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かすかな警笛が聴こえる
静かな町に出かけませんか
となりまちの恋のうた―
となりを見ると、静かな寝息を立てる人がいた。
小さな小さな男の子。
車窓から見える風景は、のどかな田舎町の風景を私に見せてくれて、
となりの男の子を天使に見せてくれた。
伝えたかった言葉を、いつの間に素直に言えなくなったんだろう。
私は今年大学の卒業を迎え、もうすぐ社会人になる。もっともっと、素直な思いを言えない環境に身を置く事になるんだなと思ったら、何だか息苦しさを覚えて、ひとりでふらりと旅に出てみたくなった。
卒業旅行は皆と海外へ。でも学生最後の締めくくりは、ひとりで何処か遠い場所へ行ってみたくて。
心をリセットしてみたくて。
だから行ってみようと思った。
彼がいた町へ。
彼が生きていた町へ。。。
出会ったのは大学に入ってからだった。
そう、たった4年前の出来事。
新歓でにぎわう講堂の前にひとりたたずむ人がいた。
みんな今風な感じで、雑誌に出ているかのような格好をしている中で。
ただその人だけは、昔から変わらないような、服装がダサいとか、そういうんじゃないの。でもまるで、永遠の好青年みたいだった。
雰囲気がとても爽やかで、どこか透明感のあるような印象を受けた。
「森本くん」
私は思わず声をかけた。
名前は知っていた。入学式の時に、新入生代表の挨拶をしていたから。
「…えっと、同じ学科の」
「春木です」
「ごめん、名前覚えてなくて」
何十人、何百人といる中で、初めて会った人の名前なんて知らなくて当たり前なのに、彼は謝ったの。
なぜだかとてもおかしくて。
「いいよ。だって今私と初めて会ったんだもん。森本くんの名前はさっき挨拶してたから知っていただけよ」
「あ…なるほど」
自然な風が似合う。
そう、そんな和やかさがあった。ゆっくりした時間が彼の周りに流れているようで、一緒にいると、同じように穏やかな時間の中にいるみたいな気持ちになれた。
「森本くんって出身はどこなの?」
私は大胆にも話を進めていた自分に驚いた。
でも彼は普通に答えてくれて。
「田舎なんだ」
とへへっと照れたように笑った。
「春木さんは?」
「私は実家通いなの。じゃあ森本くんは一人暮らしなんだね」
「うん。自由気ままに、と思ったけど、慣れるまではいろいろ大変そうだよ」
と春の風を追いかけるように笑った。
初めて会って、初めての会話。でもなぜか今までの高校の同級生のように、会話が自然に流れていて、私たちは自然に、そう本当に自然に仲良くなった。
私たちは理系の学科だったから、よく夜遅くまで研究室に残って議論もしたし、一緒に実験内容を語り合った。別にふたりの間に特別な甘い空間があったわけじゃない。でもふたりだけの空気があったんだと今は思える。
お互いに好きだと思って恋人として付き合うようになったのは、3年の春。
ほんとに私たちの間にはゆっくりとした時間が流れていたんだなと思う。
でも、だからこそ、自然な関係が保たれたんだと思ってる。
心地よい関係だった。一緒にいると優しい気持ちになれて、心が癒されるような感じだった。
理系という忙しい時間の中で与えられたこの彼との時間はとても大切なものに思われた。
だけど、不思議ね。
幸せはいつも永遠に続くものだと思っていたのに。
幸せな時の中にいると、どうも幸せであることが当たり前に思ってしまう。
だからあの日の電話。今も忘れない。
あの日の電話の鳴り響く音が、今も時々頭の中で鳴り響いてる。
別れの音。
ふたりの時間が止まる音。
ふたりの時間の終わりを告げる音。
「春木さんの、春木ようこさんのお電話でお間違いないですか」
見知らぬ声によって私の名前がコールされる。
「はい…そうですけど」
「私、森本の母でございます。夜分遅くにすみません」
森本くんのお母さん…?
