白野慎也のフィリピン・サリサリ・トーク

『旅の指さし会話帳』の著者、白野慎也がフィリピンの庶民生活への理解の深まる情報をお届けします。コメント大歓迎。投票もよろしく。

フィリピン社会

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 昨日、またしてもフィリピンから素晴らしいニュースが飛び込んできた。マルコス政権を妥当したエドサ革命からちょうど20周年の節目の年に、アロヨ政権打倒のクーデタ計画が発覚、アキノ元大統領を始めとする民間人によるアロヨ大統領の退陣を求める大規模なデモが勃発し、『国家非常事態宣言』が発令されたのである。まさに今日が、恐怖の独裁者マルコス政権を妥当してちょうど20周年、素晴らしいタイミングでインパクトのあるニュースが国際社会に向けて発信できたものだと、フィリピンとフィリピン人を愛し続けてきた自分としてはなんともいえぬ苛立ちを抑えきれず、苦笑いするしかない。
 上下水道の整備、自然災害危機回避・最小化の基本対策方針などが整備・実施されていないから、毎年のように、何百人単位で被害が出る状態が続いているし、マニラの各所でもいつでもあまが降らなくても洪水が頻発する地域がたくさん残っている。
 産業がなかなか育たない国であり、数え切れないほどのマリンリゾート、カトリック文化遺産、スペイン統治時代の美しい街並み、稀少動植物など、幸いにも素晴らしい観光資源に恵まれた国だからこそ、少なくともタイと同じくらいの観光客を集める潜在能力は持っているはずだ。しかし、私が今まであえて触れてこなかったもうひとつの決定的弱点を解消しなければならない。
 解決すべきは、フィリピンはなんとなく危ない国という印象を与えている『慢性政情不安状態』の解消である。ここ数年間を見ても、クーデター計画が発覚したり、かなり確かなうわさが出なかった年は一度もないのだ。外務省の海外と後者向けの危険度でも、『渡航危険国』の指定を外れていた期間はほとんどなかったと記憶している。
 フィリピン人の白黒はっきりさせない正確にもよるのだが、クーデタが起こったり、計画が発覚すると、首謀者は逮捕されたり、その場の形だけの対処はなされるが、ほとぼり冷めるとまた第一線に何事もなかったように復活してくる。私は血なまぐさい処罰などを求めているわけではないが、それによってこうした慢性政情不安定状態が延々と続くメカニズムの根本を改めなければと切に願うのみだ。
 平和的民主主義がフィリピンに訪れて20周年目の節目の年の記念日も飛んだ記念日になってしまって残念だ。『国家非常事態宣言』の中で迎える民主化記念20周年、何と皮肉な、また『危ない国フィリピン』を国際社会に印象付けるにはこれ以上十二分な演出はないだろう。

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 先日、フィリピンの友人からメールをもらった。お父さんが癌だという。手術が必要で、地元の病院だと30,000ペソ、マカティのとある一流病院だと、100,000ペソである。いずれにしろ助かる見込みは50ー50だと言う。でも、友人は、腕がいいと評判の医師がいるマカティの病院で手術させたいと言っていた。
 30,000ペソにしろ、100,000ペソにしろ、大金には違いないが、私が気になったのは、その価格の格差だ。なぜ同じ病気の手術で3倍以上も違うのか? 素人の私には分からないが、ふに落ちないものがある。

 友人のメールを読みながら、遠い日の記憶が私の脳裏をよぎった。
 
 私とフィリピンの医療との関係を思い返してみると、あとにも先にも1回だけだ。1994年の1月のある日。真夜中に1人で街を歩いていて、柵のしていない工事現場に迷い込み、1メートル以上の穴に転落し、その際切り立ったコンクリートの断片で、右足のすねを、しこたまぶつけて、裂傷した時だ。
 近くの知人の家に駆け込み、傷口を水でジャージャー荒い、アルコホール(何でも消毒液)を大量にかけて消毒し、まずは破傷風にならないように最低限の処置をして翌朝を待った。

 知人に紹介された病院。私は、病院の前に立ってちょっとした不安に襲われた。というのもこの病院、私の家の大家さんが、何度か手術しているのだが、手術跡というのが、『開いたものはとりあえずふさいでおけばいい。見掛けなんかどうでもいい』という医師だか、病院の方針がはっきりしている病院で、この病院で3回手術を受けた大家さんが見せてくれた傷口を見て私はぎょっとしたのを思い出したのだ。縦横無尽に縫合の跡が、胸にお腹にと走っている。少しでも縫合のあとは目立たぬようにという配慮は微塵も感じられなかったのだ。

