白野慎也のフィリピン・サリサリ・トーク

『旅の指さし会話帳』の著者、白野慎也がフィリピンの庶民生活への理解の深まる情報をお届けします。コメント大歓迎。投票もよろしく。

フィリピン人気質

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★愛する人よ その笑顔をいつも忘れないで!! 僕は笑顔のあなたが好きなんです(写真は本文とは関係ありません)

 日本には『謙譲の美徳』という概念があります。自分や身内のことは控えめに言うという、従来の日本の『常識』ですね。特に私(昭和30年代生まれ)以前生まれの方には、日本人のマナーとして意識の中にしっかりインプットされていると思います。
 おみやげを人に差し出すとき、「つまらないものですが・・・」、「ウチの息子なんてバカで、健康なだけがとりえですよ」、「ウチの女房は見掛けは悪いですが、気立てのいいヤツでね」なんていう言葉がその典型的な例で、日本人同士ならそのまますんなりと会話が流れていくでしょうし、逆に「これはすごいおみやげですよ。高かったんですから」とか「ウチの息子は頭はいいし、スポーツは万能だし」とか「ウチの女房は美人で性格もよくて最高の女房ですよ」なんていったら、「何この人? イヤミな人、傲慢な人、ぶしつけな人、親バカ、常識のない変な人」といった評価を受けてしまうでしょう。

 しかし、これがことフィリピン人相手だと、受け止められ方が全然、違ってきます。おみやげを渡すときに「つまらないもの・・・」なんていったら、「つまらなくて自分は要らないからくれるのか?」と言葉どおりに受け止められますから、うれしさも半減以下になってしまうでしょう。
 ですから、たとえば「これおみやげです。一生懸命選んでみました。みなさんの好みがわからなかったんですけど、気に入っていただけるとうれしいんですが・・・」というようなストレートで前向きな言葉を添えるべきだと思います。

 そうです。おみやげもウチの息子も『謙遜』してもそれほど問題になりません。『取り扱い要注意』なのは、フィリピン人の『ウチの女房』、『ウチの旦那』なのです。たとえば、奥さん同席の場面で、話し相手に『ウチの女房は見掛けは悪いですが・・・』、『ウチの女房はスタイルはイマイチですが』とか『ウチのは美人かもしれないですが、頭が悪くてねえ』などと、言ったら、個人差はありますが、フィリピン人の奥様は一瞬のうちに、深く傷つき、人前で侮辱されたと怒ることは間違いありません。言葉を100%、文字とおり受け止めてしまうからなのです。
 
 そうです。フィリピン人にとって通常、『謙遜は侮辱』であり、『謙遜は悪徳』なのです。

 そして『侮辱』によって生まれた、その怒りの表現は、奥様が育った環境などによっても違います。「自分の不快な感情は、人前で表してはいけないよ」とお母さんやおばあさんにきびしく教え込まれたフィリピーナならまだ救われます。その場での『制裁』は免れるでしょう。しかし、普通のフィリピーナなら、カノジョを侮辱したその瞬間から急に不愉快な顔になり、話し相手の見えないところでお尻を思い切りつねられたり、「ナンデ ソンナコト イウノ?」とか「ワタシヲ バカニシタナ」といって猛反論してきたり、場合によっては、その場ですぐ席を立っていなくなってしまうこともあるかもしれません。
 話し相手と同席中は、『制裁』を逃れた旦那様も家に帰ったらただではすまないでしょう。『なぜ人前で自分を侮辱したか』について、しつこく尋問され、あなたの答えが納得いくものでないとそれがだんだんと肉体的な暴力にも発展していくこともよくあります。拳骨で叩く、平手打ちする、ひっぱたく、蹴る。感情を抑えられなくなったフィリピーナは時に本当にこわいですのでご注意下さい。近くに刃物があったりしたら、命にかかわりますよ。

 おとなしい奥様でも、何日も(場合によっては何ヶ月も)口を利いてくれなかったり、ご飯を作ってくれなかったり、同じベッドや隣り合った布団で寝ることを拒んだり、『心ならずも犯してしまった侮辱』の代償は大きいのです。

