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唐杉四郎と大原康

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 厳寒の昼下がり、田舎町の軽食店である。コーヒーだけでくつろぐ唐杉四郎と大原康。その二人を見つめる店主。そして、彼らを交互に眺めやる店のアルバイト。
 アルバイトは不安げな様子だ。店主が日に日に壊れていく。原因はあの二人の迷惑客にあるのは間違いない。この間まで店主はこの二人を何とか店から締め出そうと思案をめぐらせていた。店の一アルバイトに過ぎない自分も、店と店主のために出来る限りのことはしようと密かに意気込んでいた。しかし、つい先日、店主が急にそれをやめてしまった。二人を締め出す計画を考えるどころか、何とも虚ろなまなざしで彼らを見つめ、ときには母親が乳飲み子を愛でるが如くの眼差しをさえ投げかけている。我々アルバイトには、カップのコーヒーがなくなり次第、淹れたてを注いで差し上げろ、と命じている。
 ああ、我らが店主。御かわいそうに!心中お察し申し上げます。お一人で悩まず、我々に何でもおっしゃってください。たかがアルバイトに相談するのが憚られるのであれば、どこかでストレスを発散してください。そうです、ストレスは溜めてはいけません。サボテンが良いと聞きます。サボテンに話しかけてください。店主が話しかけさえすれば、あの、愛くるしいけなげなサボテンは、きっとあなたの悩みを全部受け止めてくれます。その全攻撃的な容姿とは裏腹に、あなたの心の傷をそっと癒してくれるはずです。決まりです。癒しの砂漠植物サボテンは、明日私が鉢植えの良いところを見繕って生花店で購入してまいります。そうしたら、なんとかもう一度、なんとかもう一度奮い立っていただきたい。もう一度立ち上がって、憎きあの二人を店から締め出そうではありませんか!我々アルバイトは全面的に協力いたします。以前のような皆が集う、雰囲気の良い軽食店をこの手に取り戻そうではありませんか!
 アルバイトは断固たる決意を胸に、また仕事に戻った。
 見ると、迷惑客のカップが既に空になっている。店主の命どおり、淹れたてのコーヒーを手に二人のテーブルまで赴いた。
 一人は眉間にしわを寄せて壁のポールゴーギャンの複製を眺めている。もう一人は、気が利くねと言わんばかりに空のカップを差し出してきた。
 そして、なにやら訳の分からない話をまた始める雰囲気である。
「ときに唐杉四郎、地球上の全人類にとって、大変重要な事実が発覚した」
 四郎はカップに注がれた淹れたての熱いコーヒーをうまそうに啜っていた。
「おお、大原、今日はいつになくスケールの大きな切り出しだね。何事かね?」
「淹れたての熱々コーヒーなど啜っている場合ではないぞ、唐杉四郎!全人類の危機なのだよ」
「明日地球が滅亡すると言われたって、僕は淹れたて熱々コーヒーを啜るね。そうありたいね。そうあるべきだ」
「・・・何を哲学ぶっているのだ?ソクラテスの晩秋はとっくに過ぎ去ったぞ。聞きたまえ。全人類の危機について、貴様だけには今のうちに教えておいてやろうってんだ」
「おっ、江戸っ子の口調だねえ、『江戸前寿司』とは、江戸の前、すなわち東京湾で獲れた魚をネタに使った寿司に与えられる称号だねえ」
「・・・私は帰るぞ」
「おお、すまんすまん、大原。・・・実は、飼い犬が病気でね。僕は自分で言うのもなんだが、このところ少し情緒不安定なんだよ。許してくれ、気を取り直すさ。是非とも教えてほしいね、人類の危機について!」
 四郎はカップを一旦テーブルに置いて椅子にふんぞり返り、両手を後頭部で組んで、いつもの聞く体勢に入った。
「ほう、戌年に突入した途端に病気とはね、さすがは馬鹿犬、ひいてはその飼い主低脳者唐杉四郎だね」
「戌年と犬の病気、さらに僕が低脳者だということには何の関連性も無いと思うが・・・。まあ良い、で、何が危機なんだね?」
「うむ、まず今回私が提示する人類の危機とは、そもそも私が十年来おこなっている観察の結果に由来する」
「十年来の観察とはなんだい?」
「それはだな、貴様も自動車を運転すると思うが、人が車を運転している際、とくに田舎町では、往々にして犬猫と遭遇することが多々ある。急に前を横切ったり、道の真ん中で立往生していたり、飼い主に散歩を強要されていたり。出会う形は様々だがとにかく出会う。その出会ったときに、彼ら犬猫がどのような反応を示すかを、私はこの十数年観察してきたのだ」
「・・・僕は常々君のことを、大変な暇人だと思っていたが、いよいよもって大変な暇人だね」