 そんな心配をよそに受付を済ませ、診察室に行くと、すぐに白衣の医師が笑顔で現れた。一見してbaklaだ。
「あら、お兄さん。どうしたの」
 これが第一声、私は、内心大丈夫かなあ、と思いながらも事情を詳しく説明した。
「あーら、あなた日本人なの? タガログ、上手ねえ。どれどれ傷口を見せて・・・あーら、これは大変ね。骨が折れてないかレントゲンとりましょうね。それから注射もしなくちゃね」
 このbaklaドクター、見立ての方は、まあまあ信用できそうだ。
 終始ドクターは口笛を吹きながら、レントゲンを取る時も放射線室に連れて行くわけでもなく、診察室のままで、撮影。おいおい、放射線漏れの心配はないの? ポケットに片手を突っ込んだままで、無造作に私の腕に何ものか注射しようとするので、さすがに不安になった私は一言尋ねた。
「先生、それは何の注射ですか?」
「これはねえ、破傷風の注射よ」

破傷風を始め感染症予防の注射は、一度の接種では効かず、しかるべき間隔をあけて行わなければいけないことを知っていることをご存知の方も多いはずだ。私の場合はちょうどその1年くらい前に行っているから問題ないはずだ。ただ、接種する前に、知識のない患者のために接種の有無を確認すべきではないかと思った次第だ。注射針はパッケージを破って使っていたから新しいものに間違いない。私は緊張して陽気なドクターの施術の一部始終を見守っていた。

 注射、レントゲン撮影とも無事に終わり、処方箋をもらって、病院を出た。閉めて1000ペソ(4000円)。近くの薬局でドクターから指定された抗生物質を購入して一件落着。

 たかだか、小さな裂傷だったからよかったものの、大病だったらどうしよう? という思いを抱いたのを覚えている。フィリピンには本当にインチキ医者から、アメリカで最新の医療を学んで、同胞のフィリピン人を助けようと帰国した腕のいい医師まで、ピンからキリまでだとよく聞いている。

 フィリピンでも、いやフィリピンだからこそ、『地獄の沙汰も金次第』という格言が余計に当てはまりそうな気がしている。私もフィリピン永住を目指すものの1人。だからこそ、今からいい病院、腕のいい医師の情報収集に努めなければ、と思った出来事だった。

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*写真は友人の18歳のでデビュー・パーティでのショット

 今年も、1月の第2月曜日の『成人の日』に日本では、20歳を迎える百数十万人が一日にして大人になった。フィリピンでは、国の祝日としての『成人の日』のような日はない。

 フィリピンでは18歳の誕生日に、親兄弟はもちろん、親戚(もちろん名づけの親、ニーノン・ニーナンも含む)などを招いた盛大なパーティを開き、豪華な食事・歌や踊りやゲームにと華やいだ1日を過ごすことになる。これはデビュー・パーティと呼ばれている。

 しかし、当然デビューパーティも各家庭の経済力次第で、結局中流家庭以上に子女のためのセレモニーであり、国民の大多数を占める貧困層には無縁な行事でもある。

 18歳になるとフィリピンでは何が変わるか? 私の認識だと(確認を取っていないので誤りがあったらあとで訂正を入れます)喫煙・飲酒が法的には男女とも18歳でOK、選挙権18歳、結婚は男性21歳、女性18歳でOKですが、両親の同意が一応必要ということになってはいます。飲酒・喫煙は18歳でOKというわけで、今まで禁じられてきたことが、18歳でおおっぴらにできるようになるということでしょうか。

 ちょっと気になる性的行為は? これは18歳で法的にはOkなようです。しかし、実際は・・・

 というわけで、フィリピンはともかく『本当は〜だけれども実際は・・・』というように日本以上に建前と実態の乖離がすごいのです。特に結婚に関しては、10代で結婚するカップルもたくさんいますし、喫煙・飲酒に至っては10代前半で当たり前のようになされており、周りの大人も比較的寛容に見過ごしています。もっとも女の子の場合は両親ともちょっときびしい場合が多いようですが。Hに関しても本当は婚前交渉はいけないことになっているはずなんでしょうが、実際には何とシングル・マザー(タガログではなんというか身近なフィリピン人に尋ねて見てください)の多いことか? また、修道女が喫煙していたり、異性とみだらな行為に及んだりなんていうこともまれではないようです。

