支那人の驕り
<中国人が見た日本> 日本はいつから中国文化排斥を始めたのか
2010年5月14日、中国のブログサイト掲載された記事「日本はいつから中国文化排斥を始めたのか」が話題となっている。以下はその抄訳。
中国では通常、日本の中国文化排斥は19世紀中盤のアヘン戦争以後のことだと考えられている。しかしそれは「遅い告白」であって、実際はもっと前から進んでいた。日本における中国文化の動揺は16世紀、ポルトガル人の来航に端を発する。いわゆる「三国」(中国、インド゙、日本)という狭い世界観は、ポルトガルと接触することによって揺るがされたのだった。ポルトガル人がもたらした銃は戦国時代の戦争に大きな影響を与えた。こうして「ラテン文明」を体験した日本では、「中国を慕う」世界観がゆるやかに変化していく。
16世紀は単なる動揺であったが、中国文化への激しい批判と一部での排斥が始まったのは18世紀のこと。意外なことにまず排斥されたのは、中国人が誇りとしてきた中国医学での分野だった。中国医学から西洋医学への転換を牽引したのが杉田玄白。1774年には翻訳医学書「解体新書」を出版し、オランダ医学の正確性を明らかにした。
医学分野を端緒として日本では中国文化への懐疑と批判が広がっていく。そしてアヘン戦争を迎え、ついに中国文化の排斥はあらゆる分野へと広がったのだった。(翻訳・編集/KT)
( 『 レコードチャイナ 』 2010年5月15日11時23分配信 )
です。
寛平6年(894年)、菅原道真の進言を受けて日本は遣唐使を廃止しました。これは中学生でも知っています。w それ以前、聖徳太子は小野妹子を遣隋使(607年)として隋へ派遣し、かの有名な「日出る処の天子、日没する処の天子に致す。恙無きや」という有名な国書を送っています。「我が国は中国から謙虚に文明を学びはするが決して服属はしない」というのが、開闢以来、我が国の一貫した姿勢です。ミンス党の皆さん、勉強してねっ!
朝鮮旅行って‥‥
【韓国】 1918年のポスター「韓国旅行に来る日本人家族」
20世紀初期、日本人を相手に朝鮮旅行商品を広報するのに使われたポスターが海外のインターネットで公開されて注目される。
日本人一家は朝鮮の地図を見ながら旅行日程を立てているようだ。ある日本サイトに公開されたこのポスターは1918年「朝鮮郵便汽船株式会社」が製作したものと説明されている。90年余り前、仲むつまじい日本人家族らの目には朝鮮がロマンチックな旅行地に映ったのだろうか。ポスターは当時の社会像に対する様々な断想を思い起こさせる。
一緒に公開された二番目の写真は1909年大阪汽船株式会社の旅行広報ポスターで、一番下は東洋汽船社の1919年中国語版ポスターだ。
( 『 中央日報 』韓国版 2010.05.14 10:23 )
ところで、こんなところ(↓)へ、なに観に行くの? (写真は1900年頃のソウル南大門前)
shiraty5027
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こんばんは
オチはなんだろうと読んでいて
大きな文字で 894 (笑)
そうですよね 普通は
そして 支那の感性 多民族性 残虐性とかを近代になり知り よけいに危険を感じた 現在もですね
沖縄復帰の日
昨日から心の底から 日本で良かったと思っています
運が良く 少し間違えば・・他国でした
薩摩に感謝です こう考える県民は異端児扱いです(#^.^#)
傑作です
またも 笑えました(*^_^*)
2010/5/16(日) 午後 5:30
bostonさま
支那の残虐性はそのまま属国の朝鮮にも伝授されていましたよねw
沖縄が日本に属していて
有難いと思っている人はやはり少ないのでしょうか?
もしそうなら、支那の属国になればいい。
支那は以前から沖縄も支那の領土だと言っていますから
そのときはbostonさんは
本土へ引っ越してきてくださいねw
傑作ありがとうございました。
2010/5/16(日) 午後 6:12
基地が有るおかげと皆 判っていますが
口に出来ない雰囲気はありますね 誰が隠れ左翼か判らないから恐いんです(*^_^*)
上司がだったら・・と 特に公務員ですね。
しかし報道が余りにヒドイです 一方的な報道です
それは 誤解されても仕方ありません
報道の反対が正解です(#^.^#)
どれだけの人が 事実の支那を知っているか疑問だらけですね。
2010/5/16(日) 午後 6:44
土人らしい残虐性が今でも連綿と受け継がれています(笑)
2010/5/16(日) 午後 6:48
bostonさま
沖縄は疑心暗鬼、密告社会だということですか。
そうなら、北朝鮮と同じですね。
ぜひbostonさまには
ブログを通じて
沖縄の真実を発信していってもらいたいと思います。
ニュースを見ていると
沖縄の人たちはみんな左翼に映って見えます。
ぜひ頑張ってください!
2010/5/16(日) 午後 6:56
flattwinさま
清朝末期まで行われていた
凌遅刑(りょうちけい)について書こうかと思っていたんですが
いまさらという感じでやめました。w
朝鮮も当然それを模していました。
2010/5/16(日) 午後 7:03
894年以降も日本側が中国に渡り、中国側が日本に渡りという活動は
確か続いていたと思うのですが…
「我が国は中国から謙虚に文明を学びはするが決して服属はしない」
・・・中国文化排斥が始まったとはいいきれないのではないでしょうか?
中国や韓国(特に韓国)は嫌いですが、
こういういい加減な記事を見ると寒気がします。
逆に偏っていて双方の意見が読めません。
2010/5/17(月) 午前 2:10 [ ばう ]
ソウルの写真は何か臭ってきそうですねw
まったく仰せの通り、何を観に行くのでしょう。(肝試し?)
さすが中朝人。
傑作クリックです。
2010/5/17(月) 午前 6:43 [ nadarechan1113 ]
ばうさま
確かにそうですが、この中国人の心理には
「冊封」という邪な気持ちが見え隠れしていると思うんです。
文化排斥というのは物流を指しているのではなく
政治的支配を暗ににおわしている。
そこを問題にしているのです。
そういう意味で日本はこれまで一度も
中華圏に組み込まれたことはないといいたいw
2010/5/17(月) 午前 7:53
nadarechan1113さま
そうですね、いったい何をしに行くんでしょう?
確かに1940年代には日本の内地延長政策から
町並みも近代化され、観光としてもある程度見られるように
なったんですが、まだこの頃ではね〜w
傑作ありがとうございました。
2010/5/17(月) 午前 7:56
山鹿素行は、「中朝事実」で易姓革命のシナは、中華の国にあらず、
万世一系の天皇を戴く日本こそ、中国(中華の国)だと言いましたね。この時代に海外旅行ポスターがあったとは、すばらしい、泥の上を這いずりまわるような国との際立つ違いが、見事です。大傑作。
2010/5/17(月) 午後 0:42 [ 出羽の守 ]
出羽の守さま
コメント、大変勉強になりました。
観光ポスターなら、観光地の絵が載っていてもおかしくないんですが
載ってないところを見ると、やはり観光名所がないw
多分、船会社自身の宣伝用なのではないかと思います。
傑作ありがとうございました。
2010/5/17(月) 午後 3:22