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家の庭先から母親が何ごとか怒鳴っていたようだったが、それには構わず僕は彼女に背を向けたまま、田んぼのあぜ道を森のほうに向かって歩いていった。 僕のわきの下をそっと通り過ぎる風がずいぶん涼しくなって、田んぼの稲が夏の暑さに疲れたのか、だるそうに稲穂をだらんと垂れ下げている。 焚き火をするにはちょうどいい季節になった。 もちろん、夏だって春だって焚き火をしないわけじゃないけれど、やっぱりこの季節がちょうどいいということだ。 僕の焚き火はちょっとしたもんだ。 始める時間は、日がだいぶ西に傾いた今くらいの時間がいい。 場所はあの大ケヤキの下以外にはちょっと考えられない。 それはたまたま僕の家のそばの森の入り口に大きなケヤキの木があって、ずっと前から僕がそこで焚き火をしていたからというだけのことかもしれない。だけど、仮に別の場所で自分が同じように焚き火をしているところを想像してみても、なんだかいまいちピンとこなかった。 やっぱり焚き火をするならあの大ケヤキの下だ。とても大きなケヤキの木だ。歩きながら、もう近くまで迫ったそのケヤキを見上げると、あらためてその大きさに圧倒される。僕や僕の祖父が生まれる前からずっとここで生きているんだ。 焚き火に必要なものは、荒綿織りのブランケットが一枚とマッチ一箱、それに小型のラジオカセットデッキ。それだけ。 家には親父の100円ライターがたくさんあるけれど、ライターで着火する焚き火なんてとんでもなくナンセンスだ。 今日くらいの風だったら、風向きに注意さえすればほとんど影響はない。 僕はケヤキから3メートルほど離れたいつもの場所に、半折りにしたブランケットを丁寧に敷いて、その上にラジオカセットデッキを倒れないようにそっと置いた。 そして森に焚き火の素を取りにいく。 燃やすものには事欠かない。森にはからからに乾いた杉の枯葉やちょうどいい太さの枝がたくさん落ちている。一生焚き火をしたってまだ余るくらいたくさんあるのだ。森の農道をゆっくり歩きながら、手ごろな枯れ枝を少しずつ集めていく。 でもまあ、僕がこんなふうに好んで焚き火をしているだなんてクラスの連中にはとても言えないな。今のところ誰にもばれていないけど、高校2年にもなって、学校が終わると毎日のように森に出かけ、ただ焚き火をしているなんて知れたら皆の笑いものになってしまうのがオチだ。とくにあの藤本のやつなんかに知れたらすぐ学校中の笑いものになっちまう。 あいつにはホント腹が立っちまう。僕は初めからあんなやつとは関わりあいを持つべきじゃなかったんだ。今さらそんなことをいったって遅いんだけれど。 一抱えの枯れ枝を集めると、僕はケヤキの下まで戻ってブランケットの上にあぐらをかいて座り、集めた枯葉や枝を座ったまま手が届くところに置いた。
遠くからトラクターだか稲刈り機だかのパタパタというエンジン音がかすかに聞こえてきた。 地面の土や小さな石が昔のLP盤くらいの大きさで黒く焦げていて、このまえ焚き火をやったときの灰や小さな炭がそこにそのまま残っていた。 同じところに僕はまず杉のトゲトゲした枯葉をこんもりと敷いて、その上に空気が十分に入り込めるように細い枝を格子状に積み重ねていった。 マッチを一本擦って杉の枯葉の奥にそっと差し入れる。 枝の隙間から灰色の煙がたちはじめ、すぐにぱっと赤い火が点いてパチパチと小気味良い音を立てながら勢いよく杉の枯葉が燃えだした。 さらに割り箸くらいの太さの枝を何本も折ってその赤い火の中に投げ入れていく。 この段階ではあまり余計なことは考えずに、しっかりと火を操作する。 杉の枯葉が燃え尽きる前に細い枝にきちんと火を移さなければならないのだ。 火はみるみる大きくなり、僕の顔を熱く照らした。それでも僕は、目を細めながら木の棒を使って火床をいい具合に調節していく。 やがて杉の葉が白い灰になるころに、予定通り細い枝にきちんと火が燃え移った。 今度はもう少し太目の枝を靴の底を使ってへし折り、慎重に角度をつけながら火の中心に置いていく。ここまでくると、もう煙は一切立たない。煙は最初に杉の枯葉が燃え出すときだけだ。煙の多い焚き火なんて子供の火遊びとなんにも変わらない。 そのうちに太目の枝にわずかに残った水分が熱せられてシューッという音を立てながら片方の端から泡となって噴き出してくる。