 ただ、経済的自立という大きなテーマはこの際抜きにして考えると(本当はこれ抜きには大人になるということは語れないのは承知の上ですが敢えて考えると)、結婚とか飲酒・喫煙、その他の成人として行動・現象の上面だけ見てみると、フィリピン人の方が日本よりも早く大人になるのかなという気もしないではありません。このコメントには思考力・判断力の成熟ということは考慮に入れていません。

 大人になるということに日比比較、みなさんはどう思いますか?

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*写真上:卒業式でのLovelyn(仮名)本人(親しかった先生と)。本人の承諾の下に掲載。
 写真下:教員免許書授与式で、他の合格者とともに(左が本人)


 風邪をこじらせてしまい、更新がおろそかになってしまい、定期読者の皆様にご迷惑をおかけしたことをまずお詫びします。また、お見舞いのメッセージなどたくさんいただきましてありがとうございました。

 私の年末・年始は風邪で休みたくても、K県A市の学校生活マニュアルのタガログ語版作りの仕事に追われて休むに休めず、満身創痍で相当悲惨な数日間でした。ただ、恋愛運は、年末年始の『セレモニー』の甲斐もあってか好調の兆しです。みなさまの幸せも合わせてお祈りしながら行ったので、幸運のおすそ分けができれば幸いです。
 
 さて、今日、そんな中で飛び込んだある大学新卒フィリピーナの旅立ちをご紹介します。彼女の名前はLovelyn(ラブリン)としておきましょう。ミンダナオ島北東部の小都市スリガオ市の出身で、地元の大学の小学校教員養成課程で英語を専攻し、昨年の8月、国家教員試験に合格めでたく、教員になる資格を得ました。彼女の大学からは150人受験し、合格したのはなんと6人という狭き門を突破しての快挙です。単純にこのグループだけで計算すると合格率は4%ですね。日本でこんなに合格率の低い試験はそうザラにはないですよね。

 フィリピンの教員試験の正確なデータがないので分かりませんが、ともかくフィリピンの教員試験は合格するのが難しく、4年間まじめに大学で勉強した学生たちがバタバタと不合格になっています。そして、教員試験を目指す学生たちは、たいてい受験のために在学校が主催する特別セミナーに、通常の授業料とは別にセミナー受講料を払って参加し、試験に備えます。それでもなかなか合格しないのです。

 Lovelynの場合は、家が貧しく、セミナーの受講料が払えずに完全に独学での受験準備でした。それ以前から私には、教師志望の学生の友人がたくさんいましたが、合格者は1人もいなかったので、彼女が「セミナーが受けられない」といった段階で、気の毒だけど試験はダメだな、と確信していたのです。

 以前、私のブログで教員試験に不合格になったのがひとつのきっかけになって修道女になった教育学生をご紹介しましたが、私はその件を思い出してLovelynが不合格になったあと、なるべく早く立ち直ってくれればいいなあ、と先回りしてそればかり考えていたものでした。もちろん神様にも祈っていましたが・・・

 ですから、昨年11月始め、彼女がインターネットで自分の合格を知ったというメールをもらったときは、飛び上がって喜んだのを憶えています。フィリピンの国家教員試験では、合格発表がインターネット発表というのもちょっとびっくりでした。みんな合格発表をミニインターネットカフェに行くのですね。そしていつ発表というのも当然(?)明確には事前に走らされていませんから、発表前に何度もインターネットカフェに足を運ばざるを得なくなります。

 しかし、そこがフィリピンです。それだけ大変な国家教員試験を突破しても、まだ試練は待っています。さらに、国家教員試験合格者は、個別に自分が働きたいと思う学校を回って自分の就職先の学校を探さなければならないのです。その月給というのも7、000ペソ〜12,000(約16,000円〜26,000円)と低水準です。

 彼女の場合もなかなか就職口が見つからないところに、お姉さんが自分の働いている台湾のエレクトロニクス・メーカーの工場の生産ラインに欠員があるという話しがありました。月給は25,000ペソ、フィリピン人の水準から言えばかなりよく、しっかり残業代も支給され、しかも週休2日制だということです(フィリピンでは完全週休2日制の会社は多くありません)。11人兄弟の10番目であるLovelynは、そのお姉さんの仕送りで勉強させてもらっていたことに加えて、大学在学中の自分の妹の就学を経済的に助けなければいけないという事情もあり、結局、先生の道を捨て、台湾で1工場労働者として社会人としてのキャリアをスタートを切ることになりました。