「ふん、そうやって貴様が立場もわきまえず、類い稀な灰色の脳細胞を持つこの私を愚弄していられるのも今のうちだ」
「おお、嘯くねぇ。して、その観察の結果とは?」
「それはまず、猫の場合、道端で自動車を運転している私に遭遇した際、彼らの内87%が、『車体』もしくは『車輪』部分を見るのだ。一方、それが犬の場合、彼らの内91%が、運転している『私』を見る、という事実だ。これが私が運転中に犬猫と出会った際、彼らの反応を逐一記録して統計をとった結果だ。そして、この観察で分かったことが、まず『猫』は自動車が走っているのを見ると、それを単に一つの動く物体としてしか認識できていないということ。一方で犬はどうか、彼らはそのほとんどが運転者を見る。そう、彼らは、自動車たるものは、人間が操作して始めて動く物体であるということを認識しているのだ」
「ほう、そうなのか。・・・しかし、それと人類の危機と何の関係があるのかね?」
「まあ、早まるな。では聞くが、今年の主役『犬』と、いつになっても永遠に主役の廻ってこない『猫』とではどちらが知性が高いと、貴様は思うかね?」
「まあ、僕の愛犬も含め、一般的には犬だろうね。君もそう言いたいんだろう?」
「その通り。犬と猫とでは、犬のほうが断然知性が上回っている。今言った観察の結果でも明らかだ。しかし、しかしだ、断言するが、―いよいよ人類の危機だぞ、唐杉四郎よ!断言するが、何世紀か後、いや、早ければ今世紀中に、この我らの母なる地球を、『猫』が支配するときが来る!繰り返す、地球を『猫』が支配する!!」
「ま、まさか!?ネ、ネコが地球を・・・!ネコが!!・・・では、人間はどうなってしまうんだ!?」
「人間の行く末は今のところ私にも分からん。しかし、その人間をも含めて、猫が地球を支配するのは間違いない」
「なんたることだ・・・!!しかし、ちょっと待て、君は今、猫と犬とでは、犬の方が頭が良いと言ったばかりではないか」
「ああ言ったさ。私の十年観察がその事実を如実に示している」
「だったら何故、猫なんだ?犬ではないのか?」
「それはだな、十年変わらなかった観察結果が、ここにきて変化を見せつつあるからなんだ」
「変化?」
「ああ、ある日を境に、そう、二年前の夏ごろだ。猫が私を見だしたのだ。運転者である私を見るようなったのだよ。最初は単に偶然かと思って気にも留めなかった。しかしそれ以降、運転者を見る猫が加速度的に増えだしたのだ。去年に至ってはその数、五割を超える勢いだ。・・・そして、先日、ついに人類の危機を決定付ける出来事が起こった」
「何事が起きたのだ?」
「いつものように私が車を運転していると、ある一匹の猫が飛び出してきて危うく轢き殺しそうになった。寸でのところでブレーキを踏み、ほっと胸を撫で下ろして猫を見ると、やつは道端からしっかりと私に眼を向けて、立ち去りぎわ申し訳なさそうに、―ああ、今でもくっきりと目に浮かぶ。彼は申し訳なさそうに、『会釈』をしたのだ。エシャクをしたのだよ。何たる変化だ。いや、これはもはや変化ではない。これは進化だ。ダーウィンの進化論に基づく、空恐ろしい猫類の進化だ。やつらはこのまま進化を続け、今世紀末には私の予言通りこの母なる世界を支配するであろう」
「・・・いいや、しかしだなぁ、会釈はこれどうあれ、ネコが急に喋りだしたとか言うならともかく、そんな些細なことで地球を支配するまでには至らんだろう」
「なに悠長なことを言っているのだ唐杉四郎よ!いいか、我々人類が幾千年の昔、なにをしたがためにここまで進化し、今こうして地球を支配していると思うのだ?・・・彼らはその昔、遠くのものを見るために、手をこうして額にかざしたのだ。より遠くを見るために、額に手をかざしたのだ。ただそれだけだ。そんな些細なことをした、いいや、できたがために、その後何千万年かかけて、火を使い、斧を作り、電波を操り、挙句の果てには神の領域である『生命』までも手中に収めようとしている。そこまで進化したのだ。はじめは小さな変化に過ぎないかもしれないが、それがきっかけとなって次へ次へと進化していくのだ。今度の猫の場合はどうだ。僅か十数年の間に、自動車を操作する人間を認識し、更には人に謝る礼儀さえも身に着けようとしている。僅か十年の間に二段階も進化しているのだ。私は再度断言しよう、今世紀中に猫が地球を支配する!」
「おおお、何たることだ!そうか、僕はやっと目が覚めたようだ。来るべき未来のために我々になにができるか今の内に考えなければ!くそう、淹れたての熱々コーヒーなど啜っている場合ではなかった」

