ShortStory

あんなヘナチョコ写真でよかったら、ぜひお願いします♪

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ある季節  -下-

 ニセコは日を追うごとに寒さを増していき、僕はめったに風呂に入らなくなった。
 替えの下着を持って大浴場まで行ってみるが、脱衣所に先に入っている人のスリッパがあると、そのまま西棟の部屋に戻った。ジェフリー・アーチャーの短編小説は、最初の一編を読んだだけでベッドの横の床に投げ出したままになっている。食べるものと飲み物がなくなったときだけ、例の食料品店にワインと食パンとソーセージを買いに行き、そのほかは外に出なくなった。食料品店の店主は僕が3度目に行ったときに話しかけてきた。旅行がどうとか雪がどうとか・・・。僕は適当に受け流し、その次からはそこより少し遠くのコンビニエンス・ストアに行くようになった。銀行の封筒に入れたまま持ってきた現金を数えることもしなくなった。ふいに最初の夜に見た不快な夢を思い出しそうになることがあったが、そんなときはワインをぐっとあおったり、洗面所に行って冷たい水を頭からかぶったりして無理に押さえつけた。
 僕に関係なく、時間はよどみなく着実に過ぎていった。川岸に立って静かな水の流れを眺めるように、僕はその時の経過の外側にいた。


