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塩野崎藤十郎物語

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 僕の名前は塩野崎藤十郎。シオノザキトウジュウロウと発音する。

 現在17歳。

 平和とバタートーストをこよなく愛する恋多き多感な模範少年である。

 漆黒の詰め襟学生服に身を包み、少し背中を丸めて低級県立普通科高等学校に通うこの僕は、争いごとと目立つことが大嫌い。できることなら、一世代前の携帯電話アンテナの如くに可もなく不可もない人生を歩んで生きたいと願っている。

 しかしそんな僕のささやかな願いも、僕を取り巻く多くの特異人間たちによってたびたび打ち崩されてしまう。

 ―そう、僕の周りは特異人間で溢れている。

 今日はその特異人間の中の一人、わがクラスの国語担当T教師にまつわる話。

 僕は元来、算数よりは豆が好き、豆よりは文学が好き、文学よりは昼寝が好き、といった具合にまあまあ文学が好きだ。四六時中本を読んだり、平謝りに謝り続けた40年を終え、いよいよ定年を迎て小さい犬を飼い出した初老のリタイヤサラリーマンように三流俳句を朝日新聞に投稿したりはしないが、まあ本を読む。だいたいが小説といわれる文学だ。しかし読み方はかなり偏っていて、何人かの作家のいくつかの小説を繰り返し読むだけだ。中でも頻繁に読むのが、アーネスト・ヘミングウェイとかいう人が書いた短編小説である。

 この釣り好きの闘牛オッサンが書いた読み物はすこぶる素晴らしい。読むたびに僕をいろんなところへ連れて行ってくれる。もう何年もこの人の本ばかり読んでいる。

 とくになんとかという短編集が良く、僕は一冊買って読んだあとあまりの良さにもう二冊ずつ買ってしまったくらいだ。同じ本を。


 ・・・恋多き多感な模範少年は、ときに無意味な行動に出る。


 まあそんなわけで、僕は自己の文学的水たまりを泥水であふれさせることなく、一人の釣り好きおっさんが書いた、澄んだ湧き水のような文章のみをそこに溜め、それを啜って大いに満足していたのである。

 が、しかし、その日のT教師の国語の時間、僕はその文学的水たまりに別な種類の湧き水を注ぎ込むことになる。


 授業開始と同時にT教師は言った。

「はい、では教科書の164ページを開きなさい」

 文学よりも昼寝を好む僕は、164ページなどおかまいなしに今すぐにでも机に突っ伏して昼下がりの散漫睡眠を貪りたいところだったけれども、このT教師における生徒間での通説は 『キレると怖い人物』 である。授業開始と同時によだれを垂らして居眠りをぶっこいているところなんかを見つかろうものなら、どんな制裁を加えられるかも知れぬ。僕はぐっと思いなおし、控えめなあくびをひとつして164ページを開いた。

 そしてそこに書かれた一文を読むに至り、僕は雷に打たれた。

 そこには次のような文章が書かれていた。

?H1>なんにもない机の引き出しをあけて見る


 ・・・なんだこれは。

 なんだこの世界観は。

 これは俳句か。いや、五七五の形式をとっていない。季語も見当たらない。

 これが文学か。ただの文章か。いや、ただの文章だが間違いなく文学だ。

 教科書の164ページに、この短い文章がただの一行印刷されていたのである―教科書も粋なことをしやがる。

 僕はしばらくの間、この一文を読み、いや、これはもはや読むというより、「鑑賞」しながら、それがもたらす独特の風景の中にどっぷりと身を浸していた。

 そして次の165ページを開き、僕は二度雷に打たれた。

?H1>咳をしてもひとり

 なんという侘しさ。

 僕ははっきりと目の前に 『咳をしてもひとり』 を見た。今この空間は下級県立普通科高等学校のB教室ではなく、もはや疑いようもなく 『咳をしてもひとり』 と化していた。

 こんな短い文章で世界を表すことができるなんて。

 なんていう深い文章なんだ。
 
 その後の約20分間、僕は前後不覚さらには茫然自失の状態に陥り、只々その極短極上文章を鑑賞していたのである。

 僕がそんな状態に陥っていながらきれぎれに耳に届いてきたT教師の説明によると、それは尾崎放哉という人が詠んだ俳句だということだった。

 オザキホウサイさんか、すごいことをしたなこの人は。

 そんなことを考えつつさらにページをめくると、他にもいくつかの作品が掲載してあった。―それらの句は前の二句ほどに僕の心を捕らえはせず、どこにも連れて行ってはくれなかった。

