原を尋ねて三千里 (第4話・最終回)
原を尋ねて三千里 (第4話・最終回)
三百坪の敷地内にひっそりとたたずむ邸宅。決して豪邸ではなく、むしろ簡素なその屋敷には、城壁を思わせるような厳重な囲いが施され、見るからに要人の住まいであることを窺わせていた。無論、表札には原節子とも会田昌江とも記されてはいない。ただ、熊谷久昭とだけ記されてあった。熊谷家と原節子。ここで若干の説明を加うるに、その昔、原節子の姉である光代さん(元日活大将軍女優)は、映画監督であった熊谷久虎氏のもとへ嫁がれた。表札の人はそのご子息に当たり、現在、原節子を含む家族がそれぞれ同じ敷地内に別棟を構えて住まわれている(某手引書による)とのことなのである。
夢にまで見た念願の聖地にやっと辿り着くことが出来たのだ。玄関にある呼び鈴を確認したあと、決行前の最終的な打ち合わせをすることにした。不規則な呼吸とともに込み上げてくる新たな緊張感‥‥。すでに足は大きくワナナキはじめている。深呼吸を何度となく繰り返し乱脈を整えながら、役割の分担に臨んだ。
M君は空手部に在籍しているという自負があり、デパートなどで人の嫌がる配達のアルバイトを経験したことがあるというので、全員一致で切り込み隊長に任命した。切り込み隊長というのは、呼び鈴を鳴らして最初の対応をするという、最も重要かつ名誉ある任務のことである。彼のその物事に動じないクソ度胸に敬意を表し、その男らしさを歓迎した。K君はここへ来てからというもの、やたら愛車を提供していることのみを口にした。つまり、足を貸していることと、私と同輩であるという特権を利用して、何もしないつもりでいるのである。土壇場で寝返る彼の性格を心得ていたので意外ではなく、他に仕事もなかったのでそれを認めることにした。
サングラスを外し身なりを整えて、なるべく好青年に映るよう苦心の演出が始まった。携えていたカメラも報道陣と間違えられる恐れありということで玄関脇に置き、来るべき瞬間に備えた。
― さて、いよいよである。
M君が呼び鈴に手をかけた。一度‥‥二度。引きつった面持ちがあたりの空気を静止させ、緊迫した状況をつくりあげている。三度目を鳴らしたとき
「はぁい、開いてますよ〜」
やった! やった! 正に、正に原節子の声なのだ!!― ここで、前回少し紹介した彼女の魅力の中で欠落していた「声」の点について触れたい。彼女の声には独特の快い響きがあって、愚かな試みではあるが誌上でそれを分析すると、例えばあの『麦秋』での冒頭、甥との会話の中で「本当かな?」と言うところがある。普通「HONTÔKANA?」と言うところを彼女の場合、絶妙完璧な声域、声量、声調によって「HONTOKANÂ↗?」と発せられる。そこには優しい人柄を彷彿とさせる甘い余韻が満ちていて、オブラートに包まれた安らぎが感じられるのである ― 確かにそのとろけるような声なのダ! 苦節五年、この世に生を受けて二十四年目(これはあまり関係ない!)ついに彼女の聖なる肉声を直接耳にすることに成功したのである。
K君M君を力まかせに横へ突き飛ばし、玄関の中へ身を乗り出すようにして、戸口に迫りつつある人影に全神経を集中した。
あっ ―
思わず叫びそうになった。我々の前に現れたのは、和服姿に身を纏った上品で優しそうな女性であった。六十歳という年齢が目を疑わせるのであろうか‥‥。いや、心もち痩せたその女性は確かに原節子‥‥ではない。原節子の実姉こと光代さんなのだ! どうりで声色がよく似ている筈である。とにかく何か言わねばならないと思い
「僕、岐阜の田舎から出て来たのですが、こちらは原節子さんのお宅ですか?」
なんという間抜けな挨拶をしたのであろうか。あれほど懸命に練習してきたセリフが、いざ本番というときに口に出ず、意思とは逆に上ずった言葉が勝手に人格を代表している‥‥。
「はい、そうですが‥‥」
「映画が好きで、小さい頃からよく小津監督の作品などで原節子さんを観ていましたので、鎌倉へ来たらぜひお目にかかりたいと思っていました」
軽率というほかない。小さい頃なんてよくもまあヌケヌケと‥‥。しかも迂闊にも小津の名を口にするとは‥‥。小津安二郎と原節子は、かつてマスコミによって結婚話がまことしやかに噂されていた時期がある。もし心あるファンならばそうした事柄を当然念頭におき、配慮してかからなくてはならない失言であった。
「せっかくですが、外部の方とはお会いしないことになっております。それに、今はもう映画には出ていませんし、不在ですので‥‥」
