白野慎也のフィリピン・サリサリ・トーク

『旅の指さし会話帳』の著者、白野慎也がフィリピンの庶民生活への理解の深まる情報をお届けします。コメント大歓迎。投票もよろしく。

コラム

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 先日、書かせていただいたとおり、私は新刊書執筆のための取材、セブアノ語の学習などのため、今月の13日から約2ヶ月フィリピンに出張することにしたのですが、自分がメインで使っているクレジットカードやマイレージサービスの関係で、度重なる破産・人員削減・その他もろもろのサービス不行き届きで有名なN航空を利用することに決めました。

 このN空港、特にマニラ路線では、オーバーブッキングを日常的に行っていることでも知られていますが、利用するたびに帰りのマニラ航空の登場ゲートで
「ただいま2○名様のオーバーブッキングがあり、本日のフライトをご辞退いただけれるボランティアの方を募集しております。ボランティアの方には、アジア路線往復のフリーチケットと本日のホテルをご用意し、明日の同便へのご搭乗の権利を保障いたします」
と大体いつもアナウンスしています。
 日程さえ許せば、なんとおいしい『ボランティア』なんだろうと思いながらも、翌日の仕事が入っていたりしてなかなか応募する機会がなかったのですが、一昨年初めて応募した時は、『ボランティア』の応募が多く、応募が受理されずに残念な思いをしました。
 それはさておき、キャンセルが大量に出ることを前提にかくも多くのオーバーブッキングをいつも出しているなんてひどい会社だなあなどと思いましたが、このN航空、本当にマイレージの大安売りなんですね。

 今回の利用でも、オンライン・チェックインでボーナスマイルというキャンペーンが目に付いたので、同社のホームページを見ているときにコンピューターがフリーズ。やむなく、同社のサービスデスクの電話でキャンペーン内容についての問い合わせをしました。
 その時のオペレーターが、物凄くつっけんどんで、乱暴な口の聞き方をします。私はいつもかなり温厚な方ですが、ムカッとして
「アナタはどんなお客様に対してもそんな失礼な口のきき方をするんですか? あなたの応対振りについてカスタマー・サービスにレポートします」
 と言って、受話器をガしゃんと置いてしまいました。

 そしてその直後、この航空会社のカスタマー・サービスデスクにオペレーターの応対振りについてレポートのメールを送りました。
 すると1時間もしないうちに、丁重な謝罪のメールを受け取りました。N航空らしくない迅速な対応にちょっとびっくり。そこにはにお詫びに4000マイル差し上げます、というくだりもありました。何もマイルをせしめようとしてメールをしたわけではありませんが、結果として気持ちというのははっきり言葉や文書で表現しないのだな、と改めて実感した次第です。と同時にちょっと得した気分にもなりました。

 N航空の搭乗だけでなく、あらゆる乗り物の予約や搭乗、購入した製品やサービスに欠陥や不満があっても、黙っていればそれは埋もれてしまうだけですね。主張して初めて『問題』として認知されるわけです。

 以心伝心なんて慣用句がありますが、国際社会では表現しない思いは相手には通じないでしょう。対フィリピン人との恋愛やコミュニケーションだった同じでしょう。
「僕は怒ってる」、「君を愛してる」など、そんな思いはすべて言葉や文字ではっきり形にして表現しなければ伝わりません。

 みなさんは愛するフィリピン人の恋人候補・恋人や奥様に毎日愛の言葉のシャワーをこれでもかこれでもかというくらい浴びせていますか? 

イメージ 1

*マニラ市キアポ地区の海賊版VCD・CD・DVD売店(2005年5月、著者撮影)

 みなさんは日常の生活で、どれくらい著作権について意識されているだろうか? 自ら著作物を制作したり、仕事で著作物を使用して日本音楽著作権協会(JASRAC)などから無理やりむしりとられているパブなどの関係者の方などを除いて、毎日強烈に著作権について意識されている方はそんなに多くないかもしれない。

 われわれの隣人、フィリピンもなおさらのこと。著作権の意識はあったとしても、守ろうと意識はほとんど感じられない。音楽や映画などのVCD(ヴィデオCD)やCDの海賊版コピーも取締りの目を恐れながらも、依然として大量に販売されている。なんと言っても正規品の6分の1以下の安い価格が魅力だ。事情通によると、VCDはまともに鑑賞できないものも多いが、最近フィリピンでも増えてきたDVDはほぼ100%クリアで鑑賞にはまったく問題ない、という話だから困ったものだ。
 また、日本の音楽のフィリピン語版が、フィリピンで大量にリリースされているが、99%以上が完全に無許可の海賊版である。日本側に対し必要な手続き、著作権使用料の支払いなどはまったく行われていない。

