白野慎也のフィリピン・サリサリ・トーク

『旅の指さし会話帳』の著者、白野慎也がフィリピンの庶民生活への理解の深まる情報をお届けします。コメント大歓迎。投票もよろしく。

愛情問題

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 タイトルをみただけで、「あっ、あのことか」とお気づきの読者の方も多いかもしれません。今日は、フィリピーナの恋に関する2つの『不治の病』について触れてみたいと思います。

 まずはじめの病気、これは万国共通の病と言えるでしょう。想像力豊かな人ほど、愛の対象が実態を超えて、イメージがどんどん美化されて『この人は私にとって世界でたった一人のかけがえのない人』、『何にも増して大事にしなければいけない存在』、『愛がすべて』といった、恋愛にのめりこむ症状が表れるわけですね。この『のめり込み』がひどいと、食べ物がのどを通らずに『恋やつれ』したり、仕事を持っている社会人だと、仕事が手につかなくなってミスが増えたりしてくるわけです。

 フィリピーナの場合は? 頭の中は彼のことで一杯。仕事があっても休んじゃえ。仕事のアポがあってもキャンセルだというような具合で、プラーベートがすべてに優先してしまう場合が非常に多いですね。フィリピンパブなどでも、他のお客さんのテーブルについた時にお店のルールを破ってペナルティが増えたり、ランナウェイに陥ってしまったり・・・フィリピン国内で仕事にかけてるキャリアウーマンでさえ、恋で盲目でなってビジネスでコケちゃう姿を何度となく見てきました。

 基本的に恋するフィリピーナは愛する気持ちをまず隠せません。それに隠そうとしないんですね。マニラの街中などで若い男女が歩いていても、ジープの中で男女が隣り合って座っていても、恋人同士は本当に一目瞭然ですね。良くも悪くも本当に『私たちは恋人同士です』っていう態度が明確です。マカティのオフィス街でもワイシャツにネクタイ姿の男性とビジネススーツや制服を着た女性が手をつないで歩いている姿も珍しくないですし、ジープの中だとなおさら、2人は体が重なり合うように据わっていますね。

 「人目を忍んで」というのは、今の日本の若者同様、道ならぬ恋でもない限りフィリピン人の恋愛観にはそぐわないのでしょう。だから、単なる友だちのフィリピーナが恋に落ちると、「そこまでのめりこんじゃって仕事大丈夫なのかなあ」とか、「こんな定職もない、浮気者の男に入れ込んじゃって子供でもできたら捨てられちゃうだけなのに・・・」なとど、余計な心配をしてしまうこともしょっちゅうでした。

 しかし、『恋は盲目病〜フィリピン型』に感染したフィリピーナの耳には『愛する彼』の言葉意外は届きません。大体は、抜き差しならぬ状況まで行って
「妊娠したことを告げたら、彼は突然姿をくらましちゃったのよ」
なんて泣きながら後悔することになる場合が多かったですね。
 残念ながら、この病気に対するワクチンは人類の歴史が続く限り開発されないのでしょうね。

 2つ目の病気『惚れた男はみなグワポ病』。これも『恋は盲目病』の症状のひとつですが、より害は少ないかもしれません。
 みなさんもフィリピーナから「これが私の彼氏(旦那さん)、グワーポ(男前)でしょう?」なんて、彼氏や旦那さんの写真を見せられて、手にとってよくみたらグワポでもなんでもないすごいブ男だったなんて経験があるのではないでしょうか? それです。それが『惚れた男はみなグワポ病』なのです。恋愛は一種の幻想でもあります。愛の対象が実態を超えて美化されて見えてくることは、至って当然のことですよね。これも万国共通でしょう。しかし、その度合いが、フィリピーナの場合は、ちょっと度を越していると思います。
「これ、私の彼。リチャード・ギアみたいでしょ?」
と、彼の写真を差し出す私の友だち。どんないい男なんだろうと思って、写真を手に取り、彼を見た私は、
「・・・・・(絶句)」
そして私は心の中で、
「ど、どこが・・・リチャード・ギアはフィリピン人だったのか? リチャード・ギアってこんなぺちゃんこな話してないぞ」
と思いながらもそんなことは口に出せずに
「ほんとかっこいい彼氏ができてよかったね」
などど、心にもないことを言うのでした。

