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2008年11月12日
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なぜ今回の田母神参考人招致の件で、マッカーサー元帥が引き合いに出されなければならないのか。ここで詳しく述べるつもりはないが、朝鮮戦争のとき、1951年ごろになってそれまで劣勢だった共産軍の反抗が本格化し、再び戦線を押し戻すようになっていた。そのような状況を打開することを目的に、マッカーサー元帥は国連軍最高司令官として、台湾の国民政府軍の投入、中国本土の工業地帯への爆撃、沿岸封鎖などの強硬策、さらには核攻撃の必要性を大統領に提案していた。しかし、その提案は米政府の意向とはかけ離れたものであったため、マッカーサー元帥はトルーマン大統領によって最高司令官の職を解かれるわけであるが、マッカーサーはその決定に従順に従っているのである。 今回、田母神氏が航空幕僚長を解任させられたことを不服とし、政府の指示に従わないでいるのならマッカーサー解任の話を引き合いに出してもおかしくない。だが、田母神氏も「大臣が(政府見解と)相違があるとして私を解任するのは政治的に当然だと思う」と言って、政府の解任命令に素直に従っているのである。筆者はわが国における「文民統制」(シビリアン・コントロール)という言葉の認識と概念は間違って理解され運用されている(『田母神論文:文民統制とは?』参照)と思うが、「政治が軍事を優先する」という本来の意味と照らし合わせてみても、マッカーサー元帥同様、田母神氏もまったくそれに反しているものではない。むしろいわゆる「文民統制」が厳格に守られているといっていいのである。 「軍隊を文民政治家の指揮下に置く仕組みは、民主国家の原則とされる。それを軽んじる、横着な空気が自衛隊にあるのではないか」とは、あまりにも事実に反する強引な“こじつけ”ではないか。 朝日はこのコラムで、マッカーサー元帥をなぜか引き合いに出しているが、マッカーサー元帥が解任され本国に帰るとき、朝日は社説で何を書いていたか。1951年(昭和26年)、『朝日新聞』は4月12日と16日の二回にわたって「マックアーサー元帥を惜しむ」「マックアーサー元帥を送る」と題する社説を載せている。 「われらの敬愛したマックアーサー元帥」「が突如‥‥顕職を解任されたことはわれわれ日本国民全体にとって真に寝耳の水の驚きであった。‥‥過去五年有余の占領統治の間、元帥は日本国民にとってあまりにも大きい存在であった。国民の多くがいま元帥を永久に失って多少の空虚感をもつのもけだしやむをえない」
と述べて、「心からの惜別の意」を表しているのである。つまり、間接的にトルーマン大統領のマッカーサー元帥解任を非難していたのである。何という御都合主義であることか‥‥。その文脈でいうならば、 「われらの敬愛した田母神空幕長」「が突如‥‥顕職を解任されたことはわれわれ日本国民全体にとって真に寝耳の水の驚きであった。‥‥二年弱の航空幕僚長の間、閣下は日本国民にとってあまりにも大きい存在であった。国民の多くがいま閣下を永久に失って多少の空虚感をもつのもけだしやむをえない」
と言い換えることができる。 その他にもこの糞コラムは「論文問題に封印したはずの“戦前の臭い”を嗅いだ人は少なくなかっただろう」などと、あらゆるアンケート調査にも現れていないデタラメを、あたかも多数であるが如く喧伝している。また、「武器を堂々と使用したいのが本音か」と、まるで「武器を隠れてコソコソと使用するのがよい」かの如く、馬鹿げた論調になっている。 やはり朝日は糞新聞である。その糞新聞の糞コラムを、後生大事に「大学入試論文」に採用している大学も大学だが、ふだん学歴社会を批判している朝日が、入試シーズンになると自社の『天声人語』を採用している大学がいかに多いかを自慢しているのも、また妙な話である。要するに『朝日新聞』は節操がないのである。今回の糞『天声人語』を読んで、あらためてそれを認識した。 shiraty5027
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