 日本のポップスのフィリピン語版を制作するにあたっては、まず日本の作詞家・作曲家かその代理人である著作権者にフィリピン語版を作っていいかどうかの許可を求め、承諾をもらい(承諾してくれない場合も多い)、それからJASRACなどに所定の著作権使用料を支払う、という手続きを踏まなければならない。この手続きを踏んで初めてJ-POPSのフィリピン語版が合法的に世の中に送り出せるのである。この手続きを踏んでいないものはすべて海賊版だ。

 私も、物書きのはしくれとして、若干の被害にあっている。私の出版物の内容が、フィリピン系のサイトで無断で使用されていることなどは、枚挙にいとまがないし、自分の著作物のコンセプトを真似されて、私の本と間違えて読者の人が買ってしまう場合もある。

 つい先日もこんなことがあった。「フィリピーナにもてるためのマニュアル(電子出版物)を発行するので感想文を書いてほしい」という依頼のメールをもらった。その内容を見てみると、その冒頭から、拙著『恋する指さし会話帳フィリピン』の中の『あなたが愛されている、あるいは行為をもたれていると思われるときの行動』の部分がそのまま無断転載されているではないか!!

 『人のモノを勝手に無断転載して販売物を制作し、その感想文をオリジナルの著者に書いてほしい』という依頼にはさすがにムッとした。

 インターネットの世界、自分にとって身近なフィリピン系サイトでも、OPM(オリジナル・フィリピノ・ミュージック=フィリピン・ポップス)の歌詞の無断掲載などは、すべて立派な著作権法の侵害で、犯罪だ。サイト運営者やいろいろなレベルの著作物製作者・利用者の方々にも、『著作権者や人の著作物に対する敬意』と『法律を遵守するという意識』をより強く持ってほしいと思った出来事だった。

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 『じゃぱゆき』という言葉を聞いてみなさんは何を思うだろうか? 単に日本のパブなどで仕事をするために出稼ぎに来ているフィリピン人女性、それとももっとダークなイメージのものを思い浮かべられるだろうか?

 私にとっては、日本のパブなどに出稼ぎに来たフィリピン女性に対して、ある蔑視感を含んだ表現で、ひたすら使うことを避けてきたし、また、自分の気持ちの中でも10年くらい前には完全に死語になった言葉でもあった。実際フィリピンパブなどによく行く、あるいは行っていた読者の方も、『じゃぱゆき』という言葉を使うことはほとんどなかったのではないかと思う。

 しかし、この"JAPAYUKI"という言葉、フィリピンではしっかりと行き続けているし、日常語としてフィリピン語のひとつになっている。

 フィリピン人にとっての"JAPAYUKI"への印象は、ずばり『蔑視と羨望』だ。
 『蔑視』というのは、多くのフィリピン人たちは、日本に出稼ぎに行くエンターテイナーたちが、日本で売春していると思っている。したがって、JAPAYUKI=prostitute(売春婦)と思い込んでいるフィリピン人が多いのだ。だから、JAPAYUKIを見る目も、汚いものを見るような蔑視感をともなったものになるのも無理からぬことだ。

 『羨望』は言うまでもなく、彼女たちが稼ぎ出すお金に対する羨みである。スラムの中にドデンと豪華な家が建っていて、『なぜこの家だけがこんなに豪華なのだろう?』と思っていると、ご近所さんがPalasyo ng JAPAYUKI(パラーショ ナン ジャパユキ:ジャパユキ御殿)だよ、何て解説してくれたりする。そしてほとんどの場合、
「どんなことして稼いできたんだか?」
というような非難めいたコメントがおまけでついてくるのだ。ご近所さんたちの気持ちは『蔑視と羨望』そのものだ。

 JAPAYUKIという、ちょっと堂々と口にするのもはばかられる言葉が、フィリピン社会に深く定着していると実感をさらに深めたのは、私が3年ほど前、フィリピン人女性と外国人男性の出会いの場を提供するマッチングサイト(不本意だが日本語だと、出会い系サイト)のメンバーとなり、女子大生や会社員、デパートガール、教員、医師などの専門職、すなわち日本語を一言も話さない『普通のフィリピン人女性』と直接交流する機会を持つようになってからだ。

