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先週の初めに、マサトと別れた。 仕方なかったんだ。このままではお互いのためにならないと思った。マサトは、そんなことはないと言った。でもこのままでいても、いつかはそうなってしまうことを、私はわかっていた。 こんなカタチでは終わりたくなかったけれど、それは仕方のないことだったんだ。 ・・・でも、あれから一度も連絡してこないなんてちょっとひどいじゃないか。マサトはもう、きれいさっぱり終わりにできたのだろうか。それとも、私からの連絡を待っているのだろうか。 もしそうだとしたら・・・。いや、よそう。それではきっとお互いのためにならない。 あれから一週間経つというのに、考えるのはあいつのことばかり。私はまだマサトのことが好きなのだろうか。マサトはどうなんだろうか。 この半年間、私は純粋に楽しかった。マサトといろんなところに行った。マサトのために料理も作った。素敵なセックスもたくさんした。 一人でいるとついつい考えてしまう。少しでも誰かに聞いてもらえたら・・・。といっても、美香はハワイだし、幸司は出張。マサミは実家に帰っていてユウスケは相変わらず。 ああ、誰かいないだろうか。ウィンドウショッピングも、もう飽きたし。 ・・・そうだ、あのコーヒーショップに行ってみよう。あそこなら誰かいるかもしれない。 ――お店は比較的すいていた。 私は窓側の席に座って、カフェ・ラテを注文した。かっこいいウェイターがにっこりとうなずいてくれた。 そういえば、マサトともよくこのコーシーショップに来たっけ。 あいつは決まってアイスコーヒーだった。ガムシロップをたくさん入れて。甘いものがとても好きだった。私のチーズケーキを――。 いけない、また考えている。もうよそう。 私は大きなため息でマサトを追い払い、顔を上げて店内を見回してみた。 日曜の午後だから、お客さんのほとんどが若いカップルだった。楽しそうに笑ったり、テーブルの下で軽く手をつないだりして、いかにも幸せそうだ。私もついこのあいだまでは彼らと同じように幸せだったのに・・・。 ふと、いちばん奥の席の男の人に気がついた。 楽しそうなカップルたちに紛れて、彼は一人で座りコーヒーを飲んでいる。やけに四角い顔をして、まばたきもせずにまっすぐ前を向いている。 ・・・あ、彼は丸いおじさんだ! 私にはわかった。丸いおじさんのことは前に聞いたことがある。いつも刈りたての角刈りで、顔は野球のホームベースみたいな形をしているのだ。シャツの胸ポケットは左右とも四角らしい。 私は腰を浮かせておじさんの胸の辺りを見た。・・・間違いない、彼は丸いおじさんだ。 噂では、丸いおじさんにはめったに会えないらしいから、私はすごくラッキーだ。美香がよく言っていた。 『 丸いおじさんにはめったに会えないんだよ。どこに住んでいるとか仕事はなにをやっている人だとか、そういうことは誰も知らないらしいの。だけどね、丸いおじさんはすごいの。人の悩みをなんでも解決してしまうのよ。あらゆる悩みを、よ。すごいわよね、丸いおじさん。私も会いたいな。裕子も、もし出会うことができたらぜったい悩みを打ち明けたほうがいいわよ。別れ際にちょっとしたプレゼントもくれるんだって 』 。 ほかのお客さんたちはまだ丸いおじさんに気づいていないみたいだ。私はハンドバックからハンカチを取り出して、まっすぐおじさんの席まで歩いていった。 「ちょっといいかしら、あなたは丸いおじさんですよね?」 丸いおじさんはゆっくりと顔だけを私のほうに向けて、少しのあいだ動かなかった。 「あなたがいま思っていることはだいたい察しがつきますよ。『丸いおじさんは意外と丸くないな』、でしょう。しかしながら言わせてもらえれば、私はなにも自分から丸いおじさんではないのです。誰かが勝手にいい言い始め、それがいつしか浸透していっただけのことでしょう。豆腐は本当は納豆だし、納豆は本当は豆腐なのですよ」 「え?」 「いかにも、私は丸いおじさんです。少なくとも、皆が私をそう呼んでいることは知っています」 「そ、そうですか。それならば丸いおじさん、ぜひ私の悩みを聞いてほしいんだけれど?」 「まあ、いいですよ」 「よかった。じゃ、ちょっと座っていいかしら?」 「どうぞ」 「ありがとう。・・・ねえ、丸いおじさん。いま私すごく悩んでいるの。先週の初めにさまざまな事情があって半年付き合った彼氏と別れなのだけれど、どうしても彼のことを考えてしまうの。