 「私のカレシはディーザー・オカンポ(2枚目若手俳優)にそっくり、でもユーモアのセンスはマイケルV(有名なコメディアン)並みよ」とか、「私の彼はニコラス・ケイジみたいなの」など
何度、言われて、本物と彼女たちの紹介コメントのギャップのおかしさに笑いすぎの『被害』にあったことか。ちなみにニコラス・ケイジみたいなカレシは、髪の毛が薄くて、目つきが悪いだけでした。

 しかし、この『惚れた男はみなグワポ病』は、彼女たちのコメントと写真、時に直接紹介される本人とのギャップを感じる時が楽しく、本当に害のない病気だと思います。

 逆の見方をすれば、フィリピンパブなどで知り合ったフィリピーナを愛し、彼女たちが自分のことを本当に愛しているか悩んでいる日本人男性には、彼女たちが、あなたゆえに『恋は盲目病』、『惚れた男はグワポ病』に感染しているかどうかが、『あなたが彼女たちに愛されているか』の判断材料になるでしょう。判定は一目瞭然です。ですからちょっとでも疑いを持ったら、彼女たちは『陰性』です。

 恋するフィリピーナは本当に盲目です。瞳の中には愛するあなただけが映っています。そしてあなたは世界で一番男前なのです。彼女たちは愛を抑えることはできないのです。

 今日はいささか個人的なお話をさせていただきます。私のインターネット・チャットで知り合った彼女は、新卒で、目下休職中。マスコミ専攻でなかなか頭脳明晰な女性です。

 中々仕事が見つからず、自分の学費を出すなどいろいろ支援してくれた年上の兄弟や、おじさん・おばさんに一日も早く恩返ししなければと、かなりあせっていたことろに、古い友人から台湾の工場で現場ラインの仕事を紹介され、台湾での仕事の決心をほぼ固めてから、私に「1年だけ台湾で仕事をいいか」というメールを1週間ほど前に送ってきました。

 まだ、私たちは夫婦ではありません。彼女の人生にとやかく言う権利はないのですが、私は
「できれば行ってほしくないなあ」
と言いました。
 かといって、私は彼女の大家族を支援できるわけもなく、また過去に高い授業料を支払った経験からも、彼女との恋愛関係においては絶対経済支援はしない、と言う主義を貫いていました。それで、1も2もなく、彼女の親・兄弟・おじさん・おばさんなどお世話になった人への恩返しの強い思いを尊重して、快く賛成して、1年待つことにしました。そして、彼女は3月上旬に台湾に旅立ちます。

 彼女の私に対する愛情が本物かどうかを測るためもあって、『1年分の彼女の賃金を自分が出してあげる』という提案も試みにしてみましたが、
「あなたの気持ちはうれしいけど、これは私の家族の問題だから、あなたには迷惑かけたくないわ」
と彼女はかたくなに拒絶しました。
 このひとことはうれしかったですね。私はもともと彼女の愛に関しては一度も疑ったことはなく、また、交際当初からの主義にしたがって、1ペソだって経済的支援は行っていません。

 台湾と言えば、先日教員試験に合格しながら台湾行きを余儀なく割れた友だちの話をしましたが、私としては「また、台湾か?:Taiwan na naman!」と言う感じです。もっとも私は台湾に対してなんら偏見を持っているものではないことをお断り異しておきたいと思います。ただ、優秀な頭脳が、才能発揮するための受け皿(働き口)がフィリピン国内になく、どんどん海外に流出してしまうことを残念に思っているだけなのです。

 その彼女、御年20歳。家族・親戚・兄弟の期待を一身に担って、兄弟の中ではただ1人、大学に行かせてもらいました。なかなかきれいな声の持ち主で、しゃべりもなめらか、大学在学中から、地元のラジオのパーソナリティとしてスカウトされたくらいなのですが、学業と両立しないということでラジオのオファーは断ってしまいました。私からみると、大学での型どおりの勉強より、ラジオ番組を持つ経験の中で学ぶものの方がよっぽど大きいと思ったのですが、大学を出ていないまわりの親戚はまず大学の卒業証書が第一と考え、彼女はその意見に従ったと言うわけです。

 それはさておき、その20年間、勉強一筋、全人生で彼氏がいたことは一度もありません。もちろんデートの経験もなし。ごくごく普通のフィリピーナとしての倫理観を強く植えつけられた女の子です。もちろん、結婚するまでは性的な交渉なんて絶対ダメ。私がちょっと冗談でHな話をしたら、いきなりブチッと携帯を切られてしまったこともありました。