 彼女たちとのチャットの中で、
「日本にはたくさんJAPAYUKIがいるんでしょう? 同国人として恥ずかしいわ。私はそんな生き方はイヤ。お金のためなら何をやってもいいとは思わないわ」
という女性が多かった。私は「何か変だな」と思い、
「JAPAYUKIなんていう言葉は日本ではほとんど使っていないよ。それに彼女たちの仕事は、クラブで日本人客のお酒や話し相手になるだけで、ほとんどの場合、売春してるわけじゃないんだよ」
と説明すると、ほとんどの女性がびっくりした様子で
「本当に? 私はJAPAYUKIって、みんな売春してるのかと思っていたわ」
と答えるのだった。物凄い誤解がフィリピン全土に蔓延しているのを身をもって実感したわけである。

 私は、わずか4年に過ぎないが、素顔のフィリピン人に出会うために、マニラであえて日本人を避け、生活してきた。その過程で、いろいろなジャパユキ(あえてこの言葉をこの記事内では使うが御了承いただきたい)を見てきた。
 今まで勉強一筋で、彼氏がいたことのないような箱入り娘から、小学校の先生、弁護士秘書、SMなどのデパートガール(スーパーガール?)など、風俗営業にはまったく縁のない女性から、置屋やゴーゴーバーで、日々、体を張って肉体営業してきた筋金入りの売春婦まで、彼女たちの生い立ちは実に様々で、一言では語れない。

 ただ、私の知る限りでは、ジャパユキの多くが、もともとは、ごく普通のフィリピン人女性だと思う。
日本とフィリピンの相互理解はまだ浅く、大小さまざまな誤解もたくさんある。JAPAYUKIに対するフィリピン人の認識と日本での実体ひとつとってもこの有様である。
 日本とフィリピンの文化についてた小なりとも知る人々、また知ろうとする人々が、正しい相互理解のため、説明する手間を惜しまず、語りある努力を地道に続けていくことが大切ではないだろうか。

 JAPAYUKIという何か暗くて薄汚れたイメージの言葉が1日も早く死語になって、お酒の席での楽しい話し相手として、また、看護士・介護士として日本の人材不足を補うための専門・技能職など、あらゆる分野で日比の垣根のない人的交流がスムーズに進む社会環境が整ってほしい、と心から思うこの頃だ。

 今年ももう1月が過ぎた。時の立つのは本当に早い。一年の始めの区切り、今日は私の人生のひとつの転機についてお話したい。

 私が食品メーカーのサラリーマンをやめて、趣味であるフィリピンの言語・文化をテーマとしたカルチャー・ビジネスで何とか自分ひとりくらい生きていけないかと思い立ったのが、1996年。以降、出版社のライター、OPMカラオケの歌詞原稿チェック、テレビ素材の翻訳(英語・フィリピン語)、などを細々とやってきた。なかなか芽が出ない。そうこうするうち4年が過ぎた。

 日本ではフィリピンと言えば、まずフィリピンパブ、たいていの日本人はフィリピンの大衆文化やフィリピン語なんてまるで興味がない。フィリピンパブでフィリピーナに入れあげている人たちの多くもしかり。日比カップルにしても、お互いの生まれ育った文化の違いの深いところをまったく分からないまま、結婚してから気づくケースがなんと多いことだろうか。

 やはり、日本でフィリピン語・大衆文化の専門家としてやっていくのは無理かなあ、と思い始めていたとき、みなさんご存知のフィリピンパブ・パラノイアの掲示板で『旅の指さし会話帳〜フィリピン語版』の著者募集の書き込みを発見したのだった。忘れもしない2000年10月30日だった。当時、私はどうシリーズについては、ページ数の少ない薄っぺらの旅行会話集くらいの印象しかなかった。さっと1・2週間で書き上げて、原稿料をもらってそれでおしまい、くらいの軽い気持ちだった。

 そして翌日、面接の連絡があり、すぐに出版元の情報センター出版局を訪ね、「ようこそ応募してくださいました」とばかりにすぐに採用。編集担当者は、応募前から私のことを知っており、何人かのフィリピン通と言われる人から推薦を受けていたと言うのだ。しかも、出版契約は原稿買取ではなく、定価の何%という印税契約だった。売れれば売れるほど、収入も増えると言うわけだ。

 そしてすぐに執筆開始。しかしいざ制作に入ると、見掛けのソフトなイメージとは大違い、綿密に設計された枠の中に、選びぬかれたフレーズを組み込む。そして単なる語学書ではなく、そこに文化の香りをちりばめてゆくというすごく緻密で細部にこだわった仕事になった。わずか1ヵ月半の作業期間ではあったが、かなりの集中を要求され、締め切り前は、1週間で3時間しか寝ないという信じられない、我が人生でもっともハードな時を経験した。

