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乃木希典は名将?それとも愚将?(後編)

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乃木希典擁護派代表・戸川幸夫 「旅順における乃木戦法」

                              (一)

 日露戦争 − 特に旅順攻略戦に於ける乃木の肉弾特攻的な戦いぶりを指摘して、乃木は極めて作戦の下手な軍人で、とても大将たるの器ではない。あれだけ多勢の部下を殺してしかも二〇三高地すら独力では落し得なかった。満州軍総司令部参謀次長の児玉源太郎が応援にかけつけると間もなく旅順は陥落した。もともと乃木は詩歌を弄ぶような将軍だったから、軍人というよりもむしろ文筆家の方が向いていたのかも知れないと、今日でも酷評をする人がいる。だから、当時としては、乃木に対して痛烈な批判がなされたに違いない。

 たしかに、冷静に判断して、乃木は児玉のような智謀の将ではなかった。乃木の生まじめで、まっ正直な人間性から考えても、彼に毛利元就や徳川家康のような策謀を求めても無理であろうし、武田信玄や豊臣秀吉のような戦場のかけ引きも得意ではなかったろうと思える。だからと言って、旅順攻略に肉弾攻撃を敢行したことだけをとりあげて、無能呼ばわりをするのは酷だ。

 乃木でなくて、児玉を最初っから第三軍の司令官として旅順にぶちあてたとしても、当時の日本の旅順に対する知識や準備をもっては、苦戦は免れなかっただろう。大山巌元帥や、仮りに東郷平八郎元帥が陸軍の司令官として、この任に当ったとしても同じだったろうと思える。

 日清戦争の時も旅順は難攻不落の大要塞と言われていて、世界の軍事専門家は十万の強兵をもって攻めても、半年かからなければ陥落しないだろうと言っていた。それを日本軍はまる一日かからないで陥落させた。この時の記憶が強く日本軍人、いや国民全部の頭に残っていた。旅順なにするものぞ、堅塁なにするものぞ、忠勇死を怖れぬわが軍の攻撃の前には、清軍であろうと、ロシア軍であろうと結果は同じだ、と考えていた。乃木もまた堅くそう信じていた。

 “大和魂”は世界一である、という精神面を重く見る日本人は科学面、物質面を軽く考える傾向があって、ロシアが旅順を借り入れてから十年の歳月と巨額の費用と多くの人々の頭脳と努力とを惜みなく使って、最新科学の粋を尽して造り上げた大要塞を軽侮していた。

                              (二)

 大本営では、最初、旋順は一軍団でとり囲んでおいて、主力はどんどん先に進めばいい、という程度にしか考えていなかった。ある海軍の将校は、「旅順はわが海軍で引きうける。陸戦隊でやっつけるから陸軍は北進して敵主力の撃破に力を尽してくれればいい」

 と語った。児玉源太郎ですら、開戦後の三月上旬に開かれた参謀本部部長会議の席で、

「いま旅順の背後を竹矢来で囲むとすると、どれだけ竹が要るかを調べさせている。矢来を組んで、敵の脱出を防ぐのだ」

 と発言して出席者を笑わせたというエピソードすら伝わっている。児玉が本気でそんなことを言ったのか、どうかはわからないが、当時、軍の首脳部が、旅順をその程度にしか見ていなかったことは理解できる。

 大本営でも、満州軍総司令部でも旅順について知っている者はいなかった。だからロシアがいかに要塞化したといっても、日清戦争当時に少し毛の生えたぐらいのものだろうと甘く見た。

 彼我の装備を比較してみるとそれが解る。乃木第三軍に与えられた旅順攻略のための大砲は、わずかに百八十七門。しかもその殆どが旧式砲で、新式なものとしては開戟前にドイツから急いで買い入れた十サンチのカノン砲が四門、それに十二サンチ楷弾砲二十八門、楷弾砲十六門だけ。あとから海軍から十二サンチのカノン砲六門が応援として加わっているだけだ。

