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大きな活字でご覧になるにはこちらをクリックしてください。 わが国に敵愾心を抱く国を利することなかれ北朝鮮、久間発言を酷評 北朝鮮の内閣機関紙「民主朝鮮」は6日、久間・前防衛相の原爆投下をめぐる「しょうがない」発言について「ふぬけ者のたわごと」などと酷評した。朝鮮中央通信などが伝えた。
昨年10月、国際社会の声を無視して核実験を強行した北朝鮮だが、記事では原爆投下を「目的がどうであれ明らかに大きな人倫犯罪だ」と批判。「米国の核犯罪行為を唯一の被爆国である日本の防衛相が擁護したのは、日本人から見ても嘆かわしい」などとした。 ( 『朝日新聞』 7/7 ) それにしてもこの記事、「日本人の目から見ても嘆かわしい」とあるが、この言い回しに北朝鮮の本音が垣間見える。つまり、「日本人は非道極まりない戦争を仕掛け、アジアの諸国を蹂躙したのだから天罰を受けても当然なのだが、アメリカの原爆投下という鉄槌はやりすぎだ。そんなアメリカを擁護(?)する久間発言は、戦争加害者の日本人の目から見ても嘆かわしい」という、二重の言い回しになっているのである。日本を叩いてくれたことはいいが、そんなアメリカも悪いというのである。よく見ると、あくまで主体(正義)は朝鮮にあり、日米ともに悪玉に仕立て上げられているのである。 冷静に久間発言を振り返ると、氏は決してアメリカの原爆投下を積極的に擁護してはいない。当時の状況の中ではやむをえない一つの選択であったのかも知れない、と客観的に事象を言っているだけで、アメリカの原爆投下は正しかったと言ってはいないのである。「勝ちいくさとわかっている時に、原爆まで使う必要があったのかという思いが今でもしている」とさえ言っている。確かに久間氏は一国の大臣であるにもかかわらず、評論家まがいの発言を不用意にしたのは軽率であった。これまで防衛大臣らしからぬ多くの失言を繰り返していたことからも、辞任は遅きに失していた感は否めないが、発言は発言として正確に記しておきたい。 ところが氏の言葉尻「しょうがない」発言と「原爆投下」だけが結びついて、あたかも久間氏がアメリカの原爆投下を肯定したように、勝手に話が一人歩きをしてしまった。参院選を前に野党はいっせいに色めき立ち、防戦を強いられるはずであった与党議員もこれはまずいということで攻撃側に回った。マスコミも一斉に久間発言を非難し、結局、久間氏の辞任というかたちで一件落着(?)したのである。 私には、世界で唯一の被爆国であるという理由から一切の核発言を封殺してしまおうという、一種の言論弾圧、宗教裁判的な集団リンチに思えて仕方がないのだが、それはさておき、そのことがわが国の国体を無きものにしようと目論む左翼勢力に、力を貸すことになることを懸念するのである。 今回の「民主朝鮮」の記事でも明らかなように、すでにこの一件は広く反動勢力に利用されつつある。この一件の後、民主党の小沢一郎党首が安倍首相との党首討論会で、「米国は(第2次世界大戦の)ドレスデン無差別爆撃について謝罪している」と誤った自分の無知な歴史認識を披露し「原爆投下について米国に謝罪を求めないのか」と、日本政府の姿勢を追及した。巨視的に概観すれば、アメリカ側に先の米下院での「慰安婦決議」に対する日本側の報復とも受け取られかねない、無茶な要求を政府に突きつけているのである。 今、アメリカに喧嘩を売ってどうしようというのか。私はアメリカに文句を言うな、アメリカに逆らうなと言っているのではない。韓国や朝鮮、中国でもあるまいに、過去の事実をいまさらほじくり出して文句を言ったところで、どうなるものでもないと言っているのである。確かに被爆国であるわが国の心情としては、アメリカの原爆投下という事実は許せないし、今でも怒りでもってしかそのことを語れない。しかしわが国は現実的に今、そのアメリカの核の庇護の下にあって、過去の事実と今のそれとをどう整合性をもって語ることができるといえるのか。 核兵器は非道な兵器である。しかしその核兵器でもってわが国を恫喝しようとする国が現実として身近に存在する以上、悲しいかな今のところ、毒でもって毒を征するしか方法がない。過去の事実は事実として、今の現実は現実として、やはり分けて考える必要がある。決して、いたずらにアメリカを非難し、口先だけで核廃絶を訴え、わが国に敵愾心を抱く国を利するようなことだけはあってはならない。 |
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