 カウンターの奥では店主が虚ろな眼差しで二人を見ていた。そして、その店主をアルバイトが悲しげな表情で眺めていた。
 晩秋の昼下がり、いつもの軽食店にはいつもの二人が寛いでいた。
 唐杉四郎と大原康。
 客が店を選べるように、店側も客を選ぶ権利があってもいいはずだ。カウンターの奥からこの店の店主がそう考えていた。しかし、その表情はいつになく晴れやかである。
 先日立てた計画を、いよいよ実行に移し始めているのだ。
 名付けて「スポットミュージックシャワー締め出し計画」
 その内容は、彼らが座っている席の頭上だけに独立したスピーカーを設置し、そこから、会話に支障を来たすくらいの音量でバックグラウンドミュージックを流してやる。もともと、訳の分からない会話をしに来ている彼らは、その不自然な音量に堪えられなく、この店から撤退するであろう、というものだった。
 昨日閉店後に業者が来て見積もりも出していったところだ。少々工事費は掛かるが、あの二人を追い出せると思ったら安いもんだ。明日にでも電話してすぐ工事に取り掛かってもらおう。店主は思わず顔がほころんだ。そして、アルバイトを呼び止めると、二人におかわりコーヒーを注いでやるよう指示した。
 アルバイトは普段ならありえない店主の指示に戸惑いながらも、淹れたてのコーヒーサーバーをもって二人の席まで行った。途中振り返って店主を見ると、なにやらニヤニヤと笑っている。店主はとうとう精神を病んでしまったと思い「心中お察しします」と呟いた。
 そんな店主の計画やアルバイトの店主への同情心などどこ吹く風、唐杉四郎と大原康は、今日もなにやら訳の分からない話を始める雰囲気である。
 それまで、頬杖えを突いて壁のポールゴーギャンの複製を眺めながら、時折「うーん、わからん」などと呟いていた大原が、四郎に呼びかけた。
「時に唐杉四郎、今日は貴様に考えてもらいたいことがあるのだが」
 椅子にふんぞり返って後頭部で両手を組んでいた四郎は、そのままの体勢で「なにごとだ」と言った。
「うむ、まあ、でも貴様のような低脳者には酷な質問かも知れんな」
「ほう、いつにも増して見下すね、少し失敬だな。内容によってはわからんぞ、僕だって的確な回答が出来ないとも限らん」
「おお、どこからそんな自信が沸くのか検討がつかんね。唐杉四郎、少し身の程をわきまえたまえ」
「大原、あまり僕を見くびるなよ。いいから早く言いたまえ。考えてほしいこととは何だね?」
「では、単刀直入に聞くが、・・・骨付きウィンナーの骨って誰の骨?そしてあの骨は何のために付いてるの?」
「・・・はっ?ホネツキウィンナー?」
「やはり、貴様のような低脳者には酷な質問だったな。いいさ、忘れてくれ」
「おい、いや、ちょっと待て。あまりに唐突だったもんでな、骨付きウィンナーの骨か、あ、あれはだな、あれだ、動物の骨だ。そうさ、そうに決まっている」
 ここで大原は深いため息をつき、両の手を広げて『お手上げ』のポーズをとった。
「決定だ。唐杉四郎、キミはやはり低脳者だ。・・・あろうことか動物の骨とはな。いいか、骨というものは、そもそも動物にしか付いておらん。この疑問はそんな浅はかな答えで解決できるような疑問ではないのだ。・・・仕方がない、筋金入りの低脳者にもう少し詳しく説明してあげよう。心して聞きたまえ」
 四郎は額の汗を拭いながら、少し落ち込んだ様子だ。
「まず、焼肉店などでは頻繁にお目にかかる『骨付きカルビ』、これの場合はどうだ?・・・考えるまでもない、『骨付きカルビ』に付いている骨、これは、今は敢無くカルビとなってしまったが、元々は元気に牧場で牧草を喰らっていた牛の骨だ。牛が骨付きカルビに加工せられると同時に、骨もその一部に含まれる。同じく骨付きチキンなどもこの種類に該当する。おい低脳者、ここまではわかるな?」
「ああ、勿論だ。さすれば、骨付きウィンナーの場合も同じではないのか?」
「貴様の低脳ぶりはまさに天井知らずだな。よいか、そもそもウィンナーという食物は、『加工肉』なのだぞ。肉をミンチにして色々な調味料や香辛料を調合し、それをよく練りこみ、羊の腸などに詰め込むというものだ。この過程において、骨は一切使用しない。にも拘らず、骨付きウィンナーには骨が付いている。と言うことはだ、まず牛や豚を肉と骨に分けてウィンナーを作り、その後でもう一度ウィンナーと骨を結合させるということになる。さあ、そこで先ほどの質問だ。『骨付きウィンナーの骨って誰の骨?』・・・ああ、唐杉四郎何も言わんでよろしい。貴様の低脳回答などうんざりだ。まず、思いつくのが、ウィンナーも骨も元々同一の所有者であった、という考えだが、―おそらく貴様もその程度だろう。これは極めて可能性が低い。なぜなら、毎日大量の骨付きウィンナーを製造する工場において、一度分けられた肉と骨を完璧に管理するなど物理的に不可能だ。解体する際、あらかじめ肉と骨に目印となる記号などを記しておいて、『おっ、これはAという豚のウィンナーであるからAの骨を付けよう』などとは出来ないだろうし、意味がない。記号なんて書いてある骨付きウィンナーなどにお目にかかったことも皆無だしな」
「・・・うーむ、なるほど、大変に奥が深い疑問だね。『骨付きウィンナーの骨って誰の骨?』。僕などには皆目見当が付かん」
「当然だ。私のこの灰色の脳細胞を駆使し、思考に思考を重ねたにも拘らず明確な回答が得られていないのだ。貴様などに考えを聞いた私が間違っていた。・・・まあ、やはり誰の骨なのかなどということは、誰にも分からんのかも知れんな。そもそも牛や豚の骨なのかということも疑わしい。世の人々は、どこの馬の骨かも分からん骨にしゃぶりついて喜んでおるのだ。なんと嘆かわしいことだ」
「おっ、洒落たねえ。さては、それが言いたかったのだな。『どこの馬の骨かも分からない骨にしゃぶりついている』ハハハ、どうだい?図星だろう?」
 大原は悲しげな眼差しで四郎を凝視した。
「ハハハ、うまい洒落だねぇ」
 大原は、説明しても無駄だといわんばかりに首を横に振った。
「ところで、もうひとつの疑問はどうなんだい?何のために骨が付いているのか?」
 勘違いとも知らずに意気揚々としている四郎が大原に聞いた。
「・・・ああ、それについてはある程度はっきりしておる。原始時代を舞台にしたマンガなどによく出てくるだろう、骨が付いている肉にかぶりついている原始人が。あれを目指したのだ。人間が持つ野蛮で原始的な欲望を満たすためだけに、ウィンナーに骨を付けたのだよ」
「マジかよ。・・・人間とは何て愚かな生き物なんだ」

