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大きな活字でご覧になるにはこちらをクリックしてください。 ほくそえむ 瑞穂の顔に 腹が立つ 久間発言をこぞって非難する論法はこうである。「広島・長崎で原爆の被害にあわれた被爆者の気持ちを何と心得る」「唯一被爆国であるわが国の、しかも防衛大臣が、米国の勝手な理屈を代弁するとは何事か」「核兵器使用を容認するとはけしからん」といったたぐいのものである。その発言の背景としては「これまで米国の政策を非難してきた埋め合わせではないか」「久間氏はもともと思慮に欠ける人物だから仕方がない」「安倍政権を潰すための党内謀略ではないか」「米国の陰謀ではないか(私)」などなどである。 発言の背景はともかく、論法を見ると結局とどのつまりは「核兵器廃絶」を主張する左翼勢力の言い分そのままではないか。被爆国日本の心情を強く訴えることによって、逆にわが国の国防政策を非難し、体制批判を扇動する。左翼勢力が耳障りのよい「市民団体」を装い、体制を非難・糾弾しようとしている構図そのままではないか。「被爆国である」という日本人なら誰もが逆らえない聖域を巧みに利用し、「反米」「反核」「反体制」をここぞとばかりに展開する。いつもの左翼の常套手段である。今回それが不幸なことに参院選を前にして、「選挙」に弱い意志薄弱な保守議員たちも取り込んでいるというところにさらに不幸がある。たとえ左翼を利することがあったとしても、自分の身が可愛いとする腰抜け議員がいかに多いことか‥‥。相手を利することが分かっていてやるのだから、なおたちが悪い。 わが国は現実的にアメリカの核の庇護の下にある。北朝鮮が核開発を進め、弾道ミサイル発射実験をはじめ核爆発実験を行い、ますますわが国はアメリカに打撃力を依存しなければならなくなってきている。一時わが国でも自前の「核武装論」が話題に上ったが、野党をはじめ与党の中からも「ええ恰好しい」という偽善者が現れて、その議論すらうやむやになってしまった。 問題は、わが国が被爆国であり唯一の核被害国であるという被害者意識と、悲しいかな核は国際政治の舞台の中で、有効な手段として現実的に機能しているということにある。本来、これは分けて考えなければならない話なのであるが、左翼勢力の巧妙な戦術により、一緒くたになって語られてしまっているところに問題がある。左翼の論調は「被爆国であるが故に核兵器保有には反対」という一見正しいように思える論理なのだが、実はこれは巧妙なレトリックであって「被爆国であるが故に核を保有すべきだ」という論理も成り立つのである。「ピストルで撃たれたことがあるから私はピストルを持たない」という論理よりも「ピストルで撃たれたことがあるからこそ、むしろ私はピストルを持つ」といった後者の方がむしろ理に適っているのである。 今回の久間発言は、日本の抱える内部矛盾をいみじくも露呈したかたちになっている。原爆投下という当時のアメリカの採った戦略政策を真っ向から否定すれば、現在わが国がアメリカの核に庇護されているという現実を否定しなければならない。また、アメリカの原爆投下を肯定すれば反民族としての糾弾を受けることになる。左翼の魂胆は、この二律背反する命題を巧みにリンクさせ、わが国を亡国に追いやろうとすることにある。 従ってわれわれはこの両者をはっきりと区別し整理しておく必要がある。つまり被爆国である日本としては核の使用には被害者としての憤りを覚えるが、核が依然として国際政治戦略上有効である限りその存在を認めざるを得ない。妄信的に核廃絶を口先だけで唱えていても核兵器が地球上からなくならない以上、国益のために核兵器を容認せざるを得ないと。 それにしても今回の件で、社民党の福島瑞穂のしたり顔が目にちらついてならない。くそ〜あの売国奴・国賊女め。得意満面、勝ち誇ったようなあの笑い‥‥。これ以上調子に乗っていると、上の口だけでなく下の口もふさぐぞ!と、またしても下品な発想が頭を過ぎるのでした。まっあの女では立つものも立たないが‥‥。 たった今、久間防衛大臣の辞任がTVで流れた。「それでも地球は回っている‥‥」ガリレオ。 |
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