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「お父さん、ぼく大トロって食べたことないよね。一度でいいから大トロ食べてみたいよ〜」 と言い出した。 「何言うの。たま〜にだけど、お父さん大トロのお寿司握るじゃないの。文(文太)も喜んで食べてるじゃないか‥‥」 「うんう〜ん、ぼく大トロなんて一度も食べたことない。いいな〜○○くんは大トロが食べられて‥‥」 どうもせがれは友達から大トロを食べたことを自慢されたらしい。子供が成長して、大トロの価値を知ったことはうれしい。中国人がマグロのおいしさに目覚めたため、今後マグロが安く食べられるかどうか分からない。大トロにいたってはななおさらである‥‥。 しかし、一度も食べたことがないとは‥‥。 「でも文はたま〜に大トロのお寿司作ってあげると、おいしいおいしい、って言って食べてるよ」 「いや、ぼくは、大トロなんて食べたことない!」 「そんなことないよ。食べたことあるって‥‥」 「いや、ぼくには記憶がない‥‥」 「小さいから分からなかっただけで、食べたことあるって‥‥」 「いや、食べたことない‥‥。お父さんのうそつき!」 仕方がなく昨日車を1時間30分も走らせて、一番近い大都市T市までわざわざ寿司を食べに行った。もちろん高級(回転)寿司店である。高級(回転)寿司店とはいっても、やはり大トロは高い。普通のお皿の7倍以上はする。 「おい、文。これが大トロだ。しっかり味わって食べろ!」 そう言ってもなかなか食べようとしないので、 「なぜ食べないの?!!」 と詰問すると 「だって、おいしいものはあとから楽しみに‥‥」 「ばかなこと言うんじゃない!おなかが膨れてからじゃ、おいしいかどうか分からないじゃないか!」 そう言うとせがれはおいしそうに2貫の大トロを一気に平らげ、 「お父さん、2つじゃ分かんないから、もう一皿頼んでいい?‥‥」 このやろう、図に乗りやがって‥‥。 ということで、せがれは大トロをおなか一杯に、女房と私はメニューの一番安いのを、申し訳ていどに食べてきたのでした。二度と「ぼく大トロ食べたことない」と言わせないよう、しっかり証拠の写真を撮って‥‥。 |
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2006年11月27日
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韓国と日本は同じ価値観を共有している?記事を大きい活字でご覧になるにはこちらをクリックしてください。岡田克也の独りよがり発言まことに耳障りのいい話である。たしかに『チャングムの誓い』の主人公チャングムは、権力に執着する悪党に対し果敢に立ち向かい、弱者に対してはその人たちを助けるため献身的に働く。けっして奢らない。いつも控えめで慎ましやかである。最終回では、宮中に留まることを皇太后から強く要請されたのを辞退し、多くの民を救うため庶民の生活の中に溶け込む道を選択する‥‥。実に美しい話である。 岡田は、チャングムの「謙譲」的振る舞いを指して「両国の価値観が非常に良く似ている」と言っているようだが、何を的外れなことを言っているのか。 韓国は日本の固有の領土である竹島を占有し、『日本海』の名称を国際的慣習を無視し、自国を中心に据えた呼称『東海』を主張している。また、日本海海底の名称改竄の動きも然り。国連安保理で採択された「北朝鮮経済制裁」についても国連の決定を無視し、宥和(太陽)政策を推し進めようとしている。 私がこれまで主張してきたように彼の国(韓国・北朝鮮)の価値観は「謙譲」どころか身勝手な自己主張文化に他ならず、自民族優位主義、それこそが彼らの価値観のすべてなのである。他国や他人を思いやるような美意識など彼らはまったくもちあわせていない。『チャングムの誓い』もそのドラマの意図するところは勧善懲悪であり、チャングムの「謙譲」に焦点が当てられたものでは決してない。主人公が劣勢・劣悪な状況であればあるほど、そのドラマのカタストロフィーは劇的であり、善人が悪党に勝利するクライマックスは最高に盛り上がるのである。繰り返しになるが、ただそれだけのためにチャングムは不遇や逆境に耐えているだけなのであって、このドラマは「チャングムの謙譲」をテーマにしたドラマではないのである。岡田はそのことが分かっていない。勝手に「謙譲」に焦点をあわせ、「両国は同じ価値観を共有している」と思い込んでいるに過ぎないのである。韓国人からすれば、勧善懲悪(韓国が善で、日本が悪)を岡田が認めた、というだけの話になるのである。 「謙譲」は世界共通価値文化ではないでは、「謙譲」とは何か。謙譲と言う言葉の類義語に「謙遜」「敬譲」「謙虚」「恭謙」「恐縮」「恭順」「恐懼(きょうく)」「卑下」「下手(したで)に出る」「謙(へりくだ)る」「譲る」「遠慮する」「遠慮深い」など多くの言葉がある。これらはみな日本人の精神文化を象徴する言葉であり、日本人の心の底流にある美徳・美意識である。「自分をへりくだって表現することによって相手に敬意を表し、コミュニケージョンを円滑にする」日本固有の美しい文化である。少し前、日本人は自己主張が下手であるといって「ディベート」など相手を攻撃し自論を強く主張するようなことがもてはやされていた時期があったが、やはり長い歴史の中で培われてきた日本人の精神文化はそうたやすく凌駕できるものではない。『朝日新聞』や左翼といわれる人々が自虐的歴史観を口にするのも、ある意味で日本人の「謙譲」意識が根底にあるのではないだろうか。ただそれが度を過ぎてマゾヒスティックになっているだけで、発想の根本は同じではないかと思う。しかし、こうした「謙譲」というわが国特有の美意識・価値観は、世界にはまったく通用しない。通用しないどころか、命取りにさえなる。 まじめな友人の話であるが、アメリカで、自分の車を駐車場に止めていたら、走ってきた不注意の車にぶつけられてしまったそうである。その時、自分にはまったく否がなかったのに、無意識に「謙譲意識」がはたらいて、ついつい、こちらが悪かったとも受け取られるような発言を口走ってしまったそうである。「あ〜悪い悪い、こんなところに車を止めていて(もちろん違法駐車ではない)」。その言葉を発したがために、裁判で全面的に敗訴してしまったそうである。彼にしてみれば相手を慮っての言葉のつもりであったが、実際はその言葉が決定的な命取りとなり、逆に賠償金を支払わされたそうである。 つまり、日本人のこの価値観、「謙譲の美」という価値観は、他国ではまったく通用しないということなのである。だからといってこの「謙譲の美」を否定するものではない。ただ、この価値観を世界共通のものだと考えるのは間違いであるといいたいのである。まして、韓国のような自民族優位主義に凝り固まっているような民族には、端からこの崇高な理念は理解できるはずもなく、いわんや伝わるはずもない。 岡田副代表が『チャングムの誓い』を曲解し、歯の浮くような非現実的認識を披露したことは、まったく滑稽であるばかりか、韓国に対し間違ったメッセージを与える結果になった。岡田の政治家としての知識、見識を疑わざるを得ないが、さいわい彼は野党の議員であり、党首を失脚した人物である。それがせめてもの救いといえば救いである。 |
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