さらに2、3本の枝を投入し確実に火が燃え移るまであまり動かさないようにする。 ちょっとタバコが吸いたかったけれど、あいにく家には母親がいて親父のをくすねることができなかった。 僕はラジオカセットのスイッチを入れ、ダイアルを回しながら音楽を流しているチャンネルを探していった。ちょうどグレッチェン・ウィルソンの「ノット・バット・フォー・ア・バーテンダー」をかけている局があったので、そこに合わせてまたデッキをブランケットの上にそっと置いた。 焚き火はちょうど理想の大きさに落ち着きつつあった。 コーヒーなんかを沸かす場合は別にして、焚き火は小さいほどいいものだ。大きすぎる焚き火では、なんだかそわそわしてしまってとても楽しめない。太目の枝の先が4、5本燃えているくらいの小さいのがちょうどいい。 小さくてちょうどいい大きさの焚き火を作り出すことだけでもとても難しいのだけれど、それに加え僕はその大きさの焚き火をずっと持続させることができる。これは慣れない人にはまず無理な芸当だ。僕の親父だってたぶんできないだろう。だけど僕は、その気になれば一晩中だってそれを続けていられる。でも残念ながら焚き火にちょうどいい今の季節は、外で寝るにはちょっと寒すぎる。真夜中まえには家に戻ってベッドにもぐり込まなければ風邪を引いちまう。 僕は片肘をついてブランケットの上に寝そべり、木の棒で少し焚き木を動かして火を調節し、パチパチと音を立てながらゆらゆらと揺れる火をじっと見つめた。 もう陽は沈んで、森の奥のほうはすでに真っ暗だった。風は相変わらずわきの下をそっと吹き抜け、僕の焚き火の周りだけがぼんやりと明るく暖かかった。 僕はまたしばらくじっと火を見つめていた。見ているうちにそのゆらゆら揺れる火は、なんだかとても無責任な火に思えてきた。 最初はちょっとした小さなことだったんだ。ちょっとしたどころか、藤本になんかまったく関係などなかったはずだ。 それなのに、やつはでしゃばって圭子にまであることないこと勝手に言いふらしやがった。いっそのことあのときこっちからぶん殴ってやればよかったんだ。だれど、くそっ、なぜか僕はそうしなかった。 いつもそうだ。僕はいつもあとになって後悔ばかりしているんだ。 月曜になったらまたあいつと顔を合わせなければならない。そう思うと僕はさらに気が滅入ってきた。圭子もたぶん木村の側につくだろうし。 僕は手に持っていた木の棒を傍らに投げ出して、大きなため息をひとつ吐いた。 焚き火は相変わらず無責任な小さい火を、ゆらゆらと揺らしている。 すごくタバコが吸いたかった。 ラジオのボリュームを少し上げ、両手を頭の後ろに組んでごろんと仰向けに寝転んだ。ラジオはレナードスキナードの「チューズデイズ・ゴーン」を流していた。 頭上の大ケヤキはその広く長い枝をいっぱいに広げて、初秋の夕方を見事に支配していた。 僕の小さな焚き火なんかでは一向に動じる気配のない、とんでもなく大きくて数え切れないほどの夏を通り越してきた、とても古いケヤキの木だった。 |
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バードさんらしい、静謐な一篇ですね。この作品を読んで、昔、友人の弔問に行った際、心臓外科医である彼女のお父さんと、暖炉に薪を投じながら、いろいろな話をしたことを思い出しました。家庭では小規模な場所に封じ込められている火も、自然の中では命を取り戻すんですね。彼の繊細な気持ちの揺らぎが、控えめな炎に重なって見えました。
2006/9/23(土) 午前 10:07 [ * ]
いいよ!面白い。焚き火の話のテンポが良くて、バードの声が聞こえてくるようだった。焚き火というある意味別の世界の話をしているのに、所々思わせぶりな現実の話(個人名とか)を織り交ぜるのが、逆に現実の話の印象とか興味を強くしているように思います。多分、長編青春小説とかの書き出しにぴったりだと思います。
2006/9/23(土) 午前 10:08
やさしい流れでとってもGood! そして焦点がズレてないから ちょっとしたエッセンスで情景が浮かび上がります♪ 今回も楽しかった^^ はやくー次回作まってますぅ♪ 傑作ポチッ!^^!
2006/9/23(土) 午前 11:48
私も、昔お風呂を沸かしたり、焚き火をしたり、じっと火を見つめた頃があります。明るさの表現もあり、読みながら焚き火のそばに自分も居るような、何かの深い懐の中のような気がしました。(誤字1箇所発見!)