食欲もないし仕事にも身が入らな――」 「突然ですけどお嬢さん、あなたはとてもおきれいですね。髪形も素敵だし、お化粧もとっても上品ですよ。やはり毎朝髪をブローしてお化粧なさるのですか?」 「え?ええ、まあ」 「やはりね。先月も、先週もずっとですか?」 「ええ、そうですけど。・・・ぜんぜんそんなことないですよ。お化粧でもしないと恥ずかしくて人前に出られないですもん」 私は少し照れてしまった。こんなおじさんにでも、褒められれば悪い気はしないものだ。 「すいません。話の腰を折ってしまった。さ、どうぞ続きを」 「そうでした。・・・それで私、やっぱり彼と別れるべきじゃなかったのかなって。やっぱり彼を愛していたのかなって。やっぱり、マサトは私にとって運命の人だったんじゃないのかなって・・・。だって、寝ても覚めてもマサトのことばかりなんだもん。・・・でもね、私がこんなに悩んでいるのに、マサトはいったいどう思っているんだろう。あれ以来、電話もメールも――」 「それにしてもおきれいだ。幼いころからそんなにおきれいだったのですか、あなたは?」 「・・・あの、いま私が話しているんですよね?」 少しむっとした。きれいだと言われるのは悪い気はしないが、こう話を中断させられては調子が狂ってしまう。 「すいません。あまりにおきれいなものですから。まるで鶴の恩返しの鶴のようにおきれいですよ」 「・・・つるのおんがえし?」 「そう、鶴の恩返し。知っていますか?鶴の恩返し」 「それは知っていますよ。有名な昔話ですもの。でも、いまは私の話を――」 「とてもきれいな鶴が、助けてもらった老夫婦のために別室に篭って自分の羽根で布を織るのですよ。その鶴が絶世の美人鶴なんです。まさに、あなたですな」 「そんな、いやだ、おじさんたら」 「自分の羽根を抜いて、それで布を織る。恩返しのためなら、文字通り身を削るような自己犠牲もいとわない美人鶴ですよ」 「そうですよね、かわいそうですよね。・・・それでね、私先週からずっと悩んで――」 「ところで、あの鶴はなぜ老夫婦に 『 戸は絶対に開けないでください 』 。なんて言ったか知っていますか?」 「・・・えっ?」 「美人鶴は布を織っているあいだ、 『 戸は絶対に開けないでください 』 。と言って別室に篭ったのです。なぜ 『 戸は絶対に開けないでください 』 と言ったか知っていますか?」 「それは自分が布を織っているところを見られたくなかったからでしょう。自分が本当は鶴だってことを隠すために」 「それがね、違うのですよ。彼女はね、本当は、戸を開けてほしいから、 『 絶対に開けないで 』 。なんて言ったのですよ」 「そんなわけないじゃないですか」 「いえいえ、ところがそんなわけなんです。人間の本質を見抜いている実に頭のいい鶴ですよ」 「おじさんはなにを言っているのか――」 「だってね、 『 開けないで 』 なんて言われたら、たいていの人間は誰だって開けたくなりますよ。本当に開けてほしくなかったら、普通なにも言わないもんですよ」 「でも、なにも言わないでおいて急に開けられたら困るじゃないですか」 「ノックするでしょう。森で罠にかかっている鶴を助けるようなやさしい老人が、人の部屋をノックもせずに開けるなんてちょっと考えられないですよ。ノックがあってから、鶴は人間の娘に変身して何事もなかったかのように老人を部屋に入れればいいだけの話です。それをね、わざわざ 『 開けないでください 』 なんていって老人の興味を最大限に引き出しておいてから、その内こっそり覗かれるだろうことを意識して、不憫な機織に励むというわけですよ。 『 私は自分の羽根を抜いて、自分を犠牲にしてあなた方のために布を織っています。どうです、やさしいでしょう。かわいそうでしょう。同情するでしょう 』 。いやあ、実に頭のいい美人鶴ですよ。自らが演出して、悲劇のヒロインを演じているわけですもんね。それが有名な昔話、鶴の恩返しですよ」 「・・・えっ?」 「いまのあなたにそっくりではないですか。そしてさしづめ、私が老夫婦の夫というわけですね、うむ。ただね、『開けないで』と言われれば、私は開けませんよ。だって、開けないでって言われているんですからね。それに、べつに戸の向こうで鶴、もしくはあなたがなにをしていようとも私はあまり興味がないですよ。さ、では私はこれで失礼します」 「えっ、ちょっ、ちょっと待ってよ、丸いおじさん。