もっともな話である。あれほどの大女優がそうたやすく面会に応じてくれる筈がない。ここからが勝負だと思った。自分の情熱をすべて全開にし、懇願すべく機だと感じた。
「それは十分承知していましたが、不埒な雑誌の記事を見て、今でもお元気なご様子を知り是非にと‥‥」
何度か同じようなやり取りを繰り返し、執拗に食い下がったが、彼女はそんな狂気な青年の支離滅裂な熱弁に終始態度を崩さず、沈着な笑みを浮かべて応対した。そして最後に
「お若いのに、よくご存知ねぇ‥‥。でも‥‥」
と言われたとき、成否が決したように思えた。
映画から得た勘から言うと、確かに原節子は私から10mの圏内に居た(?)が、それ以上光代さんに何が言えよう‥‥。「お若いのに、よく‥‥」か‥‥。万感の思いであった。その一言が、私をそれ以上の醜態をさらすことから救ってくれたように思う。日没寸前、午後4時頃のことである。ついに彼女との面会を断念し、くれぐれもよろしくお伝えくださるように言って、その場を離れることにした。
多くの女優が、美しい花の時期が終わった後もなお未練たらしく老醜をさらして恬然としているだけに、原節子のようにあくまで自分のイメージに忠実に生きている尊貴な女優ぐらいは、せめてこのまま静かにしておくのがファンの良心というものであろう。光代さんの優しい言葉に送られて帰るとき、そう思った。高貴な輝きを放つ魅力のそのすべてが、ここに帰着しているからこそ、完全無欠な状態を今なお保ちつづけているのだから‥‥。 完
と、流麗(?)に文章を終えたいところだが、やはり現在でも私は、願わくはお目にかかりたいと毎日祈っているのです。 終わり
30年も前に書いた文章をあらためて復元する過程において、キーボードを打つごとに赤面状態でした。ああ、なんという恥多き人生‥‥。拙い文章に最後まで付き合っていただき、本当にありがとうございました。
shiraty5027
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読み応えのある緻密で情感溢れる文章でした。
最後はどうなるのかと思いましたが、この終わり方がベストなのではないでしょうか。
2009/12/18(金) 午後 6:38
flattwinさま
ありがとうございます。
「この終わり方がベスト‥‥」
これ以外にありません。なぜって
実際に会うことが出来なかったんですから(涙)
2009/12/18(金) 午後 7:48
オオオーーっと、残念、会えなかったんですか
どんなお姿になっておられても一目お会いしたい、斜め後姿でも・・・でしょうね、違いますか?
美しすぎる女性なら「美しいまま」を残したいって考えると思います
同窓会なんて絶対いけませんよね〜
大傑作「原をたずねて三千里」♪
ポキポキポキポキーッ
2009/12/18(金) 午後 11:33
カンナ姐さん
そうなんです。
でも、今考えると会えなくてよかったのかも。
心の中にあるイメージを壊されなくて。
姐さんは同窓会に行かないんですか?
今もお奇麗だと思いますが
やはり若いときのイメージを守っていたい‥‥。
ボクはこの歳になって思うのですが
若い女性よりも今は熟年の女性に魅力を感じます。
嗜好が変わってくるんですね。
昔は肉が好きだったけど、今は魚の方が好きだといったような。
同窓会に行ってくださいなw
お疲れのところ長文を読んでいただきありがとうございました。
それに大傑作も!
2009/12/19(土) 午前 0:13
只今拝読しました。
なんと感動的な大団円でしょう。
三千里にはちと足らぬ気もしますが、
血気盛んなころの躍動感が伝わりました。
大傑作です。
2009/12/21(月) 午前 10:47 [ 出羽の守 ]
出羽の守さま
長文をお読みいただきありがとうございます。
今振り返ると本当に恥じ多き半生です。
現在もいっぱい恥をかきながら生きています。
穴があったら入れたい、いや入りたい‥‥w
大傑作ありがとうございました。
2009/12/21(月) 午前 10:56
同窓会は必ず出席していますよ
最後は3年前でした、同級生だか先生だか区別つかないのがたまにいますw
2009/12/23(水) 午後 9:39
カンナ姐さん
同窓会‥‥。
僕は生徒に呼ばれた同窓会には出席していますが
同級生で集まるのには、たいてい欠席しています。
あまり好きじゃないんです。w
2009/12/24(木) 午前 7:00