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僕が気持ちよくベッドで寝ていたら、突然電話が鳴った。 電話なんてものはいつだって突然なわけだけど、僕はぐっすりと眠っていたからことさら突然に思えた。 電話機は枕元に置いてあったから、僕は寝ぼけたまますぐに受話器をとった。 「カミナリだと思ったら電話のベルだった。――もしもし」 『行っちまったよ!行っちまったんだよ!』 間違いなくいたずら電話だと思ったけれど、よく思い出してみると聞いたことのある声だ。 僕の古い友人で、名前はフォーク。 「なにを言ってるんだ?」 『行っちまった。車に乗ってスーッと行っちまったんだよ!』 「・・・なにが車に乗って、どこに行っちまったんだ?」 『彼女だよ!どこに行ったかなんて俺が知るか!』 「なあ、フォーク。こういう場合、急に電話で起こされた僕のほうが怒って当然のような気がするんだけどね」 『なにもおぼえてねえんだよ。せっかく彼女に会ってメシ食ったのに。気がついたらなにもおぼえてねえんだよ!俺はどうすりゃいいんだ』 「彼女って、あの言ってた子か?たしか、名前はバターナイフ?」 『そうだよ。その彼女だよ。ああ、くそっ!』 「会ったのか?メシ食って?」 『ああ、電話したんだよ。冗談ぽく、デートしてくれるか?って。そしたら、いいよ。って。それで今日に決めたんだ』 「で、いま会って、メシ食って、彼女が帰ったわけか」 『そうだよ。2時間前に会って、――ずいぶん久しぶりだったよ。メシ食って。彼女行っちまったよ!なにもおぼえてねえんだよ!』 「それがわからん。どうしてなにもおぼえてないんだ?」 『くそっ!理由なんか知るか!・・・いいか、俺は最後にするつもりで彼女に会ったんだ。これっきりにしてもう2度と会わない。俺のことなんかなにひとつしゃべらずにな。だから、ぜったい忘れないように彼女の顔ずっと見てた。話しているあいだもメシ食ってるあいだも。――味なんかぜんぜんわからなかった。瞬きさえもしないでずっと見てたんだよ。目をつぶったら彼女の顔がまぶたの裏に映るくらいにおぼえていよう思って。声だってちゃんと聴いていた。彼女、きれいな声なんだよ。ヘッドフォンつけて聴くみたいに聞こえるように耳を澄ませてずっと聴いていた。いいか、俺は今日のことを頼りにしてこれから生きていこうと決めたんだよ。本当に今日が最後だったんだ。だから、なにひとつ忘れないように、それこそ全身で彼女のことを見ていたんだよ。それなのに、彼女が車に乗って行っちまった瞬間に、なにもかも忘れちまったんだよ!どうやっても思い出せないんだよ!』 僕は「もう一回会えばいいじゃないか」と言おうとして言葉を飲み込んだ。 フォークが最後だと言うならば、それは最後なのだろうと思ったのだ。 「まったくなにもおぼえてないのか?」 『・・・楽しかったよ、2時間。彼女も楽しそうに笑ってた。すごくたくさんいろんな話もした』 「おぼえてるんじゃないか」 『なに話したかなんてまったくおぼえてねえよ!俺は彼女の顔が見たいんだよ!彼女の声を思い出したいんだよ。楽しいなんてあたりまえだ!いままでだって、会うたびいつも楽しかった。彼女だもん、そんなのあたりまえだ。俺は今、目をつぶって彼女の顔が見たいんだよ!それだけが頼りだったんだよ。ああ、くそっ!いったいどうすりゃいいんだ』 「彼女には最後だって言ったのか?」 『言うわけねえだろ、そんな意味ありげなこと。困らせるだけだってんだよ』 「・・・なあ、フォーク。いま何時だ?」 『ああっ?・・・10時だよ』 「夜のか?」 『あたりまえだ!朝の8時から女の子とメシ食うやつがどこにいるんだ!?たとえいたって朝の8時でOKする女なんて俺はいやだ!」 「最初に言えばよかったんだけどな、僕は12時から夜勤なんだよ。いま電話切れば、あと1時間は寝られる。なあ、フォーク。お前がひどい状態だってことは重々わかるけど、僕の夜勤も相当きついんだぜ。わかるよな」 『夜勤って・・・』 「フォーク、おまえはきっと大丈夫だ。なんとかなるよ。じゃあな」 『おい――』 僕は電話を切った。フォークがどう思おうと、僕の夜勤は相当きついんだ。1時間でも多く寝ていかないと体がもたない。