あなたは私の悩みをなにも解決してないはないですか」 「そこに悩みがあるのなら、私はそれを解決できますが、なにもなければいくら私だって無理ですよ」 「失恋して悩んでいるって言ったじゃないですか」 「ああ、そのことですか。私は思うのですが、本当の失恋をしたときって、すごく落ち込みますよね。髪とかお化粧などにかまっている暇がないくらい落ち込むもんですよ、おそらく。そして誰とも会いたくなくなり、誰とも話したくなくなるものなんじゃないでしょうか。あなたはきっと大丈夫ですよ、はい。では最後にプレゼントです」 そう言うと、丸いおじさんはポケットから紙切れとペンを取り出してなにやら書きつけ、それを私の前に差し出した。 『 織るのなら 黙って織りなよ 美人鶴 』 私はしばらくその紙切れを眺め、そして少し顔を上げ、コーヒーショップから出て行く丸いおじさんの四角い背中を見送った。 ――おわり
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忘れたころにやってくる丸いおじさんですね。
今回はちょっと厳しい目の皮肉っぽいコトバが多かったっすね。別れて悩んでいる自分、に酔っている。こんなヒト結構いそうな気がします。
2007/10/7(日) 午後 4:59
丸い叔父さんの言うところの「鶴の恩返し」の鶴の心情、
確かにそうでしょうね。納得です。
辛い思いを聞いてもらって可哀相がってもらいたい。
よく分かります。「私」はきっと立ち直れる。新しい恋が、ひょっとすると、明日にも訪れるかも知れませんね★
2007/10/7(日) 午後 10:16 [ ささ鳴き娘 ]
う〜ん。自分が失恋した頃、その話をした時ある人に「自分ばっか、悲劇の主人公になってんじゃないぜ!」って言われたこと思い出しましたよ。「悩んでるの」って話せる時は、悩んでないのかなぁ?
案外、自分のなかで解決してるのかもしれませんねぇ。
2007/10/7(日) 午後 11:19 [ ☆☆☆ ]
これが美男子の鶴だったら、戸を開けないでと言うかなー、どうだろう、と思いました。
まあこの場合「美」男子でなくてもいいんですけど(笑)。
2007/10/8(月) 午前 4:22
すばらしい!ワンダホ〜ォ! おじさんの最後の言葉、思わず吹き出しました^^いや・・・ほんとは吹き出すところではないのかもしれませんねぇ・・・失礼しました(ーー;)世の中には、自分の境遇に酔いしれてしまう人が多いのは確か。そして、喉もと過ぎれば熱さ忘れる!?人間の自己治癒力って、まだまだ捨てたもんではないと思う今日この頃♪またステキなお話し、更新してくださいね〜^^待ってます♪
2007/10/8(月) 午後 1:39
ヤシンタです。世の中には色恋以上に大事なことがあるんですよね。新しい彼氏が出来たら、マサトのことなんか綺麗さっぱり忘れちまうに違いありません。丸いおじさんに座布団一枚。
2007/10/8(月) 午後 3:41 [ xxx*a*catxx* ]
たるるさん、こんにちわ!さっそく読んでいただいてありがとうございます!こういう人って僕の周りにはけっこういるのですよ。まあでも、僕は相談とかされたことないので助かっています。少しは相談してくれてもいいのですけど・・・(笑)。ありがとうございます。
2007/10/9(火) 午前 1:35 [ 塩野崎バード ]
ささ鳴き娘さん、読んでいただきありがとうございます。子供のころあの昔話を読んだときそう思いました。皆もそうだと思っていたのに、案外いろんな解釈があるようで大人になってから驚きました。昔話って大好きなんです。ありがとうございました。
2007/10/9(火) 午前 1:36 [ 塩野崎バード ]
む〜さん、読んでいただきありがとうございます。人間は悩みがないと生きていけない動物だそうです。そういえば、僕もよく悩んでいます。ゲンゴロウを絶滅の危機から救うにはどうすればいいんだ!とかいうことですよ。・・・まあ、ウソですけど。ハッハハ。
2007/10/9(火) 午前 1:37 [ 塩野崎バード ]
luckyさん!読んでいただきありがとうございます。そうですね、どうでしょうか。案外男子のほうが必要以上に言うかもしれないですね。それどころか、最初から隙間を開けておくかもしれません(笑)、いろんな意味で。まあでも、罠にかかっていたのが男子鶴だった、おそらく老人が助けていませんね、いろんな意味で(笑)。ありがとうございました!