 カウンターの奥では、店主が苦々しげな表情で二人を見ていた。
 晩秋の昼下がり、唐杉四郎と大原康である。
 軽食屋の店主は虚ろな眼差しで二人を見ていた。
 何とかして奴らを追い払う法はないものか。あからさまに来店拒否も出来んだろうし、出涸らしコーヒー作戦もまったく効力を発揮しない。
 半ば途方にくれて、ふと天井を見上げた。とても雰囲気のあるペンダントライトが随所に設置してある。その陰の天井埋め込みのスピーカーからは軽食店には欠かせないBGMがさりげなく流れていて、いい雰囲気を醸し出している。
 店主はこの店がとても気に入っている。インテリアの細部に至るまでこだわって、バックグラウンドミュージックの選曲も妥協を許さない。
 あとはあの二人さえいなければ、くそっ。見ると二人の席の頭上にもスピーカーが設置してある。
 ・・・頭上のスピーカー、BGM・・・。
 その瞬間、店主にはある名案がひらめいた。
 いつもはいい感じの音量で流れている音楽を、奴らの頭上のスピーカーからだけ少々大きい音量で流したらどうだろう。いつもくだらない話をしにきている奴らだけに、音楽が気になって会話どころではなくなるだろう。
 これはいけるぞ!さっそく業者に連絡してあそこだけ独立した配線を組んでもらおう。手元にボリュームをつけて、場合によってはアンプも増設しなければならないかもしれない。しかし、少々の設備投資は致し方あるまい。より良い店にするためだ。
 店主は業者に連絡すべく、意気揚々と電話を取った。
 一方、そんな店主の思惑など知る良しもない唐杉四郎と大原康は、今日もなにやらくだらない会話を始める様子である。唐杉四郎が口を開いた。
「おい大原、ジャパンカップはどうだった?」
 それまで壁のポールゴーギャンの複製を眺めていた大原は、興味なしといった風で返事をした。
「別にどうしたもこうしたもないが」
「なに、お前買わなかったのか?ランフランコ・デットーリの単勝馬券、買わなかったのか?」
「ああ、買わん」
「おまえは阿呆か?僕があれほど言ったじゃないか、全財産をデットーリにつぎ込めと」
「そういえば言っていたような気もするな。貴様は買ったのか?」
「無論だ。なけなしの3,000円をつぎ込んで見事31,800円だ!」
「ほう、すると予想が的中したと言うわけか、それはたいしたもんだ。貴様にしては珍しいな。どこからそんな自信が沸いたのだ」
「当たり前だ。なにせデットーリだからな」
「なぜそんなにデットーリを推すのだ」
「いいか、思い返せば2年前のジャパンカップウィークだ。まず土曜日のジャパンカップダート。彼は日本のイーグルカフェに騎乗した。イーグルカフェといえば、小島太調教師管理の、本来相当な実力の持ち主にも関わらず、その気性の荒さからなかなか勝ちきれなかった馬だ。日本のトップクラスの騎手たちをもってしても、その気性は抑えられなかったのだ。そんな馬に騎乗して、デットーリは見事勝利した。1着だ。そして勝利騎手インタビューで、彼は何て言ったと思う」
「見当もつかんな」
「彼はな、『乗り易い』と言ったのだ!日本の誰が乗っても乗りこなせなかった馬に騎乗して、そしてすんなり勝って『乗り易い』と言ったのだぞ!乗り易いわけないではないか?それなのに『乗り易い』だ。次元が違うのだよ。デットーリは!」
「ほう、ただの阿呆のようにも思えるがな」
「何てことを言うんだ。かの吉田照哉氏をして『デットーリが乗ると5馬身違う』と言わしめた男だ。そして翌日の本番ジャパンカップも、フランスから参戦の人気薄馬、ファルブラブに騎乗してまた見事1着だ。あっという間に二つのジャパンカップをかっさらって風のようにイタリアに帰っていった。まさに衝撃的な出来事だった」