布団を少し直して、きちんと枕の上に頭を置いて目を閉じた。 でも、いくら待っても眠いような感じにはならなかった。 電話なんかでしゃべったせいで、僕はもう目が冴えてしまったのだ。 少しがっかりして暗い天井を見ながらいろいろ考えていたら、なんだかフォークがかわいそうになってきた。 彼女の顔を思い出せないなんて、僕だったらゴメンだな。 時計を見ると、もう10時半を過ぎていた。 僕は眠ることをあきらめてベッドから出た。 そして、ちょうどいい具合に昨日グレッチェン・ウィルソンの新しいレコードを買ったのを思い出したので、それを聴くことにした。 僕の小さいステレオセットはいつも調子が悪いからちょっと心配したけれど、レコードをセットしてスイッチを入れるとうまい具合に曲が流れ出した。 ――グレッチェン・ウィルソンの新しいレコードはとても良かった。僕にぴったりだ。 聴いてすぐに良いとわかる種類のレコードだ。何度も聴いて、いつかふと良いと思うレコードがいちばん良いのだけれど、こういう種類のレコードだってすごく良いのだ。もしかすると、昨日買ってすぐ聴かずに一晩寝かせたから良くなったのかもしれない。そういうことって、あり得ないとも限らないじゃないか。 値段はたしか2500円だった。これならあと1000円は払ってもいい感じだ。 期待していたよりもずっといいレコードだと思った。 3回繰り返して聴いたところで、時刻は11時45分になっていた。 僕は少し考えて、このまま夜勤は休んでしまおうと決めた。 電話はまあ、しなくても大丈夫だろう。 新しく買ったレコードがひどく気に入ったときは、だいたいの人は仕事を休むもんだ。とくに夜勤だったらなおさらだ。 それにしても、僕だったらゴメンだな。はっきり言って落ち込むよ。地獄だと言ってもいいかもしれない。 これまでも、そしてこれからもずっと想いつづける女の子の顔を思い出せないなんて、僕だったら本当に、絶対にゴメンだ。 |
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あまりに想いが強すぎて、極限状態を越えちゃったのかなぁ?
私も二度と会えない人でも、記憶にとどめておきたいんだけど・・・私の記憶装置は永久じゃないみたいで。。゚(゚*ω⊂ ガンバレ!フォ〜クさん!!
2007/6/20(水) 午前 2:17 [ ☆☆☆ ]
スプーンの夜勤は相当きついんでしょうね。僕も電話嫌いだし、彼のしんどさ加減は判るような気がします。記憶力には滅法自信のない僕ですが、好きだった人の顔はばっちり覚えてますね。それだけに、フォークの無念さが忍ばれます。そう言えば、仕事を休むぐらいいいレコードに、最近出会えてませんね。今度探してみようかな。
2007/6/20(水) 午後 6:10 [ * ]
ここ3年電話線は抜いたままの為、電話の存在を忘れつつあるムラサキです。フォークさんはなぜ最後と決めてたんでしょうカ。夢にバターナイフさんが出て来ても、顔にはモザイクがかかってるんですネ、お気の毒です(笑)レコードはもう一日ねかすと更においしくなるでせう、きっと、たぶん。
2007/6/20(水) 午後 8:15 [ - ]
フォークの気持ちわかるなぁ・・・。オイラも大好きなコの顔を思い出せなくなったら、誰彼構わずわめきたくなる。フォーク、オイラなら何時間でも電話につきあってやるよ。
2007/6/20(水) 午後 9:45
む〜さん、読んでいただきありがとうございます。人間の記憶装置って、たとえばフロッピー・ディスクみたいにはいかないみたいです。でもだからこそ、思い出ってものも作られるのでしょうね。ときにはそのほうが良いときもあるのでしょう。フォークはたぶん大丈夫ですよ♪なんかうまいもんでの食わせればOKです(笑)。
2007/6/21(木) 午前 2:17 [ 塩野崎バード ]
集さん、読んでいただきありがとうございます。おお、「スプーンの夜勤」と言っていただけた!うれしいです!文中では「僕」としていたので。記憶力に関しては僕もエキスパートです。コーヒー飲みながら、「ああ、コーヒーが飲みたいなぁ」と思ったこともあります。・・・いや、これは記憶力云々ではないですね(笑)。いいレコードに出会えるといいですよね。集さんは音楽家さんでもいらっしゃるから、いままで幾度となく仕事サボってるんでしょうね。・・・あ、いや、失礼しました♪傑作ありがとうございますっ!
