ナゾの反転:栗田健男中将 (十)最終回
判断は、しかし、きわめて微妙であった。味方偵察機を飛ばして確認する方法もあるが、すでに栗田艦隊の保有水偵機は底をつき、またレイテ湾に刻々と迫っている事情では、水偵機の報告を待って態度を決める余裕はない。
一方、一たび北転すれば、もし敵機動部隊に出会わなかったとしても、再びレイテ湾には引き返せない。それだけの燃料はないからである。
この燃料の問題は、しばしば、栗田艦隊反転の理由に数えられる。
「保有燃料の考えが先に立てば自然と足はサンベル(サンベルナルジノ海峡)に向かう事となる。敵さえやっつけ得れば、駆逐艦には夜間戦艦より補給するも可なる筈なり」
とは、同じ「大和」の艦橋にいた第一戦隊司令官・宇垣纒中将の感想だが、この述懐も、結局は目指す敵機動部隊がいないと分かった後のものである。
栗田中将は、小柳参謀長らの報告と判断を聞くと、北へ行く、と裁定した。
人間の行為は、ときに信条で左右され、あるいは欲望で左右され、恐怖で左右されることもある。その中で何が最も力をふるうかは、各個に差異があろうが、栗田中将に北進を決断させた最大の要因が、敵発見の“南西方面艦隊電”によってかきたてられた、敵艦を求める“海軍根性”にあったことは、間違いない。
かくて、栗田艦隊は餌食を前にして、敵に向かうために北進したが、「振り返ればマストが見える」と思っていた敵機動部隊は、行けども行けども見当たらない。「いつまでも同一場所にいるはずなし」と、宇垣中将が表情を渋くするうちに午後4時15分ごろ、敵60機、ついで約30機の味方機が現れた。やっぱり敵はいた、と大喜びで信号すると「敵の位置をお知らせ乞う」という返事である。
せっかく敵機動部隊と刺し違えるつもりでも、せめて敵を捕捉してくれるべき航空部隊がこの調子では、がっかりである。しかも、その後に現れた戦闘機9機のうち2機は、まっしぐらに急降下すると栗田艦隊を空襲した。たぶん、パイロットは陸上訓練だけで、味方軍艦も見たことがないためであろうが、士気は阻喪せざるを得ない。
栗田艦隊は、そのままサンベルナルジノ海峡入り口付近に達し、しばし東に進んで敵機動部隊を探したが、午後6時、海峡に入った。もはや、帰還である。
背後の東方海面には、時々スコールらしい影がよぎり暗く黒ずんで見えたが、頭上は満天に星が輝いていた。その星の下を、栗田艦隊は速力22ノット、対潜警戒のジグザグ運動も行わず、まっすぐに海峡を通過した。
午後6時16分、連合艦隊司令部は夜戦を勧めてきたが、すでに帰途についている栗田艦隊にその実行は不可能である。海峡を通過した1時間後、午後10時10分、栗田艦隊は「夜戦実施の見込み立たず」と返電した。
栗田中将が、ひと休みすべく、艦橋を離れたのもそのころ ― 出撃以来、4日目である。
おわり
参 考
『 指揮官 』 ( 児島譲著:文芸春秋 1971年 )
『 Wikipedia 』
shiraty5027
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東郷ターンは爽快なのですが、やはり栗田ターンはイライラしますね。こういう時は佐藤大輔氏の小説「征途」(全3巻・徳間書店)でも読むに限ります。
レイテ海戦から始まるもう一つの戦後日本を描いた戦記小説の傑作。未読でしたらお勧めです。
2008/11/5(水) 午後 5:42 [ ミリばん ]
ミリばん様
ありがとうございます。
ぜひ、近々読んで見たいと思います。
当ブログ、しばらく「戦記」から離れようと思います。
何か今回、疲れました。
2008/11/5(水) 午後 5:46
佐藤大輔氏の征途は僕のブログでも絶賛宣伝中ですよ(笑)
戦争末期、日本軍が一貫して悩まされ続けたのは偵察能力の著しい低下でした。艦艇の見張り員は闇夜で10キロ先の敵艦艇を発見出来なくなり(米艦艇は水上レーダーで30キロ先で探知していたので結局はそれでもダメなんですが)、航空機搭乗員は至近弾の炸裂を見て「敵空母1轟沈」て報告する始末。このせいで、レイテ沖海戦に先駆けて行われた台湾沖航空戦で日本の陸海軍は手持ちの400機以上をほぼ失いながら戦果は僅かでした。しかし戦果報告は米機動部隊を二回殲滅できるほど。
自軍の情報収集能力の低下と米軍の情報戦にしてやられたというのがこの戦闘の真実ですね。
2008/11/7(金) 午後 4:12
フッケさん
補足ありがとうございます。
これをアップしたら、疲れたのでしばらく「戦記」は
休止したいと思います。
本当は20人くらいのリストをあげて
投票形式で続けようと思ったのですが
結構疲れるのでやめました。
またいつかお会いできる日まで、ごきげんよう戦記!
2008/11/7(金) 午後 8:21