 で、教科書の次のページ以降はお決まりの 『解説』 である。

 オザキホウサイさんの生い立ちから事細かに書き記し、各作品が生まれた時代的背景や作品の意味するところまでが書いてあり―愚の骨頂だ!―、最後のほうには、謂わば 『放哉年表』 的なものまで掲載してあった。

 なぜこんなことをするのだろうか。解説などいらんのだよワトソン君!これでは作品の魅力が半減してしまうではないか。

 僕は解説のことはすべて忘れ、164ページに戻って最初の二句を存分に味わっていた。

 しばらくしてなにやら目の前に気配を感じ、ふと顔を上げると目の前にT教師が立っていた。

「おい、塩野崎。おまえ何も書いておらんではないか。もうあと十分しかないぞ。早く書きなさい」

 僕は一瞬訳がわからなかったが、いつの間にか机の隅に置かれた原稿用紙に目をとめると、灰色の脳細胞をフル活動させ現在の状況をおおよそ把握し、曖昧な微笑を浮かべながらT教師に向かって二、三回頷いた。

 T教師が立ち去った後、隣の席の君島君に――おお、キミジマくんは漢字で書くとすごいことになるではないか!――確認すると、彼はそっと教えてくれた。

 案の定、 『感想文』 である。

 この一連の尾崎放哉作品を読んでその感想を文にしろというのである。

 フゥ。

 このT教師はなにかにつけて、感想文である。遠足と言っては感想文。体育祭と言っては感想文。一度などは真夏に教室に飛び込んできた巨大トンボについても感想文を書けと言ったくらいだ。