 もうここに来てどれくらいの日数が過ぎていったのかわからない。羊蹄山の山頂に薄っすらと雪が降りた日の午後、僕は本館のロビーまで降りていき、低いソファに身を沈めて新聞を広げていた。
 玄関脇の大きな窓から見えるスキー場直行のゴンドラ・リフトが試運転を始めるらしく、何人かの作業員が厚い上着を着て忙しそうに立ち働いていた。
 羊蹄山に積もった雪も活動を開始したゴンドラ・リフトも、僕の目にはいまいち現実味のない絵空事のように映った。
「村井様、少しよろしいでしょうか?」
 急に名前を呼ばれ、少し驚いて顔を上げると、ホテルの制服を着た50くらいの、やけに髪型のきっちりした男が軽い微笑みを浮かべて立っていた。
 この男は何度か見かけたことがある。いくらか偉い立場にあると思われるフロント・マンらしい。
 僕は反射的に後頭部の寝グセを手で撫でつけた。
「ええ、なにか?」
 フロント・マンは表情をもう少し打ち解けたような微笑みに変えて、右手で胸のポケットに差した高級そうなボールペンの柄に触れた。
「おそれいります。ご覧のとおり、この時期はなんと申しますか、ひまでして。空欄ばかりの宿泊予約帳を眺めるのにもいささか飽きてしまいまして、ご迷惑でなかったらお話でも、と思いまして。コーヒーをどうですか?」
 僕は少し考えてから、広げていた新聞を四つ折にしてテーブルに置き、向かいのソファを手で示した。
「おい、コーヒーを頼むよ」
 彼はラウンジの女性に声をかけてから、いくぶんリラックスしたように見せかけながら腰を下ろした。
「失礼します。いや、あとひと月すればスキー客でごった返すのですけどね、毎年この時期は開店休業のような状態です。もっともそれは、私どものホテルに限らずこのあたり一帯に対して言えることではありますが。紅葉の季節も過ぎて雪が降るまでのあいだ、すべてが気の抜けたようになるんです。お湯の出具合にクレームを言われることもなく、食材業者の納品が遅れることもない。仕事が極端に減るんです。ですからね、失礼も省みず自分のひまつぶしのために、数少ない大切なお客様にこうして話し相手になっていただいたりしてしまうのです」
「あなたはもう長いんですか?このホテルは」
 僕は足を組みなおして彼に尋ねた。
「あ、これは失礼しました。私は岡田と申します。・・・もう25年になりますかね。改築する前からずっとこのホテルで働いております。現在はフロント・マネージャーなんていうものをやらされております。と申しましても、シーズン中はクレーム処理係、オフシーズンは備品管理係のようなものですが」
 そう言って彼は声を上げて笑った。
 ラウンジの女性がコーヒーを2つ持ってきた。彼女は低いガラスのテーブルにほとんど音も立てずにカップに入ったコーヒーと伝票を置き、そして立ち去った。
「さあ、コーヒーをどうぞ。・・・失礼ですが村井様、こちらへは?」
 彼はコーヒーに砂糖をスプーンで2杯入れてかき混ぜながら、僕の方は見ずに言った。
「いやもちろん、そのようなことを私が尋ねる権利はないのですが、そのなんと申しますか、オフシーズンのフロント係はときに図々しくなるものでして、聞き流していただければけっこうです」
 僕はこの岡田というフロント・マネージャーの胸につけられたスチールの名札に目を向けていた。そこには当然のように「マネージャー岡田」という文字が彫り込まれていた。
「仕事で来ています」
「ああ、やはり、お仕事で・・・」
「取材なんです。このあたりの自然に関する、少し長めの記事を書かなければならなくて。長めの記事には長めの滞在が必要です。少なくとも、私はそう思う」
 岡田は納得したように大きく頷いてコーヒーを啜った。
「記事とおっしゃいますと、村井様はなにか新聞か雑誌の記者の方でいらっしゃいますか?・・・いやもちろん、これも差し支えなかったらという、オフシーズンのフロント係の――」
 僕は右手を少し上げて笑って見せた。
「そんなところです。どこかの雑誌社に依頼されて書いたり、自分で適当なのを書いてそれを売ったり。中途半端なページを安く埋めるために、僕のようなのはちょうど使い勝手がよいのですよ」
 岡田は、「そんなご謙遜なさらずに」というように何度か頷いた。
「それで今回は、ニセコの自然を・・・」
「そうです。羊蹄山を中心とした、このあたりの自然について書こうと思っています。・・・もちろん、オフシーズンのね」
 岡田はさらに顔をほころばせた。
「それはこっこうですね。自然というものはけっして決まった季節だけのものではないです。とくに羊蹄山はそうだろうと思います。私はもう長いことこの土地に住んでいます」
 ロビーの太い柱に掛けられた仕掛け時計が3時を告げた。
「村井様はお気づきになられていましたか?我々はこのニセコにいるかぎり、ほぼいつでも羊蹄山を見ることができるのです。どこにいても、顔を上げてどちらかの方向を向きさえすれば、そこに羊蹄山を見えるのです。それぞれの方向から、そしてそれぞれの季節で、あの山はいろいろな表情を見せてくれます。パンフレットの写真のように、なにも夏や真冬だけのものではないと、私は思います」
 僕は手を伸ばして前に置かれたカップをとり、少し口をつけた。岡田もそれにつられたように、コーヒーを飲んだ。
「そしてこういう言い方はちょっと感傷的に過ぎているかもしれませんが、・・・我々ニセコの住人は、生まれてからずっと、あの山に見守られている気がするのです。もちろん、親や友人たちとあらたまってそんな話をすることは決してないですが、誰もが心のどこかでそう思っています。誰になにも言いはしませんが、それは確かなことです」
 岡田は少し照れたように、また胸のボールペンに手をやった。
「参考になります」
「いや、お恥ずかしい。オフシーズンのフロント係はむやみに口数が増えてしまっていけません。なにとぞお聞き流しになりますようお願いします」
「いや、地元の方ならではの考えを聞けてよかったです。そういう想いは私みたいなよそ者にはなかなか沸いてこない」
 僕はコーヒーを飲み干し、少し音を立ててカップを受け皿に戻した。
 岡田はもう少しなにか言いたそうに膝の上で組んだ両手をこすり合わせていたが、やがて僕ににっこりと笑って見せてから腰を上げた。
「おじゃましました、村井様。どうかよいご滞在を」
 彼はコーヒー2杯分の伝票を手にし、バーカウンターのほうに歩いていった。しかしすぐ、何かを思い出したように立ち止まって振り返った。
「村井様、お車はご入用ではないですか?もしよかったら私のをお貸し致しましょう。取材なさるのにも何かと便利でしょう。私の勤務時間であればいつでもお使いいただいて構いません。ひどいオンボロですが、そのほうが気兼ねなくお使いいただけるでしょう」
「ありがとう。そのときはそうさせてもらいます」
「いつでも言ってください」
 岡田は僕に向かって軽く頭を下げ、カウンターまで歩いていくと、さっきコーヒー持ってきた女性になに言って、そしてドアの向こうに消えた。
 僕は折りたたんだ新聞をとって顔の前で大きく広げ、機械的にページを繰った。
 泥水のような苛立ちが、みぞおちあたりから落ちて胃の底に溜まっていった。
 とんだ茶番だ。クソでクソを塗り固めたようなクソ茶番だった。
 岡田が僕に話しかけてきたのは、自分のひまつぶしなんかのためではなく、本当は僕のたまった宿泊費の件であることは明らかだったし、僕が雑誌の記者で、取材のためにこのホテルに泊まっているなんてことを、彼はハナから信じてはいなかった。
 そしてそれをお互いが最初から最後まで全部知った上で、阿呆のようなクソ茶番を演じたのだ。
 今にも口から溢れ出しそうな泥水を、僕は深い息をついて必死に押しとどめた。
 さっきと同じ女性がやってきて、また音もなくコーヒーを置いていった。伝票はなしだ。
 僕はそれを冷え切るまでほうっておき、立ち上がって一気に飲み干した。そしてその足で大浴場に行った。
 他に入浴者がいるかどうかなど確かめもしなかった。剥ぎ取るように服を脱ぎ、備え付けのタオルを取って洗い場に座り、液体の石鹸を大量につけて身体を洗った。皮膚が剥がれ落ちそうなくらい強く、肩や胸を擦った。