 では、どうすればいいのか? 彼女たち(彼氏たち)に『謙譲の美徳』という日本の美意識を可能な範囲(日本人側の言語力と日本人の価値観・美意識を理解させようという熱意に応じて)で、早いうちに説明しておくべきだと思います。また、「悪しき感情を人前で表すことはマナーに反する」ということもあわせて説明しておくと、少なくとも、人前でみなさんがフィリピン人配偶者の、日本式マナーに反する行動で恥ずかしい思いをする機会は減るでしょう。

 ただ、いくら日本の『常識』について頭でわからせたからといって、日本式『謙遜』で奥様(旦那様)を『侮辱』しまった以上、家に帰ってから、あなたの『安全』は保証の限りではありません。『侮辱』したからには、そのたびに十分な説明と謝罪が必要なことは間違いなさそうです。 

 国際結婚は日々外交。文化の壁を乗り越えるための『説明責任』が強く求められるのは、国際政治・外交の分野だけではなさそうです。先輩カップルのみなさんの幸せで平和な結婚生活のための『外交努力』に期待しております。

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 フィリピンの日々のニュースのメインを飾るのは、殺人・麻薬・事故など、暴力・犯罪・危険にあふれたものばかり。しかし、それはフィリピンの一面であって、ひとたび庶民の生活空間に入れば、やさしさと思いやりにあふれた社会であることも間違いない事実です。

 フィリピンの社会には、いろいろなレベルでの序列があります。一般的なものは、経済力による序列・学歴による序列・年功序列などが代表的なのとして挙げられます。
 フィリピンパブなどでも、『クーヤ:お兄さん』、『アーテ:お姉さん』、『ブンソ:年下の兄弟』という言葉をよく耳にする機会があると思います。ここにも擬似家族の概念の中で、年功序列社会の構造が見て取れますね。

 一方、日本では急速に高齢化が進んでいますね。先日こんな光景に出くわしました。
 JRの車内の優先席前での会話です。ドアが開いて、駅から老人たちがわれ先にと優先席を目指します。あっという間に優先席は老人で埋まりました。幸いにも元気あふれる若者がさっと席を確保して1人半分のスペースをとってふんずり返ったりする光景は見ないですみました。まあよかったな、と思っていたとき、席を取れなかった80歳くらいの老人が目の前に座っているこれまた老人に興奮した口調で話しかけました。
「あなた、私がちゃんと並んでいるのに後ろから割り込んでずるいじゃないですか。私は80ですよ。あんたいくつですか?」
話しかけられた老人は一瞬あっけに取られた様子で
「私は70ですけど」
と答えました。すると80歳の大老人は、
「70なんてまだ若いんだから立ってればいいんですよ」
と独自の老人の定義で、追い討ちをかけます。
これには70老人もすぐさま反論。
「私もあなたも同じ老人ですよ。私もここに座る権利があるんです。私の方が前に並んでいたから座れたんです。私に何もやましいことはありませんよ」
 周辺の乗客は、たちまち2人の『老人』の戦いに注目。80大老人が反論します。
「私は何も席を譲れって行ってるんじゃないんですよ。大年寄りを押しのけて座って、前に立ってても平気なあなたは思いやりがないって言ってるんですよ」
70老人もまた反論。
「あなたはもう引退してご隠居の身分だと思いますがね。私はまだ仕事やってて疲れてるんですよ・・・」
 この二人の『戦い』はどんな風に終結するのか非常に興味があったが、目的地に到着して未練を残しながらも私は下車しました。
 
 高齢化の中で、老人の中でもさらに細かく年功序列をつけなきゃいけないのかなあ。たとえば若老人、老人、大老人など・・・なんて他人事のように思いました。しかし、そもそも『優先席』なんてものがあること自体、そんなものをわざわざ作らなければいけない社会が、思いやりにかけた日本の社会の一面なんだなあと思ったのです。

 フィリピンに目を転じると、ジープにしろ、トライシクルにしろ、バスにしろ、優先席なんてありません。しかし、老人や妊産婦が乗り込んでくれば、若者は黙って席を譲るし、さらに女子学生が乗り込んでくれば、男たちは黙って席を立って譲るレディファーストも当たり前のように定着しています。ジープに子供が乗り込んでくれば、転ばないようにと乗車口近くの乗客が子供の手を取ったり、抱き上げて乗車を手伝い、障害者が盛り込もうとしたら、乗客は一度下車して障害者を抱え挙げて乗車を手伝うといったような思いやりが当たり前のこととして社会常識のように定着しているのです。

