebで取り散骨場所までのチャーター船の予約も済ませあとは当日を待つばかりでした。

9月に入るなり特養施設入所中の96歳の義母
が39度2分の発熱があり高齢なのと5年前に同じような状態の時にドクターと家族で取り決めた投薬・点滴・導尿・酸素吸入以外の処置はしないと言う事でしたので義母の生きる力に望みを掛けるだけでした。毎日、施設に通い義母の様子を見に行きました。最初の1週間は予断を許さず家族に日々の状態を報告していました。今回は投薬だけでしたが3週間を過ぎた頃より安定して食事も少しずつ摂れるようになりお陰で沖縄行きを決行出来ました。 

最近はチケット
無しでもネットで予約していればANAクラブカードで搭乗手続きが完了するのですね。おのぼりさん状態で機上の人に・・・腰や脚の調子が悪く2時間ほどの飛行の間も辛いと困るなぁと思っていましたが快適に無事、那覇空港に。船のお世話をしてくださった方が空港まで迎えに来てくださり市内の牧志公設市場での昼食にもお付き合いいただき宜野湾のヨットハーバーに行きました。イメージ 1イメージ 2
は前回よりも少し小型で観光用ではなかったようですが宜野湾沖の母の散骨区域までは30分ほどで着き花と共に遺灰 (出発前にすり鉢で遺灰にするため粉状にしました)を撒きました。母の時と違い虹こそ立ちませんでしたが静かに海へと沈んでいきました。

今回は那覇での散骨だけではなく竹富島にも行きました。そのことはまた後日報告しますね。


沼田まほかるの『猫鳴り』を読みました。
イメージ 1
3部構成になっています。

1部は子どもを流産でなくした中年の夫婦が猫を飼うことになるまでの事が書かれていますが、猫嫌いと言うか子どもをなくした妻の心がまだ小さな生き物に対応できずとにかく、近づけないでおこうとひたすら捨てに行くのが哀れです。雨の中でも捨てに行きますが何度捨ててもこの仔は帰って来ます。近所の女の子がモンと名づけてその子から自分の代わりに飼ってくれるように頼まれ飼う事を受け入れるまでが描かれています。

2部は1部で登場する女の子の同級生の男の子と父親の話です。ここでは猫はあまり登場しません。
どうやら父親と二人暮らしの男の子は不登校状態で小さな可愛い生き物を見ると無性に傷つけたくなる衝動に駆られる心の闇を抱えもがいています。
小さな可愛い生き物には公園で遊ぶ幼児も含まれます。

3部は1部の夫婦の妻が亡くなり老齢の夫と猫の話です。
モンと名づけられた猫は20歳になっており病気に罹ります。この3部は5月に亡くなったウチの飼い猫のミミと同じ経過をたどるので、かなり参りました。最初の兆候が見えたときから症状が進んで行く過程が克明に描かれそれがミミと一緒でした。
義父は昨年の8月に98歳で亡くなったのですが義父の症状とも一緒でした。
生き物は同じ病気に罹るとほぼ同じ経過をたどるのだなぁと妙に納得しました。

かなりシリアスな内容ですが1部の中年夫婦、2部の不登校の男の子、両方とも作者は嫌悪感をもっては描いていません。表面的には考えられない行動でもその底にはそれぞれの理由がありそれが引き起こす行動には問題があっても作者は大きな心で描いています。

表面的に捉えるなら嫌悪感を持って読むことを躊躇う描写もありますが最後には救いがあります。
心に残るいい作品だと思いました。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
ももっちょ
ももっちょ
女性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

標準グループ

登録されていません

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事