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孔子のパラドックス
高校で教鞭をとっていたころ、漢文の授業で次のような一文を教えたことがあります。
己れに 如 ( し ) かざる者(自分よりも劣っている者)を友とすること無かれ
(論語為政編)
でも、これって変じゃないですか? 孔子の訓えに従えば、たとえばAという人がBという人よりも劣っていたとしたら、BはAを友としてはらないということになります。次に、Bという人がCという人よりも劣っていたとしたら、CはBを友としてはならないということになります。Cという人がDという人よりも劣っていたとしたら‥‥
と、このように考えていくと、誰も友だちなど作れないし、作ってはならないということになります。 きっと孔子先生は、「友だちなど作ってはならない」とおっしゃっているのではないでしょうか? w
生徒たちには、「友だちというものは、自分より劣った面もあれば、きっと優れた面もある。したがって孔子の言葉に矛盾はない」と言っておきましたが、苦しい解説でした。w
shiraty5027
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「孔子と聞いて思い出すことといえば、子は人肉が好物であったこと」? 当時教えを乞う時はお礼として束脩(束ねた干し肉)を
持参したそうです(所謂授業料です 今で言うとサラミでしょうか!)
「己れに 如 ( し ) かざる者(自分よりも劣っている者)を友とすること無かれ」確かにシキルアップするには自分より上の人と
付き合ったほうが良いと思います
文化大革命は中国の最大の汚点です
2010/9/2(木) 午後 10:59
とりこさま
>シキルアップするには自分より上の人と付き合ったほうが良いと思います
ところが、その上の人からすれば自分より劣っている人とは付き合わないw
そこがこの話のみそなんです。w
2010/9/2(木) 午後 11:23
優劣を判断するのは、当然、自分自身でしょうから、AはBより劣っていると考え、BもまたAより劣っていると考えていたら、AB間に友達関係が成立するのでは、ないでしょうか。西洋の諺に「友達の務めが果たされるためには、一斗の塩を舐めなければならない」がありす。友達は、天から降ってくるように出来るものではない。相手にとって役立つ人間だと認めてもらう不断の努力が必要だ。との意です。学校の先生が友達を作れと脅迫するだろうが、全然気にすることはない、そんなものは真の友ではないと、愚息に言い聞かせています。傑作です。
2010/9/3(金) 午後 1:34 [ 出羽の守 ]
難しいことを考えずに、単に「自己中なオッサンの教え」と言うことていいんではないですかねw
2010/9/3(金) 午後 1:38 [ 丸坊主 ]
出羽の守さま
そうですね。最初のご説明は、おっしゃるとおりだと思います。拙文にも書きましたように、生徒にもそのように指導しました。
>学校の先生が友達を作れと脅迫するだろうが
と指導するのは、小中までだと思いますよ。オラはそんなこと生徒たちに言ったことがないw
友達に関する御説、なるほどと思いました。
傑作ありがとうございました。
2010/9/3(金) 午後 2:30
丸坊主さま
>自己中なオッサンの教え
と片付けるには、あまりにも影響力が甚大です。w
2010/9/3(金) 午後 2:31
まーーったく学ぶべきところが無いという相手がタマにいます。
全く、微塵も!となると、なんだか爽快感さえ感じますねェw
ポキッ
2010/9/3(金) 午後 10:30
カンナ姐さん
>学ぶべきものが無い相手
そうそう、いますねw
そういうのに限って寄ってくるw
傑作ありがとうございました。
2010/9/3(金) 午後 10:45
得意な面を伸ばして劣った面を補え、という教えなのでしょうか。
傑作クリックです。
2010/9/4(土) 午前 5:50 [ nadarechan1113 ]
nadarechan1113さま
よく分かりませんねw
この孔子の言葉をそのまま解釈すれば
やはり友だちは作れないw
おっしゃるように深読みして解釈しないと
今の我々の考えに反するw
結局nadarechan1113さまの解釈でいいということでw
傑作ありがとうございました。
2010/9/4(土) 午前 8:50
またまたどうもです。へえ、shiratyさんて、高校教師だったんですか?
この孔子の言葉を、別に深く考え込む必要はないのでは?孔子は何か深い思索の末に、そんな事を言ったとは思えないので。
だって一体何を基準に優劣を判断するのかが、これだけでは不明ですから。
聖人・孔子のことだから、何か深い考えがあるに違いないなどと孔子を聖人視しすると、錯覚してしまう恐れがあると思います。
孔子だって生身の人間ですから、俗っぽい部分もあったでしょう。
例えば孔子には、こんなエピソードがあります。
ある人物が孔子の屋敷を訪ねて来たら、孔子が突如仮病を使いました。それでその訪問客が仕方なく去って行くと、孔子は急に仮病を止めて、琴を演奏し始めたとか。
後世の人間はこのエピソードを、どう解釈して良いのやら頭を悩ませているそうで。孔子を聖人視してるせいか、「孔子が理由もなくそんな奇妙な行動で出る筈がない。だから孔子は、その客の無礼を窘めるためにやったのだ。」などと、尤もらしい解釈をされてる事が多いみたいです。
2010/9/8(水) 午後 4:23 [ - ]
ですがその客がどのような非礼を働いたのか、具体的な話など全くありません。だから私は、この時の孔子に別段深い動機などなかったと思ってます。
単に気紛れでイタズラをしただけか、個人的に気に入らない相手だったから、おちょくっただけじゃないのかと思えるのです。
それと同じで、記事で取り上げてる言葉も、そんな重く受け止める必要もないのではないかと思うのです。
2010/9/8(水) 午後 4:23 [ - ]
zodiac12さま
長文のコメントありがとうございました。
そうですねw
2010/9/8(水) 午後 4:30
特に異論はない、という事で良いのでしょうか?何せ私の意見は、他の皆さんとは大分違ってますので。
2010/9/9(木) 午後 10:47 [ - ]
zodiac12さま
あなたが一番難しく考えているのでは?w
2010/9/9(木) 午後 11:30