 ときどき、フィリピンにそこそこ深くかかわっている人が、「フィリピン人はしつけられていない国民だ」とか、「フィリピン人の子供はしつけがなってない」などという日本人がいますが、大間違いだと思います。フィリピン人には日本人とは違った、フィリピン人なりのしつけや常識があり、現代の日本の子供たちより(大人たちも?)よっぽどしっかりしつけられているとも思います。

 若老人VS大老人の戦いの一件以来、『優先席』のある国の一員であることを恥ずかしく思い、やさしさの国フィリピンを改めて見直した私です。

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 クリスマスまで、ちょうど2ヶ月、フィリピンでは本番に向けてますますカウントダウンが日々熱を帯びてきていることでしょう。というわけで、クリスマスプレゼントに関する投票、もう奥様がいる方も、彼女・彼女候補がいる方もよろしくお願いいたします。また、本物の愛のゴールに達するまでの道のりのけわしさ(?)を計る投票もご協力よろしくお願いいたします。
 今日の話題は、フィリピン人の栄養感覚です。私は、1989年8月に、やはり当時17歳のエンターテイナーとつかの間の恋に落ちて以来、平穏無事なサラリーマン稼業から徐々に方向転換。1993年から1994年、会社を休んで、マニラのスモーキーマウンテンという当時東洋最大のスラムと言われた場所で、子供たちのためのボランティア活動に身を投じたことが、フィリピーナだけではなく、フィリピンの文化、映画、音楽などフィリピンのすべてにどっぷりはまり込み、今はフィリピン・カルチャー・ウォッチャー(フィリピン現代文化研究家)となってしまう決定的な転機になってしまったわけなのです。
 子供たちのためのボランティア? それはスラムの子供たちに学費や学用品を与えて小学校に通わせる、「奨学金プラン」や、子供の親たちが就業のために、裁縫・自動車整備などの技能を身につける「就業支援プラン」、身寄りのないストリートチルドレンの社会参加・更正のための施設の運営など、いろいろなプランを実行する民間ボランティア団体の一員として私は活動していました。
 セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンというかなり実績を挙げているNGOのマニラ事務所には、いろいろな専門家たちが在籍していました。教師、栄養士、看護婦、ソーシャルワーカー、自動車整備技師、裁縫訓練師、地域開発プランナーなどです。
 今日、紹介したいのは栄養士のテスです。テスは本名はマリテス、小柄ですが、笑顔がさわやかで、褐色の肌が健康的な、典型的『フィリピーナビューティー』でした。彼女は当時ピナツボ火山の噴火で被災した子供たちへのフィリピンスタイルの小学校教育プランの栄養指導を担当していました。そんな彼女が突然やせ始めたのです。「どうしたの?」と聞いたら、なんと「栄養失調なの」と言いました。
「えっ、栄養失調の栄養士?」僕は一瞬、笑いをこらえられませんでした。
「1日何回ご飯を食べてるの?」と聞くと、テスはちょっとはにかみながら「1回」と答えました。
 ちょっと待ってくださいよ、人に栄養指導する本人が、1日1回しか食事しないで、栄養失調になりながらじゃ、満足な栄養指導もできないでしょう。それにそんな人が指導しても説得力がないよなあ。
 私はそんな言葉を心の中でつぶやきながら、フィリピンのひとつの現実を知ったのです。
 こんなことがありました。「フィリピンでは1日いくらあれば生活できるかなあ」と、やはり事務所の同僚に尋ねました。彼は、平然と「あるだけのお金で生活するだけだよ」と答えました。「1日3食できるお金があれば3食するし、1食分のお金しかなきゃそれで我慢するし、一文無しなら食べられないってわけさ」と、彼は笑顔で付け加えてくれました。何とわかりやすく、また過酷なフィリピン経済。
 「今日の夜は何食べようかな」なんて悩むこと自体が、一部の先進国の人々だけに許された贅沢なんだと実感した出来事でした。 
 ですから、フィリピン人の奥様をお持ちを方、お子様の食事も奥様にまかせっきりだと「大変なことになりますよ」