 彼女が、新しい写真を送ってくれると言うので、
「写真の裏にキスマークをつけてくれる」
と頼んだら、そんな『はしたないこと!』、と機嫌を損ねてまたブチッ。

 たしなみ深いフィリピーナであることは分かっていましたが、機嫌を損ねちゃいけないと、電話でもかなり気を使っていました。

 そんな彼女が最近は随分と変わりました。やはり気持ちが熟してきたのでしょうか? 結婚話などをしていて、
「日本サイドのビザの発給がきびしくなってきて、書類が全部そろっていても最低6ヶ月、長ければ一年以上かかるらしいよ。でも、フィリピン人の妻になる人が妊娠していると発給が早くなるらしいんだ」
と私が言うと、彼女は出し抜けに
「じゃ私早く妊娠しなきゃ」
と言ったのにはすごく驚きました。

妊娠しているとビザの発給が早くなるなんていうのは、当てにならない筋から聞いた単なる噂話なんですが、
「婚前交渉(日本では死語ですよね)なんて絶対ダメ。とんでもない罪だから」
と言っていた彼女が一転して、
「あなたの子供なら、いつでも生む心の準備はできてるわ」
と態度が激変したからです。

 そんな彼女にもうひとつの変化が現れました。
電話で話していると、急に彼女が寡黙になって、次の瞬間、すすり泣きの声が聞こえてくるのです。
 私は感受性の強い、伝統的なたしなみ深いフィリピン撫子としてのモラルを持った彼女に、また何か自分が、癇に障ることや、傷つけるようなことを言ってしまったかなあ、と思って
「どうしたの? また、僕が何が悪いこといったかなあ?」
と言うと、
「いいえ(Hindi)」
としか答えず、今度は泣きじゃくり始めました。私はしばらく黙って聞いているしかありませんでした。彼女の泣き声が少し落ち着いたところで
「なんか悪いこと言ったんなら言ってね。もう言わないから。何で泣いてるのか教えて」
と繰り返し尋ねると、
「あなたが恋しくて仕方がないのよ:Nami-miss kita, sobra(ナミミス キタ ソーブラ)」
だと・・・

 なるほど、私は納得しました。純粋に愛するフィリピーナの愛情ってこれくらいストレートでシンプルなものなのですね。電話している先の彼女の涙は、今では毎回のこととなりました。やはり私も若干のフェミニストですから、女性を泣かせることには心が痛みます。でも、この手の涙にはようやく少しなれて、最近は
「また、これだもん("Ayan ka na naman!:アヤン カ ナ ナマン)」
と言う心のゆとりができてきました。

 愛情があって結婚した日比カップルのフィリピン人の若妻たちが、自分のフィリピンへの一時帰国や旦那さんとのしばしの別れで涙を流すのは結構当たり前のことだったんですね。

 台湾行きが決まってからは、彼女の電話中の涙はさらにエスカレートして、話を始めて1分もしないうちにすすり泣きが始まります。私が試みで
「もう君を苦しめたくないから、電話かけるのは止めようね:Ayaw ko ng pahirapan ka. Kaya di na kita tatawagan uli.(アーヤウ コ ナン パヒラーパン カ。カヤッ ディ ナ キタ タータワガン ウリッ)」
と言ってみたら、
「ダメーーーー:Huwag(フワッグ)」
と言ってさらに激しく泣き出してしまいました。それ以来、意地悪な実験はもうやめました。

 フィリピン人の涙、と言えば、私の彼女の涙は本物だと思います(これでだまされたりしたら、それも運命だとあきらめます)が、概してフィリピン人は直情型で、センチメンタルな国民性なので、男女ともにちょっとしたことで、ボロボロ涙を流します。特に同情を引いて経済支援を引き出すためのフィリピン人女性の涙には何度となく、そう演技に見合った『演技代』を貢いでしまったこともありました。

 その点、日本人、特に男性は、人前で涙を見せることは恥ずかしいことという伝統的な概念がまだ生きているせいか、涙をコントロールする、特に涙をこらえる場面が多いように思います。
 だからこそ、日比の涙の意味の違いを余計に考えてしまうんですよね。

 みなさんの身近のフィリピン人の恋人・配偶者の方々の場合はいかがですか?

