北朝鮮問題

硬軟、落差の激しい不思議なブログ

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韓国:蛮族の証明

韓国:蛮族の証明

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                      燃やされる右派教科書

 ソウル市の清渓広場で18日夕に開かれた「民生と民主主義のためのろうそく文化祭」で、参加者が右派傾向の強い学者らが出版した韓国近・現代史の代案教科書を燃やした。

                                       ( 『 朝鮮日報 』 2008/10/20 09:39:32 )

 「言論の自由が無いことを証明してどうする‥‥」、「さすが土人国家。洋服着た野蛮人のやることはひと味違います」、「世界中見回しても、いま焚書が見られるのは韓国だけ。勝ったニダ」、「きっと正確な近代史が書いてあったんだろうな 」、「党が交互に焚書するから資料が何も残らない。さすがデジタル国家だな」、「空気汚すな!紙も資源だリサイクルせよ! 誰だ?文字を教えた輩は? 」、「歴史が残らないわけだ」、「教科書の代わりにウォン紙幣を燃やせば」‥‥。これは2チャネラーさんたちのご意見である。いずれも的を射ていて軽妙である。

 気に入らないことがあるとすぐに火病を起こし、他国の国旗に火はつけるは、抗議の焼身自殺はするは、焚書はするは‥‥。民度の低さを自ら証明している。日ごろいくら偉そうなことを言っていても、こうしたことですぐにお里が知れる‥‥。やはり朝鮮は蛮族である。あらためて納得した。

shiraty5027

日本がパクリ? 何をこきやがる!

              真露「J」、宝酒造「JAPAN」パクリ疑惑に新展開

 真露の新商品「J」の「ニセ物騒動」が新たな局面を迎えています。

 酒類業界は先週、真露が発売した新たな焼酎「J」が、日本の大手酒類メーカー宝酒造が製造した「JAPAN」のデザインを真似たものではないかという話題で持ちきりでした。真露の「J」と宝酒造の「JAPAN」は共に瓶の正面ラベルに「J」という英文字を大きくプリントしている点で「そっくり」との指摘を受けていました。

 この話題が報じられ、「日本の酒を真似するとはがっかりだ」「うちに納品された“J”をすべて返品する」など、販売に否定的な雰囲気が広がりを見せました。驚いた真露は「“J”は真露(JINRO)のアルファベットの頭文字を取った独創的なデザインだ」と釈明しましたが、消費者の誤解を解くには不十分でした。

 悩んだ揚げ句、真露は過去に発売した製品の中に「J」に似たデザイン・コンセプトを持った製品がないかどうかを調査しました。その結果、真露は1996年に製造した輸出用製品の中に「J」の表記の入った宝酒造のJAPANとそっくりのラベルの製品があることを発見しました。

 同焼酎は、米国やカナダ、メキシコ向けに最近まで140万箱(12本入り基準)以上輸出されたヒット商品とのことです。一方、宝酒造の「JAPAN」は2006年3月に発売された製品です。これを基に真露は「真露が宝酒造を真似たのではなく、宝酒造が真露を真似た」という主張を展開し始めました。真露の関係者は「真露の製品が日本製品を真似たという誤解から脱することができて幸いだ。消費者たちにこうした事実を積極的に知らせていく」と話しています。発売開始からさまざまな問題に巻き込まれた新商品「J」が、消費者にどのような評価を受けることになるか、見守りたいものです。
                                       ( 『 朝鮮日報 』 2008/10/20 11:42:48 )

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 まるで鬼の首でも取ったようにはしゃいでいやがる‥‥。何をそんなに勝ち誇っているのか。

 じゃ、これは何なんだ?

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 瓶のデザインといい、ラベルのデザインといい、丸ごとパクっているじゃないか。さあ、説明してもらおうか‥‥。ああ、ばかばかしい。

shiraty5027

生贄にされた将軍:本間雅晴中将

イメージ 1 戦時中に米国人の捕虜が、日本軍から食事として提供された“ごぼう”を「木の枝を食べさせられた。虐待だった」と戦後訴えたという逸話がある。明らかに「善意」を「悪意」として歪曲したエピソードである。“バターン死の行進”と米軍によって喧伝されたフィリピン、バターン半島の捕虜後送の一件も、実はそんな事件であった。

 本間雅晴中将率いる第十四軍が、死者130名、負傷者6800名を出して、米比軍が守備するバターン半島を占領したのは、1942年4月9日のことであった。当初4万人たらずと見込んでいた敵兵力は、何と米兵1万2千人、フィリピン兵6万4千人、計7万6千人もいたうえに、難民2万6千人がいた。バターン戦の後には、米比軍が篭城するコレヒドール島(要塞)攻略戦がひかえている。コレヒドール島攻略には、バターン半島が基地になる。おまけに半島は名だたるマラリア蚊の巣窟であり、米比軍にマラリアやデング熱、赤痢が蔓延しており、その患者は多い。本間中将は直ちに捕虜の後送を命じた。

 トラックがないので、捕虜は徒歩行軍した。4月5月はフィリッピンの盛夏である。弱った捕虜、特にマラリア患者の米兵は次々に倒れ、その数は2千3百人と記録された。この日本軍によるバターンの捕虜の後送は、米軍によって“残虐行為”として喧伝された。しかし、もし後送されなければ、すでに弱りきっている捕虜は、あるいは全滅状態になっていたかも知れない。いや、おそらく全滅していたことであろう。その意味で本間中将の処置は正しかった。“死の行進”というより、事実はむしろ“生の行進”だったのである。

 中将は終戦後“バターン死の行進”の責任者ということで、マニラの軍事法廷で戦争犯罪人として裁かれた。“死の行進”が誇張であり、中将の人格がそのような非違を許さぬ高潔なものであることが立証されたが、判決は死刑であった。ただ刑が、他の戦犯者の多くが軍人として屈辱的な一般犯罪者なみの“絞首刑”であったのに対し、軍人としての名誉の“銃殺刑”だったのは、さすがに法廷も判決の無理を自覚していたとみられる。

 本間中将は1947年4月3日、丁度バターン第二次攻撃日の5周年“記念日”に、処刑された。執行前、本間中将はビールとサンドイッチ、さらにビフテキ、食後のコーヒーまで所望して平らげた。柱に固縛され、銃殺隊長の「用意」の声が響くと、中将は大声に叫んだ。

 「 さあ、来いッ ! 」

 胸部を貫いた命中弾は6発。中将の身体は、絶命後もなおその流血の胸をはったまま、動かなかった。

■ 辞世の句 (五首あるうちの一首)

          甦る 皇御國(すめらみくに)の 祭壇に 生贄として 命捧げむ

                           合 掌

追 記


イメージ 2 本間中将の夫人、富士子夫人が軍事法廷に証人として出廷した際、

 「わたしは今なお本間の妻たることを誇りにしています。わたしは夫、本間に感謝しています。娘も本間のような男に嫁がせたいと思っています。息子には、日本の忠臣であるお父さんのような人になれと教えます。わたしが、本間に関して証言することは、ただそれだけです‥‥」

 と陳述、その毅然とした姿に裁判官も検事も感動の涙を流したといわれる。
                                                         ( Wikipedia )

参 照


『 指揮官 』 ( 児島襄:文芸春秋 )

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