 そして書き終わるまで決して退室を許さなかった。

 今日は運悪く6時限目である。早く書き上げないと日が沈んで街に魅惑の味噌スープの香りが漂い始める時刻になっても帰れなくなってしまう。

 僕は 『咳をしてもひとり』 の世界から瞬時にB教室に舞い戻り、原稿用紙を目の前に引き寄せた。

 しかしながら、今僕が感じているこの気持ちをうまく言葉にできるかは難しいところである。

 僕は必死に灰色の脳細胞を駆使して言葉を探した。

 ・・・まあ、こんなもんだろう。そして、書いた。

 すごい文章だ。
 こんな短い文章でこれだけ世界を表現できるなんて恐れ入った。


 なかなか上出来だ。2枚残った原稿用紙はそっと机の中に押し込んで、T教師に提出した。

「なんだこれは?おまえふざけているのか?書き直せ」

「ふざけてなどいない。思ったことを書いたのだ」。と僕は口には出さず、机に引き返してしばらく考えた。

 ・・・そうだ、題名と自分の名前を忘れたのだ。これはうっかりした。

      『咳をしてもひとり』 を読んで
                   2年B組 塩野崎藤十郎

 すごい文章だ。
 こんな短い文章でこれだけ世界を表現できるなんて恐れ入った。


 これで完璧だ。僕は意気揚々とT教師のもとまで歩いていった。

「おまえ俺をなめているのか?書き直せ」

 んんっ!?・・なめてなどいない。なんなんだ。

 が、しかしまた素直に原稿用紙を受け取り席まで戻った。T教師が、キレる前兆である 『鼻の頭掻き』 を始めたからである。

 時計を見ると授業時間は残り5分と迫っていた。

 気付けば感想文を提出していないのは教室中で僕だけと相なっていた。

 やばい。このままでは帰れなくなってしまう。僕は必死に灰色の脳細胞を回転させ、感想の文を捻り出そうとした。

 そして4分後。

      『咳をしてもひとり』 を読んで
                   2年B組 塩野崎藤十郎

 すごい文章だ
 こんな短い文章で、これだけ世界を表現できるなんて恐れ入りました。


 限界だった。

 どんなに考えたってこれ以上の言葉は思いつかない。

 逆を言えばそれだけ僕はこのオザキホウサイという人の文学に衝撃を受けたのだ。言葉にならないくらいに。

 句読点をつけ、語尾を敬語にした。

 もういいだろう。

 僕は再度立ち上がり、決死の覚悟でT教師のもとまで歩いていった。

 「貴様完全に俺をなめてるな。おい!塩野崎を残してあとの皆は帰っていいぞ!」

 そう言ってT教師は僕に向きなおり、ひとしきり鼻の頭を掻きむしったあと突然僕の髪の毛を鷲掴みにして囁いた。

「おい貴様なに考えてんだ、ああ?俺が何のために1時間もかけて説明してやったと思ってんだ。俺の説明を聞いてりゃこんなふざけたのは書けねえはずだぞ。あとの2枚はどうしたんだ?俺は3枚渡したな、3枚渡したってことは3枚書けってことなんだよ。俺が説明したことや教科書の解説読んでちゃんと3枚書くんだよ。わかってんのか!?」

 僕の髪の毛をつかんだ手をさらに左右に振り回す。

 T教師のこの文句を聞くに至って、僕は右のこめかみの辺りでなにかが音を立ててちぎれるのがわかった。

 プチン!

「おいT、おまえそれでも国語教師か?
 おまえはアホか?
 おまえは俺に 『解説についての感想文』 を書けと言ったのか?
 ちがうよな、放哉文学の感想文を書けと言ったんだよな?
 そうだよな?
 これが俺の感想だ。
 いや、俺が感じたことを言葉にできたのがこれだ。
 何の文句があるのだ。これが俺の感想文だ。
 原稿用紙を3枚渡されようが15枚渡されようが、 『咳をしてもひとり』 を読んで俺が書く感想文はこれだ!
 それを書き直せと言うおまえが書かせようとしているもの、それは解説・説明についての感想文だ。
 どうせおまえが言いたいことなんて、 『この作品を書いたときの放哉氏の心情をきちんと汲み取って、なんたらかんたら』
 とか言うことだろ?
 おまえはバカか?
 そんなこと誰がわかるっていうんだ。書いたときの作家の心情なんて知ったことじゃない。そんなことわからねえし、わかる必要がねえんだよ。
 それがわからんのか!
 おまえに文学に携わる資格はないね。
 音楽家は音だけで勝負し、作家は作品のみで勝負するんだ!
 時代背景だとか作家の境遇なんて何も関係ない!
 そして読むほうはその作品だけを読んでなにかを感じるんだ。
 それが芸術だ!
 極端な話を言えば、それを誰が書いたかってことだって問題じゃねんだよ。
 その文章が実際にそこにあるってことが大切なんだ!
 同じ物を読んで何も感じない人もいるし、とても大きなものを感じる人もいる。ひとそれぞれだ。
 ときには感じたことを言葉にできないことだってあるんだ!それをおまえら教師は得意げに余計な解説なんかを付け加えやがって。
 おまえらがやっていることはレイプだ!
 芸術作品に対する教育的強姦だ!!
 感想文に間違いなどないのだ!感想文に間違いがあると思っているおまえの存在が間違いだ!!
 今日限りで国語教師なんて辞めちまえ!!」

 と、僕は心の中で叫び、突き返された原稿用紙を手に、またとぼとぼと席まで戻ったのである。

 遠くから漂う魅惑の味噌スープの芳しい香りを嗅ぎながら。
 僕の名前は塩野崎藤十郎。シオノザキトウジュウロウだ。現在十七歳、社会の底辺で健気に生きる恋多き多感な模範少年である。
 いや、であったのだ。模範少年であったのだ。
 ・・・白状しよう、ワタクシ塩野崎藤十郎、もうかなりのオッサンである。郷に入って以来郷に従ったまま、もうかれこれ十幾年もの間長いものに巻かれ続けている、愛想笑いと風呂上りの一杯を武器に持つ、健気なオッサン十三号である。
 十三号に意味はない。
 しかしながら、このオッサンカミングアウトには大いに意味がある。