2006/9/23(土) 午前 11:54
集さん、読んでいただきありがとうございます。読んで景色を思い浮かべていただいたり、なにかを思い出していただけるって、僕にとってはいちばんの出来事です。彼女とお父さんの思い出が、集さんにとってつらい思い出でなければよいのですが・・・。集さんの流れるような文章みたいに書きたいといつも思っているのですがなかなかうまくいきません。
2006/9/23(土) 午後 8:44 [ 塩野崎バード ]
たるるさん、こんばんわ!いいですか!!?ありがとうございます!そんなふうに書きたかったのです!もしあれでしたら、今度枕元ででも朗読させていただきます(笑)。長いお話も書きたいのですが、集中力が足りなくてだめですねぇ。いつか頑張ってみます!
2006/9/23(土) 午後 8:45 [ 塩野崎バード ]
teraizmさん、こんばんわ!読んでいただきありがとうございます。やさしく書きたかったのでとてもうれしいです!おお、傑作ポチッ!ありがとうございます!teraizmさんの励ましを頼りに僕はがんばっております!いつもありがとうございます。またよろしくお願いいたします。
2006/9/23(土) 午後 8:45 [ 塩野崎バード ]
COMOTOさん、ありがとうございます。火を見ているととても心が和むんだそうですよねぇ。僕も火は好きです。火事とかは好きじゃないですけど(笑)。人間は火を獲得してここまで進化したのですよねぇ。おっ、誤字は見たかったことにしてください(笑)!
2006/9/23(土) 午後 8:46 [ 塩野崎バード ]
はい、見たかったことにします。^ ^
2006/9/23(土) 午後 9:24
うおっ、もとい!見なかったことにしてください!いや、見ろかったことに、かな?(笑)
2006/9/23(土) 午後 9:38 [ 塩野崎バード ]
お休みしてるので。のんびり、浸って読んでます。すっごく雄大な自然を感じて。時間が静かに流れてるようです。でも。僕の心の中は小さな出来事に、また後悔してみたり。そ〜んな様子が目に浮かびます。慌ただしい毎日でも、こんな静かなひと時を持ちたいものです。
2006/9/25(月) 午前 9:24 [ - ]
こういうの、好きです。焼き芋が食べたくなりました。
2006/9/25(月) 午前 10:23
RIEさん、こんばんわ!読んできただきありがとうございます。のんびりがいいですね。自然や静かな時間の流れというものはとても大事なもののような気がします。この中の「僕」も何年か後にはそれに気付くことになると思います(笑)。ありがとうございます。
2006/9/25(月) 午後 7:37 [ 塩野崎バード ]
ラブ康さん、こんばんわ!読んでいただいてありがとうございます。好きと言ってもらえた!感激です!焼き芋うまいですよね。焚き火で焼くのはとてもムヅカシイです。アルミホイルに包んじゃうとあの香ばしさが損なわれますし、焼きすぎるとパッサパサ。とてもサザエさんのカツオのようにはいきません(笑)。
2006/9/25(月) 午後 7:37 [ 塩野崎バード ]
これは一つの心象風景だと思いますが、焚火や欅の木がメタフォアーになっていて良い感じです。shinozakibirdさんの主人公は、所謂世間というものに居心地の悪さを感じている。それはshinozakibirdさん自身も、「世の中」に一種の窮屈さを感じているからではないでしょうか。ちょっとそんな気がします。もっとも、それを表すのが、詩であり、小説でもあるのですが。
2006/9/27(水) 午後 0:07
NANAMIさん、読んでいただきありがとうございます!自分ではあまり意識したことはないのですが、ううむ、たしかに銭湯などの大浴場がちょっと、いやかなり苦手です。銀行のATMに2人くらい並んでいると、もう素通りしてしまいます。深く読み取っていただき感激です。日々、精進であります。
2006/9/27(水) 午後 8:55 [ 塩野崎バード ]
やっぱり、焚き火には焼き芋でしょ。 話に締まりなくなってきた。
2006/9/30(土) 午後 1:02
whvnovaさん、こんばんわ!焼き芋はほんとおいしいですね。ホクホク、ホクホク
2006/10/1(日) 午前 2:15 [ 塩野崎バード ]
秋は大好きです。もうあの雰囲気が、秋風・芋・枯れ木・枯葉・銀杏笑。それにロマンチック!すごく絵になるお話でした。
2006/10/8(日) 午後 6:18 [ ten*o81 ]
tenpoさん、おお、ああ、ありがとうございます!僕も秋が大好きなのです。銀杏が良いですよねぇ(笑)。でもなんだかここんとこ寒くて、すぐ冬が来てしまいそうです。冬は冬でいいとこありますけどね。雪見ダイフクなんか(笑)。
2006/10/8(日) 午後 10:54 [ 塩野崎バード ]