* これまた余談なのですが、私たちの『恋人記念日』は2月14日なんです。だから余計に趣向を凝らして頑張らない徒と思っています。

 今、大掃除をしています。この時期いつも思うのですが、思い出の写真がごろごろ出てきました。写真のいっしょに思い出のシーンが鮮やかに浮かんできます。彼女といっしょに行ったタガイタイへの途中、どうしても大きい方が我慢できなくなってバスを停めてもらって、他の乗客に大迷惑をかけたこと。以前にも話をしましたが、勝手に私を彼氏だと思い込んで、他の女性と仲良く談笑していたら、つかつかと走りよってきて正面から私にパンチを食らわせ、私に鼻血を出させた、ちょっと過激なあの娘。デートの約束をしていたものの、渋滞で2時間遅れて、待ち合わせ場所についてみたらもう帰ってしまっていたマグノリア・アイスクリームのプロモ・ガール、そして歴代の彼女たち・・・

 いや、しかし、仮に来年身を固めるとなると。これらの『証拠写真』は隠滅しとかなければならないでしょうね。私の知人も、昔たった一度、悪友に誘われて『悪い遊び』をしにタイに行き、結婚前に全部処分したはずが、処分し切れなかった何枚かの『決定的証拠写真』が出てきてしまい、フィリピン人の奥さんはカンカン。何日も口は聞いてくれない、食事・洗濯もしてくれない、帰りが遅いと家にも入れてくれない・・・そして「帰る家がなかったらタイの恋人のところに帰ったら」という言葉も浴びせられたそうです。
 今ではすべて笑い話ですが、タイの夜遊び発覚事件後は、テレビでたまたまタイのニュースがあっても、「おめでタイ日だから、タイの尾頭付きでお祝いしようか?」などと私がうっかり行ってしまったときも、美しい彼の奥さんの表情が般若に豹変したのを思い出します。

 フィリピン人は、過去の恋愛関係で何があっても、(いや、しばしば、愛人関係のように、現在進行形で他の恋愛関係が同時に進行していていても)、かなり寛容なのですが、ことモトカレとかモトカノの写真とか現物(本人)が出てくると切れてしまう人が多いのはなぜなのかな? という感じです。

 私はかなり『想い出は大切にする派』タイプの人間なので、ちょっと思案に暮れる、もしかしたら独身最後かもしれない今年の大掃除です。みなさんはどんな思いで、今年度の総決算を迎えられているでしょうか?

 昨日は、現在フィリピンに赴任中で日本に一時帰国中の公務員の方とその知人グループの方々の忘年会にお邪魔した。1次会は、居酒屋で、2次会は当然フィリピーナがいるパブで、といきたいところだが、このご時勢、アルバイトのフィリピーナのいるスナックで軽く、ということになった。

 東京の私鉄沿線のごく普通のスナック。スナックにしては箱は少し大きめ。5人ほどいたホステス(この表現使っていいんでしょうか?)のうちフィリピン人は1人。しばらくぶりに生身のフィリピン人と話をするとあって、少しは私のタガログ語にも力がこもった。そして程なく、会は解散。他のお客のグループも増えて、そのフィリピーナは他のテーブルへ。私はめったにスナックなんて行かないので少し残って人間観察を楽しむことにした。

 それから先は日本人ホステスがおもてなし。なんか会話に気持ちが入らない。最低限相手の気持ちを傷つけないようにと無理するので、かえって気を使ってストレスがたまって来る感じ。

 先ほどから、会のメンバー全員がフィリピンとフィリピン人の彼女の話しばかりするのでホステスの一人が聞いた。
「フィリピン人のどこがいいですか?」
私は一瞬、絶句した。今、私自身が恋愛中の彼女をなぜ愛しているのか、釈然とした理由が見つからないのだ。あとづけで理由はいくらでもつけられる。しかし、自分を納得させるに足る充分な理由が見つからない。

弊著『恋する指さし会話帳〜フィリピン語編』のP85からフィリピーナの魅力としてあげた項目を引用し、これに少し加えてみよう。
☆身体・肉体的魅力
・セクシーなボディ
・コカ・コーラ型のボン・キュッ・ボンのボディライン
・脚線美
・ヒップラインの美しさ
・黒く大きな瞳
・エキゾティックな顔立ち
・素敵な笑顔
☆パーソナリティなど
・特別会話がなくても楽しい居心地の良さを持っている
・深刻な問題も忘れさせてくれる天然の癒しの才能の持ち主
・ひとたび恋仲になれば、とびっきりロマンティスト
・とことん尽くしてくれる