2007/10/9(火) 午前 1:38 [ 塩野崎バード ]
teraizmさん、こんばんわ!読んでいただきありがとうございます。基本的に笑ってほしくて書いたので、吹き出していただけたのなら大変うれしいです♪僕もよく酔いしれるのですよ。このあいだも、なにかの集まりで僕の分の弁当だけなかったことがあったんです。いやぁ、酔いしれましたねぇ、どっぷりと(笑)。またがんばって書きます!ありがとうございます!
2007/10/9(火) 午前 1:38 [ 塩野崎バード ]
ヤシンタさん、こんばんわ。読んでいただいてありがとうございます!色恋以上に大切なことはいっぱいありますよねぇ。僕はたとえばトーストの焼き具合のほうが数段大切に思っています。ですから、トーストが焼けるあいだはじっとトースターを睨みつけるようにしています(笑)。やた!座布団獲得!おじさんにはやるのは勿体無いので、僕がもらうことにします(笑)。
2007/10/9(火) 午前 1:39 [ 塩野崎バード ]
そういう解決の仕方なんですね。(汗;)なかなか面白かったです。
2007/10/10(水) 午後 6:41 [ - ]
ふふふ、久しぶりのshionozakibirdさんの文章、いいですね〜♪自己陶酔してしまう乙女心もわからなくないですが…(元乙女としては)丸いおじさんの的確なアドバイスはたまりませんね。
そして、お帰りなさいませ〜shionozakibirdさん!
2007/10/11(木) 午前 0:18
なるほどねえ 確かにそうですね
2007/10/11(木) 午前 10:11
OHさん、読んでいただきありがとうございます。うまい解決法がみつからたかっただけ、というウワサもあります(笑)。またがんばって書きますのでぜひ読んでください!
2007/10/14(日) 午前 2:33 [ 塩野崎バード ]
サイパンさん!読んでいただきありがとうございます。お久しぶりです。またちょっとサボってしまいました♪なにをおっしゃいますか、僕のヒロイン!サイパンさんは現役乙女でいらっしゃいますよ♪おいしい料理を食べに行きます!食べたい!
2007/10/14(日) 午前 2:33 [ 塩野崎バード ]
gokowestさん、読んでいただきましてありがとうございます。幼いときに、たしかどこかのおばさんから初めて鶴の恩がえしを聞きました。「開けてほしかったんだね」と言ったら、おばさんは何日か洗ってない雑巾を見るような目つきで僕を見ました(笑)。
2007/10/14(日) 午前 2:34 [ 塩野崎バード ]
すごい久々にやってきました☆
あいかわらず面白いです〜〜!またふらっと来ますね〜〜〜♪
2007/10/19(金) 午前 0:40 [ RinaToy ]
おおお!rinatoyさん、お久しぶりです!僕はあなたを待っていました♪読んでいただきありがとうございます。面白いと言っていただけるとすごく嬉しいです♪がんばって書きますので、またふらっと、ふらふらふらっと来て下さい!!
2007/10/20(土) 午前 1:55 [ 塩野崎バード ]