 今回は謝罪の記である。

 それは、今を遡ること約二十年前、小学五年生版塩野崎藤十郎及び、その隣人であり当時の親友、四歳年下のK君にまつわる話。
 その頃世間では、N天堂社製Fミリーコンピュータなるものが流行の兆しを見せていた。昔から恋多き多感であった私は、それより半年前、すでにこのFミリーコンピュータを購入済であった。発売当初から目を付け、母親の使いや祖父への肩たたき、はたまた狭い玄関の掃き掃除などの労働によって得た、厚生労働省が定める最低賃金を笑い飛ばすかのような報酬に、貯め込んだ二年越しの年玉とを合わせ、やっとの思いで買い求めたのである。その後のFミリーコンピュータ、―直訳すると『家族の電子演算機』発売以来、いわゆる『テレビゲーム』が世間にもたらした影響力は諸君も周知の事実だが、当時『テレビゲーム』を所有する少年少女はほとんどいなかった。当然のごとく近所のガキどもは私の元に群がった。物珍しい『家族の電子演算機』を操作したいがためである。しかし生まれつきケツの穴の小さいこの塩野崎藤十郎は、容易に触ることを許さなかった。そう、四歳年下の大親友K君を除いては。
 K君は私のFミリーコンピュータを操作した途端にこれをひどくお気に召し、翌日には近くの玩具店に届けさせ、自宅の大型家具調テレビジョンに接続させてしまった。―K君宅はすこぶる裕福だったのだ。そしてそれ以来、私とK君の間の遊戯と言えば専らテレビゲームと相なったのである。
 お互いに遊び飽きたソフトを交換したり―その数は圧倒的にK君が多かったが。時には二人同時プレイ物で仮想決闘に興じたりと、なんともゲーム漬けな日々を送っていた。そして、そんなN天堂社の思惑通りの日常を幾年月か送っていると、ついに来たのである。Fミリーコンピュータ史上空前の爆発的ヒットを飛ばすことになる、あの『スーパーMリオブラザーズ』の発売日が、来たのである。
 専門誌などで常に情報を収集していたK君は、その面白さを事前に察知して既に予約を済ませてあった。一方、瓶に詰められたマリモの如くに無知な私は、発売前のゲームの面白さなど知る由もなく、相も変わらず使い古したスーパーなしのMリオブラザーズなどで喜んでいた。
 いよいよ発売日を迎え、K君は勿論スーパーMリオブラザーズを手に入れただろう。普段ならどちらかが新商品を購入した場合、すぐにもう一人を呼び寄せて一緒に楽しむのが私とK君の間の暗黙裏の約束となっていた。しかし今回はK君からの連絡がない。私はなんとなく不審に思いつつ一日を過ごし、ついに夕刻、連絡なしのままK君宅まで赴いた。
 ああ、今にして思えばこれがそもそも間違いだったのだ。K君は私の突然の訪問に少しだけ表情を曇らせた。K君のこの表情に気付くべきだったのだ。だが、当時の塩野崎藤十郎は、この訪問がタブーだったことに気づかなかった。いつものように堂々と上り込み、「なんだ、やっぱり買ったんじゃん、スーパーMリオ。一緒にやろうよ」などとほざいたのである。
 K君が私を呼ばなかった理由は明白である。スーパーMリオのあまりの面白さに、私と一緒に楽しむ余裕などなかったのである。これは当然の反応だ。誰でもがそうなるだろう。私はそれを汲み取って、三四日、ないしは一週間の期間をおいて訪問するべきだったのだ。しかし実際は先記したような醜態である。
 優しいK君は私にコントローラを渡してくれた。そして、私は雷に打たれた。
 な、なんだ、この面白さは・・・こ、こんな愉快が世の中に存在するのか!?
 画期的な横スクロール、イヤらしく配置された1UPキノコ、世界旋風まで巻き起こした『Bダッシュ』、それから何と言っても、あの緑色の土管を入口とするコイン取り放題の『隠し部屋』である。あれにはどれほどの小学生ゲーマーたちが歓喜の雄たけびをあげたことか。
 気が付くと私はK君そっちのけでスーパーMリオにのめり込んでいた。これだけでも罪だ。十分すぎるくらいの罪だ。しかし、いくら遊んでも遊び足りない。私は自分が犯している罪にも気付かずにいた。
 そして、門限の一九時を迎える頃、私は生涯で最も愚かで最も罪深く、そして最も人の心を踏みにじった台詞を吐くのである。
「ねえK君、これ、隠し部屋とかまだまだありそうだからさ、今日俺持ち帰って色々調べておくよ。そして明日また持ってくるから」
 ・・・なんだこの理不尽さは。ああ、今思い出しただけでも吐き気すら覚える。
 なにが、『色々調べる』だ!なにが、『明日また持ってくる』だ!まったくもって意味が分からん。
 ・・・しかし私は持ち帰ったのである。
 私は自分だけが楽しみたいがために、自分が購入したわけでもないゲームカセットを、あろうことか発売日当日に、四歳年下のK君―ええい、もどかしい!もう実名だ!圭介君!そうだ!村木圭介君から発売日当日にあの任天堂の傑作、スーパーマリオブラザーズを奪い取り、自宅に持ち帰って自分のファミリーコンピュータで一晩中、スーパーマリオの醍醐味のひとつである、隠し部屋探しに興じていたのである。
 愚の骨頂!アル・カポネにも勝る罪人だ!
 圭介君はこの私の暴挙に憤っただろう、嘆いただろう、落ち込んだだろう。私をやっつけたいと思っただろう。しかし私は自分が犯した大罪に微塵も気付かず、澄ました顔で、翌日圭介君にスーパーマリオを返却したのである。
 愚かな小学五年生版塩野崎藤十郎。
 そして何年か後、私はこのことをふと思い出し、取り返しのつかないことをしてしまったと、燃えるような後悔の念に取り憑かれたのである。
 圭介君とは、私が中学校入学と同時に自然と疎遠になり、それからは一緒に遊ぶこともなくなってしまった。そして、大人になった圭介君は、東京でレントゲン技師として立派に働いていると伺っている。
 いつか会って謝りたい。心から謝罪したい。到底許されないこととは分かっている。分かってはいるが、是非とも一度謝らなければ。
 私は一生罪を背負って生きてゆくのだ。
 ああ圭介君、ごめんなさい。