 しかし、これらの理由をその日本人ホステスに話すと、ことごとく、
「日本の女の子だってそういうコはたくさんいますよ」
と言われて、
「確かにそうですね」
と反論できない私なのだった。

 さて、実際自分が思いを寄せた女性は・・・と言うと、これまた決して上記の条件を満たしているわけではない。要するに理由はないのだ。惚れてしまえばみんなマガンダで、キュートで、セクシーに見えてしまう恋の魔法にかかっている。そして魔法にかかった瞬間にフィリピーナ以外の国籍の女性に対して恋の対象として心を完全に閉ざしている自分に気づいた一夜だった。だからと言って、この魔法から開放されようなどという思いも微塵もないのだが。そもそも恋愛は、その始まりと深まりは、理性ではない。感性とか直感のはずだ。理屈ぬきで思いっきり惚れてしまったというように。私も、自分の盲目ぶりを思い知らされたが、このまま、素敵な魔法にかかったまま、男としての生涯を全うしたいと決意を新たにした一夜でもあった。
 
 みなさんにとってフィリピーナの魅力とは何なのだろう?
 そして、今の彼女や奥様がその魅力をことごとく満たす理想のフィリピーナになっているだろうか? なぜ、その人を愛してしまったのか、自分でも分からない、というケースがたくさんあるような気がするのだが。

 いよいよ年の瀬、几帳面な方は、もう年賀状の投函を済ませているかもしれませんね。筆不精の私はまだまだです。また、今年も文字通り元旦に初めて筆を取る、というような様相を呈してきました。

 日本人にとって一番、なじみが深く、また重要なあいさつ状と言ったら、年賀状をおいてないでしょう。年賀状のやり取りだけを通じて交流がつながっている旧友をお持ちの方もたくさんいらっしゃると思います。かく言う私もそうなのですが。しかし、年賀状がこれだけ重要な国というのも、世界ではまれなのでしょう。

 そう、フィリピンに目を転ずると、年賀状を書くフィリピン人なんてまずいません。宗教的な意味のない年賀状よりはるかに大事なのは、クリスマス・カードということになります。フィリピン人にとってのクリスマス・カードは日本人にとっての年賀状、いやそれ以上に重要な意味を持つものでしょう。
 
 私もクリスマス・カードのやり取りだけを通じて交流が続いている友達が何人かいます。突然、転居してこちらが投函したカードが戻ってくると、友だちが1人いなくなったようで、やはり寂しくなりますね。この感情は、長年の友人から突然、年賀状が来なくなったときの寂しさと似ています。

 しかし、今年は突然、カードの来なくなった友人からふたたびカードをもらうことが多かったうれしい年でした。ほとんどが、結婚して新しい家庭を気づいた女性の友人で、暮らしも一段落したので便りをくれたというのがほとんどでした。みんな決まって家族の写真入りです。幸せそうでうらやましかったですね。でも、私も元気と幸せを分けてもらった感じでしたが・・・

 しかし、何にもまして一番うれしかったのは、つまらないことでけんかして1年半ほどコミュニケーションが途絶えていた元彼女から
「また、あなたとやり直したい」
というメッセージ入りのカードを受け取ったことでしょうか? 感激屋の私は、いつものごとく「やったー」と歓声をあげ。「ヨッシャ、ヨッシャ」と声を出しながら、何度もガッツポーズを作って喜びました。

 もう、このサイトでも堂々と明かしてしまっているのですが、私には新しい彼女がおり、心は深く結ばれています。しかし、ここに至って以前の大本命だったMiss SMのモトカノから突然舞い込んだカードで心静かなクリスマスは、急に苦しみの季節に変わりました。

 けんかしたのも、つまらない口げんかみたいなもので、彼女に他に男ができたとか、いうわけではありません。はなはだ不謹慎ながら、私がイスラム教徒なら悩むことはないでしょう。今の彼女とモトカノを両方選べばいいのです。(確か6人まではOKなのですね。半分冗談で書いています) しかし、やはり私は、仏教徒かクリスチャンの常識に従わなければなりません。

 学校を卒業して20年余り。とんだ冬休みの宿題をもらってしまいました。

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