「ほほう、そして今年もそのデットーリが勝利したと言うわけか、なるほど。では、そのデットーリに敬意を表す意味でも、君がデットーリのお蔭をもって獲得せられた31,800円を使って腹を満たしつつ、更にデットーリ談議に花を咲かせようではないか」
「・・・素直に『奢れ』とは言えんのか?」
 四郎の言葉は聞こえなかったふりをして、大原はメニュー表を広げた。
「さてさて、何を食すればデットーリ氏に敬意を表せるかな、・・・やはりイタリア人だけにパスタが良いだろうか」
 四郎は恨めしげな顔で大原を見つめ、自分も渋々メニュー表を広げた。
 と、急に大原が顔を上げた。
「そうそう、君に言うことがあったのだ。くだらないお馬さんの話などしていたもんだからうっかり忘れるところだった」
「そのくだらない『お馬さん』がもたらした金で、君はパスタを食おうとしているのだよ。そんな風に競馬を侮辱すると僕は金輪際奢らんぞ」
「ハハハ、まあそうカッカするな。言葉のあやだよ」
「言っていいことと悪いことがある。・・・で、なんだ言うこととは」
「うむ、実はサラダについてなんだがな」
「『野菜サラダ』と『気まぐれシェルのサラダ』のことか?」
「いいや違う。私は同じことは二度と言わない。今日はサラダの日本語訳についてだ。唐杉四郎、君はサラダの日本語訳を知っているか?」
「・・・サラダの日本語訳か、・・・野菜、ではないのか?」
「きみは阿呆だな。それはベジタブルであろう。サラダは料理名だ」
「おお、そうか、では、・・・生野菜か?」
「いよいよ阿呆だな。もうよい、いいか、サラダの日本語訳などないのだ。少なくとも私の知る限りではな。なぜか?それはな、サラダは西洋伝来の料理だからだ。いつの時代かは知らんがサラダが日本に伝わってきたと同時に、その名称も『サラダ』として広まっていったのだ。そして今日に至るまで日本語に訳することなくサラダは『サラダ』として、日本人は何の疑いもなく呼称しているのだ」
「おおそうか」
「しかし考えてみてくれ。古代から様々なものが西洋から伝来しているが、大概は日本語訳が付くものだ。例えば『Car』は自動車、『Freedom』は自由のように。然らば『サラダ』に日本語訳がついてもよかろう」
「うむ、そう言われてみればそうだな」
「そこでだ、私はこの度、晴れてサラダに日本語訳をつけた。近々文部省にでも赴いてその語を新しい日本語として登録させるつもりだ。ひいては近い将来私が作った日本語が標準化される前に、我が友唐杉四郎にだけはその語教えておこうと言う次第だ。いまから発表するから心して聞きたまえ」
「おおそれは光栄の至りだな。新しい日本語が誕生する機に立ち会えるとは。それではしかと拝聴させていただくことにしよう」
 四郎は座ったまま背筋を張り、拳を膝に置いて姿勢を正した。大原がわざとらしく咳払いをする。
「サラダの日本語訳、それは、・・・『野菜炒めない』とする」
「・・・野菜炒めない。『野菜炒めない』・・・か、そうか、『野菜炒めない』。ううむ」
「おや、どうもしっくりこないようであるな。まあ、君のような凡人には理解しがたいだろうが、サラダを表す日本語でこれほど適切な語は他には有り得ないね。まあ、覚えておきたまえ。何年か後には『野菜炒めない』と言う文字が巷に溢れ出すよ」
「ううむ、そうか、覚えておくよ。『野菜炒めない』。でもなんだか言い易いね。思わず口に出したくなる言葉だね」
「おお、さすが我が友唐杉四郎!少しは分かるようだね!そこが重要なのだよ、新しい日本語たるもの、皆に親しまれる心地よい語でなくてはだめなのだよ。『野菜炒めない』を思いついたときは我ながら恐れ入ったさ。私はこの調子で色々のものについて造語していくつもりだ」
「野菜炒めない・・・野菜炒めない」
「どんどん言いたまえ!」