 そして、2001年2月、『旅の指さし会話帳〜フィリピン』が世に贈られることになった。それからほぼ5年。86,000部というフィリピン関係の書物ではちょっとありえない販売部数を記録することになった。指さしというシンプルだが優れたメソッドと、私を支えてくれた読者の方々のおかげだと感謝している。同著がきっかけとなり、出版企画もどんどん実現するようになった。『旅の指さし会話帳〜フィリピン』の成功を受けて、私が企画した『恋する指さし会話帳シリーズ』もそのひとつだ。テレビの翻訳の仕事、読者の方の希望で拡大したフィリピン語のマンツーマンレッスンなど、仕事の幅はどんどん広がっていった。

 この1冊の本との、インターネットを通じての出会いで、私はかねてから名乗っていた『フィリピン・カルチャー・ウォッチャー』(フィリピン語、およびフィリピン文化のエクスパート)として何とかやっていけるんじゃないかというかすかな自身をもらったのである。

 そして、恋愛の方もインターネット・チャットを通じて知り合った親子ほど年齢の離れた(私は44歳、彼女は20歳の大学新卒)フィリピーナとゴールインの時も間近という様相を呈してきた。

 コンピュターが最大の弱点だった(今でも)アナログ中年男が、インターネットで仕事の転機をたまたま引き寄せ、将来の伴侶をインターネットで見つける、という何という皮肉。

 そして、今、ほぼ毎日ブログを通じてみなさんにメッセージを送り続けている。訪問してくださる読者の方々への感謝の気持ちを忘れず、これからも偶然の出会いを大切に、みなさんに『気持ちの入った、楽しみと安らぎ、そして実用性のある』メッセージを配信続けて行きたいと思っている。

 もう何年位前からか、若者たちが「ぜんぜんOK」、「ぜんぜん大丈夫っすよ」なんていう言葉を使い始めたと思ったら、今や50代60代、いや70代のいい大人までが、当たり前のように「ぜんぜん大丈夫ですよ」などという文法的に間違っているはずの表現を平気な顔で使っている。かく言う私もそうなのだが、立ち止まって考えると、『ぜんぜん』という言葉は、必ず否定語をともなって『ぜんぜん問題ない』のように使うように、私は小学校時代(昭和40年代半ばに)国語の教科書でしっかり教わった。

 しかし、言葉というものは変わるもの。みんなが使って、ちゃんと通じてしまっているのだ。赤信号でみんながわたり、青信号でみんなが止まるのなら、そのようにルールを変えなければならない。というわけで、「『ぜんぜん大丈夫』は、文法的に間違っているからみんな改めなさい」などという気は私にはさらさらない。私はフィリピン語の学習でも徹底して、実態主義である。だから、ぜんぜんに関する部分、国語辞典は書き直す必要があると思うのだ。「ぜんぜんは、もともとは後ろに否定語をともなって否定の意味を強める言葉だったが、2000年頃から、肯定語ともいっしょに使われるようになり、どちらでもよくなった」と。

 日本語だけではないのだ。フィリピン語の教科書でも、日本で発売されているフィリピン語の参考書では間違いとされている動詞の活用が、マニラの街中でちゃんと使われているのである。街に出ることなく、ほとんど教室と本だけでフィリピン語を学んで、しかも新しいフィリピン語に耳をふさぐ日本人のフィリピン語教師とネイティブのフィリピン人(マニラ生まれのマニラ育ち)のフィリピン語、どちらを信じるか? 間髪をいれず、私の答えは、後者、フィリピン人である。

 日本のフィリピン語学者の多くは、フィリピン語を追いかけ、体系化するが、その追い方が、古いフィリピン語の体系を追いかけ、現代フィリピン語の一番フレッシュな部分に触れようとしているとはとても思えないのだ。

 言葉は、生き物、だから時代とともに変わっていく。ある言語学者が言った。通常の言語は100年で15%変わる、と。ちまたでは、よく織田信長と合って話がしたいという人によく会うのだが、織田信長が没してから420年余り、先ほどの100年15%理論によると、日本語はその間に単利で計算しても60%以上変わっていることになる。テレビもコマーシャルのように部屋のキャビネットの扉から織田信長がひょこっと現れても、言葉が通じず、彼に異人扱いされてしまうかもしれない。

 だからこそ、フィリピン語を学ぶにも「参考書」は参考にするための本であって絶対ではないのだ。だからこそ、私にとって、『ぜんぜん事件』は、フィリピン語の学習では、参考書だけでなく、生身のフィリピン人との交流で学ぶことも重視しなければならないのだと、実感した重大なひとつの出来事だったのだ。
 みなさんにとってはどんな足跡を残した出来事だっただろうか?

 

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