続・塩野崎藤十郎

僕の名は塩野崎藤十郎。シオノザキトウジュウロウと発音する。

 毒にも薬にもならず、可もなく不可もなく、タネも仕掛けもない17歳で、毎日何の変哲もない高校生活を送っている。

 はずであるが、僕の身の上にはたびたび大小様々の特異な出来事が起きる。

 そしてそれは必ず僕以外の、僕を取り巻く人間たちに原因があり、決して僕に罪はないのである。先日の国語の授業の際もそうであった。

 先にも述べたように僕は何の変哲もない高校生なので、皆から脚光を浴びることなどほとんどない。皆無といってもいいだろう。そして僕自身もそれで良しとしている。目立つことなど真っ平ごめんだ。

 しかしその国語の授業中、我が文学好きのT教師がために僕は皆からの脚光を浴びるという惨事に見舞われたのである。

 授業開始と同時にT教師は言った。

「秋も深まってまいりました。秋といえば芸術です。今日は皆に俳句を一句詠んで貰いたいと思います。出来た人から、今日はあいにく短冊の用意が出来なかったので、ノートにでも書いて提出してください。皆の作品が提出され次第、先生の独断で選考し、優秀な作品を授業の最後で発表したいと思います」

 僕はしめたと思った。これで今日は退屈な授業を受けなくて済む。速攻で俳句作って後は寝ていられそうだ。秋といえば僕にとっては睡眠の秋だ、いくら寝たって寝たりない。

 さっそく俳句を考えた。・・・すぐ出来た。うん、季語もちゃんと入ってるし、五・七・五の形式も崩していない。僕はノートを1枚破って二つ折りにした。すぐに提出できる。しかし今提出しては1番最初になってしまう。それはちょっと目立つので避けなければならない。

 しばらく様子を窺うと、クラス一目立つことを好む秋元が「出来たぞー」と大仰に言い、僕の横を闊歩しながらT教師のもとまで歩いていった。続いて一人二人と提出して行き、僕の前席の菊池が立ったと同時に僕も立ち上がり、後についた。そしてあくまでも自然にしなやかに、二つ折りにしたノートの切れ端を教卓に置き再び席に着いた。

 我ながらこの「目立たない動作」には感服の至りである。他の生徒はおろか、T教師までも僕が提出したことには気づくまい。将来はエキストラか黒子にでもなってやろうか知らん。

