北朝鮮問題

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「巨済島暴動事件」そんなことよりも‥‥


【ソウルからヨボセヨ】捕虜体験コーナー? 

 韓国・南部の巨済島(コジェド)は韓国造船業のメッカで景気がいい。釜山から高速船で1時間足らず。昔はイワシ漁などがいいとこだったが、今や人口も20万近くに増え都市化が進んでいる。しかしこの島は歴史が面白く、久しぶりに歴史探訪に行ってきた。

 歴史とは、まず16世紀の豊臣秀吉軍の朝鮮侵攻の際、双方の水軍が戦ったところで、とくに韓国側では李舜臣将軍が日本水軍を撃退したとして有名だ。李舜臣は韓国偉人伝のベスト3に入っている。島には記念館がある。さらに20世紀初頭、日露戦争の際の日本海海戦では、東郷平八郎提督の連合艦隊がこの島で猛訓練をしながらロシアのバルチック艦隊を待ち受けた。東郷艦隊は出撃に際し名将・李舜臣の霊に戦勝を祈願したという故事もある。

 そして1950年代の朝鮮戦争では、北朝鮮軍などの捕虜収容所があった。一時は10万人もの捕虜が収容され、彼らが引き起こした「巨済島暴動事件」で島は国際的に有名になった。その捕虜収容所を再現した大規模な「史跡公園」があって観光客でにぎわっていた。朝鮮戦争の貴重な資料が多く展示され興味深いが、ただ「捕虜体験コーナー」は必要かな? そんな体験は北朝鮮側には教訓になるかもしれないが、韓国人には必要ないだろうに。 ‐ 黒田勝弘 ‐          
                                     ( 『Sankei WEB』 6/16 )


イメージ 1 「巨済島暴動事件」というのは記事にもあるように、朝鮮戦争の最中、北朝鮮捕虜を収容していた巨済島(コジェド)で捕虜たちが起こした暴動事件を指す。当時国連軍(アメリカ軍)は伝統的に捕虜を厚遇し、収容所内の多くを捕虜の自治に任せていた。当初は反共捕虜が収容所内の主導権を握っており、警備当局とも円滑な関係にあった。

 ところが、戦争が激化するにつれて捕虜が急増し、1950年末までにはその数が13万人を超えたために、それまで釜山近傍だけに収容していた捕虜たちを、この巨済島に移すことになったのである。移転に際して反共捕虜3万7000人を分離したのだが、これが捕虜の勢力関係に変化をもたらし、一部に容共捕虜が収容所施設を牛耳る事態が発生した。

 彼らは施設内に政治委員会や人民裁判所を設け、驚いたことに死刑まで執行していたのである。しかも彼らは武装しており、国連側管理当局の立ち入り拒否までしていたという。容共捕虜たちは、反共捕虜を迫害した。帰国意思をはっきりさせないものを脅迫し、死傷者が出ない日はないまでに不穏な情勢となっていたのである。

 板門店での会談が捕虜問題で紛糾すると、彼らは警備当局に対し表立って挑戦した。これが最高潮に達したのが、1952年5月7日に発生したこの「巨済島暴動事件」である。収容区画の通用門で捕虜の苦情を聞いていた国連軍・収容所長フランシス・ドッド准将が、突然、容共捕虜に拉致、監禁され、人民裁判にかけられたのである。監禁4日後の5月10日、ドッド准将は解放されたが、その間に捕虜たちは「捕虜虐待」「国連軍の細菌戦」の容疑をでっち上げて国際世論にアピールし、板門店の会談を有利に運ぶように画策したのである。

 衝撃を受けた国連軍は、アメリカ軍二個連隊、火炎放射器や戦車まで導入してようやく捕虜を鎮圧した。この事件は世界の耳目を集め、その結果、板門店での捕虜交換に関する交渉は難航したのである。つまり、帰国を希望しない捕虜のために、国連側は人権問題、人道上の問題として任意送還を強く主張していたのに対し、共産側は従来の慣例であった全体送還をそれまで以上に強く世界に向けて主張したのである。結果、会談は無期延期となった。

 このことからも、北朝鮮という国のものの見方や考え方の教訓を学ぶことができる。人権などという観念はまるでないことはもちろん、甘い顔をすればすぐに図に乗り付け込んでくる。また、事実を捻じ曲げ自国に有利になるよう話をでっち上げ、世界に向けてアピールしようとする。現在「核」を巡って6者協議の北以外の面々が手を拱いている状況と、まったく同じ構図ではないか。

 黒田氏は、現在巨済島にある史跡公園、その中の「捕虜体験コーナー」は韓国人には必要ないのでは?と述べているが、とんでもない。韓国人にこそその歴史的事実を見せるべきなのである。収容所という場違いな場所でも、主義主張が違うことを理由に、同じ同胞である民族を平気で裁判にかけ粛清してしまう。それが北朝鮮の正体なのであり、しいて言えば、それが韓国を含めた朝鮮人たちの実態であり素顔なのだ。

 BDA問題が一応決着する方向で動き始めている。韓国は北朝鮮に対する5万トンの重油支援を、今や遅しとばかりに手ぐすねひいて待ち望んでいる。馬鹿か‥‥。包容政策を信奉する馬鹿な連中をはじめ、歴史を知らない韓国人たちは、この「捕虜体験コーナー」へ行って、かつての捕虜の実態を体験してみるべきである。おそらくこの「体験コーナー」も、いつものことながらその事実は隠蔽され「かつて北朝鮮の捕虜たちがここに収容されていました。皆さんもその生活ぶりを体験して見ましょう」ぐらいの馬鹿げた内容かも知れない。しかし、少なくともそれを契機に、歴史の事実に関心を持ち、実態に目を向ける者が出てくるかも知れない。そういった意味では大変意義があると思う。

 それにしても「東郷艦隊は出撃に際し名将・李舜臣の霊に戦勝を祈願したという故事もある」だと。何度もこのエピソードは韓国発の捏造話として耳にするが、聞くたびに本当に不愉快になる。韓国人が「捕虜体験コーナー」を体験しようが体験しまいが、歴史の真実に目覚めようが目覚めまいが、そんなことはどうでもいい。それよりも、この恐れ多くも罰当たりで荒唐無稽な捏造話を流布することだけはやめてくれ。お願いだから‥‥。




            ホームページ http://www.geocities.jp/shiraty5027/index.html/

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これはひとごとではありません 日本人捕虜にもありました シベリア抑留者は転向したものから帰国がゆるされ、帰国した兵士たちはただちに日本共産党に集団入党しました 中共軍の捕虜になったものも残虐行為の証言を行ったものは優遇されました

2007/12/2(日) 午前 2:42 ure*ruh**oshi 返信する

ヒロシ様、石原吉郎の『望郷の海』を読むと、その実態がわずかながら垣間見ることが出来ますよ。

2007/12/2(日) 午前 7:46 shiraty5027 返信する

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