 これに対し、旅順側は東鶏冠山第一砲台、大案山子山、椅子山の両保塁、小案山子山第一砲台をぺトンと鋼鉄とで最新式、かつ半永久的なものに造りあげ、二竜山、松掛山の両保塁も殆ど完成、東鶏冠山第二保塁、盤竜山北保塁、小案山子山第二砲台、竜眼北方保塁、水師営南方保塁、二〇三高地保塁などは臨時築城だが完成していた。保塁線の外側は全部鉄条網が張りめぐらされ、主な部分には電流が通じていた。保塁の外壕は幅六メートルもあって、その中を軍道や交通壕が完成していた。これらの保塁や砲台に備えつけられた大砲は、陸正面に向いているものだけでも四百四十八門、そのうち重砲が百二十五門もあった。弾薬、食糧も豊富で、ここを守るロシア兵は四万二千。さらに、港には太平洋艦隊がいた。

 日本軍は旧式で貧弱、少数の大砲にまた砲弾も貧弱だった。楷散弾や鋳鉄製破甲楷弾をうち込んだら命中しているのにべトンの壁にボンボンはね返されて効果がなく、司令部は青くなったという話も伝っている。しかも弾薬不足のために第一回の総攻撃のあと、第二回攻撃までの間は一日に大砲一門につき一発しか撃ってはならないと制限が加えられた。

                                (三)

 旅順は少数の兵でとり囲んでおけばいい、と陸軍側では考えていたが、海軍からパルチック艦隊がやってきて旋順に入りこむと大変なことになるから、是が非でも陥落してほしいと申し入れがあると、大本営でも急に旅順を攻略することになった。

 すべてが準備不足だった。とにかく急がなければならない。食糧攻めのような悠長なことは許されない。至急に攻め陥し、その兵力を北上させて、主力決戦に間に合わせなければならない。武器も弾薬も、兵力も不足し、しかも短時日の間に攻略するとなれば犠牲を覚悟で強襲するしかなかった。

 乃木の率いる第三軍が内地を出発するとき、乃木は大本営から『第三軍はすみやかに旅順要塞を攻略し、攻略後は直ちに北進して遼陽の戦闘に参加すべし』という命令を受けていた。この命令のために乃木は一気呵成の強襲戦法をとるしかなかった。しかも要塞の状況は大本営にも、満州軍総司令部にもわかっていなかった。

 乃木の幕僚たちの意見には旅順を攻めるに当って西北正面から攻めたらいいという案と、東北正面から行こうという案とあった。西北からゆけば堅固な本防禦線に達するまでに二〇三高地、赤坂山、高崎山、海鼠山などの要塞を一つずつ陥してゆかなければならない。これだとうまくいっても一か月はかかるだろう。それではすみやかに陥落させよという大本営の命令に添わないことになる。そこで犠牲は多くとも、近道の本防禦線にいきなりとりかかろう、ということになった。つまり乃木の行った肉弾戦法は、これしか他にとるべき方法が許されなかったので、損失を承知でやった作戦であった。この点を見のがしてはならない。

 後になってから、ああしないで、こうすればよかったのに……とか、ずいぶん下手な戦争をしたもんだなどと言うことは出来る。しかしそれは責任がないから勝手なことが言えるのだ。

 将軍の器というものは作戦も大事だが、それよりも部下の信望をあつめることが大切なのであって、この人の為なら喜んで死のうと部下が思う、そして勇んで突撃してゆく。そういった徳を持っていなければならない。乃木は、そういう徳を持っていた将軍であった。

 巨木は斧の一撃では伐り倒せない。旅順という大木は乃木第三軍の死闘の乱打によって、ひどく傾いていた。そこへ児玉がかけつけてきて、力を貸して伐り倒したのである。この点を知らなければ、旅順戦は理解されないだろう。

 さて、皆さんは乃木希典をどう評価されるでしょうか?

