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大きな活字でご覧になるにはこちらをクリックしてください。 死を達観した潔さ「米提督の詩」に日本軍への敬意 野口裕之 《諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本軍人が いかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ》
この詩文はやはり、米海軍のニミッツ提督の作ではないのかー。3月から上映される映画「明日(あした)への遺言」(小泉堯史(たかし)監督)の試写を観(み)て、そう思いたくなった。 「明日への遺言」 大東亜戦争中の1944(昭和19)年、太平洋のペリリュー島で日米両軍が激突。約1万2000人の日本軍守備隊は戦死者1万人以上を出し玉砕した。守将らが割腹自決。残存兵五十数人は万歳突撃を敢行し、組織的抵抗は終わったが、最後の日本兵34人が投降したのは47年になってからだった。約4万2000人の米軍も第1海兵師団が全滅判定(損失60%強)を受け、司令官が心労から心臓病を発病。戦死者2000人前後、戦傷者は7000〜8000人を数えた。血で染まった西海岸は今も「オレンジビーチ」と呼ばれている。 当時のニミッツ太平洋艦隊司令長官は日本軍の戦(いくさ)ぶりに感動、冒頭の詩文をささげたといわれる。もっとも詩文は84年、米海軍兵学校を訪れた元航空自衛隊将官に伝えられたとの証言があるだけで、米側資料からの裏付けはない。 一方、「明日への遺言」は作家・大岡昇平が丹念な取材に基づき書き上げた「ながい旅」を原作とする史実である。藤田まことさん演ずる元陸軍東海軍司令官・岡田資(たすく)中将はB級戦犯として48年、横浜法廷において証言に立った。起訴理由は、中京地区などを爆撃後、撃墜され捕虜となった米軍爆撃機乗員38人に対し、正式の軍律会議にかけず略式手続きによる斬首処刑を命じたーであった。本来責任を取るべき日本の一部高級軍人も、責任を免れようと米軍側で証言。精神の荒廃には悲しむべきものがあった。 しかし、中将は敗戦の屈辱を正面から受け止めながら、米軍という時の権力にもおもねらず、処刑された乗員は国際法の定める捕虜ではなく、無差別爆撃を行った戦争犯罪人であったと、臆(おく)するところなく主張する。同時に「司令官は、その部下が行った(処刑など)すべてについて、唯一の責任者である」と、全責任を一身に背負う。決然たる態度に、中将を追及した主任検察官も、中立を守るべき裁判長(共に米軍人)も、次第に心打たれ、両者ともに減刑を企図した好意的質問をするまでに至る。主任検察官は判決後、助命嘆願までしている。 だが、中将自ら「法戦」と名付けた法廷闘争には屈服は無論、妥協すらなかった。結果、被告20人の中でただ一人絞首刑となる。スクリーンに滲(にじ)んだ、米軍側が抑えようとしても抑えきれなかった敵への畏敬(いけい)に、ペリリュー島で散華した日本軍将兵に対するニミッツ提督の眼差(まなざ)しと同種のものを感じた。 東郷平八郎を「崇拝」 提督は元帥海軍大将・東郷平八郎を「崇拝」。対米強硬派であった東郷の、国葬ばかりか、東郷家葬儀(共に34年)にまで参列した。終戦直後には神奈川県横須賀市に保存されていた、東郷が連合艦隊司令長官として座乗した旗艦・三笠を訪問。進駐米軍による内装品略奪を知った。日本を嫌った部下・ハルゼー提督が三笠の魂・軍艦旗をソ連に渡そうと画策してもいた。事態を憂えたニミッツ提督は、米海軍に三笠警備を命令する。三笠が民間に払い下げられキャバレーなどに改造されると、三笠保存運動の支援者となった。米海軍の廃艦を日本に譲渡し、スクラップにして復元費用に充てるよう手配までしている。61年の三笠復元完成開艦式で、提督は高齢故に写真での参加となった。写真には、こう記されていた。 「東郷元帥の大いなる崇拝者にして弟子であるニミッツ」 東郷を師と仰いだ提督が、ペリリュー島の日本軍将兵に「祖国のために全員忠実に戦死せり」と、米軍公刊戦史の記述同様の感銘を受けても不思議ではない。それでも尚、冒頭の詩文が提督作かは判然としない。 ところで、司令官の責任を認めた絞首刑判決を聴いた中将は、傍聴席の妻に「本望である」とささやく。