 カウンターの奥では店主が苦々しげな表情をしながらも、俯いて「ヤサイイタメナイ」と呟いていた。

 晩秋の昼下がり、例の軽食屋には大原康の姿しか見えなかった。彼はコーヒーを啜りながらいつものように壁のポール・ゴーギャンを眺めていた。

 軽食屋の店主は、いい兆候だと密かに喜んだ。いつも二人いる迷惑客が、今日は一人しかいない。ということは、今いるこの一人の迷惑客も、近い将来この店から消え失せるのでは。そんな期待を抱いたのだ。

 しかし次の瞬間、店主の淡い期待は脆くも崩れ去った。

 もう一人の迷惑客である、唐杉四郎が意気揚々と来店してきたのである。

「いらっしゃ・・・」

 入り口ドアに仕掛けてある小さい鐘が「カランコロン」と鳴ると同時に、条件反射的に歓迎の挨拶をすべく振り返った店主は、四郎の姿を見とめると一瞬絶句し、その後はうな垂れて黙々とカウンターを磨き始めた。

「ギャルソン!コーヒー!」四郎はいつもの席に着くと同時に、右手の人差し指を高々と掲げて店員に命じた。

「唐杉四郎、なんだその格好は?何事が起きたのだ?しかも飲酒をしているようだな」

 大原が驚愕して問うのも無理はない。いつもは小汚い格好をしている四郎が、今日は黒いタキシードのようなものを着用し、手には大きな紙袋を提げているのである。

「見てのとおり、今日は結婚披露宴なるものに招かれてな、この時期、祝儀としての二万円の出費は大変な痛手だが、断るわけにもいかず行ってきたさ、その代わり喰らうだけ喰らって、飲むだけ飲んできた」

「ほう、そうだったのか。で、誰の結婚式だったのだ?」

「そうそう、それが佐野和男の結婚式だったのだよ。てっきり君も招かれているのかと思ったのだが、・・・まさか君、断ったのではあるまいな?」

「いや、私はこれまで結婚披露宴などに招かれたことは一度もない。まあそれはいいが、ほう、あの佐野和男が結婚とはな」

「ああ、僕も驚いたさ、あの、大変理屈っぽく、恐ろしくきれい好きで、いちいち言うことが細かい佐野和男が結婚だからな。君は佐野と学生時分ずいぶんと好意にしていたようだが、やはり招かれてはいなかったのか」

「馬鹿を言いたまえ、好意になどしていた覚えはないよ。奴とは何かにつけて議論めいたことは重ねてきたが、そこには周囲の連中が思うような、友情なんていう青臭いものは介入していなかったさ」

「そうだったか、当時は、佐野と大原は似たもの同士で、大変に仲がよいという評判だったがね」

「引き続き馬鹿を言いたまえ、なにが似たもの同士なもんかね、確かに私は理屈っぽいところがあり、言うことも少しは細かいかもしれんが、きれい好きの要素は皆無だし、人を苛立たせるのも得意ではないつもりだ」

「そうだな、人を苛立たせることに関しては、奴は天下一品だ。いつだか僕が数人の連中に郵便についての考察を語っているときだった、
『郵便は素晴らしいシステムだ。封書などは定形以内の大きさ重さであれば、80円切手さえ貼り付ければ日本全国どこの家庭のポストにでも届いてしまうんだ。更に定形以内の大きさであれば、スルメでさえも、宛名を書いて切手を貼れば各家庭のポストに届くらしいぞ』
 と僕が言うと、他の連中は 『スルメでさえもか、確かに郵便とは便利で素晴らしいシステムだ』 。と感心していた。ところがそのとき佐野が言うんだ、
『唐杉君、君はポストについての認識がおかしいね、ポストっていうのはその辺の道端や郵便局にある、あの赤いやつだよ。出したい手紙を投函するところね。そんでもって、君が言う各家庭にあって手紙が届くところ、・・・あれ、ポストじゃないよ。あれは郵便受けだよ。ユウビンウケって言うんだよ』
 それまで皆を感心させて得意になっていた僕は、佐野に見当違いな指摘をされ、その後はとても機嫌が悪くなってしまったよ」

「・・・確かにあれはポストではないね」

「やはり君も同類ではないか!」

「いやいや、悪い悪い。すこしからかっただけだ。それにしても、そんな奴と釣り合う女性がよくもいたもんだね、たいていの人間は、佐野和男なんていう人間には我慢ならんはずだが」

「そこだよ、僕も招待状を貰ってからそのことがずっと疑問だったよ。それが今日実際に披露宴に行って分かった。隣の席にいたやつが事情を詳しく知っていて教えてくれたんだ」

「ほう、是非とも拝聴したいね」

「ああ、話すよ。まず君が言うように、たいていの人間は佐野には我慢できないはずだ。しかしそれはあくまでも、対象が 『普通の人間』 の場合だ。そして今日の披露宴の主役であるところの新婦、即ち佐野和男の妻になろうとしている女性、佐々木氏、名を広子という。この女性、何のことはない 『普通の人間』 ではないのだよ。普通じゃないから佐野と結婚しようなどと思ったのだよ」

