北朝鮮問題

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不敗の将:宮崎繁三郎中将

イメージ 1 「インパール作戦(日本側作戦名:ウ号作戦)とは、1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され6月末まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のこと。 補給線を軽視した杜撰な作戦により、歴史的敗北を喫し日本陸軍瓦解の発端となった。 無謀な作戦の代名詞としてしばしば引用される。」(Wikipedia)

 この悲劇の原因は、明らかである。作戦計画の不備、兵力の分散、補給の困難、地形の不利、制空権の喪失など、作戦開始の前から、成功は危ぶまれていた。おまけに、第15軍司令官・牟田口廉也(むたぐちれんや)中将の感情的な指導は、部下指揮官たちとの意見の疎通を欠き、粗雑な作戦計画は、部下をして彼を「鬼畜」とまで言わしめた。

 インパール作戦に関わる高級指揮官は概ね評価が低いが、ただ一人、異論なく高評を受けるのが第31師団歩兵団長・宮崎繁三郎少将(当時)である。「最少の犠牲で最大の効果をおさめるのが、戦闘の根本である。それには量よりは質、質よりは和の体制をとらねばならない」。彼の軍人としての哲学である。実際、宮崎少将はそれを身をもって実践した。

 まずは軍の効率化。もともと優勢で装備も優れた敵に対して、小兵力、劣等装備で突進しようというのであるから、各連隊、各大隊がそれぞれに歩兵も機銃も砲も適当に持つ編成は、かえって不利だと指摘した。三連隊のうちもっとも強い連隊を増強して“必勝連隊”とし、同じく大隊、中隊、小隊、分隊にも中核となる“必勝隊”をつくる。人員も兵器も平等に割り当てる必要はないとし、射撃のうまい者は小銃と弾丸だけを持ち、手榴弾投げに自信があるものは手榴弾だけを十個でも二十個でも持つ。「要するに、これなら勝てると確信がもてるように、思い切った改編をせよ」と命じたのである。

 また「軍隊の優劣は幹部、特に将校の優劣に比例する」とし、部下の訓練とともに幹部教育に力を入れた。例えばある歩兵分隊の訓練では、途中でスコールが降ってきて擲弾筒(てきだんとう:迫撃砲)不発になった。訓練を指揮していた小隊長は「ただ今、擲弾筒射撃は行われているものと仮定する。突撃! 」と号令した。すると、宮崎少将は「待てぃ! 仮定とは何事か! 」と怒鳴った。実戦では“仮定”はあり得ないのである。「形式だけの訓練は、部下に必敗の観念を植えつけるものだ。訓練は、こうやれば成功するという信念を与えるために行うものだ。こんな演習を千万回やっても役に立たぬぞ!」と叱咤したという。
 
 指揮官たちへの指導では、ある作戦に対し、その指揮官たちに問答形式で作戦立案を誘導・伝授したという。中隊長たちが間違った方向へ作戦を立案しようとすると「では、この陣地をどう攻撃するか」といった反問をし、中隊長たちに再考を促した。すると彼らは、少将の指導により、少将から作戦命令を受けたという感じよりも、自身が戦術を考案し、それを少将に認めてもらったというふうに思ったという。少将は自分は裏方に回り、現場での指揮官たちを主役にし、士気を高め戦意を鼓舞させたのである。

 宮崎少将は戦術的にも長けていた。ある夜、少将は敵陣内に一人を潜行させ、大日章旗をひろげさせた。夜明けとともに、敵砲兵部隊はこの陣地に砲弾を浴びせた。同士討ちを画策したのである。またあるときは、インド独立の志士チャンドラ・ポースがひきいるインド国民軍の旗を台上に掲げ、それを英軍に砲撃させて砲弾を消費させる戦法をとった。宮崎少将はこのように無類の策士でもあった。

 宮崎少将は進軍中に部落を発見すると、まず宣伝班を派遣して、村長や村の有力者に日本軍の「インド進行の使命」を説明させ、決して生命財産に危害は加えないと安心させた。また、村の入り口に歩哨を立たせて、兵が勝手に村に入らないようにもさせた。その後で購買班を送り込んで、食糧などを村人から公正に購入したという。そのことが村人たちからの信用を勝ちとり、宮崎部隊の退却時にも大いに力になったことはいうまでもない。

 宮崎少将が部下思いであったことは、多くの文献や証言からも明らかである。宮崎少将は退却中、先に退却した自軍の将兵の道端に転がる多くの死体を発見すると、必ず埋葬し、まだ息のあるものは救え! と命令したという。自らもタンカを持って進んだ話は有名である。また、終戦となり英軍捕虜となっても、部下が英兵に殴られたと聞くと、「一つ殴られたら十殴り返せ! 」と訓示して、英軍側に猛抗議をしたという。

 インパール作戦に関わる高級指揮官に対して、恨みを抱く将兵はたくさんいる(特に牟田口中将に対して)。しかし、一人の餓死者も出さず、部下に一回も敗北感を抱かせなかった宮崎少将に対し、恨みを抱く者は一人もいなかったという。戦後、宮崎中将(途中昇進)は、自らの経歴を誇示することなく、小田急線下北沢駅近くの商店街に陶器小売店を開き、その店主として清廉な生涯を終えた。享年73歳。立派な生涯であった。