森本くんのお母さんには以前会った事があった。長期の休みに彼の実家まで連れていってもらったことがあるから。
「お母さんですか?どうか…したんですか」
私の知っている声なのに、電話口から聞こえる声は強張っていて。
嫌でも不安な気持ちが生まれてきた。
「………」
すぐに応えのない無音の時間。
私の中で生まれた不安は大きくなるばかり。胸騒ぎが私を狂わす。
「…森本くんに…何かあったんですか」
よく耳を澄ましていると、小さく電話口から聴こえる音。。
お医者さんや看護士さんの声。。
「お母さん!何かあったんですね!」
「うっ」
と嗚咽をもらして、声を震わして答えをくれた。
「ようこちゃんあの子、今夜実家に戻ってくるって…夜遅くにごめんって…駅から歩いて行けるから迎えに来なくていいよって…駅から40分もあるのに…歩くって…電話で言って…私車出すからって言ったんだけど、いいからいいから家で待っててって…少しひとりで考えたいことがあるからって…」
鼻をかんだのか、少しの間があって、また話が続けられた。
「ようこちゃんも知っているでしょう?駅からうちまで広い道路なの…田舎だから人もあまりいないし、車だってそんな頻繁に通らない道なのに…どうして……」
そして泣き崩れるような声がこだまする。
「あの子が…あの子が………」
「お母さん…あの」
怖くて、でもその先が知りたかった。
「…ようこさん、ごめんなさいね。。あなたをおいていったあの子を許して……」
ああ…
間違いないのね
あの人は 森本くんはもうこの世にいないのね。。
何も言えない私を、暗闇が包んでいった。
何も聴こえない。
聴こえるのは、彼の声だけ。
『ようこ』
彼と最後の別れをしたのは、初夏だった。4年の夏が始まろうとしているころ。
あの人にぴったりな季節。。。
森本くんのお母さんから、渡したいものがあるって言われて。
でも、心の整理ができた時でいいからって言ってくれて。
すぐには森本くんの実家に迎えなかった。
あの長い列車の時間をひとりで過ごすのはあまりにつらくて。
一緒に過ごした彼をきっと強く強く思い出してしまうから。
卒業研究も忙しくなって、なかなか時間も取れなくなっていった。
だけど、お便りは送っていた。
森本くんのお母さんに。いろんなことを書いて。。。
そして今、気持ちの整理ができたから。私もこの春には、森本くんの面影が残らない会社へ努めることになる。その前にもう一度、大好きだった彼に会いたくて会いたくて。
そんな気持ちがひとり旅に向かわせた。
「ようこさん!」
明るい、でも少し泣きそうな表情をした森本くんのお母さんが駅に向かえに着てくれていた。
お母さんも私を見るのはつらいでしょうね。だから私は思いっきり笑顔で挨拶した。
まだ冬の寒さが残るこの季節。
でも日が少しずつ暖かくなっていて、私を少し暖かくした。
「長旅疲れたでしょう。さあ早く家に行きましょう」
お母さんの運転する車の助席に乗って、のどかな風景を眺めた。
広々とした場所に森本くんの実家がある。
玄関から家に上がらせてもらうと、森本くんの匂いがしたように思った。
森本くん…
ふっと涙が出そうになって、慌てて靴を脱いだ。
森本くんのご家族と一緒の時間を過ごし、夜になると、お母さんが私のところへ来た。
「ようこさん、今日は来てくれてありがとう」
「いえ、私こそこちらへ来るのが遅くなってすみませんでした」
「いいのよいいのよ。それでね…以前言ったと思うんだけど…」
…私に渡したいものがあるってこと
「はい」
私は小さくうなずいた。
「これね…あの子のバックの中に入っていたものなの」
取り出したものは小さな箱だった。
大切に大切に仕舞われていたんだろう。長い時間が経っているにも関わらず、その箱の包みはとても綺麗で。。でもそれがとても切なくて。。
お母さんの小さな手から私の手へ伝わる。
静かに開ける。
「……」
パッと顔をお母さんに向ける。
お母さんも私をずっと見ていた。切ない表情で。
「ひとりで考えたいことがあるって、あの時言ってたの。もしかしたらまた、あなたをうちに連れてくるかもって言ってたの」
「…はい」
「あの子の気持ち、少し遅かったわね」
そして私を抱きしめてくれた。
私の頬には涙が光って落ちていく。
もう我慢しなかった。涙が後から後から流れていても。
私の手に握られたひとつの約束が、やっと私まで届いたことに。
彼の私への想いがとてもとても伝わってきて。
もう果たされない約束。
だけど、私の心に刻まれた愛のメッセージ…
きっともう、この約束が私の指に永遠と留まることはできないけど、
ねぇ森本くん。今日だけははめさせて。
私の夢だったのよ。
そんなこと言ったら笑うかな。
空の上から笑ってしまう?
ううん、きっと優しく微笑んでくれる。
森本くん、さよならだね。
でも私はきっとずっと心であなたを想ってる。
もうすぐ春が来るよ。
初めて会った時言ってくれたね。
覚えてる?
『春木さんか。まさにちょうど今にぴったりな名前だね』
『でも春っていろんな準備があったりして忙しなくない?』
『そう?これから始動って感じで俺は春が一番好きだけどな』
あなたの好きな季節がやってくるよ。
この暖かい陽だまりに、私の心があたたまっていく。
森本くん、ばいばい。ありがとう。
彼が愛したこの風景をもう一度車窓から眺めて、私はゆっくり目を閉じた。
この長い列車の時間、夢の中であなたに会えると期待して。
指には春を呼ぶやわらかい光がリングを反射していく。
ハートのモチーフの指輪がキラキラと静かにきらめいて、私を春の夢の中へ連れて行く。
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