 『 ああ、やはりお仕事で・・・ 』

 みすぼらしく垂れ下がった陰茎を、半ば殴るようにして洗い、

 『 村井様、お車はご入用ではないですか・・・ 』

 足の指の間をなにかの仕返しのように強く爪で引っ掻いた。
 
 『 お父さんはゴルフ。おじさんはなにやってるの・・・ 』

 火傷しそうなくらい熱い湯を頭から何度も何度もかぶった。

 『 コトネ、静かにしなさい・・・ 』

 目の前の曇った鏡に水をかけ、そこに写った自分の姿を眺めた。鏡は耐えかねたようにまたすぐ無数の水滴をつけ始める。

 『 夏になったら北海道に行こうよ。きれいなホテル泊まって、木を見に行って・・・ 』



 西棟の部屋の窓辺に立って、濡れた髪のまま外に目をやると、そこには薄っすらと雪をかぶった羊蹄山が相変わらず押し黙ったままたたずんでいた。と同時に、今はその頂上からやや斜め上方に白く淡い光を放つ月がひょっこりと浮かんでいる。
 月は自らの光で山を照らすでもなく、妙にちぐはぐな距離を保ったまま、控えめに巨大な山の様子をうかがっているようだった。
 彼もゴンドラ・リフトと同じく、来るべき季節に向けた予行練習を始めたのだ。
 これから毎日、月は山の斜め上に浮かび、やがて寡黙な山が納得する芸術的な定位置を獲得するだろう。多くの人間が訪れる、ちょうどその季節に合わせて。
 僕は部屋の窓を開け放ち、身を乗り出すようにして羊蹄山を見た。凍るような冷たい風が、僕の全身を刺し貫いた。
 山はなにも語らず、僕を見てさえもいなかった。

閉じる コメント(14)

事実や本音を表面化せずに想像させるバードさんの表現力は、ほんとうにすばらしいです!
ひさびさの長作、楽しかった〜♪
次回作、出来るだけ早く!お待ちしております^^

2008/2/4(月) 午後 0:57 ter**zm2004

『 夏になったら・・・・ 』、ドキリとしました。
うまいですねーー

又日の当たる世間との間の本然的な絶望感が痛いです。
文学を書く人は、こうでなくちゃ(笑)。

まあそりゃ、電池が「切れた」と言ってみる人ですからねーー
言ってみる自意識、お察しします(笑)。
(傑作)

2008/2/4(月) 午後 3:13 luc*y8*1*58

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う〜ん・・・うまいこと書けないんですが。
別世界に入り込んだような気分になりました。結構世の中に茶番劇って、多いのかも、って感じました。

2008/2/4(月) 午後 4:30 [ ☆☆☆ ]

体は暖かいのに頭だけが冷えている…読後の感想です。久しぶりの塩野崎さんの世界に感動しました。描かれていない部分を、私たち読み手に自由に想像させてくれる、そんな感じが好きです。塩野崎さんの作品は大好きです♪

2008/2/4(月) 午後 10:03 サイパンだ。

最後の『 夏になったら北海道に行こうよ。きれいなホテル泊まって、木を見に行って・・・ 』が衝撃的です。ここに来る前に彼に何が起こったのか、色々想像してしまいます。そして、どんな想像も正解じゃない気がします。

2008/2/5(火) 午後 9:30 たるる

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teraizmさん、読んでいただきましてありがとうございます。久々の更新にもかかわらず、私のような者のことをお忘れにならずいらしてくれて、僕は感激です。そう言って頂けると、いろいろこねくり回して書いた甲斐があった!と思えます。ありがとうございます。頑張って書きます。来週、・・・いや再来週、うっ、くっ、頑張ります!!