※ 尚、書物から活字を起こすのにEPSONの『読んde!!ココ』を使用したため、誤植があるかもしれないのでご容赦願いたい。


shiraty5027

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先生、敬天としては
>乃木は、そういう徳を持っていた将軍であった。
この点を大きく評価します。
死を前にしての士気が戦では最重要と考えるからです。

傑作◎

2009/2/4(水) 午前 11:46 [ 敬天愛人 ]

敬天兄さん
そうですね、難しいところです。
ただ、第三軍将兵の中にはやはり乃木を無能だと酷評する兵士が
たくさんいたことも確かです。「こんな指揮官の下では命がいくつあっても足りない」と。
傑作ありがとうございました。

2009/2/4(水) 午後 0:08 shiraty5027

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当時の日本帝国陸軍の見識では、突撃戦術以外に攻撃方法が無かったことは周知されていますが、乃木大将は日清戦争時にも旅順の攻略に参加していました。旅順自体は当時世界でも類を見ないほどの永久要塞としてその形を10年で大きく変えていましたが、弾着観測拠点として大変に重要だった高地、山は何の変更もなく、それら高所からの弾着観測による支援を受けた砲撃は、小口径砲でもかなりの効果があったようです。
また、日本軍部隊の突撃発揮点が(遮蔽物などの関係で)かなり遠かったことも死傷者増大の一因として挙げられています。それも3回目(だったかな?)総攻撃時に実施した塹壕戦術を1回目から行っていたらというのがあります。後世の批判なので当時気づくかどうかは非常にシビアな問題ですが。
つまり、戦場での一工夫(気づき)でかなり兵員の損害や戦果遅延を防げたのではないかと思うのです。こればっかりは第三軍司令部参謀の資質に関わる問題なのでなんともいえませんね。
総じて、乃木希典は凡将であったと思われます。愚将ではないと思いますよ。または仁将とでも言いましょうか。

2009/2/4(水) 午後 1:50 後ろの6時

後ろの6時さん
僕はやはり小説の影響が強いからか、乃木とその参謀たちはオタンコナスだったのではないかと思います。それに比べ、児玉源太郎閣下のなんと偉いことか‥‥。児玉の行為を明文化すると軍法会議ものだったのかもしれませんが、最後まで乃木を立てる。上司が仕事をして手柄を全部部下にやるような、立派な武人でした。今はそんな武人はいませんね。部下の手柄まで横取りするような奴ばかりで‥‥。
ありがとうございました。

2009/2/4(水) 午後 2:10 shiraty5027

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乃木伯爵はいい人なので前線には出ないで士官学校の校長でもやっていれば誰も迷惑しませんでしたね。
第三軍は初めから児玉大将が率いていれば良かったと思います。

2009/2/4(水) 午後 3:26 [ ミリばん ]

ミリばんさま
そうですね。乃木には戦は向いていない。
士官学校の校長にも不向きだと思いますよ。
士官学校でいくら人柄をよくするよう教育されても、
そんなの屁のツッパリにもならない。
陸は児玉大将と、秋山好古、海は東郷元帥と秋山真之で勝ったようなものですからね。海はもっといましたね。

2009/2/4(水) 午後 4:15 shiraty5027

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細かなことを調べだすとよけいわからなくなると思います。

飛行機も、戦車も無い時代に、1ヵ所の要塞攻撃で、5万人以上の犠牲者を出したのですから、乃木は馬鹿としか言いようがないと思います。異常というべきでしょう。

兵器の発達した、後の時代、第二次大戦当時なら、30〜50万人の犠牲者とでもなったのではないかと思います。1ヵ所の要塞攻撃そんな犠牲者を出したら、軍法会議で、処刑が妥当ではないでしょうか?

2009/2/4(水) 午後 4:47 -

こかげさま
僕も乃木は無能だと思いますが、実はこればかりはその時代背景もあり難しい判断だと思います。児玉大将が旅順に向かう車中、たくさんの日本兵の墓がよく見えるところに林立しているのを見て「これでは兵士の士気に関わる」といって、その第三軍の無神経ぶりを指摘しました。一事が万事、第三軍はやはりおかしい。いくら時代背景が背景だといっても僕はおかしい、そう思うのですが‥‥。

2009/2/4(水) 午後 4:56 shiraty5027

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「坂の上の雲」は二度読みました。司馬さんの物は95%は読んでると思います。東大阪の旧宅の記念館にも2度行きました。司馬ファン必見です。乃木ですがあきまへん。最後は白たすき隊を出して切り込み突撃させますが狂気のさたです。読んでいて切なくなります。最初の突撃で要塞が精神力ではどうにもならないぐらい解りそうなもんですがぼんくらです、怒りを覚えます。

2009/2/4(水) 午後 6:07 [ 出羽の守 ]

