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フィリピンの日々のニュースのメインを飾るのは、殺人・麻薬・事故など、暴力・犯罪・危険にあふれたものばかり。しかし、それはフィリピンの一面であって、ひとたび庶民の生活空間に入れば、やさしさと思いやりにあふれた社会であることも間違いない事実です。
フィリピンの社会には、いろいろなレベルでの序列があります。一般的なものは、経済力による序列・学歴による序列・年功序列などが代表的なのとして挙げられます。
フィリピンパブなどでも、『クーヤ:お兄さん』、『アーテ:お姉さん』、『ブンソ:年下の兄弟』という言葉をよく耳にする機会があると思います。ここにも擬似家族の概念の中で、年功序列社会の構造が見て取れますね。
一方、日本では急速に高齢化が進んでいますね。先日こんな光景に出くわしました。
JRの車内の優先席前での会話です。ドアが開いて、駅から老人たちがわれ先にと優先席を目指します。あっという間に優先席は老人で埋まりました。幸いにも元気あふれる若者がさっと席を確保して1人半分のスペースをとってふんずり返ったりする光景は見ないですみました。まあよかったな、と思っていたとき、席を取れなかった80歳くらいの老人が目の前に座っているこれまた老人に興奮した口調で話しかけました。
「あなた、私がちゃんと並んでいるのに後ろから割り込んでずるいじゃないですか。私は80ですよ。あんたいくつですか?」
話しかけられた老人は一瞬あっけに取られた様子で
「私は70ですけど」
と答えました。すると80歳の大老人は、
「70なんてまだ若いんだから立ってればいいんですよ」
と独自の老人の定義で、追い討ちをかけます。
これには70老人もすぐさま反論。
「私もあなたも同じ老人ですよ。私もここに座る権利があるんです。私の方が前に並んでいたから座れたんです。私に何もやましいことはありませんよ」
周辺の乗客は、たちまち2人の『老人』の戦いに注目。80大老人が反論します。
「私は何も席を譲れって行ってるんじゃないんですよ。大年寄りを押しのけて座って、前に立ってても平気なあなたは思いやりがないって言ってるんですよ」
70老人もまた反論。
「あなたはもう引退してご隠居の身分だと思いますがね。私はまだ仕事やってて疲れてるんですよ・・・」
この二人の『戦い』はどんな風に終結するのか非常に興味があったが、目的地に到着して未練を残しながらも私は下車しました。
高齢化の中で、老人の中でもさらに細かく年功序列をつけなきゃいけないのかなあ。たとえば若老人、老人、大老人など・・・なんて他人事のように思いました。しかし、そもそも『優先席』なんてものがあること自体、そんなものをわざわざ作らなければいけない社会が、思いやりにかけた日本の社会の一面なんだなあと思ったのです。
フィリピンに目を転じると、ジープにしろ、トライシクルにしろ、バスにしろ、優先席なんてありません。しかし、老人や妊産婦が乗り込んでくれば、若者は黙って席を譲るし、さらに女子学生が乗り込んでくれば、男たちは黙って席を立って譲るレディファーストも当たり前のように定着しています。ジープに子供が乗り込んでくれば、転ばないようにと乗車口近くの乗客が子供の手を取ったり、抱き上げて乗車を手伝い、障害者が盛り込もうとしたら、乗客は一度下車して障害者を抱え挙げて乗車を手伝うといったような思いやりが当たり前のこととして社会常識のように定着しているのです。
ときどき、フィリピンにそこそこ深くかかわっている人が、「フィリピン人はしつけられていない国民だ」とか、「フィリピン人の子供はしつけがなってない」などという日本人がいますが、大間違いだと思います。フィリピン人には日本人とは違った、フィリピン人なりのしつけや常識があり、現代の日本の子供たちより(大人たちも?)よっぽどしっかりしつけられているとも思います。
若老人VS大老人の戦いの一件以来、『優先席』のある国の一員であることを恥ずかしく思い、やさしさの国フィリピンを改めて見直した私です。
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