 席に戻った僕はさっそく机に突っ伏して熟睡体勢に入った。

 人間眠りに落ちる瞬間は、とかく訳の分からない事を考えるものだ。僕の場合はヘミングウェイがドラムを叩いている。

 ああ、今日もヘミングウェイが軽快にエイトビートを刻みだした。ああ、いい気持ちだ・・・。


『・・・オノザキ。・・・シオノザキ。おい、塩野崎!』

 僕はハッとして目が覚めた。「は、はい。すいません」

 腕時計を見ると、もう授業の終わり時間が迫っていた。ずいぶんと眠りこけてしまったようだ。僕の袖には大量のよだれが付着していた。とっさに逆の手で隠す。

 T教師を見ると、寝ていた僕を咎めるでもなく、なにやらニコニコしながら喋りだした。「はい、みんな注目!素晴らしい作品がでました。先生も正直これほど良い句が上がってくるとは思いませんでした。とても味わい深い一句です。今からその作品を発表します。まず作者は、・・・えー、塩野崎藤十郎!」

 僕は一瞬凍りついた。おいおい、冗談だろうT教師。何かの間違いだ。僕が提出した句はそんな素晴らしくはないだろう。確かにちょっとしたユーモアは織り込まれていて川柳としてはいいかもしれないが、芸術的俳句になど決してなっていない。絶対何かの間違いだ。

「はい、みんな塩野崎に拍手!」

 みんなが僕に注目している。ああ、やめてくれ!僕はそんな人間じゃないんだ!何かの間違いなんだよ!

 見る見る顔が高潮してくるのが自覚される。僕は必死でうつむいた。

「では、その素晴らしい作品を詠むからみんな静聴するように」

 教室銃静まり返った。T教師がわざとらしく咳払いをする。

「鈴虫の 鳴き声近く 受話器手に・・・。鈴虫の 鳴き声近く 受話器手に」

 ・・・確かに僕の句だ。何をトチ狂ったのだ、T教師よ。しかも2回続けて詠みやがった。この句のどこがいいのだ。僕はいよいよ俯いた。T教師は天井を仰いで目を閉じていやがる。

「うむ、素晴らしいですね。では、先生の方で少々解説します。・・・塩野崎は秋の静かな夜に待っているんですね。何を待っているかのかというと、・・・愛しい人からの電話です。今かいまかと待ちわびています。電話のそばで待っているんです。近くでは鈴虫が鳴き始めます。『ああ、鈴虫か、秋だな』塩野崎がそう思った瞬間に電話が鳴ります。『やっと掛かってきたか』鈴虫の鳴き声を聴きながら、喜びを持って受話器を取るんです。そして秋の夜長は恋人の声とともに更けていきます。・・・どうです、とても素晴らしい句でしょう」

 クラスの連中は大いに納得して、僕に冷かしの喝采やら拍手やらを浴びせかける。僕はひたすら俯くばかりだ。

 T教師よ、貴様はとんでもない間違いを犯している。とんでもない間違いを犯しているのだよ。

 『鈴虫の 鳴き声近く 受話器手に』

 そんな深い意味なんて考えもしなかったよ。僕はただ、僕はただ鈴虫の鳴き声と、電話の呼び鈴を間違えて、受話器を取ってしまっただけなのだよ。ただそれだけの意味なのだよ。

 深読みにも程があるぜ、T教師。

 僕は必死に否定しようにも、恥ずかしさのあまり声を上げることすら叶わなかったのである。

塩野崎藤十郎

 僕の名前は塩野崎藤十郎。シオノザキトウジュウロウと発音する。本名か否かはご想像にお任せすることにする。現在十七歳、恋多く多感な高等学校二学年生である。
 
 最近気づいたことだが、僕の周りでは以前からなにかと特異な出来事が起こりやすいようだ。

 僕自身いたって標準的な十七歳と自負しているが、はて、何故そんな僕の身の上にたびたび特異な出来事が起こりうるのかと考えるに、どうやら僕を取り巻く、僕以外の人間に原因があるようだ。確かに僕に関係する人々を一人一人思い出してみると、なるほどまともな人間が一人もいない。

 そこでだ、その、僕にとってなんともやるせない出来事が起こるに至った要素が、けっして僕自身のためではないということを皆様に覚えておいていただきたく、この手記を始める次第である。