その3年半前、ペリリュー島の日本軍将兵は、決別電文に「サクラ サクラ」と打ったごとく、桜花のように見事に散った。横浜法廷の主任検察官も、ニミッツ提督も、死を達観した敵の潔さを、心に刻み留(とど)めたことだろう。それは心で綴(つづ)った詩文である。提督が実際にペンを走らせたか否かの検証は、歴史家にまかせるとしよう…。 ( 『 イザ 』 2/24 ) こうした逸話は、広く日本人に知ってもらいたいと思う。特に自衛隊員(防衛省職員含む)、なかんずく海上自衛隊の諸君には‥‥。「死を達観した潔さ」これが軍人としてのあるべき姿ではないか‥‥。 尚、「明日への遺言」はブログ 『ミニシュナ太郎もも自転車音楽大好きメタボ中年毒舌帳 』 に「大岡昇平 ながい旅 抄録 」として、不定期に転載、連載中である。 |
名将
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今回も心に残る話をありがとうございました。
戦争を様々な視点で見なければ出てこない内容だと思います。
2008/2/24(日) 午前 9:04
本題から外れますが・・・・・、
26代T.ルーズベルトUS大統領は、「武士道(新渡戸稲造著)」の愛読者で、日本人の伝統精神文化を高く評価し多くの友人に本書を推挙したそうです。
本文を一読してて思い出しましたので。
参考:「武士道」は欧米人向けに英文で書かれ、日本の書店店頭の ものは「和訳本」です。
2008/2/24(日) 午前 9:59 [ 自由人 ]
さすがshiratyさんです。
常に死を達観するのはどうかとも思いますが
自分の果すべき責任を全うするために働くもののふの姿は感動的です。
ぼくも、仕事では責任を回避せず真正面から当たっています。
2008/2/24(日) 午前 10:30 [ 太郎ともも ]
flattwin様、「イザ」の転載記事ですが、こういう話は一過性のものにしたくないと思いまして‥‥。ありがとうございます。
2008/2/24(日) 午後 0:20
自由人様、日本を好意を持って理解しようとする外国人はたくさんいます。その人たちを応援したいものです。
2008/2/24(日) 午後 0:22
bieさんのことですから、働いている姿が目に浮かぶようです。きっと部下や上司に厳しい方なんでしょうね。
2008/2/24(日) 午後 0:23
いや、ボクは誰にでも優しいですよ。
自分でなんでも抱え込んでいくタイプです。
人望とか人気とかいう点からは無縁の生活を送っています。
2008/2/24(日) 午後 1:23 [ 太郎ともも ]
bieさん、文は人なり。bieさんの文章を読んでいれば、おおよそお人柄は想像できます。
2008/2/24(日) 午後 1:43
チェスター・ニミッツ大将は少尉候補生時代に練習航海で日本に寄港した際に東郷平八郎元帥(大将?)に謁見し、大変に感銘を受けたのが崇拝の所以だそうです。
2008/2/24(日) 午後 5:52
フッケバイン様、実はその話、記事の最後に参照として拙文『ニミッツ提督と東郷元帥』という記事で紹介しました。戦時中、「出て来いニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄に逆落とし♪」と歌っていたのが、いかに罰当たりな歌であったことか‥‥。わざわざありがとうございました。
フッケさん、ところでブログ『海洋戦略研究』でのコメント拝見しましたよ。僕にとっては両氏のやりとりは、夢のような出来事。共に軍事・国際政治を中心にブログを展開されている双璧‥‥。さしずめトルーマンとチャーチル、天皇陛下とエリザベス女王、ヒトラーとスターリン、毛沢東と金日成の会談を見ているようでした。(スイマセン、後の例えが悪くて‥‥)。
2008/2/24(日) 午後 6:04
「戦史を繙け」とよく言われますが、今の日本人に最も不足しているのかもしれませんね。国のために尊い命をささげた英霊を尊敬できない人たちがいるというのは、国が滅んだも同然の感があります。もはや戦後ではない、ではなく、只今敗戦直後、と言い直すべきでしょう。
2008/2/24(日) 午後 7:24 [ 無路無双 ]
shinsheito51様、本当にそう思います。戦後骨抜きにされた国体はここまで堕落してしまったのかと‥‥。嘆かわしいかぎりです。
2008/2/25(月) 午後 1:44