出羽の守さま
僕もそう思うのですが、それはひょっとして現代人が現代の感覚から合理的に眺める結果論なのではないのかとふと思うことがあります。白襷隊は夜襲をかけるため、味方を識別するための目印なのであり、当時としては画期的なアイデアではなかったのではないでしょうか‥‥。乃木さん以下第三軍参謀たちを擁護するわけではありませんが、そんな気持ちがふと脳裏をよぎります。

2009/2/4(水) 午後 7:39 shiraty5027

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「思い切りが悪い」・・・というのかな? 結論として。。。。
参謀も至らなかったのでしょうが、多分な繊細さが迷いを生じさせ邪魔をするというのがあるのではないでしょうか?軍人には・・・

ポキッ

2009/2/4(水) 午後 11:05 神無月

カンナ姐さん
些細な迷いが判断を狂わす、というのはその時点で軍人として失格なんだと思います。朝鮮戦争の英雄・白善ヨプ将軍が言っておられましたが、戦場では部下がすがるような目で上官を見るそうです。そこで上官は自信を持ってしっかり命令を下す。たとえその命令に迷いがあったとしても、それを顔に出してはならないそうです。それで兵士は安心し、戦に自信を持ち、上官を信頼するそうです。乃木さんはやはりそういう意味では、軍人失格だったのでしょうね。児玉大将も、乃木から指揮権を奪ったことが明文化されていたら、当然筋として軍法会議にかかっていたわけで、最後は乃木を立てるところに落ち着く。なんだかそんな人間模様も背景にあって、興味が尽きないですね。
傑作ありがとうございました。

2009/2/4(水) 午後 11:41 shiraty5027

旅順の後のクロパトキンとの奉天大回戦時の「乃木」の名前と存在の大きさと、唯一日本が勝利?引き分け?に持ち込んだ結果と陛下の信頼とご子息2人亡くしたことを考えると、戦争の内容や、やり方はどうかな?と思いますが、大将と言われる軍人としては立派だったのではないか?と思います。

東郷も、海の戦いで敵を見失なわないという強運で素晴らしいと思いますが、
むしろ、早い段階から乃木を死なせず、クロパトキンに乃木を使うと、計算立ててた児玉は、もっと最高素晴らしい参謀ですね。

2009/2/5(木) 午前 0:45 [ らくちん ]

ブランチ兄さん
乃木さんの評価は本当に定まりませんね。
乃木さんは戦時というより、平時向きの将軍ですね。
児玉の評価は、だいたいいいですね。

2009/2/5(木) 午前 8:53 shiraty5027

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この旅順攻略戦の損害ですが、意外に戦死者と戦死傷者の数を勘違いしている方が多いです。戦死者約16000名、負傷者約44000名、死傷者合計約60000名というのがほぼ確定の数字なんですが、戦死者60000名という風に覚えている方が多いようです。
1ヶ所の要塞攻略での死者数として見ると、約16000名というのはそれほど突出して多い数字ではないと思われます。そして軍事的原則として負傷者は死者の約2倍というのがありますが、この攻略戦では負傷者がやけに多かったという特徴があります。
戦闘全体の特徴としては、世界でも始めて両軍が機関銃の大量・集中使用を行ったというのがあります。つまり、それまでの陸戦では(第三軍が第一回総攻撃で行ったような)横隊での突撃戦術が当たり前のものであり、機関銃の並ぶ防御線(要塞外周)へ突撃した場合の惨状は誰でさえも予期できなかったと思われます。むしろ第二回総攻撃で塹壕戦術に切り替えた判断はグッジョブと言えるのではないかと思います。
総じて、「誰が第三軍司令官であっても(児玉大将でも)史実とかわらないような死傷者数がでていたと思っています。

2009/2/5(木) 午後 7:58 後ろの6時

後ろの6時さん
なんだかあなたの専門分野に火をつけた感じですね。
確かに風潮としては乃木批判が多いんだと思いますが、その勢いに押されて事実を冷静に眺める姿勢が後退していることは残念というか、ある意味怖いことですね。
というわけで両方の主張を公平に取り上げた次第です。
ありがとうございました。