 フィリピンは、日本以上に学歴社会です。外国人観光客の多いマニラのショッピングセンターのファーストフード店では、英語力問題もあり、高卒では英語が満足にできないからという理由もあって、ハンバーガーショップでも働くことすらできません。また、各種の国家試験に通っても仕事の機会は決して多くなく、優秀な頭脳は、ドンドン海外に流出してしまうのです。かく言うLovelynも、
「台湾での1年契約の仕事が終わったら、アメリカの親戚を頼って、アメリカで先生になりたいわ」
と屈託なく語っていました。Lovelynの話を聞いていて、日本のフィリピンパブで、フィリピンでは教師だったというエンターテイナーだったという女性と何回か出会いがあったことも頭をよぎりました。

 自前の産業が発達していない。優秀な人材も受け皿がない。あってもフィリピンだと安く買い叩かれる。だから志や能力のある人材は海外へ流出する・・・そんな言い古されたフィリピン社会の悪循環の一面を、友人Lovelynの進路決定を見て垣間見た気がしました。せつないです。

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 年末・クリスマスと言えば、日本でも夜遊びがひときわ盛んになって、ついつい帰りも遅くなり、特に会社勤めの方々は、懐も少し暖かくなってか、タクシーに乗る機会も増えるシーズンです。
 いまさらですが、考えてみると、日本のタクシーはなんと快適で安心なことか? とめて乗り込めば、黙っていても運転手はメーターを倒し、行き先を告げればきちんとまわり道もせずに目的地に連れて行ってくれます。

 そして私に思いはいつもの通りフィリピンに飛ぶのです。1993年、フィリピン生活初心者時代・・・ジープやバスなら、何の交渉の必要もなく、ボラれることもなく、変なところに連れて行かれることもありません。しかし、ちょっと乗り越してしまったり、道を間違えて迷ってしまったりしたら、あとはタクシーしかありません。しかし、これがクセものです。

 まず、とめるまではまったく問題ありません。乗り込み、行き先を告げる。しかし黙って走り出す運転手は、当たり前のようにメーターを使いません。目的地に着いたときに、いくら請求されるかわかりません。まず、メーターを使ってもらわなければ、
"paki-gamit nga ang metro."(メーターを使ってください)や
"Metro na lang Boss."(おじさん、メーターで頼むよ)
などを私はよく使います。

 しかし、みなさんよくご存知の通り、こう言ったくらいでたやすく言うことを聞いてくれないのが、フィリピン、特にマニラなど大都市のタクシー運転手です。それに今から20〜30年前の古い方のタクシーが現役で活躍するフィリピンでは、何の悪意もなく(?)メーターが壊れていることも非常に多く、壊れたメーターのディスプレイに"I love you"なんてステッカーが張ってあったりして思わず苦笑することもしばしばです。

 そして、行き先を言ったあとは、値段交渉となるわけです。たとえばこんな具合です。
運転手:「100ペソだ」
私:「高いな。メーターだったら50ペソだよ」
運転手:「それじゃ70ペソでどうだ」
私:「高すぎる。降りて他のタクシーに乗るよ」と降りるフリをする。
運転手:「しかたねえなあ。じゃ50ペソでいいよ」

 しかし、クリスマスになるとやたらと「メリー・クリスマス」と言われて、「家族にプレゼントを買いたいから、ちょっとチップを上乗せしてくれよ」と言われることも多く、交渉しても、クリスマスはいつも特別料金です。

 クリスマス以外も朝夕の渋滞タイムや、雨が降ってタクシー待ちの客が多いときなどは、料金をたくさん出す客を運転手が選ぶ、という日本では信じられない常識も当たり前のようにまかり通っています。乗車拒否などは序の口です。

 フィリピンの生活のほとんどの側面に慣れきった今でも、やはりフィリピンのタクシーは厄介な存在のひとつには変わりありません。
 私にとっては、乗るたびに「きちんと交渉はまとまるか、変なところに連れて行かれたりしないか」、いつもスリルもいっしょに乗せて走る乗り物であることに変わりはありません。

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