2008/2/6(水) 午前 1:54 [ 塩野崎バード ]

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luckyさん、読んでいただきましてありがとうございます。ぶ、文学だなんて言っていただけると、か、感激のあまり書き物机に丸善の原稿用紙を広げてしまいそうです。いけないいけない。「切れた」と言ったときは、尾崎方哉さんかバショウさんを意識して、一人浸ってしまいました(笑)。傑作ありがとうございます!

2008/2/6(水) 午前 1:54 [ 塩野崎バード ]

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む〜さん、読んでいただきましてありがとうございます。別世界に行っていただけたとなると、僕は書いた甲斐がありました。茶番劇は多いですねぇ。女性にモテたくて「モテるための10の秘訣」ってな種類の本を読む男。・・・茶番ですねぇ。モテる男はそういう本読まないからモテるのにねぇ。

2008/2/6(水) 午前 1:55 [ 塩野崎バード ]

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サイパンさん!読んでいただきましてありがとうございます。おお、最高のご感想をいただけました!ありがとうございます。そういう読み物が、僕が理想とするところでございます。もっと自然に、うまく、自由に、書けるようになりたいです。がんばります。僕はサイパンさんが、大好きです♪

2008/2/6(水) 午前 1:56 [ 塩野崎バード ]

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たるるさん、読んでいただきましてありがとうございます。そんな風に想像していただければよいなぁ、と思っておりました。ありがとうございます。そして、どれも正解だったらよいな、と思います。「〜ホテル」と「泊まって」のあいだに「に」がないのが、少し、ほんの少しだけ、自慢です(笑)。

2008/2/6(水) 午前 1:57 [ 塩野崎バード ]

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バードさんらしい、シニカルでクールな短編ですね。彼の腹立ちや回想をヒントにして、いろんなことを想像させられました。タイトルがいいです。写真が素敵です。とりわけ、最後の一言がいいです。傑作です。

2008/2/6(水) 午後 11:17 [ xox*a*cat*ox ]

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ヤシンタさん、読んでいただきましてありがとうございます!いろいろこねくり回し、またしても訳のわからない代物になってしまいました。でも、せっかく書いたのだから、と思ってUPさせていただきました。ありがとうございます。写真はですね、僕の敬愛する方の携帯写真にあこがれて、何とか真似したいと思って何枚も撮りました。むずかしいです、・・・ヤシンタさん。傑作ありがとうございます!!

2008/2/7(木) 午後 9:15 [ 塩野崎バード ]

うーん。。。相変わらず味があって、読んだ後に「何か」残る感じが堪らんですね。時々、それが何なのか読ませていただきつつ考えてるんですが、未だによくわかりません。
初めてbirdさんの小説にこちらで接して以来ずっとなのですが。。。はて?
ともあれ、これだけ内容のある作品を書くのはさだめし大変だったと思います。お疲れ様でした(^-^;

2008/2/10(日) 午前 11:05 houshyo

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houshyoさん!ありがとうございます。おお、houshyoさんはまだ手に入れていなかったのですね!それはいけませんねぇ(笑)。ナイフは必需品でありますよ♪僕はプチプチシートのプチプチを1コずつ潰すときにナイフを使っています・・・。トラックはさしあたりミニカーでも大丈夫かと思われます・・・(笑)。

houshyoさん、読んでいただきましてありがとうございます。「何か」を感じていただけたなんて、僕にとってはこの上ない喜びです。ありがとうございます。
内容はともかくといたしまして、ちょっと前から小さな手帳にダラダラと書いておったのですが、それをテイストファイルにするのが大変でした。キーボード操作はいまだに苦手です。「づ」を出すのに毎回苦労します(笑)。
ありがとうございました。

2008/2/10(日) 午後 1:36 [ 塩野崎バード ]


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