安達二十三中将 (五)最終回
こうして、第十八軍は次第に住居小屋も増え、栽培するいも畑も広がり、持久生活は軌道にのりはじめた。キャンベラ市の戦争博物館に展示される表札は、これらの小屋の入り口に打ち付けられていたものでもあろうか‥‥。
だが、昭和十九年十二月、見捨てられていたと思った第十八軍に対する攻撃は再開された。将兵はクワを捨てて銃を握り、爆弾の火薬を利用して手榴弾をつくり、鉄帽でタコ壺陣地を掘って応戦した。
安達中将は、果敢な抗戦ぶりを示した。ただ、以前は即決といってもよいほどに命令はすばやかったが、その反応はにぶくなった。
中将は、指揮の限界に思い悩んでいた。戦理にかない体裁が整った命令案には承知せず、どんな小規模な行動を命ずる場合でも「生身の人間として、はたしてこの命令が実行できるか」と、入念に自問していたからである。
おかげで、第十八軍の被害は意外に少ないままに持久を続けたが、さすがに昭和二十年七月に入ると、敵の包囲はせばまり、八月八日には、敵は第十八軍司令部付近に進入してきた。安達中将は、九月はじめには、全滅するものと判定して、各部隊指揮官に覚悟と最後の攻撃を通達した。
八月十五日の終戦は、だから、第十八軍にとっては、まさに「死の直前にさしのべられた生の手」であったわけである。
安達中将は、九月十三日、ウェワクのオーストラリア第六師団司令部に出頭し、軍刀を差し出して降伏文書に調印した。中将は、指揮下部隊に降伏を命ずることを、要求された。他の戦場と同様であり、そして、多くの指揮官は、とかくその場合に「降伏」という言葉は使いたがらなかったが、安達中将は、明確に命令した。「軍は大命に基づき豪州第六師団に降伏せんとす‥‥」
終戦につづくのは、戦争犯罪人裁判である。第十八軍はムシュ島に収容され、昭和二十一年一月には大部分が日本に復員したが、安達中将は約百四十人の部下とともに、戦犯容疑を受け、ラバウルに送られた。
収容所では、完全な囚人待遇を与えられた。脱腸は悪化し、手術を勧められたが、安達中将は首を振り、激痛に耐えながら、天秤棒を肩に水を運び、炎熱にあぶられて草をむしるなど、課せられた労役に服した。
中将は、終身刑の判決を受け、容疑は、シンガポールで降伏した後自発的に日本軍に参加した「インド義勇軍」を強制されたものとみなし、一種の捕虜虐待と判定したためであった。
裁判所も無理を認めたものか、判決後、検事が中将に近づき、刑が重くて気の毒だ、と同情の意を披瀝した。中将は厳然と答えた。
「貴下に同情してもらうつもりはない」
その後、安達中将は、同囚の部下をなぐさめ、その心の柱となってすごした。減刑の嘆願もせず、ただ戦犯裁判が終了する日を待った。裁判終了となれば、新たに部下が処刑されることもなく、指揮官として部下の前途に安心できるからである。
九月八日ラバウル法廷の閉鎖が通告され、同時に容疑者として拘留中の部下八人の釈放が発表された。
安達中将は喜び、弁護団に謝辞を述べ、身の回り品を整理した後、九月十日午前二時ごろ、自決した。
「‥‥小官は皇国興廃の関頭に立ち‥‥将兵に対し‥‥人として堪え得る限度を遥かに超越せる克難敢闘を要求致し候‥‥黙々と之を遂行し‥‥花吹雪の如く散り行く若き将兵を眺むる時‥‥当時小生の心中、堅く誓ひし処は、必ず之等若き将兵と運命を共にし‥‥たとへ凱陣の場合と雖も渝(かわ)らじとのことに有之候‥‥」
第八方面軍司令官今村均大将あての遺書であり、安達中将がこれまで、それこそ「人として堪え得る限度」をこえた忍苦の日々をすごしてきた心境が表明されている。
そして、中将は、果物ナイフで割腹し、自分でわが首を圧迫して死ぬ、という克己の死をとげた。
おわり
合 掌
shiraty5027
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出征から家の祖父と行動を共にしていた方が、戦後話して下さったそうです。
祖父は戦闘中に肩を負傷し、野戦病院に行くと告げ、それが最後になったそうです。
その後、野戦病院が爆撃され、国からは昭和20年1月戦死と告げられていますが、実際は19年10月には戦死していたそうです。
祖父の一番の心残りは、私の父に一度も会えないまま亡くなった事だろうなとは思います。
しかし精神は靖国に、魂は家族のもとに戻っていると信じたいものです。
そんな事もあり、遺族感情すら利用して靖国破壊・日本破壊を目論むマスゴミ、鮮人、その他糞虫どもは、絶対に許せません。
2008/10/27(月) 午後 2:36 [ ミリばん ]
先生、「武士の誇り」を守る男の美学を感じます。
間違っているでしょうか?
他に言葉が出て来ません。
傑作
2008/10/27(月) 午後 3:08 [ 敬天愛人 ]
ミリばん様
そうでしたか。ご祖父様はさぞかし無念であり、お父上も残念であったことでしょう。国を守るために出征され、残されたご家族のことを思うと、それを貶め利用しようとするマスゴミ他は、本当にクズです。今後も、売国連中と戦っていかねばならないという決意を新たにしました。ありがとうございました。
2008/10/27(月) 午後 5:03
敬天愛人さま
大東亜戦争に参加した高級指揮官の中には牟田口のようなとんでもない輩もいます。一方で、こうした軍人としてというより、人として立派な方がおられたと思うと本当に誇りに思いますね。
傑作ありがとうございました。
2008/10/27(月) 午後 5:05