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*写真:漁師の子供たち。本文とは直接関係はありません。(2005年5月、著者撮影)
大きな書店に行っても、新聞広告を見てもいつも思うことだが、日本では、『人生をいかに豊かに生きるか?』など、生き方に関する本が多数出版され、多くの読者を獲得しているようだ。
われわれ日本人の多くは、会社員として、経営者として、また自営業者などとして、定職を持って最低限、食うに困らない生活を享受しているから、『人生の質をどう高めていくか=いかによりよい人生を過ごすか』を考える時間と気持ちのゆとりもある。
しかし、潜在失業率が50%以上とも言われるフィリピンでは、まず飢えずに生存し続けることが死活問題。人生の質云々よりも『死なずに今日を生きてしのぎきる』ことが先決だ。
以前、ミンダナオの漁村で、漁師の子供に何気なく
「将来何になりたい?」
と月並みな質問を、特に深い考えもなくぶつけてみたことがある。その子供は、一瞬「何をとぼけたことを聞いてるの?」という顔をしながら淡々と答えた。
「僕のお父さんは漁師だった。だから僕も漁師になるに決まってるじゃない。うちは貧乏だから学校にも行かれないし・・・」
淡々と答える少年の言葉に、『夢を実現する具体的な方策』などの次の質問を考えていた僕は言葉を失った。
単純だけど、根本的なことに気づいたからだ。
『人生を選べるのは最低限の衣食住を満たされた豊かな国の人々だけなのだ』と。
『今日をどうやって生き延びようかとしている人々には人生の質がどうのこうの言っている余裕はないのだ』と。
世界の中でも数少ない、経済的には『豊かな国』に生まれ育った自分たちは、せっかく与えられた『人生を選択できる権利』、『質の高い人生を追求する権利』を行使しなければもったいないと思った出来事だったし、愛する隣人フィリピンも経済発展を遂げて、多くの国民が今日を生き抜くことに汲々とした状態を脱して『未来の夢を語れる国』になってほしいという思いを強めた出来事でもあった。
生き方に悩むとか、人生に悩むなんてこと自体、衣食住の足りた、経済的に豊かな国の贅沢病なのかもしれない。
調査元は忘れたが、なにしろ『各国の幸せ実感度調査』では、フィリピンは堂々世界6位。経済的には貧しくとも日本人より幸福感を持って生きているのだ。『今を淡々と生きる』というフィリピン人の生き方に幸せ大国の本質を見る思いすら感じる。
そこにまた、幸せのありかを問う自分の姿があるのである。
幸せって・・・分からない!!
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