 日本で『満員』と言ったら、普通バスにしろ、電車にしろ、座席が埋まる状態を言います。これが乗車率100%です。しかし、やはりわが愛するフィリピンには違う常識がありました。私はフィリピン滞在中は、音楽CD売り場の店員やその友達といっしょによく、遊びに出かけます。
 ある夜遊びの日、夜8時、みんなとの約束の時間です。日本代表の私はまだ『悪い癖(?)』が抜けずに時間通り到着。当然、誰も来ていません。今日の幹事役の友達は「参加者は7人だ」と言っていました。1人が大型ワゴンを持ってるからそれに乗ってみんなで、温泉に行こうという計画です。私は、「しまった。早くつきすぎた」と正直少し後悔しました。30分過ぎて1人、それからぽつぽつとメンバーがそろい始めます。誰も「遅くなってごめんね」なんて一言も言いません。これもまた、フィリピン流。気にしない、気にしない。そして、7人目ワゴン車を持った彼が現れたのが、11時。さあ、全員そろったぞ、と思ったら、その彼いわく。「車は兄貴が乗ってっちゃった」。しかも彼は2人の友達を連れてきました。
 えっ、じゃ車はどうするの? と僕の心配をよそに。「近いからタクシーで行こうよ。夜出し渋滞もないし。」の参加者の一人の言葉で。タクシーに乗ることに。しかし10人でどうやってタクシーに分乗するのかな。道はすいてるけどタクシーは少ないし。運の悪いタクシーが1台捕まりました。われわれ一同10人はその小型タクシイに重なり合い、横になり、縦になり、押し合い、へし合い、しかし和気あいあいと全員無事に乗り込んだのでした。タクシー運転手を含めて11人。私は『これは温泉じゃなくて行き先買えてギネス認定委員会に行ったほうがいいね』と言ったら、一同大爆笑。楽しい真夜中のハイキングを楽しみました。
 このように、フィリピンでは、『満員の定義』が、明らかに日本と違います。物質として乗り物の中に詰め込める人数の限界、それが本当の『満員』なのです。
 ですから、先進国の『満員』の発想を元に設計させた船や自動車に、フィリピン的『満員』の乗車、乗船をしたら、バランスを崩して横転などの事後が頻発するのは無理なないところです。また、船に関しては、長距離をきちんと泳げるフィリピン人は少ないため、一端船が転覆して海に放り出されたりすると、余計に死者が増えるわけなのです。
 『郷に入らば郷に従え』とは言いますが、これだけは時にちょっと従えない場合もありますね。
いたー、それにしても世界にはいろいろな常識があるものですね。

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 みなさんは今年5月末、フィリピンのミンダナオ島で元日本兵発見のニュースが飛び交ったのを覚えていますか? 私はそのとき、弊著『旅の指さし会話帳(14)フィリピン』第2版執筆の取材旅行でミンダナオ島西部のココナッツの茂る山の中を、デジカメ片手にフィリピン人の友人と歩いていたいた。同著の発売元の情報センター出版局の編集者の方から携帯電話をもらってニュースを知ったのです。結局は幻の元日本兵は出てこず、外務省もマスコミも踊らされただけだったのですが、私はここで問題にしたいのはこの件に関するフィリピン人の反応です。
 私はこの事件のことを聞いたとき、素直に信じ、60年もの間、終わった戦争に自分の人生の大半を捧げた同胞にただただ「気の毒だ」と同情。しかしフィリピン人の友人たちの反応は違いました。彼らは口々に「昔、日本人は悪いことをしたのね」と言ったのです。
 たしかに、立場が変わればフィリピンはアメリカ、そして日本に一方的に侵略されてきたのです。戦争の認識と被害者意識は、20歳前後のフィリピン人の心の中にもしっかり刻み込まれているのだなあ、と再認識したのでした。
 ちょっとしんみりした私の気持ちを知ってか知らずか、友達の一人が言いました。「でももう終わったことだよね」 私は少し救われたような気持ちになりました。良くも悪くもフィリピン人の『昨日を忘れる哲学』を実感した出来事でした。(その日私はこんな風景の中をフィリピン人の友達と歩いていました)

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