「昭和維新の歌」その解釈と鑑賞(六)
昭和維新の歌(六番)
天(てん)の怒(いか)りか地(ち)の声(こえ)か そもただならぬ響(ひび)きあり
民(たみ)永劫(えいごう)の眠(ねむ)りより 醒(さ)めよ日本(にほん)の朝(あさ)ぼらけ
文 法
天(名) の(助詞) 怒り(名) か(係助詞・疑問) 地(名) の(助詞) 声(名) か(係助詞・疑問)
そ(代名) も(係助詞) ただなら(形動・ナリ・未) ぬ(助動・消・体) 響き(動・カ四・用) あり(補動・陳述・ラ変・終)
民(名) 永劫(名) の(助詞) 眠り(名) より(格助詞・起点)
醒めよ(動・マ下二・命) 日本(名) の(助詞) 朝ぼらけ(名)
※ 活用形は文語文法による。尚、主要な助詞には「種類」を付した。
語 句
そも ‥‥ それも。そのことも。
ただならぬ ‥‥ 様子が普通でない。わけありである。いわくがあるようだ。
永劫 ‥‥ 限りなく長い年月。ようごう。
朝ぼらけ ‥‥ 夜がほのぼのと明ける頃。明け方。
解 釈
これは天の怒りなのか、それとも地の声なのか。それも尋常ではない響きである。今まさに長き闇が破ら
れるときがきた。国民同胞よ、久遠の眠りより目覚め、ともに日本の明るい朝を迎えよう。
鑑 賞
五番の歌詞が「決意」ならば、この六番の歌詞は希望に満ちた「呼びかけ」である。日頃、問題意識ももたず、漫然と過ごす輩にはこの「呼びかけ」はどう映るのであろうか。やはり「そんなの関係ねえ」と映るのであろうか‥‥。昭和11年2月26日、昭和維新を夢見て決起した青年将校たちの頓挫は、国民の目にはどう映ったのであろうか‥‥。塗炭の苦しみに喘ぐ庶民にとっては失望感が、要領よく時代を謳歌している連中には、安堵感があったのかも知れない。理想に燃えた青年将校たちの心中を思うと、その無念さはひしひしと重く伝わってくる。 つづく
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天変地異は神のお告げであり、民は眠りから醒め、いよいよ動くときだと呼び掛けるのでしょう。夜明け前だということでしょう。
2007/12/3(月) 午後 6:13 [ hiromichit1013 ]
先生のコメントのほうが、解釈をより端的に言い表していると思います。明治維新は「夜明け」を目の当たりにし成し遂げましたが、二・二六は頓挫しました。以後、未だに日本の「夜明け」は来ていません。来ていないどころかますます混迷を深めている‥‥。そんな気がしてなりません。
2007/12/3(月) 午後 7:28
shiratyさん、二・二六が成功していたら世の中はよくなっていたでしょうか?
彼らには熱情はあっても手腕はなく、その後の日本を治める計画はありませんでした。
かれらの正義のエネルギーをもっと有効に使える国家であったらよかったのにと思います。
傑作に○!
2007/12/9(日) 午後 3:07 [ 太郎ともも ]
bieさん、三島由紀夫が『蘭陵王』の中で、二・二六の頓挫は初歩的かつ幼稚な誤りであると指摘しています。それは「宮城包囲をしなかったこと」です。青年将校たちの拠りどころの天皇から鎮圧の奉勅命令が出たわけですから、その無念さはひしひしと伝わってきます。また、真崎大将や香椎浩平(東京警備司令官)の保身的な寝返り。真崎は真っ先に自決すべきだったと思います。いずれにせよ、青年将校たちは自ら昭和維新を完結しようとしなかった(他力本願)ことに、最大の問題があったのだと思います。また統制派は、この蜂起をカウンタークーデターと位置づけ、結局自派を利するように事件を誘導したわけですが、そんなことからも青年たちの単純さ、よく言えば純粋さが表われているのだと思います。つづく
2007/12/9(日) 午後 5:59
つづき 首謀者、磯部浅一は、銃殺刑を受けるとき「天皇陛下万歳」とは言わなかったといいます。親である天皇に見放され、信頼していた真崎に裏切られる‥‥。磯部の『獄中手記・遺書』を読むと「日本改造法案大綱」の主張や思想信条が書かれてあります。しかし、そこから彼の情念を読み解こうとするだけでは、やはり限界があります。天皇に対する疑念など、むしろ彼の心中は主義主張というよりも、自分の中にある理想の挫折、その怨念のようなものがあったように思います。彼の墓が吉田松陰と同じ回向院にあるのも、両名が同郷(山口県出身者)というだけでなく、国家の大きな損失であったという深い因縁を感じます。
二・二六が成功したらどうなっていたか、については当然分かりません。しかし、きっとその後の歴史は少なくとも良くなっていたのではないでしょうか。
2007/12/9(日) 午後 6:05
歴史にifはつきものですが、
ボクは、テロリズムと神秘主義が歴史をより良い方向に導くことはない
と言う考え方です。
私がよく行くPEPEのシェフは60年安保で旗を振っていた人で
その手法・思考法は革命家そのものです。
ですが、物事を改善していくには凡人が集まって改善していく外ないと言うボクの考え方には賛成してもらえませんでした。
ぼくはもしこの時代に、明治維新をリードした元勲達がいたらと思わずにはおられません。彼らがいたら、このような悍馬達を上手に使ったことでしょう。
2007/12/9(日) 午後 8:05 [ 太郎ともも ]
bieさん、二・二六はテロルであったのか‥‥。この理解こそがその後の解釈を二分するものだと思います。韓国の元大統領朴正熙は、この二・二六にかなりの影響を受け、自らのクーデターを「維新」と呼んでいました。彼が二・二六から学んだことは、その失敗を繰り返さないことだったのです。彼はクーデターを最初から最後まで完結しました。したがってその革命を、クーデターとはいわれてもテロとはいわれない所以なのです。コメントにも書きましたが、青年将校たちは他力本願でした。天皇を信じ、重鎮を担ぐことによって事を成そうとした甘さがありました。若者特有の純粋さ所以でしょうか。明治をリードした元勲たちは、自らが完結しようと維新に臨みました。その違いは決定的だと思います。負ければ賊軍‥‥。歴史的に「テロ」と認定されても仕方がありませんが、私はやはりテロであったとは思いたくないです。
2007/12/9(日) 午後 10:17