「ほう、それはもっともだね。普通ではないが故に佐野と釣り合うのだね。しかし、どう普通じゃないのかね?」

「うむ、君も認識しているように、佐野の佐野たる性質の一つに、きれい好きがある。この 『きれい好き』 に関して、佐々木広子は常軌を逸しているのだよ。知っていると思うが、佐野の趣味には思わず耳を疑ってしまうようなものがある。ひとつは 『つまようじ数え』 。彼は、例えば『約850本入り』と明記してあるつまようじを購入し、なんと一本一本数えるのだ。そして、そのつまようじ製造メーカーが考える 『約』 の範囲を特定する。そのためには、同じメーカーの同じ商品を何組も数えなければならないという。それを彼は実際に趣味として実行しているんだ」

「まさに阿呆だね。それで問題のきれい好きに関しては?」

「すまん、話がわきへ逸れてしまった。続けよう、問題のきれい好きだが、佐野のもう一つの趣味に掃除がある。彼は毎日のように掃除をするんだ。朝起きて掃除、ちょっと一服で掃除、寝る前に掃除。毎日が大掃除のようだ。思い立ったら夜中の2時でも掃除機を掛け始めるらしいぞ。そして、佐々木広子の趣味。これがすごいんだ、僕も聞いたときはまさかと思ったぜ」

「勿体ぶらずに言い給え」

「聞いて驚くなよ。佐々木広子、彼女の趣味はなんと 『掃除機を掃除すること』 なのだよ!佐野和男は彼女と知り合って彼女のこの趣味を知ったとき、雷鳴に打たれたが如くにショックを受けたらしい。いくら無類のきれい好きの佐野も、掃除機を掃除するところまでは考え付かなかったようだね。彼女に言わせれば、部屋などきれいに掃除するのは当たり前のこと。その、きれいにするための掃除機が一番汚れているのも周知の事実。掃除機を掃除せずにきれい好きを語ってもらっては、きれい好きの面目丸つぶれだわよ、ということだ。それ以降、佐野は彼女に一気に惹かれ、猛アピールの末に結婚にこぎつけたというわけだ」

「ほほう、まさに類は友を呼ぶ、だね。・・・しかし、私には一つの疑問が残るね」

「何だね疑問とは?」

「部屋を掃除するために使用するのが、掃除機だ。では、掃除機を掃除する場合、一体何をこれ、用いればよいのだね?」

「・・・掃除機を掃除するためのもの、・・・掃除機を・・・そ、そこまでは聞かなかったな」

 カウンターの奥では、店主が苦々しげな表情で二人を見ていた。

 晩秋の昼下がり、唐杉四郎と大原康は当然のごとく、四郎宅そばの、このいつもの軽食屋にいた。彼らはもはや、四郎宅からならば目隠しをされた状態でも、この軽食屋のこの席にたどり着くことが出来るだろう。

 実際に、今日も二人とも気が付いたらいつの間にかこの席に座っていたという有様だった。そしていつものコーヒーを注文して、まるで自宅にいるかの如くにくつろぐのだった。
 
 一方、店側も最近ではこの二人の攻略法を考えているらしく、午前中に淹れたコーヒーを通常ならば30分のタイムリミットで廃棄処分にしてしまうところを、今日はこれを捨てずに別なサーバーでストックしておいて、二人から注文が入り次第もう一度火にかけて提供するという体制をとっていた。したがって二人が飲むコーヒーは、香りもなく味も散々なものであったが、コーヒーの味の違いなど端から分かるはずもない彼らは満足げな様子で、四郎は両手を後頭部で組み椅子にふんぞり返り、大原は壁のポールゴーギャンの複製を眺めていた。

 時計が午後二時を示したころ、大原が何か気が付いたように四郎を振り返った。

「ときに唐杉四郎、エピソード3はもう観たんだろうね?」

 四郎は上目遣いで大原を一瞥し、深いため息をついた。

「またその話か、何べん言ったら分かる、いいか、僕はスターウォーズは金輪際観ることはない!」

「おお、えらい剣幕だな。なぜ観んのだ?」

「なぜ観んのだだと!?よし、わかった、今日こそはそのクソいまいましいスターウォーズについて、ハッキリさせようじゃないか!悪いが今日は僕の方が話の主導権を握らせてもらう。君に反論の余地などないほどに叩きのめしてやるからそのつもりでいたまえ!」