2007/6/21(木) 午前 2:18 [ 塩野崎バード ]
小夜さん、読んでいただきありがとうございます。さ、3年もの長きに渡ってですか!憧れてしまいます。僕も集さんといっしょで電話が大嫌いで、あんなもん取っ払っちまおうと思うのですが、ありもしない吉報なんかを漠然と待っていたりなんかしてなかなか踏ん切りがつきません。お、夢に出てきたりなんかしたらフォークはさらに「どうすりゃいいんだ!」ってなりますね。ウザイくらいに(笑)。了解です。もう一晩寝かせます。「泳げたいやき君」とかでもうまくいきますかね(笑)?
2007/6/21(木) 午前 2:18 [ 塩野崎バード ]
たるるさん、読んでいただきありがとうございます。おお!たるるさんのような良き理解者がいらっしゃってくれて、彼はとても喜んでいると思います。さっそくたるるさん宅にお電話を差し上げるよう伝えておきます。おそらく5時間くらいはわめくと思われます。嫌気がさしたら受話器をテーブルに置いてお風呂とかに入っていただいてけっこうです(笑)。読み取っていただけた!ありがとうございます!
2007/6/21(木) 午前 2:19 [ 塩野崎バード ]
あのぉ、でもどうしてフォークにバターナイフにスプーンというネーミングなのですか?私はこのタイトルを読んでてっきりshionozakiさんのお気に入り食器紹介記事だとばかり思いました。
2007/6/21(木) 午前 8:51 [ ささ鳴き娘 ]
うーん、フォークくんツライですねぇ。
しかし、やっぱりまた会えばいいじゃんって思うんだけど・・・それより、スプーンくん、明日出勤してクビにならなきゃいいですね。
一応大事っすよ・・・仕事(笑)
2007/6/21(木) 午後 3:25
フフフ。って笑ってはいけませんよね。内容はもちろんのこと、皆さんとshinozakiさんとのコメントのやり取りに、思わず笑みが。。。
2007/6/21(木) 午後 7:03
ささ鳴き娘さん、読んでいただきありがとうございます。おっ、よいご質問をいただきました♪えっとですね、・・・ええと、あの、・・・その、ごめんなさい。意味がないんです(笑)。あ、でもですね、すこし前から「フォークとバターナイフ、それとスプーン」という言葉が僕の頭の中にあってですね、出てくるのがちょうど3人だからそれを名前にしたんだと思います。ハハハ。ちなみに僕は、カレーライスをフォークで食います。
2007/6/22(金) 午前 11:35 [ 塩野崎バード ]
houshyoさん、読んでいただきありがとうございます。僕もそう思います(笑)。houshyoさんは「ハウリング効果」ってご存知でしょうか?アンプを通したスピーカーにマイクを近づけると、スピーカーから出た振動(音)をマイクが拾い、その音がより大きくなってスピーカーから出力され、またその音をマイクが拾い、またスピーカーから・・・、というように音がどんどん膨れ上がるのです。フィードバックともいうそうです。マイクを離せばすぐにおさまるのです。なんかそんなのを想像して書きました。いわゆる「訳がわからない」ってやつですね(笑)。スプーンがやった欠勤は3回目までは大丈夫なようです。4回目でクビになりますね♪実は、実践したことがあります(笑)。
2007/6/22(金) 午前 11:36 [ 塩野崎バード ]
サイパンさん、読んでいただきありがとうございます!おお、笑っていただけて嬉しいです♪皆さんにコメントをいただけて、僕はとても嬉しいです。ありがとうございます。そうそう、笑っちゃうといえば、昨日の夕方、僕はパンを焼いて、なにやら緑色の点々の付着したバターを塗ったバタートーストを食ったのですが、今になってなんだか腹が痛いのですよ。なんだったら冷や汗も出て、それに手が微妙に震えるんです。ハハハ、笑っちゃいますよね。・・・って、もしかするとこれ、笑い事じゃないですかね!?・・・大丈夫か、俺!
2007/6/22(金) 午前 11:37 [ 塩野崎バード ]
おひさしぶりです♪暫くご無沙汰していたら新作が2つも!!感激です♪
なにがステキって、夜勤を休んでしまう潔さ!あたしも嫌な気分の時より、ご機嫌が良い時こそ仕事をしません^^
2007/7/1(日) 午前 9:22
teraizmさん、読んでいただきありがとうございます。お久しぶりです♪なかなか気の利いたお話が思い浮かばず、頭をかきむしる毎日であります。teraizmさんは湿気多きこの時期、いかがお過ごしでしょうか。そうですよね♪ゴキゲンなときって仕事する気がしないですよね!そんなときはしなくてもいいのですよ。あ、でも不機嫌なときもそれはそれで仕事する気が起きませんねぇ。・・・どっちにしても、しなくていいってことですね(笑)。
2007/7/2(月) 午後 7:11 [ 塩野崎バード ]