 ご多忙な中、なにかとご迷惑をお掛けすると思うが、罪のない愛すべき模範少年のためと思ってご海容いただきたい。

 ではまず、今日起こった出来事からご紹介したいと思う。

 拷問のような四時限が終了し、やっとのことで食事にありつこうと気の会う仲間数人で机を囲み、各自持参した弁当を開封し始めたときにそれは起こった。

 僕はなにやら厭な予感がし、まず二段弁当の一段目の蓋を開けた。

 白飯がぎゅうぎゅうに押し込められている。

 そして、二段目を恐るおそる開けてみると、―嗚呼、僕の悪い予感が的中した。そこには、可愛らしくそれでいて悲しげに『ツナ缶』が一つ、鎮座ましましていた。

 ツナ缶である。四個か五個の段重ねでパックされてスーパーの缶詰コーナーにいつでも陳列されている、あの缶のままのツナ缶である。

 僕は一度開けた蓋を素早い動作でまた閉じた。

 おのれ、母ヨシ子め!

 どうやらこれは、昨晩交わした口論が直接的に関係しているのは間違いない。

 口ではどうやっても僕に勝てない母がいやらしい反撃に出たのだ。

 たいてい激しい口論の翌日は弁当抜きとなるのが通常だが、今回は別な方法を取ったようだ。

 そう言えば、朝家を出るとき弁当箱の中から「カラン、コロン」という、弁当箱にあるまじき効果音を発していたが、遅刻しそうだった僕は別段気にも留めずに済ましてしまった。いつもとは違う二段弁当にもそのとき気づくべきであった。

 何たる仕打ち!

 確かにツナご飯はうまい。ちょこっと醤油なんかたらして一口やれば、もう何杯でも白飯が進む。それは認めざるを得ん。だがな、それは例えば、休日に一人家で寛いで居るなどして、食に関する選択肢が幾通りもある場合に限って言えることなのだ。

「宅配ピザが良いか、ちょっと出掛けてコンビニ弁当でも食そうか、はたまた近所の軽食店でボロネーゼでも喰らおうかしらん、いいや待てよ、釜に白飯が残っているようだ、ここはひとつ久しぶりにツナご飯でもやってみよう。・・・では、缶を開けて、最近の缶詰は缶切り不要で助かるわい。・・・然らば醤油をちょこっと。・・・ううむ、うまい、ツナご飯は裏切らないねぇ」

 などという潜在的余裕から生まれる美味であるのだ。それをば、母の手作り弁当以外に選択肢のない一般高等学校生の昼食にかようなツナご飯を与えられても、うまくも何ともないではないか、いいや、この際、今僕が感じているこの憤りは単に味ばかりの問題ではない。

 高校生活においての昼休みに我が子が受けるべく辱めをも顧みず、かかる嫌がらせを平然と行う母親に腹が立っておるのだ。猛烈に腹が立っておるのだ!

 皆が愛情たっぷりの弁当に舌鼓を打つ間、僕はツナで飯を食わなければならないのだ。その光景を皆が見たらどうだ。いたずら盛りの年頃だ、むこう半年間は冷やかしの的にされるのは間違いない。向こうには愛しいユカリ嬢の楽しげな姿も認められる。

 嗚呼、どうしたらいいのだ、ここはひとつ昭和の訳あり不良を気取って昼食を摂らず校庭の水道水でやり過ごすべきか、いいや、しかしどうにも腹が減ってたまらん。たとえツナご飯でも食したい。蓋で何とか隠して食おうか、うむ、そうしよう。

 僕は周りの仲間に斜に向かい、弁当箱の蓋を立ててなるべく目立たないようにツナ缶に向かった。

 なんとかいけそうだ。あとは皆に気づかれる前に素早くツナ及び白飯をかっこむことだ。

 そして、憎きツナ缶の蓋を開封したとき、高等学校の昼休みには発せられるはずもない音が教室中に響き渡った。

 パカッ、ピシューゥ、ピン!

 一瞬の後、僕は視線の集中砲火を浴びた。

 その後の惨状については読者の想像にお任せする。ただ僕の脳裏には、悪魔のような形相で微笑む母ヨシ子の顔が浮かぶばかりであった。

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