2009/2/5(木) 午後 10:59 shiraty5027

司馬史観というか、司馬氏の日露戦争認識も明治維新認識も所詮素人の「夏休みの自由研究」の域を出ませんが、それだけ鳥瞰的であり分かりやすいのは事実ですね。「読み物」として読む以外、私は歴史書としては司馬氏のものは読みません。

ただ、乃木氏に対する司馬認識は結果的に間違いではないと思います。日本には「乃木氏は愚将ではないが凡将」とか「当時は近代要塞攻略には圧倒的重火器がない限り、迂回戦術。迂回戦術ができない条件では兵員の損傷を覚悟の上の波状突撃しかないことは普仏戦争やクリミア戦争の経過からも明らか」とか言う人もおられる。けれど、クリミア戦争でも普仏戦争でも「愚」を悟った後に「突撃」を繰り返した史実はない。また、当時の観戦外国武官の乃木用兵への評価も「最低」です(これも、外国人からも「乃木は尊敬されていた」と言う人もいますが、外国武官は用兵レポートでの「酷評」に真実性を持たせるために人物の評価は逆に上げただけのこと)。畢竟、戦場での「凡将」を世間と世界では「愚将」と言うのだと思います。

2009/2/8(日) 午前 9:10 [ KABU ]

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軍事の素人さんばかりだな
旅順での乃木の活躍は古今東西の軍人からは評価され研究されています
日本でも防衛大学では司馬や他の回答者のような乃木や第三軍を無能と表している資料は一切使われていません
そちらの方が軍事の素人の意見だからです
当時の近代要塞を短期間で攻略するには消耗戦しかありません
三重の塹壕で保塁間をつなぎ鉄条網で守り、機関銃を配備した陣地を攻略するのは不可能です
(旅順要塞はベトンで周囲を囲った様な要塞ではありません。上記のような周囲の殆どは塹壕で囲んだww1での西部戦線の塹壕陣地の様な要塞です)
ww1での欧米の結果を見ても判るように後期に戦車が開発されるまでこの様な陣地は突破は不可能。後は守備側に攻勢を続け予備戦力を枯渇させるのみですが砲撃だけで消耗させることはできません。その方が遙かに期日を要すからです


専門家の評も良いです
悪いのは日本の軍事に素人の司馬とそれを盲進する識者、それを鵜呑みにするブログ投稿者と同調する他回答者たちのような人々だけなんですよ

2011/2/3(木) 午後 9:26 [ ths*h*even ]

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児玉と満州軍総司令部は二〇三高地攻略を支持していた
全く違い終始第三軍と同じ要塞正面攻略支持です


旅順艦隊は二〇三高地からの観測砲撃で沈んだ
旅順艦隊はキングストン弁を開いての自沈です
戦後の陸軍省の調査で判明しています


二〇三高地がおちたから要塞が降伏した
要塞は艦隊壊滅後も一ヶ月近く抵抗しています
降伏は要塞正面の保塁が陥落してからです


児玉が二〇三高地を落とした
児玉が旅順に来る前に一度は陥落しており再奪取は時間の問題でした
また児玉替わりに指揮をとったという記録は一切無く証言もありません
坂の上の雲以前には一切語られていませんでした
司馬遼太郎のフィクションです


第三軍は大損害を出した
この規模の要塞戦としては少なく短時間で攻略しています
死傷六万という損害は専門家なら逆に乃木を評価しますね
ww1ではこれよりも規模の劣る陣地に一日で数万人が死傷したりしています
また日露両軍の死傷者の比率で見たら第二次総攻撃以降は露軍の方が損害が多いです

以上史実と小説(フィクション)の違いの一部です

2011/2/3(木) 午後 9:38 [ ths*h*even ]

thsbhsevenさま
貴重なご意見ありがとうございました。
この記事を取り上げた趣旨は、乃木将軍に対する
評価がはっきり二分されている、というもので
両者の意見を公平に検証する意味で取り上げたものです。
したがってそれ以上の何ものでもありません。
文献以外検証しょうがない歴史的事象なのですから、色々な意見があって当然だと思います。
ただ、あなたは自分は軍事「玄人」だといい、他者の意見を「素人」と貶されるのはいかがなものでしょうかw

2011/2/3(木) 午後 9:47 shiraty5027


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