「ほほう、面白そうだな。遠慮なく始めてくれ」

「よし、よく聞け。もともと君は、自他共に認める無類の映画好きだ。そして君の傑作と駄作を見極める選択眼にはいつも驚かされていた。僕も君と同様とても映画が好きだ。良し悪しの判断もそこそにはつけられるつもりだ。しかし、君にはかなわない。それは認めざるを得ん。実際これまで君に薦められた映画にはハズレがなかった。パルプフィクション然り、ベティーブルー然り、ディナーラッシュも然りだ。数えだしたらまだまだある。どれも傑作ばかりだ。逆に君が駄作だと評するものは、やはりどれもつまらん物ばかりだった。批評を加えるときもいつも適切だ。しかし、しかしだ、スターウォーズに関しては認められん。ハッキリ言おう、まあ、いわゆるところの旧三部作はさておき、エピソード1及びエピソード2、これ即ちクソ映画ではないか!まず、エピソード1の幼稚で時代遅れなあのストーリー。過去の栄光にしがみついた、ただのエピソード4の二番煎じではないか。次にパドメ姫の衣装、明らかに力みすぎで、画面を通してデザイナーの張り切り具合がひしひしと伝わってくる。登場する度ごとに髪型から何からすべて変わっていては、緊張感などあったものではない。そして新キャラクターの「ジャージャービンクス」。ルーカス氏の意図としては、旧三部作におけるC3POやR2D2のような、ドジだけど憎めない、それでいて物語上重要なキャラクターというものを想定したのだろう。分かる。大いに分かります。しかし、もうちょっとやりようがあったのではないか?強いて見所を上げるとすれば、ダースモールとポッドレースくらいのものだろう。そしてエピソード2に至っては、もう散々たる有様だ!なんだあのアナキンとパドメの草原でのやり取りは?今時大学の映画サークルでもあんな映像は撮らんぞ。そして、フフ、これはもう笑ってしまったがな、あのヨーダの動き。スターウォーズで一番やってはいけないことだったのではないか?僕は劇場で『もっとフォースを使えよ、ヨーダなんだから』と思わず言ってしまったぞ。それにストーリーにおいても、ことの必要性がまったく感じられん。また、これは全シリーズを通して言えることだが、ライトセイバーを使ってのタチマワリの緊張感のなさ。日本のどんなチンケな時代劇でも、もうちょっと迫力はあるだろう。そもそも刀での戦いの場合、大多数での合戦などは除き、一対一もしくは二対一の場合、そこには独特の「間」というものが存在し、これ以上お互いに一歩でも一ミリ近づけば相手に切りかかる、というギリギリの境目でジリジリとし、隙を見せた方が負け、しかも勝負は一瞬で決まる。という緊張感が醍醐味なのだ。それをば彼らの戦いときたら、鼻と鼻が触れんばかりの至近距離で無暗矢鱈と刀をぶつけ合い、打ち合わせどおり足元に振り下ろされた剣を大仰にとんぼ返りでかわしたりと、まったくセオリー無視の、子供のチャンバラ遊び同様の紙芝居ではないか。関係者諸君は一度日本の剣道の試合でも見学して勉強してみては如何であろうか。と、このように先にも言ったとおり、スターウォーズはクソ映画なのだよ。ただのにわかスターウォーズファンがブームに乗ってはしゃいでいるだけではないか。君のように、幼いころ観たエピソード5に感銘を受けて以来のディープなスターウォーズファンだからこそ、こき下ろさなくてはならない映画ではないのか?ええ、どうなんだい?いい加減に目を覚ましたまえ」

「唐杉四郎、珍しく長々と喋ったもんだな。私は一語一句漏らさず聞かせてもらったよ。では言おう、君が今話したこと全部、全部ひっくるめて、『スターウォーズ』なのだよ」

 四郎はがっくりとうな垂れた。

「それがわからん。なぜだ?なぜなんだ?なぜ君のような今すぐにでも映画評論家になれる眼力を持つものが、ことスターウォーズに関してはいつも、全盲目的に全肯定なんだ?」

「その答えはここにあるよ」

 そう言うと大原はポケットからスターウォーズエピソード3の前売りチケットを四郎の眼前に差し出した。

「ちょうどいい具合にここの三軒となりが映画館だ。今から行けば三時の上映に優に間に合う。みたび騙されたと思って行ってきたまえ」

「断る」

「そう意固地になるな。これは私のおごりだ、どうせ時間を持て余しているところじゃないか」

 大原はいつになく大らかな表情だ。

「おごりか、そこまで言うのなら致し方ない。どうにも気は進まないが、観ることにするか」

 四郎は大原の手からチケットをひったくると、重い足取りで軽食屋を出て行った。


 約三時間の後。

 軽食屋のドアが開き、放心状態の唐杉四郎が入ってきた。そしてフラフラと体を揺らしながらいつもの席にドサッと崩れ落ちた。

「どうだった?」

 大原が身を乗り出して四郎に問うた。

「・・・す、素晴らしいよ。・・・大原、康。あんな素晴らしい映画、僕は今まで観たことがない。・・・前言撤回だ。すまん、大原。・・・最高傑作だ」

「私のこれまで言ってきた意味が分かったかい?」

「ああ、エピソード1・2、いや、これまでのスターウォーズ全シリーズが、エピソード3の前置きだったのか・・・」

「そうだ、偉大なるジョージルーカス氏はこのエピソード3を撮るために、20年以上もかけてスターウォーズ全シリーズを撮り続けてきたのだ!」

「恐るべしジョージルーカス!そして恐るべし選択眼の持ち主、大原康!」

 カウンターの奥では、軽食屋の店長が新聞で次の上映時間を確認していた。

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