 合 掌

追 記
「宮崎閣下とかけてなんと解く」
「男爵と解く」
「そのこころは? 」
「子爵(四尺)以下‥‥」

 宮崎中将は小柄な方であった。手にはいつもペットのサルを抱いていたという。サルのことをビルマ語で「ミャオ」というが、そんな宮崎中将の姿からも、進軍途中に村人から「ミャオ、ミャオ」と親しまれていた人柄が偲ばれる。

参 照
宮崎繁三郎

『 指揮官 』 ( 児島襄:文芸春秋 )

shiraty5027

閉じる コメント(12)

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私の岳父は陸士出身の将校でした。幸いに激戦地での戦闘に巻き込まれることなく生還しました。
その人が終戦当時、大陸に取り残された民間邦人をつれて日本に戻ってきたとき、赤化していた新聞各紙は蛇蝎のごとく「敗残集団」を貶めたそうです。そのとき、読売新聞の記者だけがそのような態度をとらなかったそうで、終生読売の徳を多と感じていました。
今のナベツネには分からない心理でしょう。

2008/10/19(日) 午後 4:11 [ aaa**1303*3 ]

aaa**1303*3様
やはり、日本のメディアは当時からどうしょうもなかったんですね。
終戦後、ソ連軍の侵攻に遭い、武装を解いていたのを急遽整え、日本を守るために必死に島を死守した日本兵。占守島から、一旦はソ連に抑留されていった軍人たちが引き揚げて来たときも、日本のマスコミは冷淡だったといいます。
さらなるエピソードのご提供、ありがとうございました。

2008/10/19(日) 午後 5:55 shiraty5027

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ちょうどこの頃、ビルマ中央部の要衝ミートキーナ飛行場防衛戦においてうちのジジイの兄貴が戦死しました。
最後に与えられた食料はカップ1杯の塩のみ。戦友の話によるとB24爆撃機の投下した爆弾によって吹き飛んだそうです。実家に帰ってきたのは現地の砂が一つまみ入った白木の骨壷。
一人の「精神力のカタマリのみで作戦遂行可能と思い込んでいるアホ将官」のせいで数万人が無意味に死にました。

2008/10/19(日) 午後 6:25 フッケバイン

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ほんとに、ごく一握りのアホ将官のために、白骨街道ができてしまいました。作戦立案の段階から、数々の不備や作戦の様々な場面の研究討議が行われなかったため、何から何まで後手後手の作戦でした。
牟田口廉也は、戦後、自分の作戦指導は間違っていなかったと言う旨の署名を集めようとして、顰蹙を買っています。東条英機は、A級戦犯としては、パール判事が言うように「無罪」ですが、インパール作戦で多数の兵士を無駄死にさせたと言う意味では、「国内有罪」です。
インパール作戦に関する本を、日本国民には、涙を流しながら、読んで欲しいものです。
傑作。

2008/10/19(日) 午後 8:41 [ 無路無双 ]

フッケさん
そうですね。軍だけでなく、会社組織だって上司がアホだと、部下が苦労させられますものね。いずれの世界も、立派で部下思いの上司でなければなりません。

2008/10/20(月) 午前 7:59 shiraty5027

無路無双さま
貴殿はこの種の記事には燃えますね。無路無双様の専門分野がなんとなく分かったような気がします。傑作ありがとうございました。

2008/10/20(月) 午前 8:01 shiraty5027

インパール作戦って、NHK特集でけちょんけちょんに
けなしていました。
でも 中にはこのような立派な士官がいたことは スルーでしたね。

傑作

2008/10/20(月) 午前 10:15 naomi_shararan

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shiraty教授殿

専門分野と言うわけではないのですが、日本人に掛けられたマインドコントロールを解くためには、どうしても開戦前夜の事情と、戦闘行為の実態と、戦後しばらくの間の事情を見つめなくてはなりません。気持ちばかりが焦って、ほとんど進捗しない日々が続いております。

2008/10/20(月) 午前 10:36 [ 無路無双 ]

ナオミさん
そうですね。編集によって事実はいくらでも曲げることができますよね。製作者が意図するままに、ある部分は意図的に隠したり、しょうもないことを大げさに誇張したりと‥‥。
傑作ありがとうございました。

2008/10/20(月) 午前 11:30 shiraty5027

無路無双様
教授なんてとんでもございません。単なるヘタクレおやじです。
日本の真実を知らせるために、開戦前夜、戦闘実態、戦後事情を研究なさっておられると知って、大変頭が下がる思いです。今後とも色々とご教授ください。

2008/10/20(月) 午前 11:34 shiraty5027

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私の祖父はこの後、昭和19年10月頃に東部ニューギニアの野戦病院を爆撃されて亡くなったそうです(ジャングルの中なので詳細が判らないのです)。
マスゴミはニューギニア戦線でも日本軍の無能を誇張しますが、第18軍司令官の安達二十三中将などは、戦後部下の判決が全て出た後に、死んだ部下と運命を共にするといって自決されたのでしたよね。
安達中将の悪口を言う遺族はいないと思いますが、腐れマスゴミはそういう点は永遠にスルーしますね。

2008/10/21(火) 午前 9:56 [ ミリばん ]

ミリばん様
そうでしたか。日本のためにご奉公されたんですね。そのお蔭で今日の日本がある。そのことを我々は忘れてはならないと思います。
さて、安達二十三中将に関しましては、この拙ブログで取り上げる予定です。最近、あまりかわりばえのしない朝鮮問題には少々飽きてきまして、ただ今、そちら方面のことを猛勉強(?)中です。乞うご期待を?????

2008/10/21(火) 午前 10:06 shiraty5027


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